117 村人と勇者の違い
リンク・ユスティーツ。
その名は『ゾディアック』に住む者なら、子供から大人まで誰もが知っている名前だ。
その名前は五〇〇年前、別の世界から転生してきた異邦人のものだ。つまり、この世界の人なら一度は目にした事のある『英雄譚』に出てくる勇者の一人なのだから。
「……本物なのか?」
「ああ」
確認するような口調のアーサーに、アユムはさらりと答える。
「でも、だって……『英雄譚』じゃアンタらの話は五〇〇年前だって……!?」
「『ポラリス王国』でラプラスと会ったんだろう? それなら理解が追いついても良いと思うんだけどね。彼女だって五〇〇年間生きていただろう?」
「……なら、アンタもラプラスと同じ人造人間なのか?」
「いや、ぼくは正真正銘の人間だよ。ただ諸事情で年を取れなくなってね。その事についても説明するよ」
彼はアーサーに警戒されているのを分かっていながら、無防備に背中を向ける。
「付いてきてくれ。ああ、もう三人のお仲間も呼んでくれよ」
「……結祈。連絡を頼む」
「……呼んで大丈夫?」
結祈は当然のようにアユムの言葉を信じていなかった。そもそもが実在していたとはいえ、物語の人物だ。顔は誰も知らないだろうし、嘘を見破る手段が無いのだから当然かもしれない。
それはアーサーだって同じ思いだった。
信用はできない。けれど、一つだけハッキリさせなければならない事があるのも事実だった。アーサーは前を歩いていくアユムの背中を見据えながら、
「あの人はラプラスを知っていた」
「? それって『ポラリス王国』で会ったって人だよね。その人を知ってる事の何か問題なの?」
「ラプラスは五〇〇年前から幽閉されていたらしいんだ。だからその存在を知ってるのはごく僅かな人だけのはずだ。それを、知っていた。つまりあの人は単なる嘘吐き野郎じゃないって事だ」
「つまり『ポラリス王国』の重鎮って事?」
「あるいは本物のリンク・ユスティーツか」
そこまで考察したうえで、アーサーは気の抜けたような溜め息をふっと吐いてからこう続けた。
「……まあ、どっちだろうと俺には関係無いんだけどね。ただ本物なら知りたかった事を訊ける。もう面倒事に首を突っ込むつもりは無いよ」
「……うん」
前までのアーサーなら、後半の台詞は無かったはずだ。
やはりまだ、戻っていない。
アーサーはまだ立ち直れていない。
結祈は改めてアーサーの今の内面を感じ取り、悲しい気持ちになる。そしてそれをアーサーに悟られないように、フードを深く被って顔を伏せた。
「あ、いた」
最初に三人の元に来たのはサラだった。なぜかそこにはアレックスとシルフィーの姿はなかった。
「いきなり呼び出してごめんね。アレックスとシルフィーは?」
「あたしは個人的な買い物があったから別行動してたのよ。二人は宿屋から来るからもう少しかかると思うわ」
「それなら丁度良い。先に軽く話をしておこうか」
サラが合流してすぐ、アユムは足を止めた。
何の話か、と疑問をぶつけるよりも先にアユムは端的に話の主題を告げる。
「アーサー・レンフィールド」
「?」
と。
名前を呼んでから、
「きみと勇者の違いを教えよう」
「……っ!?」
その僅かな言葉で、アーサーを心臓を鷲掴みにされるような錯覚を覚えていた。
アユムの指す勇者とは自分自身の事ではないだろう。つまり先日人質ごとテロリストと細菌兵器を吹き飛ばしたヘルト・ハイラントを指している。
そしてその事象は、今のアーサーにとって心的外傷に他ならない。だから思わず過敏に反応してしまった。
「……ふむ。今のきみには少し刺激が強い話題だったか? 辛いようなら止めるけど」
「……構わない。続けてくれ」
アーサーは服越しにビビの形見のロケットを握りしめながら、話の先を促す。
するとアユムは、では遠慮なく、と前置きをしてから口を開く。
「とりあえず例を挙げよう。たとえば『タウロス王国』。あの時、きみが実行しなかったドラゴンを転ばせる方法があるだろう?」
「……」
アーサーは押し黙ってしまった。
それはアユムの言っている事の意味が分からないからではなく、なぜそれを知っているのか、という沈黙だった。
「そんなのがあったの?」
共にドラゴンへと立ち向かったサラが、純粋な好奇心でそんな事を聞いてくる。その無邪気な思いには不釣り合いな言葉を言わなければならない事に吐き気がする。
「……人の体のほとんどは水分だ」
けれど言わなければ話が進まないので、アーサーは重々しい口調で語り出す。
「潰されればそれなりの量の血が出て、それは血油として機能する。だから、あえて人の密集してる所に誘導して踏ませれば、足を滑らせて転ばせられる可能性が少なからずあった。……あの時点では転ばせられる可能性が一番高かった策で、一番最低な策だよ」
吐き捨てるように言ったアーサーの言葉に、サラと結祈は予想通りに驚いた顔をしていた。
別に、アーサーだって好きで思い付いた訳ではない。ただ彼の戦闘スタイル上、持てる手札で考えた手段の一つとして思い浮かんでしまっただけなのだ
「勿論、思い付いてただけで実行する気はさらさら無かった。むしろ、こんな事を平気で思いついた自分を心底嫌悪したよ」
そしてこんな事を言わせた張本人に、アーサーは恨むような目を向ける。
「でも、それがどうしたって言うんだ?」
「きみと勇者の違いは正にそこなんだよ」
アーサーから向けられる目を気にもとめず、アユムは薄い笑みを浮かべて続ける。
「きみはその策が有効だと知りながらも、可能性の低い別の手段を使った。だが勇者は違う。彼がきみと同じように無力な立場にいたら、彼は思いついた時点でその策を使っていただろう」
「……まさか」
「先日の一件を忘れた訳じゃないだろう? あの集束魔力砲が良い例だ。彼は犠牲以上に助かる人間がいるなら、例外を除いてどんな手段だって使う」
「例外……?」
「自分に救いを求めてくれた人はそれ以上の位置付けになる。アウロラ、という少女は知っているだろう? だからラプラスが彼女に銃口を向けていた時、きみの乱入が少しでも遅れれば取り返しのつかない事になっていた」
取り返しのつかない事。それはつまり、勇者の手によってラプラスが殺害されていた可能性、あるいはアウロラが殺害された事で勇者が予測不能な行動に出るリスクの事だろう。
「きみとヘルト・ハイラントは似ている。それは間違いない」
アユムの言った事を、アーサーは心の片隅どこかで納得していた。
それは頭で理解するのではなく、魂で感じるように。
「でもきみと彼は別人だ。ぼくとあいつの関係がそうだったように」
「……」
目の前の翔環アユムと名乗った男がリンク・ユスティーツ本人なのかどうかは分からない。けれど彼はあまりにも知り過ぎている。特にあの廃ビルでの出来事は当事者だった彼らにしか分からないはずなのに、一体どこから見ていたというのか。
不気味さと隣り合う形でだが、彼個人に対して興味が出始めているのも事実だった。
「さて、少しはぼくの話に興味が出てきたかい?」
こちらの心を見透かしているような発言をするアユム。アーサーは少し気味が悪い気分になりながら、なんとか言葉を返す。
「……まあ、アンタが色々知ってるのは分かった」
「結構。では全員揃ったようだし、そろそろ移動を再会しようか」
アユムに言われて後ろを向くと、いつの間にかこちらに向かってアレックスとシルフィーが歩いてきていた。それに合わせてアユムは再びどこかへ向かって足を進める。
「そういえばまだ訊いてなかったけど、どこに向かってるんだ?」
「あれ、まだ言ってなかったっけ?」
アーサーの問いかけにどこかとぼけながら、それでもやはり薄い笑みを浮かべてこう答える。
「ぼくの家だよ。つまり、勇者の家にきみ達をご招待って訳さ」
ありがとうございました。
今回はあまり話が進んでないようですが、実は第五三話【タウロス王国を取り戻せ】のあとがきに記されていたドラゴンの転倒方法についての説明がありました。予想していた方は当たっていたでしょうか?