128 変化していく状況
ギュスターヴ達と別れてすぐ、サラは思い付いたように言う。
「ところで今なら簡単に逃げられるんじゃない?」
サラの言う事はもっともだった。今は監視の目がない好機。むしろこのタイミング以外のチャンスが見当たらないくらいだ。
「……どうだろう」
だがアーサーの方はこの状況を逃亡のチャンスとは捉えていなかった。
「あいつらだって俺達を簡単に逃がす気はないはずだ。だったら多分、俺達を見つけられる何かを持ってるんだ。それに『ホロコーストボール』を止められるのはこれが最初で最後のチャンスだ。ここで逃げてまた襲われたら次も無事でいられる確証はない」
「……なるほど。たしかにそういう捉え方もあるわね」
方針が決まるとこのまま待機という流れになった。そうしてしばらく待つと新たな監視役が送り込まれてきた。それに伴いアーサーとサラは本来の目的に戻っていく。
仲間達がやられてピリピリしているのか、先程よりも頻繁に敵意が飛んで来た。八つ当たりもはなはだしいとは思うが、陰でコソコソしていたのは事実なので今度は我慢できた。やはり理由があると人は我慢できる生き物らしい。
やがて一〇キロを踏破し、彼らは目的地に辿り着いた。正確には目的地の傍の崖の上だが。
二人はとりあえず身を低くして隠れながら施設内を覗く。
「……雨が降り続けてたのはむしろ幸いだったかもな。センサーはともかく視認で見つかる可能性が低くなった」
「でもここから先は施設内への侵入が必要よ。雨は関係ないわ。どうやって侵入するつもり?」
「そうだな……本来なら索敵マイクかドローンで情報を集めたいところなんだけど、魔族は科学製品を使わないからなあ」
ぶつぶつ言いながらアーサーは使えるものがないか辺りを見回す。それから施設を見下ろし、入口の場所と『ホロコーストボール』が常駐しているであろう整備場の場所を確認する。
「……ふむ。こうしてみると意外となんとかなりそうなのが怖いな」
「……あたしはそう思えるあんたの頭の方が怖いわよ」
ジト目を向けてくるサラと一緒に、アーサーは行動を始める。
ウエストバッグから魔石と粘土を取り出して『モルデュール』を量産していく。これに使われている魔石には最初から持っていたものだけでなく、魔族達に用意してもらったものも含まれているのでそれなりの量がある。それを使って必要なものを揃えていく。
「さて。準備も終わったしそろそろ突入するか」
「……あれ? 潜入から突入になってる???」
些細な言葉の違いに違和感を覚えたサラだったが気にしない事にした。
この違いがアーサーの考えを表しているのを知るのは、このすぐあとだった。
◇◇◇◇◇◇◇
この『ゾディアック』の整備基地ベースゾーンのトップ、フューリー・マグナソルトはすぐに異変に気づいた。
何かが崩れるような音と地響きのあとすぐにモニター室に駆け込んで事態の原因を調べる。
「何があった!?」
フューリーの焦った口調にモニターを見ていた若い隊員も引きずられるように上擦った声で、
「い、いえ。大した事ではありません。ただ裏手にある崖がこの雨で地崩れを起こしたみたいで……」
「地崩れ……? 妙だな。何かの爆発音を聞いたと思ったんだが……」
「爆発ですか? あの下には武器庫などもなかったはずですし、モニターに異常はなかったんですが……」
「……一応調べに行く。何人か寄越せ。それから、どうせサボるならバレないようにやれ」
扉から出ていく直前、隠し損ねたであろう一枚のトランプのカードを指でさしながら言う。
「……気をつけます」
「始末書を提出しろ」
部下の失態を叱責し、フューリーは問題の地崩れの起きた整備基地の裏手に向かう。彼が辿り着いた時には指令を受けた者達が現場検証に入っていた。フューリーも近寄って現場を見渡すように視線を巡らす。
「……地崩れ、と言っていたな」
「はい、それにしては随分と深い地層から崩れたみたいですが」
近くにいた者がフューリーの疑問に答える。彼はこの地崩れに対して疑問を持っていないようだが、フューリーはさらに懸念を強めた。
(地面の深い部分で爆弾を使ったのか? 雨のせいで硝煙の匂いはもう消えているか……。探すとすれば金属類の破片なんだが……使用されたのはなんだ? それとも本当にただの地崩れなのか……ん?)
彼が捉えたのは黒く焦げた土とは違う何かだった。手に取って見ると柔らかいそれにフューリーの眉間にシワが寄る。
(なんだこれは? プラスチック爆弾の残骸? いや、というよりは焼けた粘土のような……考えすぎか?)
そもそも焼けた粘土とただの土の区別が完璧につくわけではない。全てが自分の考え過ぎで、これもただの自然災害なのではないかという考えの方が次第に大きくなっていく。
それでも警戒するに越した事は無い。あくまで人為的なものとして警戒する事にする。
「……杞憂だと良いが、賊が入り込んでいる可能性もある。警備を強化するように通達しろ」
「大変です!!」
そう決断しかけた時、血相を抱えた男が慌てて走ってきた。そのただならぬ様子にフューリーの方も焦りが募る。
「何があった?」
「ゲートの警備をしていた者達が全滅しています! 何者かがこの基地内に潜入しています!!」
「なっ……!? くそっ!!」
フューリーの悪い予感は的中した。彼はすぐに取り出した通信機に向かって叫ぶ。
「緊急連絡! 基地内部に賊が侵入した!! この基地で賊が入り込む理由があるとすれば『ホロコーストボール』だけだ。持ち場のない者は今すぐ整備場に向かえ!!」
フューリーの怒声が基地内に響き、警報を示すアラームが鳴り響く。
この時にはすでに、手遅れなくらい状況は変化している。
◇◇◇◇◇◇◇
『ホロコーストボール』の整備場襲撃とほぼ同時刻。アーサーとサラを捜索するアレックス達にも変化が起きていた。
三人もアーサー達と同じように魔族に囲まれていた。
三人はすぐに臨戦態勢に入るが、手を上げて敵意がないことを示したのは魔族の方だった。
「武器を下ろせ。俺達はアーサー・レンフィールドとサラ・テトラーゼに雇われた傭兵だ。お前達に危害を加える気はない」
アーサーの渡した指示書の最初には、アレックス達を探して合流してくれと書いてあった。ギュスターヴ達は約束を違える事なくそれを遂行していたのだ。
「……魔族の言うことを信用はできねえが、アイツだと魔族を雇ってても不思議じゃねえから否定しきれねえのが面倒だな……」
警戒は解かないまま、アレックスはうんざりとしたように呟いた。そして取り囲んでいる魔族達のリーダー、ギュスターヴが口を開く。
「アレックス、というのは誰だ?」
「? 俺だ」
名前を指名された事に疑問符を浮かべながらアレックスは返事をする。するとギュスターヴはアレックスの方を見てアーサーから預かった紙を見ながら言う。
「一応、これを言えばお前が怒るから絶対に信じて貰える文句があると聞いている」
「ほう……」
これはアレックスにとっても嬉しい報告だった。伊達に長い付き合いではないので、こういう時にアーサーがどんな事を言うのかは大体分かる。
例えばこいつらを信用しろ、などの当たり前の文句が出てきたらその時点で嘘だと断定できる。むしろなぜこのタイミングでそんな事を? といった明らかにおかしい文句の方がアーサーからの使者だと信用できる。
それを精査するために集中するアレックスに、ギュスターヴは若干躊躇しながら告げる。
「『俺はサラとよろしくやってるから、ゆっくり探してくれれば良いよ。あと美味い飯の確保をよろしく!』と言っていたが……」
「『天衣無縫』ッッッ!!!!!!」
マズい、と思った時には遅かった。
アーサーは後半の文句でアレックスを焚きつけようとしたのだろうが、前半の文句が結祈に何を及ぼすのかを考慮していなかったようだ。どう考えたって過剰な力が一人の少女を中心に高まっていく。
「へえ……そうなんだそうなんだ。アーサーとサラがねえ、ふーん。よろしくって、一体何をやってるのかなあ……?」
「ゆ、結祈さん? 少し落ち着いて下さい……」
シルフィーが必死になだめようとするが、それすら耳に入っていないのか。結祈は見てるこっちが身震いしてしまうほどの素晴らしい笑顔で続ける。
「ワタシは別にサラが相手なら良いんだよ? アーサーを一人で独占するつもりもないし、サラは親友だし、『リブラ王国』の一件もあったし、一緒に支えられるならそれでも全然良いんだよ。だけどそれをこの状況下で平然と言ってのける度胸があるとはね。これはお説教を覚悟しての発言なのかな?」
「アレックスさん! 結祈さんがすごく怖いです!!」
「はあ……」
アレックスは片手で顔を覆って重い溜め息を吐いた。それからアーサーに雇われたという傭兵達に向き直る。
「……とりあえずテメェらの事は信じる。それで良いな」
「それは良いが……俺達の雇い主は馬鹿なのか?」
「否定はしねえよ」
アレックスはアーサーのこの類いに関する馬鹿さ加減には目を瞑る方向で決めていたが、馬鹿は死んでも治らないという文句を本当に信じてしまいそうになりながら再び重い溜め息を吐いた。