136 再び星に誓う
着替え終わったアーサーはレミニアを探すために森の中に入っていた。
そうして探し始めてから遅れて気づいたのだが、よくよく考えれば結祈に魔力感知を使ってもらった方が手っ取り早かった気がする。アーサーの魔力感知は稚拙すぎて、遠くにいる人までは見つけられない。そして手探りで探すには森の中は広すぎた。
けれどアーサーは迷う事なく足を進めていた。理由は分からないが、感覚が研ぎ澄まされているのか、レミニアの魔力がある方がなんとなく分かるのだ。
(……調子が良いのか? もしかして三日もぐっすり眠ったから? そうなんだとしたら本格的に不眠症を治した方が色々と効率が良いんだろうなあ……)
そんな事を考えながら歩いているのは、意識を別の事に使うためでもある。
こうして夜の森の中を歩いていると、どうしても『ジェミニ公国』でビビと一緒に星を見た日の事を思い出してしまうからだ。それを紛らわせるために余計な事に思考を回しているが、それで完全に意識を逸らせるほど簡単な事情でもない。どうしたって思い出してしまう。
(妹、か……)
勇者と戦っている時に感情に任せるままレミニアの事を妹と認めたが、それについてもう一度しっかり考えなくてはならない。ただでさえアーサーは妹を二度失っているし、アユムの話では『担ぎし者』であるアーサーは身近な人を死に近づけるのだ。レミニアを妹と認めてしまえば、当然仲間よりも一歩死に近づく事になる。
(って言っても、あれを見た後だとやっぱり認めないなんて言いづらいし……)
レミニアがアーサーの名前を聞いた時の反応は本当に嬉しそうだった。レミニアにとって家族の存在は絶対に必要なものなのだ。もしもアーサーがそれを拒否したとしたら、きっと彼女の命はそこで終わってしまうくらいに。
難しい問題だな、と頭を悩ませていると不意に目的の少女が目の前に現れた。
そこはビビと天体観測をした崖の端によく似ている場所だった。三日前と変わらない、相も変わらず幻想的な印象を抱かせる佇まいで、レミニアはその崖の端っこで足を空中に投げ出すような形で座っていた。
アーサーはとりあえず考えていた事を頭の隅に置いて、星を見上げているレミニアに背後から近づくと声をかける。
「一人で天体観測か?」
「……っ」
遠目では全く動かなかったレミニアが飛び跳ねるように強く反応を示した。魔力を練っていつでも反撃できるようにし、アーサーの方を振り向く。
「あっ……兄さん、だったんですか。ビックリしました」
そしてアーサーの姿を確認するとレミニアはあっさり警戒を解いた。予想以上に驚かせてしまった事に、流石のアーサーも少し悪い気がした。
「驚かせてごめん。隣良いか?」
「はい」
許可を取ってから、アーサーはレミニアの隣に腰を下ろす。
落ちれば命の保証のない崖の端で、足の裏を地面に着けていない状況には流石に体が強張った。魔族やドラゴンには向かって行けても、こういう当たり前の事には素直に恐怖心が湧いてくる。やはり非日常的な脅威には感覚が鈍くなっているのだろうか?
「傷はもう良いんですか?」
隣で同じように座るレミニアは特に恐怖は感じていないようだった。アーサーは自分だけ怖がっているのは不甲斐ないと思い、平静を装って言葉を返す。
「問題ないよ。むしろ久しぶりにぐっすり寝られて気分が良いくらいだ」
「そうですか……それなら良かったです」
「それからみんなにレミニアが俺の腕を治療してくれたって聞いたよ。おかげで腕一本失わずに済んだ。ありがとな」
「いえ、わたしは兄さんの妹なので当然の事をしただけです」
この言い回しがどこか自分と似ている事に、アーサーは思わず苦笑した。レミニアは突然笑ったアーサーにその理由を尋ねたが、アーサーはなんでもないよ、と言って誤魔化した。
「そういえばごめんな。俺を助ける為に形見を使わせちゃって」
「いえ、それで兄さんを助けられたなら本望です。それに、兄さんの口からわたしを妹だと言ってくれました。それだけで十分です」
「あー……うん、それなんだけどさ」
アーサーはそこで頭の隅に追いやっていた問題を思い出した。改めて問題を直視すると続けようとしていた言葉が止まる。レミニアはそんなアーサーを首を傾げて見ていた。
本当のことを言うと、アーサーは自分がどうしたいのかは分かっていた。そしてそれがレミニアの望みに沿う形だということも。しかしそれがどうしても許されない事だと思ってしまうのだ。
「……あのさ、レミニア」
「はい」
口の中が渇く。
気分は晴れない。
それでも、ここは無視して通れない道だった。
だから覚悟を決めて、アーサーは言葉を紡ぐ。
「……俺には二人の妹がいたんだよ。やっぱりこんな風に夜空を見上げながら話をしたりもした」
レミニアは急に語り出したアーサーに不思議そうな顔を向けていたが、とりあえず話を聞く事にしたようで、何も言わずにアーサーの言葉に耳を傾ける。
アーサーはレミニアの配慮に内心で感謝しながら、言葉を続けていく。
「……一人は魔族に襲われた時に殺されたんだ。あの時の俺は無力で、妹が襲われてる時にそこにいられなかった。もう一人は魔族の女の子だったんだけど、魔族に恨みを持つ人間に攫われて殺された。手が届く距離にいたのに、俺はまた守れなかったんだ」
そう語るアーサーの声は震えていた。
呼吸が上手くできておらず、アーサー自身、気づいた時には過呼吸になっていた。
「……俺は二度、妹達を守れなかった。だからきっと、俺には家族を持つ資格なんてないんだよ。ただでさえ俺の傍にいる人は死に近くなるって話だしね。本当にお前の安全を考えるなら、俺はお前のお兄ちゃんになるべきじゃないんだと思う」
「そんなこと……っ!」
ずっと黙ってアーサーの話を聞いていたレミニアが初めて声を荒げた。
彼女も自分でその事に驚いたのだろう。はっとして一度だけ口をつぐむと、今度は落ち着いた口調で話す。
「……それでもわたしは、兄さんの妹でいたいです……」
涙を浮かべながら訴えるレミニアの姿に、アーサーは胸が締め付けられる思いだった。
もうすでに引き返せないくらい感情移入してしまっている自覚があった。ずっと眠っていたから、レミニアと一緒にいた時間は仲間の中では一番短いだろう。合計したって一時間に満たないのも分かっている。
けれど、時間が問題なのではなかった。
アーサーの心が、レミニアが悲しんでいるのを受け入れられなかったのだ。
「……うん、ありがとう。そう言って貰えて凄く嬉しいよ」
だからつい、言わないようにしていた言葉を口に出してしまっていた。
それは紛れもなく、アーサーの本心だった。
レミニアが妹になることは、懸け値なく嬉しい。
だから我慢できなかった。それは傍から見れば最低最悪な行為だったのかもしれない。相手の命を危険に晒す事が分かっていながら、相手の希望に沿うフリをして自分の欲を満たしているだけなのかもしれない。
それでも、アーサーは溢れる想いを止められなかった。
「だからさ、一つ約束をしよう」
「約束、ですか……?」
「そう、二人だけの約束だ。俺はお前が助けを必要とするなら絶対に駆けつける。お前は俺が助けを求めたら手を貸してくれ。遠慮は無しってことで、二人で支え合って生きていこう。だからレミニアは俺の傍にいてくれ。俺の手が届く位置に」
「……それって半径一メートルくらいの距離ですか?」
「そういう束縛みたいな意味じゃなくてさ」
天然なのか狙ってなのか分からないレミニアの返しに微笑を浮かべながら、
「家族って、やっぱりどこか繋がってるものだろ? 物理的にじゃなくて、精神的にさ」
「えっ……それって」
「ああ」
アーサーの言わんとしていることが分かったのだろう。レミニアは驚いたように大きく目を見開いていた。
アーサーはその眼差しを見つめ返しながら、優しい目をして告げる。
「お前が俺を兄さんと呼んでくれる限り、俺はお前の家族になるよ。この先何があろうと、誰になんと言われようと、それだけは絶対だ」
それはいつか、妹となった魔族の少女に言った言葉と同じ言葉だった。
アーサーはあえてその言葉を選んで口にした。それは多分、一つの誓いの形だったのだろう。今度は失わないように、絶対に守り抜くと。
「……ありがとう、ございます」
レミニアはしばらく呆然としていた。
しかし次第にアーサーの言葉の意味を理解できてきたのか、震える唇を動かす。
「それはとても、とっても嬉しいですっ」
レミニアは胸の前で両手を重ね、嬉しそうに笑みを浮かべながら涙を流していた。アーサーはそんなレミニアの涙が止まるまで頭を撫で続けた。
しばらくそんな優しい時間を過ごし、レミニアが泣き止んだのに合わせてアーサーはゆっくりと手を退けた。
「ぁ……」
レミニアが小さく声を上げ、名残惜しそうにアーサーの目をじっと見つめる。その目がもっと撫でて、とせがんでいるように見えた。
アレックスにシスコン認定されているように、基本的に妹に弱いアーサーは手を伸ばしかけるが、結祈達がご飯の用意をしているのを思い出してすんでの所で手を止める。
「……もうしてくれないんですか?」
「みんなが待ってるからな。今日で最後な訳じゃないんだし、また次の機会にな」
「むぅ……わかりました」
レミニアは少し唇を尖らせて拗ねたような顔をしていたが、最後には納得して引き下がった。
……ちなみにアーサーはその様子を見て思わず頭を撫でそうになっていた。シスコンもここまで極まるともうどうしようもないのかもしれない。
「それじゃあ、そろそろ戻ろうか。結祈達がご飯の用意をしてくれてるって話だからさ。もう三日もロクに食べてないし腹ペコだよ」
「あっ、兄さん」
みんなの待つ場所に戻ろうと足を向けた時、後ろからレミニアに呼ばれた。自然にそちらの方を向くと、レミニアはなぜかアーサーに向かって頭を下げていた。
「……ごめんなさい。何を言ってるか分からないと思いますが、先に謝らせて下さい」
「う、うん?」
この時のアーサーはレミニアの言葉の意味が分からず、曖昧な返事を返す事しかできなかった。
しかしこの数時間後、彼はこの言葉の意味を知る事になる。
◇◇◇◇◇◇◇
レミニアとの会話が終わり、みんなが寝静まった頃。
アーサーは静かにみんなのいる場所から離れると、マナフォンを取り出して〇番にコールする。
もう遅い時間だし出ないとも思ったが、その相手は数コール待つと電話に出た。そのタイミングでアーサーは口を開く。
「ヘルト・ハイラントだな? 上手くこっちの意図が通じてたようで何より」
電話口の向こう側にいる相手はアーサーの物言いに軽く息をついていた。
『まさかマナフォンを残していくだけじゃなくて、本当に電話して来るとは思ってなかったよ。現にここ数日音沙汰なかったしね』
「俺だって本当にするとは思ってなかった。音沙汰なかったのはどっかの誰かさんと戦ってできた傷のせいでロクに動けなかったからだよ」
『そんな傷だらけになるまで戦わなくちゃいけない相手なんて、酷いヤツもいたもんだ』
「全くだ」
二人の口調は穏やかで、つい先日命のやり取りをしていた二人の会話には到底見えなかった。もし何も知らない人がこの会話を聞いていたら、ただの仲が良い友達同士が電話をしているようにしか見えないくらいには。
「それで? 繋がったって事はもう『ゾディアック』に帰って来てるんだな」
『勿論。きみも危惧していたように結界が消えたからね。抑止力としてはいつまでも空けとく訳にはいかないよ』
「その辺りの自覚があるなら、魔王やその娘を殺すなんて世迷言を吐くのは止めて欲しいんだけどね」
『それとこれとは話が別だろう? そもそも魔王はぼくが殺した訳じゃないし、こうなったのにはぼくの意志は介入していないんだ』
けれど当の本人達には分かっていた。この軽い会話は腹の探り合い。本題となる次の会話へと繋げるための通過儀礼にしか過ぎないという事を。
お互いに腹の内を探り合いも一通り済ませ、先に本題を口にしたのはヘルトの方だった。
『……それで、電話をしてきたって事は素直に魔王の娘を渡す気になったのか?』
「ふざけるな」
即答だった。
それに対して電話口の向こうの勇者はからからと笑い。
『ならきみの運命はここで通行止めだ。残された道は生きるか死ぬかのどっちかだ。次に会う時までに考えておけよ?』
「お前が勝手に俺の運命を決めるな。俺の運命は俺自身が決める」
二人の会話はそれで終わった。どちらからともなくマナフォンの通話を切る。
いつか再び拳を交える事になると、確信にも似た思いを持ちながら。
ありがとうございます。
今回で第八章、及びフェーズ2が終わりました。このフェーズ2は命題である【村人と勇者】を終止意識してきました。第五章では同じ事件に別方向から関り、第六章では一つの事件に対して全く別の方法を取って二人の違いをハッキリとさせました。そして第七章では五〇〇年前の転生者である勇者との対話をし、第八章で直接勇者と対面しました。特にこの章ではアーサーとヘルトの対立だけでなく、魔王の死により結界が消え、世界は今までに無いほど脆弱になるという変化も起きました。二つの意味で世界の均衡は破られた、というこの章のタイトルの意味を果たしていればと思います。
私個人としては、この辺りまでがこの物語の一区切りと思って書いていました。起承転結で言うなら起の部分ですかね。先は長い。
そして次回から第九章。久しぶりに長く、三〇話くらいの話になりそうです。
目を覚ますと再び知らない場所で目覚めたアーサー。彼がいたのは昨晩までいた『スコーピオン帝国』の二つ隣、万能金属ユーティリウムの産地でもある『カプリコーン帝国』。そこで待っていた者の『お願い』は、今までのものとは脅威のレベルが比べ物にならない、上級魔族の討伐だった。
とまあ、軽くあらすじに起こしてみるとこんな内容ですが、当然、新しい登場人物も出てきます。それもかなり重要な人物です。
では第九章【停滞した針を動かそう Piece_Of_“DIPPERS”.】もよろしくお願いします。
そして物語はフェーズ3【そして村人は強くなる】へ。ここから強くなる村人に期待して下さい。