135 それは暖かくて優しくて幸せなもの
ヘルト達の方は戦いが終わっても憮然としたままだったが、アーサー達の方はそうではなかった。
どこの国か分からない暗い森の中。血塗れのアーサーの周りでは慌てた声で騒ぐ仲間達がいた。
「シルフィー! 早くアーサーを治療して!!」
「すでにやっています! でも傷が多すぎるんです!! 体の傷を治さないと命に関わるのに、右腕の出血を止めないと失血死してしまうんです!! 体中の血管の修復と欠損部位の止血を同時進行なんて、私の技術ではとてもじゃないけどできません!!」
「でもまともな治療魔術を使えるのはシルフィーだけなんだよ!? ワタシの忍術でコピーした治療魔術は拙すぎて、今のアーサーの怪我を治す事はできないから!!」
「分かっていますよそんな事! だから少し集中させて下さい!! 私だってアーサーさんを死なせる気はありません!!」
レミニアの空間魔法で上手く逃げられたのは良いが、それでアーサーの容態が良くなった訳ではない。それどころかアーサーはゆっくりだが確実に死へと向かっている。
「一番酷い傷は右腕なんだろ? いっそ焼いて塞いじまうか!?」
「荒療治過ぎます!! 軽い知識で言ってるんでしょうが、あれは施術後に適切な処置を行わないと逆に悪化させる事になるんです!!」
「だったら他に良い案があんのか!? どっちみちこのままだとこいつは死ぬんだぞ!!」
「だから分かってるって言ってるじゃないですか!! そんなの治療してる私が一番良く分かっているんです!!」
シルフィーが珍しく声を荒げているのは、それだけアーサーの状態が予断を許さないという事なのだろう。その緊張感が伝わって他の三人もどんどん焦りが顔に滲む。
しかし最後の一人。
黒い髪を持つ少女は一歩前に出るとこう言い放つ。
「……わたしが治します」
その一言に驚きの目を向けながら、アレックスが追及するように言う。
「お前、空間魔法だけじゃなくて治療魔術も使えるのか?」
「いえ、わたしに使えるのは空間魔法だけです。でもそれを利用して傷口を別の何かと繋げる事ができます」
「別の何かって……?」
「これです」
上がった疑問の声に対してレミニアは、ずっと抱えていた包帯にくるまれたローグ・アインザームの右腕を取り出す。
「パパの形見は傷口と同じ右腕です。これで兄さんの腕を治します」
選択肢の無い中で、彼らは迷わなかった。
いや、そもそも迷う事すら許されていなかった。こうして話してる間にもアーサーの命は刻一刻と失われているのだから。
「……お願い」
ポツリ、と。
今にも泣き出しそうな声で、懇願するように結祈はそう言った。
レミニアはそれに応えるように、再び魔法を使うためのキーワードを口にする。
……それからアーサーの容態が安全域に回復するまで、シルフィーとレミニアは一言も発さずにアーサーの傷へと向き合っていた。その様子を他の三人も緊張した面持ちでずっと見ていた。
そしてどれくらい時間が経っただろうか。アーサーが規則的な呼吸を取り戻したところで、その場にいた全員がようやく安堵の息をつく。
「……突然容態が悪化する可能性は消しきれませんが、とりあえず安全域までは持ち直しました。後は本人の気力次第ですが、アーサーさんなら問題ないでしょう。数日の内には目を覚ますと思います」
「腕の方も大丈夫です。結合は上手くいきました。しばらくは感覚が戻らないと思いますが、すぐに自分の腕と同じように使えるようになるはずです」
直接治療に携わった二人が太鼓判を押したところで、シルフィーの体が横に倒れた。反射的に動いたアレックスがシルフィーの体が地面にぶつかる前に抱きとめる。
「よっと、ギリギリセーフ」
「魔力の枯渇ですね。しばらくは寝かせておいた方が良いです」
「そうか……。よく頑張ったなシルフィー。お疲れさん、ゆっくり休め」
アレックスはシルフィーを抱えたまま寝袋を広げて寝かせる。
その端で、結祈はレミニアに頭を下げていた。
「結祈さん!? 一体何を……っ」
「色々酷いこと言ってごめん。アーサーを助けてくれてありがとう」
「あ、頭をあげて下さい! さっきまで結祈さんが言っていたのは正しい事です。謝る必要なんて……」
「それでも言わせて。ありがとう、レミニア。アーサーが死んでたらワタシは……」
結祈は頭を下げたまま、肩を震わせて涙を流していた。
それはきっと、嬉しさと安堵によるものだった。
◇◇◇◇◇◇◇
あの後、アーサーが目覚めたのは三日後だった。
目を覚ますと大きめのテントの中に寝かされていた。全身は包帯やガーゼだらけでミイラになった気分だった。怪我はいつもの事だったが、今回は特に酷い気がする。なんといっても体のそこら中が動かない。
「おっ、やっと起きやがったか。ったく、俺が番を変わった途端に起きるなんざタイミング悪いな。もうちっと早く起きてくれれば頑張る結祈のヤツが報われたってのに……」
「あ……れ、す?」
「テメェは三日も眠ってたんだ。起き抜けで口が上手く動かねえんだろ? 今他のヤツらも呼んでくるから待ってろ。ああ、それと」
テントから出ていく直前、アレックスはどこか苦い表情で、
「……覚悟しとけよ。今回は多分、今までの比じゃねえぞ」
「……」
なぜだろう。勇者と対面した時以上に冷や汗が出てくる。
そもそも今回の勇者との一件は全てアーサーがいきなりヘルトと殴り合った所から始まっている。レミニアを安全に逃がすだけなら別の策があったかもしれないのに、あの一手で戦わざる得ない状況を作り出してしまった。その挙句大した案を捻り出す事もできずに右腕を吹き飛ばし、散々迷惑をかけたうえ三日も眠ったままだった。
「……あれ、これ結構ヤバくないか?」
ようやっとまともに動くようになった口から放たれたのは、こうなった経緯をまとめたうえでの結論だった。
「よくよく考えると今回はプラスどころかマイナスをゼロにする要素も無いぞ!? アレックス、アレーェェェックスゥゥゥー!!」
せめて説教が短くなるような口実を作る時間を得るために、今しがたテントから出て行ったアレックスを呼び戻そうと大声を上げる。
しかし行動を起こすのが遅かった。テントの外から慌ただしい足音が聞こえて来たかと思うと、アレックスが開けっ放しにしたままのジッパーの間から金髪の少女がテントの中に入ってくる。
「アーサー……」
「お、落ち着け結祈! きちんと話し合えば分かり合えるはずだ! 俺達人間には言葉という概念があって意志の疎通ができる生き物でだから―――」
「アーァァァサァァァー!!」
「げぶんっ!?」
お腹に重たい衝撃が圧し掛かる。
結祈が動けないアーサーの上に飛び掛かり、そのまま抱きついてきたのだ。
「心配させないでよ馬鹿ァァァあああああああああああああ!!」
「ゆ、結祈さん!? お、俺一応重傷なんだけど……っ、そんなに強く抱きつかれたら……!!」
「アーサー、アーサー! アーサァァァああああああああ!!」
「お、オーケーお前実は泣きながら怒ってるんだよなそうなんだよな!? 色々ホントごめんねだから抱きしめる手を緩めて下さい今度こそ死んじゃうからあーっ!!」
感動の再開(?)を果たしたような二人のやり取りを、テントの入口から見ている少女がいた。
その少女、サラ・テトラーゼはテントの中には入ろうとせず、その光景を見てどこか呆れたような口調でこう言う。
「はあ……心配して損したわ」
しかしその少女は言葉とは裏腹に心底安心したような笑みを浮かべていた。
アーサーがその少女へ今にも落ちそうな虚ろな目で助けを求めると、言葉を使わずとも伝わったのか、結祈を引きはがすためにテントの中に入ってくる。
「ほら結祈、嬉しいのは分かるけどそろそろ離れなさい。それ以上はアーサーがホントに死ぬわよ」
サラが間に入ってくれると結祈はすぐにアーサーの上から退いた。アーサーはどっと疲れた息を吐き出して上体を起こした。しかし引きはがされた結祈の方は頬をぷくっと膨らませながらどこか拗ねるような口調で、
「むー……サラだって本当は抱きつきたいくらい嬉しいくせに。昨日だってずっとアーサーの手を―――」
「ゆーきー? それ以上は言わない約束よね?」
「……」
詳しい内容は追及しないとして、どうやらかなり心配をかけたようだ。その事を踏まえて素直に頭を下げると、今回はいつものような説教はなかった。
……明確な理由は分からないが、それが説教されるよりも胸に響くものがあった。そしてその事が幸せな事だと、アーサーはすぐに理解できた。
「本当に目を覚ましてくれたんですね、アーサーさん」
「シルフィー。お前が治療してくれたんだよな。助かったよ」
「正確にはレミニアも一緒にだがな。あいつにも後で礼を言っとけよ」
こちらもほっとした声で入ってきたエルフの少女に、アーサーはすぐに言葉を返した。その少女、シルフィーの後ろからはアレックスも一緒に入ってくる。
「フェルトさんに大きめのテントを貰っておいて良かったな。五人入ってもまだ余裕がある」
「なあアレックス。早速で悪いけど聞きたい事が……」
「分かってる。あの後の事だろ? テメェはどこまで覚えてる?」
アレックスに問われて、アーサーは改めて記憶の糸を辿る。そして意識を失う前の最後の記憶は……。
「……『モルデュール』を起爆させた所?」
「じゃあその後からだな。お前は右腕が吹き飛んだショックで気絶したんだ」
「まあそうなるとは思ってたよ。……それで、あの勇者は?」
アーサーの当然とも言える質問にアレックスは押し黙った。あの瞬間に結祈は勇者は健在だと言っていたが、それを確認した訳ではない。それに決死の思いで右腕まで犠牲にしたというのに、それでもあの勇者を倒せなかったという事実を突きつけられたらさすがにショックが強すぎるのではないかと考えたのだ。
「無傷だよ」
しかし結祈はさらりと言ってのけた。そしてさらに続けて言う。
「直接は見てないけど、あの爆発の後、勇者の魔力はまったく衰えてなかった。なんかしらの方法で防いだのかもしれない」
「そうか……」
左手で顔を覆いながら呟いたアーサーの声音には、僅かに落胆の色が見られた。しかしそれも一瞬の事で、次の瞬間には疑問を移していた。
「……それで、何で吹き飛んだはずの右腕がくっ付いてるんだ? まあ感覚は全く無いけど」
「それはレミニアの持ってた魔王の右腕だ。出血が多すぎてシルフィーだけじゃ治療できなかったから、レミニアが右腕の治療をするためにくっ付けたんだ。馴染んで動かせるようになるまでは少しかかるみたいだがな」
「そっか……じゃあレミニアにも後で礼を言わないとな。それでレミニアは? ここにはいないみたいだけど……」
「多分森にいるわよ? なんでも森の中が落ち着くんだって」
「そうか。じゃあ早速……」
サラにレミニアの居場所を教えて貰うと、アーサーはすぐに立ち上がろうとした。けれどサラが肩を抑えてそれを止める。
「あんた数日も眠ってたのよ? いきなり立ったら倒れるわよ。それに少し汗臭いし着替えたら?」
「む……まあ確かにそうか」
「じゃあワタシ達はご飯の用意をしておくよ。アーサーは三日もご飯を食べてないし、探しに行くならレミニアも連れて来てね」
結祈の言葉をきっかけに、アレックス、シルフィー、結祈の三人はすぐにテントの外に出る。しかしサラだけはいつまで経っても動こうとしなかった。
「どうしたんだサラ? お前に言われた通り着替えたいから出て行って欲しいんだけど……」
「その前にちょっと話があるのよ」
「話?」
「ええ、すぐに済むわ」
言いながら、サラは入口のジッパーを閉めた。そして振り返った彼女の顔はなぜか強張っていて、とてもじゃないが穏便な話が始まるとは思えなかった。
「それじゃあ、ちょっと目を瞑りなさい」
「え、なんで……?」
「いいから瞑りなさい!」
「は、はい!!」
先程までとは違い、もの凄い剣幕で迫ってくるサラの言葉を拒否する事はできなかった。もしかしたらやっぱり怒っていて、これから殴られるんじゃないかと思ったアーサーは目をぎゅっと瞑って体を強張らせる。
そして次の瞬間、覚悟を決めていたアーサーに襲い掛かってきた衝撃は、とても優しくて柔らかい感触だった。
「……ホント、馬鹿なんだから」
「あ……え……?」
思わずアーサーが目を開くと、サラの体が目の前にあった。端的に言うとサラがアーサーの首に腕を回して抱きついていたのだ。
「お、おいサラ? 今の俺って汗臭いんじゃないのか!?」
「気にしないわよ、別に。あたし、あんたの匂い嫌いじゃないし」
その言葉が嘘じゃないと証明するためか、サラはアーサーの肩に顔をうずめたまま深く息を吸った。
「……本当に心配したんだから。もしアーサーが二度と目を覚まさないんじゃないかって思ったら、気が気じゃなかった」
「サラ……」
アーサーが名前を呟くと、サラは少しだけ抱きしめる力を強めた。けれど結祈の時のような強い力ではなく、あくまでアーサーの体を包み込むように柔らかく抱きしめるだけだ。
「……だからもう少しだけ、このまま大人しく抱きしめられなさい。そうしたら、すぐにいつものあたしに戻れるから……っ」
耳元で囁かれる言葉は涙声だった。
いつもは強気なサラが泣くほどまでに悲しませたのは他でもないアーサーだ。だからアーサーは何も言わずにサラの背中をさすりながら、言われた通り気が済むまで好きにさせた。それは悲しませてしまった罪の意識から、せめて泣き顔は見せたくないというサラの想いを汲むために。
ありがとうございます。
という訳で右腕復活! まあ右腕を吹き飛ばした時点でこの展開を予想していた人も多いかと思いますが、これはこの先の展開において重要で、最初から考えていた事です。
そして次が第八章最終話です。さよならフェーズ2。次回のあとがきはちょっと長くなりそう。