107 争乱の中心へ
アーサーは一メートル先も見えない土煙の中を、デスストーカーの腕を引いて走っていた。
「くそ、くそっ!」
肺が焼けるような錯覚を覚える熱い空気を吸いながら、それでもアーサーは叫ぶ事を止めなかった。
「くそったれがァァァあああああああああああああああああああああああああ!!」
あの程度じゃ、きっとアレックスは死んでいないはずだ。
それだけを信じながら、しかしそれを確認する事もせずアーサーは脚を動かし続ける。
すると苦悩するアーサーの前に、アレックスのように一人の少女が立ち塞がった。
「アーサー」
「結祈……」
彼女が出てくるのは分かっていた。視界が確保できなくても自然魔力感知を使える彼女と、普通の犬異常の嗅覚を持つストーカードッグと同じ嗅覚を持つサラの二人から逃げ切れるとは思っていなかったからだ。
「『ポラリス王国』の時は、本当に心配したんだよ?」
「……」
結祈はアレックスのように攻撃してくる訳ではなく、悲しそうな声音でアーサーの良心に訴えかけるようにそう言った。
彼女は五人の中で唯一、大切な人を失っただけでなく復讐に手を染めていた事もある。もしかするとアーサー以上にデスストーカーに思う所があるのかもしれない。だからアレックスのように力尽くで止めようとはしないのだろう。
「アーサーには絶対に勝てるっていう決定打がある訳じゃない。無事に帰って来れる確証もない。何度もこんな綱渡りみたいな勝負を繰り返してたら、いつ踏み外すかも分からない。それなのに、見捨てても文句の言われない人達を助けるために、命を懸けてまた行くの?」
「ああ」
「どうして?」
「俺は助けられるかもしれない人達を見捨てたら、二度と妹達に顔向けできない」
それはアーサーにとっては一番譲れないものだった。結祈にもそれが伝わったのか、小さく溜め息をついて、
「……本当、後悔しないと良いなあ……」
結祈は二本のユーティリウム製の短剣を服の袖から出して両手に握ると、アーサーに向かって一直線に駆けてくる。
アーサーがそれに対抗しようとウエストバッグに手を伸ばすが、結祈がアーサーを斬りつける事はなかった。彼女はアーサーの横を通り過ぎると、後ろから静かに迫って来ていたサラのホワイトライガーの両手を受け止めるように剣を突き出していた。
「結祈!? どうして邪魔するのよ! ここでアーサーを行かせたら、こいつはまた無茶をするわよ……!!」
「分かってるよ。でも、ワタシはアーサーを行かせたい」
爪と剣で鍔迫り合いを続けながら、正面を向いたまま結祈は後ろにいるアーサーに言う。
「アーサー。ここはワタシが足止めするから行って」
「……すまない結祈。恩に着る」
そしてアーサーは仲間達に背を向け、デスストーカーと共に土煙の中を駆け抜けていく。
世界を救いたいという目的は通じているはずだし、その手段としてデスストーカーを殺してはいけないという理屈も認識されている。
それなのに何故こうもすれ違ってしまう?
どこで何を間違えた?
そんな意味の無い自問自答を頭の中で繰り返していた。
「それで、これからどうする?」
そんな思考の隙間にねじ込むように、デスストーカーがまるでこれから遊びに行く場所を聞くような気軽さでそんな事を言う。
それに対してアーサーは凍えるような低い声で、
「……一度だけ言っておくが、言動には気を付けろ。今もの凄くお前を殴り飛ばしたくなった」
「さすがにそれは勘弁したいな」
「それからこれを持ってろ」
そう言ってアーサーがデスストーカーに渡したのは鼠色の固形物。いつも彼が使っている『モルデュール』だ。
「これは?」
「俺だけが起動できる爆弾だ、ずっと持ってろ。逃げようとしたりそれを捨てようとしたら、即座に起爆させて体を木っ端みじんに吹き飛ばすからな。お前の命は俺が握ってるって事を忘れるなよ」
「ふむ……。できればそれも勘弁願いたい」
「だったら肝に銘じておけ。『МFD』を止めるにはお前の協力が必要不可欠だ。だからたとえアレックス達が遅い掛かって来てもできるだけ守ってやるが、俺だって別にお前の味方って訳じゃないからな」
「分かっているさ」
デスストーカーは『モルデュール』をスーツの内ポケットに仕舞いながら、不気味な笑みを浮かべてどこか吐き捨てるような調子で応じる。
「そもそも俺に味方なんてものがいたのなら、こんな道は歩かなかった」
「……」
「それで、お前は俺をどう使う? 俺はネフィロスのヤツを殺した事に一切の後悔は無いが、それによって無関係の人達にしわ寄せが行く事は望んでいない。自分が起こした事についての責任は果たすさ」
「とりあえず細菌兵器について知りたい。どういった効果をもたらすんだ?」
「簡単に言うと感染者の魔力構造を崩す。つまり体内魔力が暴走して本人を死に至らしめる訳だ。致死率九〇パーセントのウイルスだよ」
「残りの一〇パーセントの要因は?」
「このウイルスは人間、魔族、魔獣、ハネウサギやストーカードッグのような動物まで、魔力を持つ者になら全て作用する。だがその反面、君のように体内魔力がごく僅かしかないモノに関してはウイルスが上手く働かない。つまり本人を殺せるほどの暴走状態を作り出せない」
「対処法は?」
「感染したら防ぐ術は無い。だが感染する前に魔力を枯渇寸前まで使う事である程度の効果を弱める事ができる。それからウイルスの本質はほとんど魔力だからな、それ以上の大量の魔力をぶつける事でウイルスを死滅させる事ができる」
「大量の魔力ってどれくらいだ?」
「そうだな……『ポラリス王国』にある『集束魔力砲』でも使えば簡単なんだろうが、それだと人質まで殺してしまう。だから渋っているんだろうさ」
「つまり俺達には今、ウイルスを死滅させる方法は無いって事だな。俺達が止めるには『МFD』をやつらから奪取する必要があるって訳か」
「俺が持っている大まかな情報はそれだけだな。役に立ったか?」
アーサーはデスストーカーからもたらされた情報を精査するために顎に手を当ててしばらく黙り込んだ。それから数秒の後、顔を上げて言う。
「……『МFD』だけじゃなくて、事件そのものの情報も欲しいな。まずはそっちの情報を貰いに行こう。当てがあるから付いて来い」
◇◇◇◇◇◇◇
煙が晴れた後、アレックスもアレックスで爆破のダメージから回復して立ち上がった。すぐにシルフィーが駆け寄って来て回復魔術を使ってくれる。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、俺は大丈夫だ。それよりあの馬鹿野郎の方が大丈夫じゃねえだろ」
混乱した国では誰が敵になるか分からない。何の変哲もない一般市民ですら牙を剥いて来る状況だって考えられるのだ。
それに脅威はそれだけではない。今の『リブラ王国』にはもっと質の悪い集団がいる。
まずは『リブラ王国』の警備組織。彼らには自国のメンツがあるだろうし、何としてもデスストーカーを捕らえたいだろう。
次に『レオ帝国』の特殊部隊。彼らも彼らで自国の国王が暗殺されている。どこよりもまずデスストーカーを殺害したいはずだ。
そして細菌兵器を持ったまま人質を取って立てこもっているイカれた集団。それからこの混乱に乗じて暴れている所属の知れないテロリストだっているだろう。
「……今ならまだ手を引けたんだ」
アレックスは爆破された建物を見ながら呻くように呟く。
アーサーに譲れない想いがあるように、彼にも彼で譲れない想いがある。だからいつだって横に立てる訳でもない。
それでもアレックスは、一番の悪友が走り去っていった方向を見ながら思わず叫ぶ。
「あいつはデスストーカーと一緒に、あらゆる組織から狙われる立場に自ら立っちまったんだ。その辺りをちゃんと分かってんのか、あの馬鹿野郎は!!」
『リブラ王国』に混乱を招いている全ての組織。
その全てがアーサーとデスストーカーの二人に殺到する。それは普通に考えて逃げ切れるものではない。
「……分かってないんじゃない、あいつらは」
アレックスの言葉を聞いていたのか、近づいて来たサラがそんな事を言う。
「結祈がアーサーを逃がして消えたわ。大体あいつらは目先の事しか見えてないのよ。あたしの嗅覚はこの硝煙のせいで使い物にならないから、アーサー達を追えないわ」
「どうしますか?」
「決まってる」
心配するような口調で訊いてくるシルフィーにアレックスは即答する。
「正直言って追いつけるかは分からねえが、アーサーを追う。こうなったら地獄の底に行く前に引きずり上げるしかねえ」
そうして。
彼らも彼らで争乱の中心へと飛び込んでいく。