115 酒の中に真実がある It_Was_Surely_Worth_It.
騒動が終わった夜。ある意味では『リブラ王国』はここからが本番だ。
この国に住む人達は、いつ来るか分からない魔族や、最近は頻繁に起きる爆破事件のせいで常に精神的に追い詰められている。それが原因かは分からないが、『リブラ王国』には夜の娯楽施設が多い。
その中の一つ。ビリヤードが設置されているとあるバーに、二〇代後半くらいの金髪の男が入って来た。その歩き方や何気ない所作から隠す事のできないカリスマ性が垣間見える。
そしてその男は特に迷う事もせず、カウンターで一人グラスを傾けているスーツ姿の男の隣に座った。
「隣良いか?」
「……それは座る前に言う事だ」
スーツ姿の男は金髪の男の方を見ず、口から離したグラスを顔の前で揺らしながら言う。しかし金髪の男は呆れたように放たれた言葉に構わなかった。
「何を飲んでいるんだ?」
「バーボン」
「ふむ、なら俺もそれを頂こう」
金髪の男はカウンター越しにバーボンを注文し、それが敷かれたコースターの上に置かれると口も付けずに隣の男に言葉を投げる。
「それで、お前は本当にこれで良かったのか、グラッドストーン」
「俺自身は良かったんだが……あの少年には悪い事をしたと思っているよ」
まるで仕事帰りに何となく立ち寄ったバーで一人酒を飲んでいるだけのように見える男の正体は、数刻前に脳天を撃ち抜かれて死んだはずのデスストーカーだった。足はあるし体だって透けていない、正真正銘、生きたままの姿でそこに座っていた。
そして彼は、淡い笑みを浮かべながらこう続ける。
「だが彼にも言ったはずだ。俺はいつも生き残る、と」
その様子に今度は金髪の男の方が呆れたように溜め息をつき、
「だからって、まさか自分を撃った衛兵を買収していたなんて誰も思わないだろうに」
「俺から目を離して駆け出したのが悪い。それに彼には俺が死んだと思わせておく必要があった。もし俺が生きたままあの状況を切り抜けていたら、彼は敵に回っていた。今度は俺を逃がす側ではなく、捕まえる側になっていたさ」
「だったら背中を突き刺してしまえば良かったんだ。その方が色々と手間が省けただろうに」
「俺にだって人の心はある。一緒に死地を切り抜けた少年を何の躊躇も無く殺せるほど非情じゃない」
「へえ、そいつは驚いた」
わざとらしく大仰なリアクションをする金髪の男を無視して、デスストーカーは空になったグラスにバーボンを注ぐ。ただし水位は指一本の半分ほどだけ。あとは水を足して味の薄い水割りのバーボンを作る。
「……お前、そんなの飲んでたのか?」
「酒を飲む事が目的じゃないからな。妻が殺されたあの日から禁酒の誓いを守って来たが、復讐も終えて俺の人生にも一区切りついた。だからこれは、これから新しい道に進む前の儀式のようなものだ」
「しかしお前、ネフィロスは無事に殺せたんだろう? それさえできれば死んでも構わないとか言っていたくせに、結局生きてまた新しい事に挑戦するのか?」
「……そうだな。勿論、お前に言った事に嘘は無い。だがあの少年と行動を共にする内に少々未練が……な」
「意外だな。お前に復讐以外の未練があったのか?」
「……まあ、な。といっても大した事じゃない。くだらない感傷というのは理解しているが、端的に言って子供が欲しくなった」
デスストーカーの告白に金髪の男は思わず吹き出して、
「なんだ、じゃあこれから女漁りにでも行くのか? だったら良い場所でも紹介してやろうか?」
「間に合っている。というより、そもそも願望であって叶える気は毛頭ない。家庭を持つには俺の手は汚れ過ぎている」
「難儀な事で」
やれやれ、といった感じで首を振り、金髪の男はようやくバーボンに口を付けた。デスストーカーとは違ってストレートで、だ。
「……最後に、あの少年に一つだけ問いかけをしたんだ」
「ん?」
「これまでの全てに意味なんてあったのかな、と。これはきっと、自分への問いかけでもあったんだろう」
「……お前は答えを出せたのか?」
「……さて、ね。だが俺は自分の行動の先に起きる事を全て予見していた。多くの人達に迷惑をかける事も、『МFD』が悪用される事も、世間で自分が極悪人扱いになる事だって分かっていた。結局、俺がやって来たのは私怨に駆られただけの、どこまで行ってもくだらない、ありふれた復讐の一つだ。だからそれを完遂した事に意味は無い。……ただ、最後まで禁酒の誓いを貫けた事。そしてあの少年と行動を共にした数時間。この二つには価値があったのだと信じている」
信じている、と何気なく言ったデスストーカー。
しかし、復讐のためとはいえ一〇年近く他人を欺く事ばかりしていた彼がその言葉を口にするには長い道のりがあった。だから何の気なしにそう言えるようになった事こそ、価値があったのだろう。
そして当の本人は、おそらくその事を自覚していない。
「……お前はこれからどうするんだ、グラッドストーン」
気が付けば金髪の男のグラスはすでに空になり、二杯目のバーボンを飲んでいた。軽く酔いが回ってきたのか、それとも室内の暖房にやられたのか、その表情はほんのりと赤くなっていた。
問われたデスストーカーはふっと破顔して、
「今度こそ歴史の表舞台から消えるよ。『忍び寄る死』。その名の通り俺は本当の悪人に死を送り、裏から世界を守る。表舞台は彼に任せるさ」
そう言うとデスストーカーはグラスを傾けて一気に呷った。
空になったグラスをカウンターに叩きつけ、席を立ちあがる。それは一つの儀式の終わりを告げるものだった。
「だからお前も道を踏み外そうものなら、遠慮なく殺しに来るからな」
「ふっ、互いに唯一の友人だというのに厳しいな。……それなら俺とお前が会う事は二度と無いんだろうな」
「お前が道を踏み外せばすぐにでも死を送りに行くがね」
奇妙な関係の二人は、最後にそんな軽口を叩き合って、
「じゃあな、デスストーカー」
「ああ、じゃあな。パラズリー・スチュワート」
復讐を果たした執行人は、不気味な笑みを浮かべたまま、何度目かの人生へと進んでいく。
そして残された男は、まだ自分の喉元に突き付けられる復讐の刃の存在に気づいていない。
◇◇◇◇◇◇◇
二人の男がバーで会話していたのとほぼ同時刻。
この日の『ゾディアック』のニュースはどこのチャンネルも、立てこもり事件の詳細とその顛末についての説明で溢れていた。
しかしどこかの番組。ほんの数分程度の枠ではあったが、今の『リブラ王国』ではありふれている爆破事件についてのニュースも流れていた。
『盾を持ってるお兄さんが助けてくれたんです』
そして数秒程だったが、とある被害者の少女のコメントが流れていた。
世界に向けて発信された、誰の記憶に残るとも知れないたった数秒の映像。
けれどその少女の言葉には、きっと価値がある。
ありがとうございます。
今回のタイトルにある【酒の中に真実がある】は、酒に酔えば人は本音や欲望を表に出すという意味で、友人を前に本音を漏らすデスストーカーの様にピッタリかと思い付けました。
【It was surely worth it.(それにはきっと価値がある)】は、前々回の内容とタイトルとの対比で、章題に対するデスストーカーなりの答えになっています。
それから金髪の男、パラズリー・スチュワートについては第二八話【物語は次へと移行する】をご覧下さい。
ではこの場で次章の簡単なあらすじを。
次章の舞台は今回と同じく『リブラ王国』です。傷心のアーサーの前に一人の少年が現れます。その少年の口から語られる秘匿された歴史が、停滞したアーサーに何をもたらすのか。話数は少なく五話くらいを予定しています。