139 『魔族堕ち』の集落
「ちくしょう……。分かってました、分かってましたよう。俺みたいな凡人がそう何度も奇蹟を起こせる訳がないってなあー……」
当然負けた。
そもそも何の策もなく上級魔族と真正面から殴り合い、アーサーが勝てる見込みなんて最初から存在していなかった。それはアーサーにとって銃弾が止む事なく飛び交う戦場を無傷で一〇〇メートル走破しろというのと何ら変わらない難易度だ。
拗ねて捻くれている様子はギャンブルに賭け続けた挙句負け続けた人そのものだった。そもそもアーサーが今まで不可能を可能にしてきたのだって、一〇〇回やったら九九回はダメだと分かったうえで、それでも最初に成功する一回を引き続けた結果なのだ。そう何度も上手く行く訳がない。むしろこんなどうでも良い事で貴重な運を消費しなかった事に感謝した方が良いくらいだ。
「なんでしょう、どんどん兄さんが壊れていってる気がします……」
「この程度で人間が壊れるものか。全部こいつの素だよ。失望したなら今後の身の振り方を改めて考えた方が良いな」
「いえ、その程度で兄さんに失望したりしません。むしろ素が見られてラッキーです!」
「だそうだが、肝心のお兄ちゃんの方はどうなんだ?」
「やっぱり俺の妹は最高だぜ!!」
「わたしの兄さんも最高です!!」
お互いにお互いを讃え合いながら固く抱きしめ合う。
レミニアの方は完全に素な気がするが、アーサーは現実逃避をしている意味合いが強いような行動だった。しかもそれを見ているクロノの目がどんどん冷めたモノになっていく。
「……ふむ、見事なブラコンとシスコンっぷりだな。兄妹揃ってもうすでに手遅れなくらい脳内物質じゃぶじゃぶな気がするが……まあ見なかった事にしよう。これ以上は藪蛇になりそうだしな」
元を辿れば全てクロノのせいのような気がするが、この小さな実力社会ではクロノがトップだ。彼女が正しいといえば誤りでも正しい事になってしまうのだ。
「いいから行くぞ馬鹿兄妹。この後人を待たせてるんだ」
「他にも協力者がいるのか?」
「会えば分かる」
勿体ぶるクロノにアーサーは嘆息しながらポケットに手を突っ込む。いい加減彼女の尊大な態度にも慣れてきたので今回は突っかかるのを止めた。そして冷静になっていると、彼はポケットの中から無くなっているものに気づいた。
「あれ、マナフォンがないぞ? もしかしてまた無くしちゃったのか!?」
「それなら私が預かっている。なに、全てが終われば返すさ」
「……まあ、それなら良いけど」
勝手に私物を盗られている事に釈然としない部分もあったが、今さっき負けた身としてはそんな事も言い出しづらい。もう完璧に上下関係が出来上がってしまっていた。
仕方ないのでクロノの言う通り大人しく後を付いていく事にする。もうすでに疲れた体で歩く事には慣れている。アレックスのように文句は言わずに足を進める。
それでもさすがに文句の一つでも言いたくなるくらい歩いた。
まだ低かった太陽が頭上に来ようとした辺り、昼前くらいにようやく集落のような場所に出た。
「……今更言うのもなんだけどさ、レミニアの転移でもっと近くに来れなかったのか?」
「レミニアの空間魔法では見知った場所にしか転移できない。目的地に一番近い場所があそこだったんだ」
「……まあ、それなら仕方ないか」
「(……チッ、妹に甘いシスコンめ。ここで噛みついて来てくれればまた面白かったものを)」
「なんか言ったか?」
「別に何も」
なんだか殺伐とした雰囲気だったが、何はともあれ目的地には辿り着いた。アーサー達は無遠慮に集落の中へと入っていく。そしてすぐにこの集落が普通の集落とは違う事に気づいた。
そこには老若男女問わず色んな人達がいた。いる人達だけなら他の集落と変わらないのだろうが、一つだけ特別な事があった。そのほとんどの人の両目が本気になった結祈と同じ深紅色だったのだ。
「ここは一体……?」
「お察しの通り『魔族堕ち』の集落だよ。迫害された者達が行き着く最後の居場所だ」
思わず漏れた疑問に、クロノは端的に答えた。
その答えにアーサーが最初に抱いた印象は悲しさだった。
アーサーや他のみんなは『魔族堕ち』である結祈の事を差別していない。種族から違うエルフのシルフィーや、魔王の娘であるレミニアだって同様にだ。
しかしそれが出来ない人達がいるという事実がこの集落だった。かつて魔族の妹を理不尽に殺した男のように、この集落にいる人の数だけそれを受け入れていない者達もいるという事なのだから。
「……なんだって俺をこの場所に?」
「分かっているくせに。この場所が青騎士に狙われているからだよ」
「なんで……」
さらに追及しようとしたが、そこから先の言葉は続けられなかった。問い質したい相手が別の方向を見ていたからだ。
アーサーも釣られて同じ方向を見る。そこには車椅子に座る誰かがいた。長い金髪をなびかせている彼女はアーサーよりも少し上の歳だろうか、お姉さんといった風貌の女性だった。
「……うそ、だろ……」
その少女が近づいてくるにつれ、アーサーは目を大きく見開き僅かに口が開いていく。
アーサーが驚いたのは彼女のその風貌だ。
髪の色こそ金色だが、その他の全て。それがまるで自分の妹のレインが成長した姿を生き写したかのようにそっくりなのだ。
「お久しぶりですクロノさん。それで、彼が例の少年ですか?」
「ああ。約束通り連れてきたぞ」
軽く会話を交わす二人だったが、アーサーはそれどころじゃなかった。
「……おいクロノ。彼女は一体……」
「ん? ああ、ちゃんと紹介はするさ。こいつは今回の作戦においても重要な役割を持っているからな。ほら、自己紹介しろ」
「クロノさんが紹介してくれるんじゃないんですね……。まあ良いです」
ふうっと嘆息してから、彼女はアーサーを正面に見据えて姿勢を正してから言う。
「はじめまして、アーサー・レンフィールドさん。私はエレイン・セイクリッドです。よろしくお願いしますね?」
ふわりと笑って言うエレインに対し、アーサーは再び大きく目を見開いた。
「エ、レイン……」
思わず呟いた名前が頭の中でぐるぐる回る。
容姿だけでなく名前まで妹にそっくりな事にアーサーは驚愕を隠せなかった。少しでも油断したら涙を流してしまいそうだった。
「兄さん? どうかしたんですか?」
傍らにいたレミニアの声でアーサーはハッとする。それから取り繕うようになんでもないと言ってクロノかエレインの次の言葉を待つ。
「こいつはこの集落の長だ」
「長……?」
失礼かもしれないが、アーサーは思わず疑問の声を上げてしまった。アーサーにはとても彼女がトップの人間であるようには見えなかったのだ。そしてそれは彼女自身にも自覚があったのだろう。どこか苦い笑みを浮かべて、
「いつも言っているでしょう、クロノさん。長なんて仰々しくありません。私はあくまで代表者ですよ」
「ふん、よく言う。貴様以外にこの集落をまとめられる者などいないだろうに」
「クロノさんさえ良ければ変わっても良いんですよ? きっと私以上に上手くやるでしょうし」
「はっ! 冗談はよせ。いくら『魔族堕ち』しかいないといっても元上級魔族だった私の言う事になんざ誰も耳を貸さんさ」
言い合いをしているように見えるが、よく見ると二人とも笑みを浮かべていた。つまりこの会話が二人にとっての自然な関係性なのだろう。それはいつもいがみ合っていても結局互いを認め合っているアーサーとアレックスの関係のように。
自分の事だと分かりにくいが、客観的に見ると周りからはこう見えているんだなあ、と場違いにもそんな風に思ってしまう。
「あー……仲良く会話してるところ悪いんだけどさ、そろそろ教えてくれよ。青騎士ってヤツの目的を」
とはいえいつまでも傍観している訳にもいかなかった。話を前に進めなければ仲間の元に戻る事も、この先の選択をする事もできないからだ。まあ、レインの事を考えないように別の事に意識を向けたいという気持ちが一ミリも無かったといえば嘘になるが……。
「その前にやらなければならない事がある」
クロノはアーサーの疑問に答えず、レミニアとエレインの方を見て言う。
「エレイン、上着かコートか何か防寒具は用意してくれたか?」
「コートを四人分準備しておきました」
「よし。レミニア、早速だが転移を頼む。行先は『サジタリウス帝国』だ」
「分かりました」
話に付いて行けない置いてきぼりのアーサーは首を傾げるしかなかった。
それは足元に魔法陣が広がり、初めて意識があるままの転移が始まるまで。