142 最奥で待つ氷の塔
そこまで確認してアーサーは初めて気の抜いた息を吐いた。空中での激しい攻防で何度も縮み上がった心臓がようやく安堵を取り戻した瞬間だった。
その様子をどこか近くで見ていたのか、消えた時と同じようにクロノ達が突然アーサーの傍に現れた。それに気づいたアーサーの方が先に声をかける。
「ようクロノ。これで満足か?」
労いか軽口でも飛んでくるかと思ったが、帰ってきた言葉はアーサーの予想から外れていた。
「……昔ピスケスと戦った時にローグとリンクが使ったという手を思い出すやり方だったな」
「それって『一二神獣』の?」
「ああ。その時の事をローグは俺はヨナじゃないのにな、と苦い顔で言っていたが……お前意味分かるか?」
「……それ異世界の表現じゃないのか? だったら俺が異世界の話を知ってる訳ないだろ……」
「チッ」
当然の事を言っただけなのに舌打ちされるのは流石に理不尽だと思ったが、クロノのテンションに慣れてきたおかげで頭には来なかった。……こういう慣れは少し悲しいとも思うが。
「ま、ドラゴンキラーの名に恥じぬ戦いぶりだったとだけ言っておこう」
「……本当にその通りならここまで死にそうになってないと思うけどね」
「死んでないんだから文句を言うな。さっさと洞窟の奥に行くぞ。エレインを背負え」
クロノは吐き捨てるように言って門番のいなくなった洞窟内に入っていく。思わず溜め息をついたアーサーに、いつの間にか背後でレミニアに支えられていたエレインが声をかける。
「ああ言ってますけど、本当は感心しているんですよ? クロノさんは素直じゃないですから」
クロノをフォローするエレインの言葉に、しかしアーサーは素直に頷けなかった。
「……ドSなだけじゃないのか? 俺をからかって楽しんでるようにしか見えない」
「たしかにそういう部分があるのも否定はしませんが、クロノさんの本質は優しさですよ?」
「だと良いけど」
軽い調子で返しながらアーサーはエレインに背中を向ける。エレインはレミニアに助けられながら再びアーサーの背中に抱きつくように乗る。
飛竜との戦いで体中が痛い状態だったが、洞窟の中は外で足が雪に埋まった状態で歩くよりは大分マシだった。前を歩くクロノに追いつくために少し速度を速めて隣に並ぶ。
洞窟の中は意外にもかなり明るかった。クロノが言うには元々光を放つ鉱石でできた洞窟が氷に覆われた事でこうなったらしい。もしかすると天気の悪い外よりも、光が氷柱に反射して眩しいくらいの洞窟の中の方が明るいかもしれない。高さも幅も十分広く、横に三〇人くらいは並べそうなほど余裕があった。唯一の懸念は天井にぶら下がっている大量の氷柱くらいだろうか。運悪く頭に落ちて来ない事を祈るばかりである。
「さっさと行くぞ。ここからもうしばらく歩くからな」
洞窟はクロノが先導する必要もなく一本しか道がなかった。それほど急でもないが長い下り坂が続く。地面は所々凍っており、油断すれば足を滑らせてしまうので気を抜けない。道はずっと右に曲がり続けているので、もしかすると螺旋状に地下へと潜って行っているのかもしれない。
ようやく長い下りが終わったかと思うと、今度は先の見えない長い直線の通路になっていた。代り映えしないどころか終わりの見えない道に辟易としてくるがクロノは足を止めない。アーサーはその後を文句を言わずにただついていく。
そうして、洞窟の中に入ってから何時間経っただろうか。代わり映えのしない景色で陽の光も無いとなると時間間隔が狂ってくる。
長い直線の道を終えると今度はだだっ広い空間に出た。何かのドームのように基本は円形で、天井は目測で六〇メートルは上にある。つまりそれだけ下ってきたという事だ。
地下にある氷のドーム状の空間。世界広しといえどここまでの光景はなかなかお目にかかれる代物ではないだろう。ここまでの苦労が報われる思いだった。
「見ろ。あれが目的のものだ」
クロノの言葉で巡らせていた視線をこの空間の真ん中に向ける。そこには五メートルほどの高さの氷の結晶があった。近付いて見てみると、クリスタルで言う所のクラスターのように細長い氷をいくつも集めて塔にしたような結晶だった。
「これが魂……?」
「正確に言うならその依り代だ。その昔、彼女は戦いの中で致命的な怪我を負ってな。その時に体を捨てて魂だけの存在になったんだが、当時は肝心の魂が共存できる者がいなかった。だから私達は彼女の魂の依り代となるこれを作ったんだ」
「……」
「どうやら話が読めてきたようだな。そういう察しの良い部分はお前の美徳だ」
「……正直言うと、最初から疑問だったんだ」
アーサーは自分の呼吸が浅くなっているのを感じた。自分では平静を装えているつもりだったが、思った以上に自分の感情が逆立っているようだった。
「なんでわざわざエレインを連れて来たのか。ここまでの道中は決して楽じゃなかった。それなのに車椅子も使えず、一人で移動する事もままならないエレインを連れてくるメリットは何もない。俺とかだったら仲間だからって理由で一緒に来たかもしれないけど、お前はそんな合理的じゃない事をするタイプには見えないからな」
「続けろ」
クロノは表情を動かさず、腕を組んだまま顎をくいっと動かして先を促す。
対してアーサーは呼吸が浅いまま、どうしても晴れない気分のまま言う。
「つまりエレインはそこにある魂の新しい依り代なんだろ? 物じゃなくて、当時はいなかった人間としての!!」
「その通りだ」
即答された声に、思わずエレインを背負うために使っていた手を固く握り締める。
乾いた唇を動かし、最後の確認を行う。
「……他人の魂を入れて、エレインは大丈夫なのか」
「私が見る限り容姿は生き写しのようにそっくりだ。それに魔力の質も限りなく似ているし、彼女もエレインと同じ『魔族堕ち』だ。予測では問題はない。だがなにせ初めての試みだからな。どうなるかは正直私にも分からん」
「だったらここに俺を連れて来たのは失敗じゃないのか? 俺の人となりを知ってるなら、こういうのが嫌いだってのも知ってるはずだ」
「だろうな。お前は私の事を信用していないだろうし、このタイミングでそういう反応を示すのは知っていた。だがな」
そこでクロノは切り札を使うように、自信に満ちた笑みを浮かべて続ける。
「予測したのは私ではなく五〇〇年前のラプラスだ。あいつのお墨付きなら成功率が高いのは分かっているな? それにエレインはこの方法を取る事に賛成している。あの集落を救う方法はこれ以外に無いとな」
「……」
「反対者は貴様だけだ。さあ、止めたきゃ止めろよ。どっちにしろ貴様の協力が無ければ魂を移せないんだしな」
「……」
アーサーはしばらく無言で悩んだが、やがて拳に込めていた力を抜いてふっと息を吐いた。
「……分かったよ。それで、俺の協力って何をすれば良いんだ?」
「とりあえず背負っているエレインを近くに下ろして右手で塔に触れろ」
アーサーは言われた通りエレインを塔の近くに下ろしてレミニアに支えて貰い、右手で塔に触れる。氷でできている塔はかなり冷たかったが、そこは我慢して手を付ける。
「貴様の右腕にはローグの『魔力掌握』の力の一部が引き継がれている。ローグは視認しただけで魔力操作ができていたが、貴様のは力の一部でしかないしそこまでは求めていない。それでも触れているものの魔力は操れるはずだ。それで塔を守っている結界を壊せ」
「いきなりそんなこと言われても……」
と、最初は怪訝な様子のアーサーだったが次第にその表情が驚きに変わっていく。
意識してみると今まで感じていなかった大きな力の塊のようなものが感じられた。その感じは自然魔力を感じる時と酷似した感覚だった。
「ん……なんか複雑に絡みついた糸みたいなのがあるんだけど」
「それが結界だ。二度と使う予定もないし解くのではなく壊してしまえ」
言われた通り、アーサーは結界を作っている魔力そのものを握り潰して破壊するようなイメージを加えると、なんの抵抗も無くいとも簡単に壊れた。それに呼応するように、氷の塔の表面から甲高い音を立てて砕けたガラスのように何かが散った。
「……多分、これで大丈夫だと思う」
「ああ、たしかに結界は壊れた。ここからは時間の勝負だ。私が依り代からエレインの中に魂を移す。良いな、エレイン」
「はい、大丈夫です」
即答したエレインに目を向けると、彼女もアーサーの方を向いて柔らかい笑みを浮かべていた。
「大丈夫ですよ、アーサーさん。私は消えません」
「……分かったよ」
ここから先は何も出来る事がないようなので、アーサーは二人の邪魔をしないようにレミニアと少し離れた場所に移動する。
クロノは塔とエレインのそれぞれに手を置いて魔力を開放する。アーサーには厳密に何をしているのかは分からないが、初めて見るクロノの真剣な顔に思わず息を飲む。
それを見ながら、アーサーはこの後に待っている極大の問題について思いを馳せる。
(上級魔族を倒してくれ、か……)
クロノの力は恐らくアーサーでは手も足も出ないくらいに強い。それは今明らかになった右腕の力を加味したとしても、だ。
どう考えても勝てない相手に立ち向かっていくのはいつもの事だが、今回は集落の人達という守らなくてはならない者達がいる。青騎士という上級魔族に立ち向かうという事は、それら全ての命と責任を背負わなくてはならないという事だ。
そう考えると心が折れそうになる。『リブラ王国』で集束魔力砲によって建物が吹き飛ばされた時の光景が脳裏を過る。
気がつくと再び浅くなっていた呼吸を整えるために、一度大きく息を吸う。
その時、アーサーの耳が何かを捉えた。自分の背後、通って来た通路の奥から妙な音が響いてくるのを感じ取った。
今度は聞き洩らさないように、耳を澄ませて音の正体を探る。
すると。
「―――ォ」
音源はまだ遠く、聞こえて来たのは僅かな音だった。
しかし、アーサーはそれだけで確信を持った。
「間違いない……あいつだ。飛竜がこっちに来てる!!」
ありがとうございます。
今回はさらっとアーサーの右腕に新しい力が宿っているのが明らかになりました。第一三六話【再び星に誓う】でアーサーがレミニアの魔力を鋭敏に感じ取れたのも、実はこの右手の作用でした。
これはフェーズ3の命題である【そして村人は強くなる】の第一歩です。アーサーはここからもっと強くなります。期待していて下さい。
……まあ正直、生身で飛竜を倒せる時点でもう十分に強いとは思いますが。