100 ただ愚直に突き進む
「……そうですか」
ラプラスはそれだけ呟き、自動拳銃のカートリッジと回転式拳銃に入っていた弾丸を全て別のモノに入れ替える。
そしてラプラスは自動拳銃の中の一発をアーサーではなく床に向かって放つ。それは今までの弾丸とは違って失速する事なく、何度も跳弾を繰り返して部屋の中を縦横無尽に跳ね回る。
「これはリフレクトバレット。着弾する度に付与された風の魔術で減速する事なく跳ね続ける特別なゴム製の弾です。これは密室で使うと跳弾し続けて危険な弾ですが……」
「……ッ!?」
バチィ!! と。
リフレクトバレットは部屋の中を何度か跳ねた後で、アーサーの手の甲に直撃した。普通の銃弾よりも速度は遅いが、それでも視認しながら躱せる代物ではなかった。
そしてアーサーに着弾して跳ねたリフレクトバレットはラプラスに向かって行く。しかしアーサーよりも身体能力に劣るはずのラプラスは顔を背けるだけでいとも簡単にそれを避ける。
「この通り、未来を観測できる私には簡単に避けられます。ですがあなたは違う。私は全ての弾道を予測して操れる、けれどあなたには弾道を予測できない。この場は私が支配しています」
「……」
アーサーはリフレクトバレットの当たった手の甲をさすりながら思わず息を飲む。
あくまでゴム弾なので鈍い痛みだけが残っているだけだが、当たり所が悪ければ骨が折れるかもしれないし、最悪の場合死に至る場合もあるだろう。それにラプラスにはアーサーに致命傷を負わせたごく普通の銃弾もある。対してアーサーはウエストバッグを置いてきてしまったので武器はただの拳一つ。
「それを踏まえてもう一度だけ言います。私にもう関わらないで下さい」
これが最終通告だろう。
この答えで次の行動が決まってしまう。
それを踏まえてうえでアーサーは、
「断る」
アーサーが短い言葉で自らの意志を表明した瞬間だった。
パパパンッ!! と軽い音と共に新たなリフレクトバレットが射出される。アウロラは俯きながら呻くように呟く。
「……あなたがそう答えるのは知っていました」
何発もの跳弾の壁の奥で、ラプラスは決意を込めた瞳でアーサーを真っ直ぐ捉えながら、
「勝負ですアーサーさん。あなたは何発まで耐えられますか?」
「『何の意味も無い平凡な鎧』!!」
開始の合図と共に、アーサーは身体強化の魔術を使って最短距離を駆け出す。両拳をコメカミに当てるようにガードを上げて無謀にも突っ込む。
だが今のアーサーにはこれしかない。まともな武器もなく、長期戦は不利になるだけ。であれば最短で駆けて短時間でケリを着けるしかないのだ。
多少の被弾は構わずに突き進むが、何度もリフレクトバレットの当たる腕の感覚は早くも無くなってきていた。ラプラスへの数メートルが永遠のように長い。そして両腕に広がる痛みに思わず両目を瞑った瞬間を、ラプラスは逃さなかった。
アーサーの真下で跳ねたリフレクトバレットが両腕のガードの間を抜けて顎に直撃し、顔を跳ね上げる。
(ま、ず……ッ!?)
顔を元の位置に戻す時間は無かった。
まともに顎に食らってしまったせいで瞬間的に足が止まる。
アーサーの全方位から跳弾が当たり、真正面からもラプラスが撃ったリフレクトバレットが直接当たる。
体が後方に吹き飛び、ただでさえ厄介なリフレクトバレットは更に増え、せっかく詰めた距離が再び開く。
しかし、アーサーの心は折れていなかった。
後方に吹き飛ぶ反動のまま体を後転させ、地に足が着いた瞬間にもう一度ラプラスに向かって走り出す。
(今何秒経った!? 一〇秒か、二〇秒か、何秒だろうと四二秒が経った時点で俺の負けだぞ!!)
心の中で自分に言い聞かせるように言葉を反芻させ、自らを奮い立たせる。
アーサーは『何の意味も無い平凡な鎧』を使った時に、魔力を動けるギリギリだけ残してつぎ込んだ。この四二秒で決めないと次は身体強化無しで挑まなくてはならなくなる。
アーサーはこの二度目の挑戦を最後の機会だと確信し、覚悟を決めてラプラスに向かって足を踏み出す。
(別に意識を絶つ必要はない。タックルするように飛びついて体ごと覆いかぶされば体格差で抑えつけられるはずなんだ!!)
それだけを目指し、銃弾の飛び交う嵐の中を前進する。
それなのに。
そうして覚悟を決めたはずなのに。
次のラプラスの行動でその覚悟に揺らぎが生まれた。
「……もう、この手だけは使いたくなかったんですけどね」
あとほんの数メートル。あと数歩で届くこの位置。
ラプラスは手に持っていた二つの内一つ、自動拳銃を手から離し、上着の下からもう一丁の銃を取り出してその銃口をアーサーに向ける。
しかも銃口を向けられたのはゾンビ映画などでよく狙う頭部ではなく、人体の中心と言われる事もあるへその辺り。少し体を振った程度では銃弾を躱せない位置。
(実弾の入った銃か!?)
それを目にして。
アーサーは全身が硬直したのを自覚していた。
それは脇腹に空いた一つの銃創。そこから体の芯に刻まれた恐怖が全身に広がっていく。
ラプラスはそれを狙っていたのだろう。まさにその瞬間を狙っていたかのようにリフレクトバレットの嵐がアーサーを襲う。
(……ひる、むな……!)
ぐっと歯を食いしばり、飛んでくるリフレクトバレットをその身に受けながら、アーサーの目は恐怖に屈していなかった。
(目を見開け! 足を動かせ! 弾丸が飛んでくるぞ!!)
恐怖に屈しそうになる自分に必死に言い聞かせ、アーサーは再び前進を始める。
アーサーは弾丸が放たれた後からでも身体強化で避けられる結祈や他の人達とも、普通の銃弾を食らってもピンピンしていられる魔族とも違う、ほとんど魔術の使えないごく普通の人間だ。
ならばこの局面で、取れる行動は一つしかなかった。
距離はたったの数歩分。この状況で弾丸を躱すには射手の銃を持つ手を弾くしかない。銃口を少しでも逸らせれば、照準は体の芯から外れて致命傷は避けられるはずだ。
(間に合え……ッ!!)
祈りにも似た思いで右手を伸ばす。
時間が引き延ばされているような奇妙な感覚が遅い掛かる。それに伴って伸ばしている手の動きも鈍くなってもどかしい気持ちでいっぱいになる。
その先でラプラスはいつも通りの無表情で引き金にかける指に力を加えていく。人を簡単に殺害できる鉄の塊が射出されてしまう。
「間に合えェェェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
そのほんの少し前。
アーサーの右手の指の腹が銃の先端に僅かに触れる。何かが間違って少しズレれば指が離れてしまうような些細な引っ掛かりに全てをかけて、アーサーは右手を大きく振るう。
結果から言えば、銃口はアーサーの体から逸れた。
しかし、それにアーサーが安堵する事はなかった。
(なん、だ……?)
アーサーの視線の先。ラプラスの表情はこの距離に肉薄されてもまったく動いていなかった。嫌な予感が胸を中心に広がっていく。
(……なにか変だ)
思えばこのタイミングで実弾を使った事がおかしい。いくら使いたくなかったとはいえ、そもそも最初からリフレクトバレットなんて使わずに実弾を使っていれば早かったのに、なぜこのタイミングで実弾に切り替えたのか。
考えられる理由は『未来観測』。いくら観測を覆す事のできる『担ぎし者』だとしても、行動を制限されればその限りではない。そして普通の人間でも他人の行動を制限する事ができるのだから、未来を観測できるラプラスには容易だろう。しかもアーサーの脇腹には真新しい銃創がある。実弾の入った銃を向けられた時の行動は簡単に想像できるだろう。
つまり。
(まさかここまで誘い込まれて……ッ!?)
「……読み違えましたね、アーサーさん」
至近で少女の唇の動きが見えた。
パンッ! と乾いた銃声がラプラスの持つ回転式拳銃から鳴り響く。そもそも未来を観測できるラプラスの放つ銃弾を避ける事など不可能だったのか、放たれた弾丸は当然のようにアーサーに当たる。
けれど昨晩味わったような骨の髄まで響く衝撃はなかった。代わりに上から抑えつけられるように体が地面に突っ伏したまま動かなくなる。
「な、にを……っ」
「重力弾です。射程距離は銃弾ではありえないほど短い一メートルしかありませんが、効果は今アーサーさんが身をもって体感しているように強力です」
アーサーの疑問に、ラプラスはあくまで平坦な口調で答える。
そうこうしている内に彼の魔術の制約である四二秒が経ってしまった。途端に体中から力が抜け、重力弾の有無に関係無くアーサーの体は動かなくなる。
そして彼女は回転式拳銃のシリンダーに実弾を込め、その銃口を地面に伏すアーサーに真っ直ぐ向けながら、
「これでチェックメイトです」
冷酷に勝利宣言を言い放った。
ありがとうございます。
次回はアーサーとラプラスの戦いの続きです。