07 慌ただしい脱出劇
「……なんか村の方が騒がしくねえか?」
初めに違和感に気付いたのはアレックスだった。アーサーも言われて耳を澄ましてみると、大声というか雄叫びというか、そんな声が聞こえた。
「……確かに。祭りでもないのに変だな」
二人して村の方を凝視していると、ボンッ! という炸裂音が遠くから聞こえてきて、黒煙が昇るのが見えた。
「なんか燃えてんな」
「燃えてるっていうか、爆発してると思うけど……」
「……ところでアーサー。テメェの『モルデュール』が家にあって、それを誰かが誤って爆発させた……とかじゃねえよな?」
「ああ、それはないよ」
アレックスの不安をアーサーはハッキリと否定した。
「そもそも燃やして爆発するようなものじゃないし、俺以外の人じゃ魔石の遠隔起動なんてできないから、『モルデュール』を起爆させるには分解して魔石が露出した状態にしなくちゃならない。じーさんやアンナが人の物を勝手に分解するとは思えないし、そもそも家には『モルデュール』を置いてない」
「つまりあの爆発は別の要因って事か?」
「そうなるね。大方衛兵達が魔獣と戦ってるんじゃないの?」
「でもうちの衛兵連中には爆裂系統の魔術使いはいねえはずだぞ」
「じゃあ魔獣側の攻撃だろ。なんにせよ結界越えして弱った魔獣程度なら衛兵達がなんとかするだろうし、最悪の場合でもじーさんがいるから心配しなくても良いんじゃないか?」
「まあそう……ッ!?」
突然、アレックスの表情が変わった。まるで幽霊でも見たように強張った表情のまま硬直したのだ。
「アレックス? どうし……ッ!?」
少し遅れて、アーサーも気付く。
莫大な魔力の本流がアーサーとアレックスの体を突き抜ける。一瞬、氾濫した川に身を落とされたような感覚を味わう。それでも二人が正気を保っていられたのは、それが感じた事のある魔力だったからだろう。
「……っ、この、魔力は……!」
「ああ……間違いなく、じーさんの魔力だ……!」
息をするのですら重苦しい状況は永遠に続くとも思われたが、そんな予想とは反してほんの数秒で事態は収まった。突然長老の莫大な魔力が消えたのだ。
二人はゆっくり首を動かしてお互いの顔を見やる。そこには安堵よりも困惑の色の方が濃かった。アーサーは荒れた息を整えながら、アンナに渡された短剣へと手を伸ばす。
その次の瞬間だった。
ゴォォォォォッッッ!!!! と二人の周りが何の前触れもなく炎に包まれた。半狂乱になったアレックスが滅茶苦茶に体を動かしてワイヤーを切ろうとする。が、先刻と同様にユーティリウム入りのワイヤーはビクともしない。
「やべえ……。やべえって!! この炎をそうだが、何よりじーさんの魔力がまったく感じられなくなってんのがやべえ!! まさかとは思うがじーさんの身に何かあったのか!?」
「落ち着けよアレックス」
「こんな状況で落ち着いてられるか!」
「良いから落ち着けって言ってるんだ! 何にせよこのワイヤーから逃れないと何もできない。今切るからじっとしてろ」
「切るって……ナイフは使えないんじゃなかったのか!?」
「だからアンナに渡された短剣で切る。一応、ユーティリティ製らしいからすぐに切れるはずだ」
「んな便利アイテム渡されてたのかよ!」
アレックスの叫びを無視して、一心不乱に短剣を上下に動かす。
まずは手首、次に足首、そして最後に木に巻き付けられているワイヤーの切断に取り掛かる。
「急げアーサー! こんな所で火炙りなんて冗談じゃねえぞ!!」
「必死にやってる、ちょっと黙ってろ! もう少しで……よし、切れた!」
自由になった体を軽く動かす過程で初めて手に持つ短剣を見て、その純度にアーサーは目を丸くする。
「これ一○○パーセントユーティリウムじゃん。……いくらするんだろ?」
「どうでもいいから早く俺のワイヤーも切りやがれ!」
アレックスの言葉で正気に戻ったアーサーは、急いでアレックスを縛るワイヤーにも短剣を当てる。ちゃんとして持ち方で切るべきものも見えているからか、自分のワイヤーの時よりも簡単に切れた。
捕らわれの身から自由になった二人は現状を確認する。しかしワイヤーを切るのに手間取り過ぎた。既に大樹の周りは三六○度火に囲まれて逃げ場がない状態だった。
「俺達と炎の位置が逆じゃねえか。キャンプファイヤーの予習くらいしてから囲めってんだちくしょう」
「そこに女の子が居てフォークダンスでも踊れれば最高なんだろうけどね」
アーサーの手の中にはウエストバッグから取り出した『モルデュール』がある。それを躊躇なく炎の中へと投げ込んだ。
「爆発で炎を吹き飛ばす。一気に駆け抜けるぞ!」
「本気で言ってんのか!? 下手したら全身火だるまだぞ!!」
「それ以外に方法がない! このままだと完全に炎に囲まれて身動きのできないまま窒息死するぞ! もがき苦しみたくなかったら黙ってついてこい!」
「……クソッたれ。こんなサーカスのライオンみてえな真似事するくらいなら大人しく三日間断食してた方がマシだったぞ!」
文句を言っても仕方がなかった。そうこうしている間にも炎はどんどん迫ってくる。
だからアーサーは躊躇わずに『モルデュール』を起爆した。そうして出来た炎の包囲網の隙間へと全力で駆ける。
いくら炎を吹き飛ばしたといっても、じりじりと皮膚を焼かれている感覚は襲ってくる。炎の包囲網を抜けた時には全身を酷い日焼けを負ったような不快感が包み込んだ。二人は少しでも体に残った熱を逃がすために地面を転げまわる。
地面のひんやりとした感触をしばらく堪能した所で、先に口を開いたのはアレックスだった。
「……にしても、この炎は何なんだ? 近くに火の気配は無かったし、そもそも自然に起きた火災とは思えねえ。とすると誰かの魔術って事になるが、そもそも近くに魔力は感じねえし、遠い位置から発動したのか?」
「だとすると目的が見えないな。もし俺達に殺意があってこんな事をしたなら変だ。わざわざ炎で囲まなくても、縛られてる俺達くらいなら直接やった方が確実だし簡単だ」
「……って事は、やっぱ直前に感じたじーさんの魔力が唯一の手掛かりか……もう少し炎を調べたら何か分かるかもしれねえな」
アーサーは再び炎へと近づいて行くアレックスの肩を掴んで止めさせる。
「止めとけよ。あの炎を見てみろ。ちょっと異常だぞ」
アーサーの指が指すのは、既に燃やし尽くされて黒く変色している木の残骸だった。ただし炎を灯したままで。
「普通なら消えてるはずの火がまだ残ってる。それに燃焼スピードが尋常じゃない。下手に近づいて服にでも引火したら一瞬で焼かれるぞ」
「……」
アレックスは何も言えなかった。なぜなら目の前の炎がなんかしらの魔術である事は理解できるのに、その現象は明らかに魔術法則を逸脱していたからだ。
例えば高速で動けても瞬間移動は出来ないように、魔術は物理現象の限界は突破できない。それは全魔術師の共通認識のはずだ。それなのに燃え尽きても燃やし続ける炎なんて聞いた事がない。自分の理解できない事が立て続けに起こっているというのは、体力以上に精神をすり減らしていく。
「ここで考えたって埒が明かないし、とりあえず村に戻ろう。こんな事態だ。抜け出しても何も言われないだろ。じーさんの安否も気になるし、さっきの爆発や黒煙、アンナの事も気掛かりだ」
思考を切り替えて二人は黒煙の立ち昇る村の方へと向かっていく。
そこで何が待っているのかを知る事もなく。