下
「嫌です!」
俺は布団と枕を店長と一緒に引きずり出して、一階の居間まで持ってきた。
「一人にしないでください」
「嫁に行く前の娘が言うことじゃあないよ」
「だったら店長が上に行って生贄になってください」
「俺が祟り殺されたら、誰がこの店を経営するんだ」
「任せてください」
「即答かい。あのな……幽霊なんて言うけど、たまに家が軋む音がするだけだよ。そんな音……毎夜聞いているだろ。古い木造家屋だから時々軋む音を立てるのは当たり前」
「だったら昼間に脅かさないでください」
俺は布団に包まって囲炉裏の前に両手を伸ばして温めた。
「ん?」
店長が階段の上を覗いた。
「もう……脅かさないでくださいよ」
「いや……待て。本当に何かいる。窓が開いている……開けたか?」
「こんな寒い日に開けませんよ」
それに貴重品だらけの家だ。無用心なことは絶対にしないように気をつけている。
店長は階段を駆けるように昇り、すぐに廊下を走る音がした。
「て、店長……」
「待てっ!」
暴れまわる音が鳴り、階段を転げ落ちるように店長が戻ってきた。
「君は変なのを連れてきたな」
店長に首根っこを掴まれているのは、銀髪日本人形だった。
「何ですか。それ」
「この街に着いた時に何か無かったか」
「交通事故」
「違う違う。雪だろ」
「雪……?」
日本人形が両腕を動かした。
「ひやっ」
驚いて仰け反ると、布団に包まっていたのでそのまま倒れてしまった。
痛い――と思ったけど、痛みはこなかった。
店長が倒れる前に支えてくれていた。
「ありがとうございます」
「しまった。逃げられた」
気付いたら日本人形はいなくなっていた。
「何か盗まれたか」
俺も手当たり次第に探したけど何も盗まれていなかった。日も越して眠気が襲ってくる頃に、銀髪の日本人形は忍び足で火の消えた竈から這い出してきた。
「これ?」
俺は髪から簪を外して、日本人形に見せた。
「それです。私の簪……返してください」
日本人形は飛び上がると簪を掴もうとしたが、その前に店長が俺の手から奪ってしまった。
「雪女……骨董屋からタダで物を貰おうなんて甘いんじゃあないか」
美しい簪の由来は雪女ですら覚えていないそうだ。果てしない星霜の果てに、覚えていられることは少なく、簪は数世紀に及び雪女の美しさを引き立てていた。
「返してあげれば良いのに」
「聞いてみたが、あれは雪女が金持ちに質として出して金を借りたそうだ。だから、たいした事の無い由来かと思って調べてみたが」
店長が渡してくれたのは古い帳簿だった。
「雪女の家にあった」
「帳簿なのに?」
「だからかもな」
そこには取引値が書かれていなくて、商品だけが書かれていた。赤ん坊が必要なものから、大人に成るまでに必要なものが羅列されていた。それがあれば生きるのに何も困らないだろう。
「これは?」
「どこかの商人が大人に成るまで雪女を育てないといけない理由があったんだろうな」
帳簿の最後に簪が書かれていた。
雪女は日本人形サイズのままで台車を引いて、幟に『かき氷屋』と書いてあった。季節外れのかき氷屋を始めて簪代を集めようとしていた。
「物は雄弁だけど、記憶の方が雄弁だろ。経緯が気になるから、思い出して物語を教えてくれるか、簪代を集めるまで絶対に返さん」
「忘れるなんて酷いなぁ」
俺には商人が親のような眼差しで雪女を見つめていたように感じた。
「無くして始めて気づくこともある。だから報酬として渡された時に君についてきたんだろ。由来は忘れたけど大事なものと気付いたから」
雪女が通り過ぎた後には粉雪が舞い散っていた。
「あっ、そうだ。店長。忘れていたことが」
「何だ?」
「俺の手料理に味を足すのは止めて貰えませんか」
話が急に変わったのに店長は呆れたようだ。
「自分の見解が全部正しいとは限らないぞ」
「それ……どういう意味ですか」
俺たち二人は雪女を見つめながら、どうやって相手を納得させるか考えていた。