112 待っていた結末
『レオ帝国』と『リブラ王国』の追手を完全に振り切ったアーサーとデスストーカーは、当初の予定通りクロネコに教えて貰った立てこもり事件の起きている現場へと向かっていた。
「寄り道のせいで時間を食った。もういつ『МFD』が起動するか分かったもんじゃないぞ」
「分かってるよそんな事! だから今こうして走ってるだろ!!」
少女を救うために寄り道をした事に後悔は無い。けれどこのまま間に合わず、もし『МFD』の起動を止められなければ助けたはずの少女も死ぬ事になってしまう。そんな事態を避けるために、アーサーとデスストーカーはボロボロの姿でひたすら走っていた。
しかし、唐突にデスストーカーがその足を止めて立ち止まった。
「おい、デスストーカー。立ち止まってる暇は無いぞ!」
アーサーも足を止めてデスストーカーに呼びかける。しかしデスストーカーはアーサーの言葉には耳も貸さず、ぼんやりと遠くを見て呟いた。
「……あの光はなんだ?」
「光?」
デスストーカーの言葉に釣られ、彼が見ている方向をアーサーも見てみると、そこには見覚えのある光があった。
それはたしか『ポラリス王国』で研究所からアウロラを救い出そうとしていた時、ラプラスと一緒に見たものだった。あの時と同じような金色の煌びやかな燐光が天に向かって昇っている。
「……あれ、『ポラリス王国』で見たぞ。たしか集束魔力砲の光だ……」
「だとしたらマズいな」
その言葉とは裏腹に、あまり焦っていない様子のデスストーカーはそのままの調子で続ける。
「あの方角は俺達の目指している立てこもり事件が起きている場所だ。あんな所に集束魔力砲は無い。となると、おそらく『レオ帝国』の魔族侵攻を止めたという噂の勇者だ。俺の予想が外れていなければ、おそらく……」
アーサーはデスストーカーの続く言葉を待たなかった。ここまで一緒に行動してきた重要な人物であるデスストーカーを放置して、彼は一人で光の柱の根元に向かって全力で走り出す。
アーサーにも、勇者のやろうとしている事は分かっていた。
『МFD』は高魔力を当てる事で消滅させられる。集束魔力砲なら十分な出力だろう。つまり勇者は人質ごと細菌兵器を消し飛ばすつもりなのだ。
「お願いです! 誰か娘を……娘を助けて下さい!!」
近くまで辿り着いた時、立ち入り禁止を示す黄色いテープの前で警官隊に抑えられている白衣を着ている女性が叫んでいた。もしかしたら人質は救出した後なのかもしれないという淡い期待がそれで消える。
アーサーは警官隊の制止を振り払ってテープの下を潜り抜け、光の柱の根元に向かってひた走る。
やがてその根元、そこにいる少年の姿が視界に入った。
「やめろ……」
走りながら掠れるような声で言う。
けれどそれでは届かないので、今度は大きく息を吸ってから、絶叫に近い形で喉が張り裂けんばかりの勢いで叫んだ。
「やめろォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
◇◇◇◇◇◇◇
光の柱の真下。
その少年は感情の移されていない虚ろな表情で剣を天に掲げていた。
「……ああ、結局こんな方法しか取れないぼくは、やっぱり悪党なんだろうなあ……」
自虐的に呟きながら、彼は躊躇する事なく剣を振り下ろした。
万人に幸せになって欲しいなど、そんな子供じみた夢を持っていた時期もあった。
けれど、それは他でも無い助けた人達に裏切られて殺された。
それでも理想を貫き通して、結局、最後まで彼に残っていたのは果てのない孤独と、誰も助けてくれない一方的な死だけだった。
だからこそ、彼の代名詞たる技はこう呼ぶのだ。
『理想の残り滓』と。
◇◇◇◇◇◇◇
制止を求める絶叫。
しかし、その声が届く事はなかった。
直後に莫大な閃光が視界を覆う。その後に体が浮遊感に襲われ、自分が勇者の技の余波で大きく後方に吹き飛ばされているのだと認識した。
地面を転がるように何度もバウンドして後退していき、背中を地面に強く打ち付けたせいで肺の空気が全て体外に吐き出される。しかしアーサーはそんなものに構わなかった。軋む体を無理矢理起こし、止まない突風の中で這いつくばるような恰好で、衝撃で耳が聞こえなくなっている事を自覚しながら、自分でも何を言っているのか分からない言葉を懸命に叫び続けた。
やがて光が消える。
その後に残っているものは何もなかった。
立てこもりが起きていた建物も、そこにいたであろうテロリストも、いつ起動してもおかしくなかった細菌兵器も、そして捕らえられていた人質も、全てが等しく消滅していた。
瓦礫が崩れたような分かりやすい破壊の跡はなく、まるでそこだけ世界から剥がされたような異様な光景が目の前に広がっていた。
アーサーは目の前の光景を正しく認識するのにしばしの時間を要した。
そしてそれを理解すると、ポツリと呟く。
「……けるな」
そしてその呟きは、すぐに叫びへと変わる。
「ふざけるなァァァああああああああああああああああああああああ!! こんなものが! こんな結末が!! 救いであって良いはずないだろうがァァァああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
両手の拳を握り締め、それを振り下ろして地面を叩く。コンクリートの拳を打ちつけた時の無機質な音が鳴る。
「お前は自信を持ってこれが救いと言えるのか!? 答えやがれクソ勇者ァァァああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
背中を仰け反らせ、天に向かって吼えるような形で息が切れるまで言葉を続けた。
しかし、その叫びも勇者に届く事は無かった。
彼はもう、この場に留まってはいなかった。ここまでの破壊をもたらしたうえで、これが最善の救済手段だったと言わんばかりに、彼は何処かに消えていた。
瓦礫の山の中で、叫び疲れたアーサーは項垂れているような形でじっと固まっていた。
その背後、ザッという足音を鳴らしてスーツ姿の男が近づいて来た。
「……大丈夫か?」
その言葉はアーサーを思いやるような声音で放たれた。
それに反応したのか、アーサーの首が錆びついた機械の駆動部分のようにゆっくりとした動作で動いた。
「……ああ、デスストーカーか。……あんたは、無事だったのか……」
「……今のお前よりはマシだ」
振り向いたアーサーの表情。涙と砂埃で汚れた顔を拭こうともせず、そこにある双眸は木の洞のように暗く、感情が感じられないものになっていた。アーサーのその様に、デスストーカーは壊れた人形のような印象を感じた。
「……本当に、大丈夫か?」
「ああ……心配ない。それよりここは危ない。今日はこれ以上、人が傷つく所を見たくない。だからあんただけでも逃げろ。せめて、頼むから……」
地面が足に張り付いているようにアーサーは動こうとしていなかった。その様子は誰の目から見ても大丈夫には見えなかった。
デスストーカーは絶望しているアーサーの姿に何かを感じ取ったのか、両目を閉じて古い記憶を呼び起こすように言葉を紡いでいく。
「……君には感謝している。妻が殺された時にあれを作った事は、今でも間違いだったとは思わない。あれを作り出した事が間違いなんだとしても、あれを作った動機というか、その想いは本物だったんだ。たとえそれが墓の前で心変わりしたものだとしてもな。だからたとえ憎んでいた相手だったとしても、俺の作ったあれで俺の意志とは関係無しに多くの人が死んでいたら、きっと俺は最初に抱いていたこの想いさえ否定していただろう。それは俺にとっては死ぬよりも辛い事だ。だからこんな結末になったとはいえ、君にこの事件を止められる位置に立たせて貰った事は本当に感謝している」
「何を……言っているんだ……?」
「俺の事は細菌兵器を作った『ゾディアック』最大の悪人として語り継がれていくんだろう。だが、それでも俺の真実を知る者がいる。これは俺にとって何物にも代えがたいものだ。だからこれから起きる事について、君には何の責任もない。俺の心には君への感謝しかないのだから。妻が死んだあの日からずっと、人を騙して生きて来た。自分の感情さえもな。だけどこれだけは嘘じゃない。ありがとう、アーサー・レンフィールド」
「だから何を言っているんだ!? いいから早く逃げ……っ」
「なあ、アーサー・レンフィールド」
疑問に答える言葉は帰って来なかった。
代わりにデスストーカーはアーサーの言葉を抑えるように、どこか物思いに耽っているような遠くを見る表情で最後の言葉を告げる。
「これまでの全てに、意味なんてあったのかな?」
その疑問には何も言えなかった。
パンッ! と乾いた音が響いたのとほぼ同時、突然デスストーカーの体が真横へ吹っ飛んだのだ。
頭からは血の花が咲く。赤い雫がアーサーの頬を叩く。そこに至ってアーサーは何が起きたのかを理解した。頬を拭うよりも先に目の前で倒れたデスストーカーへと駆け寄る。
「そんな……なんで、こんな……っ!!」
周囲から複数の足音が近づいてくる。視線を動かすとそこにいたのは武装した『リブラ王国』の警備組織だった。つまりは細菌兵器の生みの親であるデスストーカーを捕まえに来ていたのだろう。それを先走った馬鹿が銃殺したのだ。
……少し考えれば、分かる事だった。
ここは勇者の攻撃の爆心地のすぐ近く、テロリストの残党を万が一にも逃さないために警備組織が来るなんて当然の事だった。そして今し方起きた大惨事、それに心を揺さぶられていつもより引き金に掛かる指が軽くなっていた可能性は十分にある。
逃亡のプロであるデスストーカーがこの事に気付いていなかった訳がない。気付いていてなお、アーサーに感謝の言葉を伝えるためにこの場に留まっていたのだ。
それはつまり。
(そんなの……俺が殺したようなものじゃないかッッッ!!)
アレックスと喧嘩別れし、関係の無い事件に首を突っ込み、ただ闇雲に駆けずり回った結果がこれだ。
捕らわれていた人質を救えず、強硬手段に出た勇者も止められず、残ったのは血の池の上で動かなくなったデスストーカーだけ。
その結果に。
一体、何の意味があったのだろう。
一体、どれほどの価値があったのだろう。
ラプラスに頼まれた所から始まった今回の騒動。
その結末は最悪の形で幕を閉じた。
ありがとうございます。
今回は第五章から音沙汰の無かったヘルトを出しました。彼の行動について言いたい事もあると思いますが、彼は起動しかけていた細菌兵器から世界中の人を守るために最も確実で安全な方法を選び取っただけなのです。
第五章から始まったフェーズ2は【村人と勇者】が命題です。アーサーが苦労しながら解決に当たろうとしていた事件を、ヘルトはたった一発の集束魔力砲で解決しました。第五章では二人とも少女を救うという同じ方向を向いていましたが、今回の章で改めて二人の違いを表してみました。
今回は第二章のビビの件以来、何だかんだで事件を解決してきたアーサーが久しぶりに失敗を経験しました。ここまで成功してきたアーサーのショックは、あの時と同等かそれ以上です。それを受けてただの村人がどの方向に進んでいくのか、そして目の前で大勢の人を殺したヘルトとの関係が今後どうなっていくのか、その辺りに注目してみて下さい。
第六章はまだ少しだけ続きます。もうしばしお付き合いを。




