95 二人の短い邂逅
アーサー・レンフィールドは意識を取り戻した。
ゆっくりと瞼を開けると、そこは自分が倒れた路地裏ではなかった。どこかの個室、電気は消えていて白い天井が見える。
(……俺、は……?)
まず自分がどこにいるのかを理解できなかった。消毒用アルコールの独特な匂いだけが鮮明に感じられる。
(……なにが、どうなって……)
定かではない記憶を辿る。
ラプラス。
『一二災の子供達』
『新人類化計画』。
アウロラ。
ディティールアナライズ。
そして『世界観測』。
いくつかの単語が思い浮かび、自分が意識を失う前にあった事を思い出す。
ラプラスに脇腹を撃たれた後、アレックス達の声がしたのを覚えている。思い返すとマナフォンを購入した時に、突発的な事故や怪我をした時に連絡する緊急番号を教えて貰っていた気がする。何番だったかは忘れたが、四人の内の誰かが呼んでくれたのだろう。そのおかげで命を繋げたのだから。
(じゃあ……ここが病院ってやつか……)
つまりガンドックも『造り出された天才児』も追って来ない安全地帯。その事に一瞬だけ安堵する。
とりあえず体を起こそうと腹筋に軽く力を入れると、撃たれた脇腹の傷口から鋭い痛みが全身を駆け抜ける。痛みのおかげで意識は完全にハッキリとしたが、動けるような状態でない事が分かってしまった。
アーサーは痛みが抜けるまで浅い呼吸を繰り返していると、自分の右手を何か柔らかいモノが掴んでいるのを感じ取った。
「……?」
目だけ動かしてそちらを向くと、パイプ椅子に座ったままベッドに突っ伏して眠っている結祈がいた。疲れて眠ってしまうほどの長時間、きっとアーサーがこの場所に担ぎ込まれて来た時からそうしているのだろう。その事に少しだけ胸が痛んだが、
(……シルフィーの回復魔術とここでの処置のおかげで今は血が止まってるけど、無茶して動けば傷口が開くかもしれないな。あんまり長い時間は動けない、か……)
今の自分がやるべき事は『新人類化計画』とラプラスによるアウロラの殺害の阻止。まだ何一つやり遂げていないのだ。
正直言うと、ここを抜け出して生きて戻れる可能性はかなり低い。動き出してすぐに傷口が開くかもしれないし、どこにいるか分からないラプラスを探している間にどこかで行き倒れるかもしれない。今度はタイミング良く救助の手が差し伸べられる保証もない。そのうえ相手は自分一人にはどうしようもない強敵揃い。
何度感じても慣れない死の恐怖が、背中から全身に静かに広がっていく。頭のどこかで止めておけと危険信号を出している自分がいる。
けれどアーサーは冷静に今の自分の状態を確認したうえで、
「……悪い、結祈。帰ってきたらいっぱい謝るから、今は許してくれ」
掴まれていた右手を静かに引き抜き、ベッドから立ち上がった。
「俺はまだ、あいつに言ってない事があるんだ」
アーサーは机の上にあったメモ用紙に同じく置いてあったペンで簡単に書置きを残すと、ウエストバッグも持たずに着替えとビビの形見のロケットだけ持って病室の外に出る。
その異常に気付いたナースとアレックス達が部屋に駆け付けた時には、病院内から少年の姿は完全に消えていた。
そして、その少年がアレックス達に宛てて書き残したメモにはこう書かれていた。
ただ端的に。
『リブラ王国』で待っていろ、と。
◇◇◇◇◇◇◇
日が完全に落ちた夜。
強襲してきた敵を排除し終えたヘルトは無事に凛祢達との合流を果たしていた。研究所の場所を調べてきた嘉恋の道案内の元、彼らは『ポラリス王国』を歩く。
ヘルトを先頭に、その後ろには百鬼夜行のように付いていく人達がいる。最初は凛祢、嘉恋、ジークの三人だけだったのにいつの間にか両手に収まりきらない人数になっている。
「それにしても嘉恋さん、よくもまあこんなに集めたね」
「だから言っただろう? 彼女達はきみが呼べば飛んでくるって」
「……それについては正直言うと」
「嬉しくないんだろう? 分かってるよ」
そうして嘉恋は意地の悪い笑みを浮かべながら、
「だから逆切れ気味で無茶な注文をしてくれたささやかな仕返しって所だ。きみが研究所襲撃に際してピックアップしてた人達もいるから、素直に受け取ってくれ」
「……その件については悪かったと思ってるよ。でもたしかに人手が多い事に越したことはない。悪党らしく使える伝手は存分に使わせてもらう」
そこでヘルトが最初に声をかけたのはジークだった。
「ジークさん、頼みたい事があるんだ」
「なんだ? 俺はテメェとは戦えねえし意味不明な事件に巻き込まれて虫の居所が悪りいんだが、テメェが今この場で相手しれくれんのか?」
「ぼくは戦わない。それよりジークさんはこの研究所を潰しに行ってくれないか?」
ヘルトが地図を見せながらそう言うと、ジークは酷く不機嫌そうな顔で、
「なんで俺がわざわざそんな事……」
「ここは『造り出された天才児』の育成施設だから他の施設よりも彼らが多い。きっと刺激的な戦いがあると思うんだけど……」
「よっしゃ俺に任せろそこに行けば良いんだな!?」
それだけ聞くと狂戦士はさっさと一人で指示した研究所に向かって行ってしまう。
ヘルトはそれを他人事のように手を振って見送りながら、
「いやあ……ジークさんは普段面倒な分、こういう時は扱いやすくて助かるなあ」
「ヘルトさん、人が悪いですよ?」
ヘルトの行動が凛祢に窘められるが、その横の嘉恋はくつくつと笑いながら、
「別に構わんだろう? 彼なら一人でも安心だしな。それより他はどうする? 手分けするかこのまま大所帯で一つずつ潰していくか」
「手分けしよう。ぼくに付いて来るのは凛祢と嘉恋さんの二人、他は戦力が上手く分かれるように決めてくれ」
「了解」
ヘルトの指示で嘉恋は女の子達を集めて分けていく。それを少し離れた場所で眺めていると、
(……ん?)
ヘルトの視線の方に、ふらふらとした危なげな足取りで歩いている少年がいた。その表情は俯いていて伺えないが、およそ生気が感じられない。意識が無いのにまるで何かに導かれるように体を動かしているような恰好だった。
やがてその少年がヘルトとすれ違うと、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「おい……?」
基本的に助けを求められないか大多数の人間の命を助ける以外では動かないヘルトだが、さすにすぐ目の前で人が倒れれば構う事だってする。膝を折って倒れた少年の肩を揺さぶると幸い反応はあった。
「……ああ、悪い。誰かは知らないけど、親切にどうも」
「それくらい大した事じゃない。それよりきみ、脇腹から派手に出血してないか? 何してたらそうなるんだ?」
「……傷口が開いただけだ。問題ない」
「問題無いって……」
ヘルトは僅かにだが困惑していた。
この世界に来て、いや元の世界を合わせても、目の前の少年から感じた印象は初めてのものだった。
自分が傷つく事に快感を覚えているような狂人には何度か出会って来た。けれどそういう類いの人間の目は濁っているはずで、信念を持った目をしたままこんな行動に出ている人間は初めて見た。心の中で少年に対する色んな感情が渦巻く。
「……イリーナ、頼めるか?」
「正直ヘルトさん以外は治したくないですけど、他でも無いヘルトさんの頼みですから仕方ありませんね」
数多くいる女の子達の中から出てきたのは、何本ものアームの伸びる金属製のバッグを担いでいる少女だった。いくつも伸びるアームがアーサーの脇腹の傷口に向かう。
「彼女が今からきみの細胞を元に人工細胞を作り出して傷口に埋め込む。模造細胞だとはきみ自身の細胞も気づかずに一〇〇パーセント結合するだろう。これで傷口については問題無いはずだ。ただしすぐに動くようなら多少の痛みは伴うだろうけど」
「……?」
「きみの傷口を治してやると言っている、だからその代わりに答えろ」
ヘルトは自身の中にある言葉の付けられない感情の答えを知るために、虚ろな眼差しの少年を正面から見る。
「きみはそんな怪我を負ってまで何をする気なんだ?」
少年は少年で、ヘルトを真っ直ぐ見据えていた。
傷口が修復されて余裕ができてきたのか、幾分か良くなった顔色で少年は言う。
「……別になんてことない理由だよ。ただ意固地になってる女の子と話をしに行くだけだ」
「……そうかい」
ヘルトは溜め息をつきながらそう返した。詰まる所、ヘルトは少年のその答えに満足できなかったのだ。
少年が言ったのは本当の事なのかもしれない。けれど、腹に風穴を空けてまでする行動がそれだけとは到底思えない。きっとこの少年は、もっと大きなモノを背負っている。ヘルトはそれを直感した。
けれど彼にはそれを言及している時間も深い理由を尋ねる理由も特になかった。この違和感も数日経てば忘れる予感があった。
やがてイリーナによる少年の治療が終わる。ヘルトは少年から目線を切って立ち上がった。
「ぼくは協力できないけど、きみの言葉がその相手に届く事を願ってるよ」
「怪我の治療だけでも十分過ぎる協力だよ。どこの誰だか知らないけど礼を言う」
そうして互いに名前も知らない二人の少年は再び別の道を往く。
それがアーサー・レンフィールドとヘルト・ハイラント、いずれ衝突する運命にある二人の短い邂逅だった。
ありがとうございます。
今回はタイトル通り二人が出会う話でした。
次回はヘルト側の話を続けます。