145 吐き出された本音
「考えさせろ、か……」
アーサーの逃げを見通していたのだろう、クロノは呆れたように溜め息をついた。
「まったく、あれから時間が経ったというのに随分と尾を引いているな」
「……どういう意味だよ」
「『リブラ王国』での事だ。知らないとでも思ったか?」
ピクッ、とアーサーはその言葉に鋭く反応した。
それを確認してからクロノは続けて言う。
「あいにくと魔族には遠くを見通せる魔術を持つ者もいる。リンク……いや、今はアユムと名乗っていたか。あいつに話を聞いたんだろ? あの事件の成否に貴様は関係ないと。いい加減に振り切って元のお前に戻れ」
「……また、背負えっていうのか?」
恨み事のように、アーサーはポツリと呟く。
その言葉に今度はクロノの方が強い反応を示して眉根を動かした。
「知ってるって言うなら、お前だって『リブラ王国』で何があったかは知ってるだろ。俺はあの事件の近くにいながら、最後は勇者の集束魔力砲でテロリストも細菌兵器も人質も、全てが蒸発して消えるのを泣き叫んで見てる事しかできなかった! 仲間の制止を振り解いて進んで、その果てで何も救えなかったどころか協力者を死なせてしまった。あんな思いをもう一度しろっていうのか!?」
「……」
「助けられないかもしれないのに、またその命と責任を背負えっていうのか? どうせ俺なんかには全部を救う事なんてできないのに、無駄な足掻きを続けろって言うのか!? だったらそっちで勝手にやってくれよ。俺を掻きまわすなよ! 大体お前が青騎士側じゃないっていう証拠はどこにある? お前に背中を刺されない保証があるっていうのか!? 散々一方的になぶられてきた魔族が人間への報復のために俺を利用してるって考えた方がまだ納得できる。そもそも……」
「はあぁぁぁ―――っああ」
アーサーの言葉を遮るように、クロノは隠そうともせず大きく呆れた溜め息をついた。その瞳にはアーサーに対する侮蔑の色が見て取れた。
「たしかに一月か二月前までただの村人だった事を鑑みれば、『リブラ王国』の一件でそういう思考に行き着いても不思議じゃないだろうがな」
同情や憐れみ、そういったものを含めた言葉だった。
その全てを踏まえたうえで、
「なんというかお前、ローグの意志を継ぐ者にしては、なんだかつまらない男になってるなあ」
「な、に……?」
その言葉の直後だった。
クロノの姿が目の前から忽然と消え失せる。
腹の真ん中に重たい衝撃が響いたかと思うと体が後ろに向かって吹き飛ぶ。それが腹を蹴られたせいだと気づいたのは、扉を突き破って地面に擦られながら吹き飛び、視線の先でクロノが片足を上げているのを見てからだった。周りにいた集落の人々が突然起きた騒動に慌てた様子で悲鳴を上げたのが分かった。
しかし、彼女の攻撃はそこで終わらない。
再びクロノの姿が消えたかと思うと、襟首の後ろを掴まれて強引に投げ飛ばされる。次に背中に当たったのは大きな木の幹だった。肺に入っていた空気が押し出されて思わず喘ぐ。
アーサーには成す術がなかった。ポーカーのインチキに使われるのとは話が違う。
これが本来の使い方なのだろう。忽然と消え、気づいた時には攻撃されている。回避不可能で反撃不可能。これが世界のトップを歩く上級魔族の力なのだ。
「別にお前がそこまで乗り気じゃないなら一人でやっても良いんだ」
「がっ……げ、ぅ……」
「だがな」
ガッ!! とアーサーの顔の真横の木の幹に足の裏を叩き付ける。
どうしようもなく一方的な暴力を振るいながら、クロノはアーサーを見下ろして言う。
「『助けられないかもしれないのに』だと? お前がそんな諦めた言葉を使うな。絶対に助けるんだ、くらい言えないのか? お前はそういう人間だったんじゃないのか!?」
クロノはアーサーの顔の横に置いた足を外し、それを水平に振るう。その射線上にあったアーサーの頭を蹴り飛ばし、彼の体は空中で二回転ほどしてから地面でバウンドする。アーサーは立ち上がろうと、ふらふらになりながらも両手を地面について顔を上げる。
だがクロノはアーサーが立ち上がるまで待たなかった。
ゴウッッッ!!!!!! とアーサーの視線の先で魔力の渦が咲き乱れる。
「レミニアのように目の前で殺されそうなヤツがいればなし崩しの人助けはする。だがそこに吟味する時間が加わると途端に消極的と来た。お前、そんなつまらない男だったか?」
クロノが何気ない調子で作り出したのは、『アリエス王国』で見た結祈のものよりも大きい、自分の体と同じくらいの大きさ濃縮魔力弾だった。
そして。
「自分の心を殺して停滞する事しかしないなら、ここで死んで右腕を置いて行け」
クロノは一切の躊躇をする事もなく、その濃縮魔力弾をアーサーに向かって飛ばした。
濃縮魔力弾を躱す余裕は今のアーサーには無かった。いとも簡単に人の命を奪える殺人級の攻撃がアーサーに迫る。
それに対して、アーサーが取った行動はシンプルだった。
何も握っていない、開いた右手を濃縮魔力弾に向かって突き出す。そしてその右手に濃縮魔力弾が着弾した瞬間、勢いを持っていたはずの濃縮魔力弾はアーサーの手前でピタリと静止した。
「……うるせえよ」
低く、低く、地の底よりも低い声でアーサーは呻くように呟く。
「俺はそういう人間だったんじゃないのかだと? 知らねえよ、そんな勝手な価値観を押し付けるなよ!! 俺は漫画のヒーローじゃないんだ。レオタードを着て戦えば何でもかんでも救える訳じゃないんだよ! 当たり前だろ、そんなこと!! 何も見てきてないあんたが、知ったような口を開くなッッッ!!!!!!」
クロノが生み出した濃縮魔力弾をそのまま投げ返す。今度はその攻撃をクロノ自身が受ける事になったのだが、
「ふん」
クロノは鼻息混じりに軽く手を横に振るう。それで彼女の濃縮魔力弾は弾けて消えた。
「ただの腑抜けかと思ったらやり返すだけの元気はあるようだな」
どこまでも上から目線のクロノに向かって、今度はアーサーの方から飛び込む。しかしもうすぐで手が届きそうな距離まで迫ると、クロノは途端に目の前から消えてしまう。このトリックを解かない限りアーサーは彼女に触れる事すら敵わない。
「くそっ、逃げるな!!」
「逃げているのはどっちだ」
死角から放たれる蹴りを、アーサーは声を頼りにして両手でガードする。しかしクロノの蹴りの威力はガードの上からでもアーサーを吹き飛ばした。
「こちらの話を否定するだけ否定して、散々疑った挙句に貴様は何をするつもりだった? まだ潔く尻尾撒いて逃げる方がマシだ。何故まだ拳を握っている? いつまで未練がましく信念に食らいついているんだ!? 私はお前のこれまでの道のりを知っているぞ。『ログレス』に入ってからも『ホロコーストボール』や勇者を退けて来たようだが、この際ハッキリ言ってやる。それなら『リブラ王国』以前の、救えないヤツらがいたんだとしても誰彼構わず手を差し伸べて足掻いていた頃の方がマシだったぞ!!」
「……その結果、どれだけの人を危険に巻き込んできたと思う?」
「知った事か」
呟くようなアーサーの言葉に、クロノは吐き捨てるように返答した。
しかし、アーサーはそれに憤ったりはしなかった。
「ああそうだよ。分からないんだよ、直接関わってた俺にも!! 俺は俺の行動の結果で犠牲になった人の正確な数どころか、そのほとんどの人の顔だって知らないんだ!!」
アーサーが感情に任せて振るった拳をクロノは避けなかった。先程までと同じように避けられたはずなのに、あえてその拳を手のひらで受け止める。
アーサーとクロノ。二人が至近で睨み合う。
「大体お前、ただの村人の俺に何を期待してるんだよ! なんだよ上級魔族を倒せって。どう考えたっておかしいだろ。そんなに殺したいなら勇者でも呼べよ!!」
「貴様がそれを言うのか!? 『リブラ王国』で勇者の暴挙に叫んでいたはずのお前が? はっ! いよいよ底が見えて来たな、臆病者」
クロノがアーサーの拳を握ったまま捻りを加えて肩関節にダメージを与える。鋭い痛みに苦悶の表情を浮かべるアーサー顔面に、すかさず後ろ回し蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。しかしアーサーの方ももう引く気がないのか、吹き飛ばされた先で痛みを堪えてふらつきながら、立ち上がって睨むようにクロノを見る。
「だったら何だ……? お前は勇者がいけ好かないから俺にやらせようって言うのか? ふざけるなよ。あの時の俺の行動の結果が何をもたらしたのか知ってるのか!? あの場所で、俺にできた事なんて何もなかったんだよ!! 俺はもう、自分の行動の結果で誰かを不幸にしたくなんてないんだよっっっ!!」
「ようやく吐き出しやがったな臆病者。その行為がすでに誰かを不幸にしている事に気づかないのか? お前が動けば救えたかもしれない命を見捨てている事が分からないのか?」
「確かに俺が間に合って助けられた命もあったんだと思う。でもそれがバタフライ効果みたいに別の悲劇を生み出していた可能性は? 俺が誰かを助けた事で、別の誰かに不幸が降りかかっている可能性は!? そんなの俺が殺してるのと同じだろうがッッッ!!!!!!」
雄叫びを上げるアーサーに対して、クロノはすっと目を細めた。
その両眼にはもう期待も怒りもなく、呆れの色しかなかった。
「それが貴様の偽りの無い本音だとしたら心底がっかりだ。そんな風に自分が傷つきたくないから他人をあっさりと見捨てられるなら、誰かを助けた事で別の誰かを死なせてしまうのが怖いって言うなら、お前は正真正銘、ヤツら以上の悪党だよ」
「……っ、だっ、たら……どうすれば良いって言うんだよ……!!」
アーサーは一直線にクロノに向かって駆け出す。
クロノは回避行動を取らなかった。それを待ち構えるように、仁王立ちのまま右の拳を固く握る。
「ふん、知った事か。まさかそんな事も分からないような腑抜けになっていたとはな。期待外れもいいとこだ」
両者が互いの拳の射程距離に入る。
最後の攻撃を同時に行う。
拳を引き絞り、それを解き放つ最後の瞬間、クロノはこう呟いていた。
「今のお前じゃ誰にも勝てないよ。今ここで、負けて死ね」
鳴り響いた快音は一つだけだった。
迷いを持つ者の拳と、ただ相手を叩き潰そうとする者の拳。
どちらの拳の方が先に届いたのか、その結果は見なくても明らかだった。
ありがとうございます。
事実上は二回目となるクロノとの対決。説教をしながらアーサーをボコボコにするクロノでしたが、いつもはこの立場にいるのはアーサーです。つまり今回は立場が逆転していた訳ですね。
今回はアーサーの心の内を明らかにしました。『リブラ王国』の一件から溜めていた想い、そして一見すると勝利してきた戦いの中で、目立っていなかった犠牲になった人達に焦点を当てた考え方をしていました。よくある話ですが、この辺りをどう線引きして戦うのかがヒーローとしての資格だと思います。この作品だとヘルト・ハイラントがそうですが、全てを助けようとするのではなく助けられる人だけを助ける、というのも一つのヒーローの形だと私は思います。
さて、思えばアーサーが挫けたのは三〇話くらい前の話。フェーズ3に入った事ですし、そろそろ立ち直る頃でしょうか。