120 担ぎし者が歩む道
アユムの話が終わった時には、湯気の出ていたお茶はすっかり冷めていた。
誰も知らなかった歴史。それを聞き終えた五人は凍りついたように固まっていた。
やがて誰一人として動こうとしない中で、一人の少年がゆっくりと口を開く。
「……それで」
今聞ける全ての話を聞き終わって。
ポツリ、とアーサーは呟いた。
「それで、結局どうなったんですか ?」
アーサーの口調は先程までと違い、妙に丁寧なものになっていた。それはきっと偉業を成し遂げた者に対する敬意から来る行動だったのだろう。そうして改めて訊くアーサーの言葉に、アユムは静かに首を振って、
「どうにも。しいて答えるのなら、今のこの世界が答えかな」
はぐらかすのではなく、心の底からそう思っているようにアユムは言う。
「魔術を主流にする国、科学を主流にする国、両方を扱う国。結界によって人間と魔族の領地は分かれて対立し、世界は有限の中にある仮初の平和に浸っている」
若干不穏なワードが入っている気がしなくもなかったが、それが今ある世界を原初から見てきた男の正直な感想なのだろう。
成してきたことの数だけ、成し遂げられなかったこともある。そんな当たり前の葛藤もそこには含まれていたのかもしれない。
「ただ、ローグに会うのならこれだけは覚えておいてくれ。彼は彼なりに、この世界を救おうとしたのだと」
アユムの話は本当にそれで終わりのようだった。アーサー以外にもいくつか質問の声が挙がったが、それに対してアユムは首を左右に振るだけで明確に答えようとはしなかった。
となると、彼らは次の行動について考えなければならなくなる。
ここ数日、アーサーの停滞を理由に『リブラ王国』から動こうとしていなかった彼らだが、ここは『魔族領』との結界の目と鼻の位置にある。わざわざ『リブラ王国』の街に戻る特別な理由もなかった。軽く準備をすると、すぐに『魔族領』に向けて出発する事にする。
アユムの家から出て、さあ行こうとなった所で、見送りに出てきていると思っていたアユムがアーサーの名を呼ぶ。
「アーサー・レンフィールド」
「……いちいちフルネームで呼ぶの疲れませんか? アーサーで良いですよ」
「ではアーサー。きみ個人ともう少しだけ話をしたい」
「良いですよ。俺ももう一つだけ、どうしても訊きたい事がありましたから」
他の四人には少しだけ待ってて貰い、アーサーとアユムは四人から少し離れた場所に移動して会話を始める。
「とりあえず、前に進むだけの元気は取り戻したようでなによりだ」
「……まあ、まだ迷いが全部消えた訳じゃないですけど」
「きみはこの前の事件で心を折られたようだが、回復してきているのは分かっている。ぼくの話を聞いたのもその一因なんだろうけど、それが主って訳じゃないんだろう?」
「……」
アユムの言葉に合わせるように、アーサーは少し離れた場所にいる仲間達へと視線を向ける。
アーサーは無意識にだが、その中の一人に特に強い視線を送っている事にアユムは気づいていた。ただそれについて言及する事はせず、何か懐かしいものを見るような目をしていた。
「……アユムさん」
「なにかな」
アーサーは視線をアユムへと戻し、ずっと知りたかったある事について質問する。
「『担ぎし者』って、何なんですか?」
それは『アリエス王国』を訪れた時から何度か耳にし、ついぞ今日に至るまで詳細を知れなかった単語だ。ラプラスが知っていたのだから、彼女を造ったと言っていたアユムも当然知っているだろうと思っての質問だった。しかしアユムはアーサーの質問に僅かに息を吐き、申し訳なさそうな表情で答える。
「悪いけど、ぼくの口からも多くは語れないんだ。ただ……」
と。
アユムはそこで一度言葉を切ってから、意を決したように続ける。
「『担ぎし者』は近しい人を死に近づける。家族、恋人、仲間、友人。自分との関係が深ければ深いほど、その呪いは如実に現れる」
「……うそ、でしょ……?」
知りたかった答えは、想像を絶するものだった。
だって、その答えはあまりにも残酷すぎる。
つまり、これまで彼の周りで起きてきた悲劇は全て……。
「……俺の、せいだっていうのか……?」
今立っている足下が崩れていくような気がした。
僅かに残っていた心の支えが、明確に失われていく気がした。
母親も、妹のレインとビビも、恩人であるオーウェンも、そして友人となったデスストーカーも、その全ての死が自分と関わったせいなんだとしたら、その罪は一体どれほど重いのだろう? 四肢をもがれ、体を切り刻まれ、地獄の業火に灼かれても償いきれる気が全くしない。
「……なら俺は、もう、あいつらと一緒にいない方が……」
「いや、それは意味がないんだ。『担ぎし者』の呪いに距離は関係ない。それは人が人との関係を完全に絶つ事ができないように」
「そんな……」
八方塞がりだった。
ここから先に待っているのが身近な人の死だけだとしたら、もう立ち直れない。一歩も前に進めない。ここで足を止めて、呼吸を止めて、心臓を止めるくらいしかやるべき事が思いつかない。アーサーはくしゃくしゃになった顔で最後の希望にすがるように、
「……頼むから、教えてくれよアユムさん。俺はこれから、一体どうしたら良いんだ……?」
「きみが護れ」
迷いの消えないアーサーに、アユムはあらかじめ用意していたかのように言葉を返す。
「『担ぎし者』の呪いに対抗できるのは、同じ『担ぎし者』以外にいない。アーサー。きみも大切な人を失いたくないのなら、選択を間違えるな。『担ぎし者』には正しい道を選び続けなくちゃいけない義務がある」
「……アユムさんは、誰か大切な人を失ったんですか?」
不躾な質問だったかもしれない。アーサーもそれは理解していたが、同じ道を辿るかもしれない身として訊かずにはいられなかった。
けれどアーサーの懸念とは裏腹に、アユムは嫌な顔はせず、代わりに少し哀愁を帯びた表情で答える。
「……ああ、たくさんの人が目の前で死んだよ。例えば何の関りの無かった街の人、例えば大切な友人、例えば憎かった仇敵、そして仲間。……多くの死を見てきたし、多くの苦しむ声を聞いてきた。今のきみのように挫けた時だってあったよ」
「……ローグやリーベって人もですか?」
「ローグなんかは正にそうだね。彼はきみによく似ていた。だからきっと、ぼく以上にきみの事を理解してくれると思うよ。『担ぎし者』についても改めて訊いてみるといい」
「じゃあ、リーベの方は……?」
その質問には、哀愁とは違う表情を浮かべていた。そこから感じられるのは後悔の念、というのが適切だろうか。
「……昔、まだぼくがこの世界に来たばかりの頃、ぼくには好きになった女の子がいたんだ。ぼくから告白して付き合っていた時期もあった。本当に幸せだった。彼女がいてくれるだけで毎日が輝いていた。ぼくは彼女を愛していて、彼女もぼくを愛していると言ってくれていた。……だからこそ、ぼくらは決定的にすれ違ってしまった」
「……その人は亡くなったんですか?」
ローグとはまた違った勇者。思えば今回の話ではあまり触れなかった人物だ。
アユムにとってはかつての仲間で、大事な人。その安否について、正直アーサーは良くない答えが返ってくると思っていた。
しかし、予想外にもアユムは軽く首を横に振って、
「いや、生きてはいるよ。むしろぼくらの中じゃ一番元気なんじゃないかな。彼女は今もあのビルの最上階にいる」
「……え?」
アユムが見上げるように見たのは、天気によっては見えなくなる位、うっすらとその輪郭を掴める『ポラリス王国』の中心にそびえ立つビルだった。
それはラプラスも幽閉されていたという、アーサーもあまり良い印象は抱いていない『ゾディアック』の象徴だ。
「十三の国からなる『ゾディアック』の中心、『ポラリス王国』の頂点に座しているのが翔環ナユタ……またの名をリーベ・ヴァールハイト。かつてぼくとローグと一緒に勇者と呼ばれていた人だよ」
「あなた達に一体何が……」
言いかけた所で、アーサーは言葉を途中で止めた。それを訊くのはあまりにも野暮だと思ったのだ。それにアユムは話せる事は話したと言った。つまりあれ以上の話は訊くべきではないという事なのだろう。
「……人生の先輩からの忠告、ありがたく聞いておきます」
「ああ、ぼくもきみの命運を祈っておくよ。それから手を」
「?」
「ローグに会う前の餞別代りだよ。良いから手を出してくれ」
言われた通り手を前に出すと、アユムはその手を握った。何かされるのかと身構えるが、特にこれといった事はされずに握手をする形だけ取ってあっさりと手を離された。
「なんですか、これ?」
アーサーは終始、何をされているのか分からなかった。
しかし首を傾げるアーサーとは対照的に、アユムは満足げに頷いて、
「良いものだ。いずれ必要になる」
よく分からなかったが、アユムが言うならそうなのだろう、と無理矢理納得する事にした。
そうして短い時間ではあったが、伝説の勇者との対面は終わった。
アーサー達は元通り、目指すべき場所へと向かっていく。
◇◇◇◇◇◇◇
アーサー達が『魔族領』へと旅立った後、アユムは彼らが進んでいった方向を見ながら静かに口を開く。
「……どうせ見ているんだろ、ナユタ」
『見ていますとも。ただ、こちらからの声は届きませんが』
アユムが呟いた言葉に、遠く離れた『ポラリス王国』の頂点に座す女王は静かに応じた。姿は一方的にしか見えず、会話らしい会話をできる状態ではなかったが、それでも彼らは彼らにしか分からない空気の中で言葉を重ねていく。
「まともな会話ができないのは分かってる。だから一方的にこれだけ言っておく」
『ではわたしもそうしましょう』
かつて共に戦った勇者の会話。
二、三言で終わる短い会話のその終わり、彼らは互いにこんな風に言って閉めた。
「ぼくはそこからきみを救い出すよ。どんな手段を使っても」
『わたしは止まりません。あの日失った全てを取り戻すまで』
ありがとうございます。
短い話数でしたが、これで第七章は終わりです。そもそもの話、この物語は転生者が元の世界の技術を広めて便利にしていく、というよくある話でその未来はどうなっているのか? と思って書き始めた物語です。ここではそれは間違いだったという形になっていますが、その辺りの話は前回のあとがきに書いたようにまた別の機会に。
では第八章のあらすじを。
次回の舞台はついに『魔族領』です。当初の予定通り今回の章でも触れた魔王のローグ・アインザームに会いに行くわけですが、そう簡単には会えません。これまで魔族が何度も『ゾディアック』に攻め込んで来ていたように、アーサーの知らない所で人間も『魔族領』に攻め込んでいます。『魔族領』で繰り広げられている人間と魔族の戦いに巻き込まれた時、アーサーはどういう決断をするのでしょうか?