98 悪党にしないために
アーサーはずっと会おうとしていたラプラスと一日ぶりに向き合っていた。
けれど、その意識だけは背中にいるアウロラに向けていた。
「死んでも何も解決しないぞ」
そんな風に切り出したアーサーの言葉に、アウロラは何も言い返す事ができなかった。
「お前が迷惑をかけたくない相手が誰なのかは知らない。お前を救出して、お前にそう思わせるまでに至った人物は俺には分からない。俺にはお前の抱えてる問題の片鱗すら見えてないのかもしれない。でもそれで良いのか? お前を救ってくれた人を悲しませるような結末を選んで本当に満足なのか?」
「……それ、は……」
「こんな寂れたビルで、その誰かが知らない場所でひっそりと死ぬ事がお前の選べる最善の事なのか? そんなはずがないだろう! お前が危険な目に遭わせたくないように、その人だってお前が犠牲になる事を望んでいるはずがないんだ!!」
ラプラスはこちらの一挙手一投足の先の未来を観測できる。
気を抜いた瞬間にやられる緊張感の中で、それでもアーサーは背中にいる彼女に向かって叫ぶ。
「お前が大事に思っているように、その相手だってお前の事を大切に思っているんじゃないのか!? だったらこんな所で諦めるな。最後の最後の最後まで、生きて幸せになる道を選ぶんだ。その人と一緒に生きられる未来を掴むんだ! それがお前が大切に思っている人のためにできる最善の事なんだ!!」
そこから先は言葉を繋げられなかった。
目の前の少女がいよいよアクションを起こしたからだ。
上着の内側から構えていた銃とは別の回転式拳銃を取り出し、そこに一発の弾丸を込めて即座に引き金を引いた。
アーサーはアウロラの盾になるように腕を広げて前に立つ。アウロラの放った銃弾はアーサーの足元に着弾し、突風を巻き起こしてアーサーの体を打ち上げた。彼女が使った弾丸は魔術付与のされた特殊弾だったのだ。アーサーはそれに抵抗できず体が天井に叩きつけられる。
「が、ァ……っ!!」
肺の中の空気が外に吐き出され、落下が始まる。目線だけラプラスに移すと、彼女は回転式拳銃に新しい弾丸を装填し、その照準を空中で身動きの取れないアーサーに向けていた。
アーサーが避けられないと思ったのと、ラプラスが引き金を引いた瞬間、それからアウロラがアーサーの足を掴んで銃弾の起動から外させようとしたのはほぼ同時だった。
足を掴まれたまま床に叩きつけられたアーサーだったが、そのおかげで銃弾は空を切った。
「げぅ……っ! くっ、アウロラ! 扉に向かって走れ!!」
「で、ですが……っ!」
「良いから早く! お前を庇いながらじゃ戦えない!!」
「……っ」
まだ躊躇する気配があったが、アウロラは唯一の出入り口に向かって駆け出す。ラプラスは当然、逃げる彼女に銃口を向ける。
その光景を前にアーサーは床に転がったままの放水ホースのチューブの部分を持ち、分銅鎖のように遠心力を使って先端の金属部分をラプラスに向かって飛ばす。
ラプラスは二丁の拳銃でそれを受け止め、その後で自動拳銃をすぐにアウロラに向ける。しかしその時にはすでにアウロラは扉から外に逃げ出していた。ラプラスは僅かに歯噛みすると二つの銃口をアーサーに向け直す。
「……アーサーさん、どうして来てしまったんですか……?」
「お前がアウロラを殺すとか言うからだろ」
ここで初めて、かつて隣同士に立っていた二人は言葉を交わす。
「……あなたは会ったこともない人のために命を懸けるのですか?」
「俺がこういう人間だってのは、俺に声をかけてきた時から分かってた事だろ?」
「アウロラさんを殺さないと、『ゾディアック』が酷い事になるのは理解していますよね?」
「だとしても、俺にはあの子が『ゾディアック』に混乱をもたらす元凶には見えないよ。『新人類化計画』には俺の知らない理屈や事情があるんだろうけどさ、俺にはただ、大切な人のために自分を必死に押し殺して、自分以外の幸せを考えてる心の優しい女の子にしか見えないよ。そして、そんな女の子が自分の命を捨てるかどうかで本気で迷ってるんだ。助けたいと思うに決まってるだろ!!」
「……甘すぎですよ、アーサーさん」
「知ってるよ」
それは『アリエス王国』でもフェルトとの会話で話題に上がったものだった。
その時、アーサーは決めたはずだ。
シルフィーやヴェロニカが信じてくれた自分を信じてみよう、と。
きっと、そんな事を決めなくてもアーサーの決断は変わらなかっただろう。結局のところ、アーサーにとって最初から『新人類化計画』の趨勢などどうでも良かったのだ。彼は最初からアウロラを助けるためにこの騒動に飛び込んだのだから。
「俺がこの部屋に入ってきた時、あいつの体は震えていたよ。あいつは俺の言葉に反論しなかった。逃げろって言ったら素直に逃げてくれた。……だったら、それだけで十分だよ。言葉にしなくても生きたいっていう思いは痛いほど伝わって来たんだ。俺には世界の都合とか行方とかどうでも良い。ただ助けたいって思う事の何が悪い」
「……それが、借り物の心だとしてもですか?」
突き放すように、ラプラスは言い放つ。
いつも以上に感情の感じられない無表情で、ただ冷酷にアーサーの心を折るために。
「アウロラさんだけではありません。私達『一二災の子供達』も母親のお腹からではなく、得体の知れない薬品や材料で造られて生まれた存在です。その心だってどこから来たものか分かりません。どうあろうと普通の人間とは最初の時点でズレているんですよ。あの子が生きたいのだって、プログラムが一と〇の羅列から選んだその場限りの感情なのかもしれないんですよ? それでもあなたはあの子を助けるために命を懸けられるんですか?」
「懸けられるよ」
しかし彼の心は折れなかった。
アーサーはそう言われても、真っ直ぐな眼差しを変えずにラプラスを正面から見据える。
「もしもそれが造られた感情なんだとしても、自分の内側から湧いた訳じゃない借り物の思いなんだとしても、それがあの子が世界を回って導き出した答えなんだとしたら、俺の命くらいいくらだって懸けられるよ」
「……あなたは造られた人形にすらそんな感情を抱けるんですか? 脇腹を撃たれて、諦める理由を与えられても偽物のために戦うんですか?」
「ああ。人と同じように笑って、悲しんで、誰かのために行動できるなら、それが作り物だろうと偽物だろうと俺は拳を握るよ。俺はさ、人の在り方って心の在り方次第だと思うんだ。外見や生い立ちが普通じゃなくても、そこに人としての心があるのなら、それはもう立派な人間だよ」
そうだ。
彼はいつだってそうだった。
魔族の少女も、『魔族堕ち』の女の子も、エルフも、彼はいつだって色眼鏡を通して見る事はしなかった。直接触れ合って、その中で自分の善悪好悪の基準に従って関わってきた。それは彼が周りの人間が言うように異常者だからでも、甘いからでもない。
ただ彼は、どうしようもなく好きなのだ。
それは人間が好きという意味ではなく、人の心を持った者が好きという意味で。
アーサー自身、そんな当たり前の感性が周りとズレている事は知っている。知っていてなお、だったらどうした? と返す事のできる芯を持っているのだ。
「お前だって心の底じゃそう思ってるから、ギターケースの中のスナイパーライフルじゃなくてわざわざ正面に立って殺しに来たんだろ? きちんと向き合って対話するために」
「……仮にそうだとしても、彼女を殺さない事には『ゾディアック』の混乱は避けられません。彼女を殺して『新人類化計画』を止める。これが最優先です」
「それは違うよ。ここでアウロラを殺しても、第二、第三のアウロラが生まれるだけだ。根本的な解決にはならない。それともお前は『新人類化計画』の要になる人物が生み出される度にそいつを殺すつもりなのか?」
「……必要があれば、勿論そうします」
「それならやっぱり、俺はお前を止めるよ」
そうして挑戦するように。
アーサーは改めて唯一持つ武器、ちっぽけな拳を握り締めて告げる。
「大切な人を巻き込みたくない。『ゾディアック』に混乱をもたらして犠牲者を出したくない。そんな二人の純粋な思いの結末が血が流れる事でしか止まれないクソッたれなモノなんだとしたら、俺はそれを止めなくちゃならない。だって、そこには意味なんて一ミリもないんだから。『ゾディアック』を守るためっていう大義名分を得たお前が、いつか躊躇なく引き金を引けるようになったら、そこにはお前が求めてる平和なんてものはない。お前はお前が守ろうとしたものに殺される」
だから、とアーサーは言葉を続ける。
それは『新人類化計画』を止めるためでも、その過程で犠牲になるアウロラを助けるためでもない。ただ間違った道に進もうとしてる友達を止めるために強く宣言する。
「お前が観測した未来通りにならないように、そして改変の代償を全てお前に背負わせて悪党にしないために、俺が決められた未来ってのをまとめて踏破してやる!!」
ありがとうございます。
次回は逃げた後のアウロラの話です。