8月
8月上旬
通勤時間に小、中学生を見なくなってしばらくたつ。
社会人になってしまうと、学生時代の連休が恋しくなる。
もっと遊んでおけばよかったと思うものの、学生時代の長期連休はバイトばかりしていた。休暇でない時の小遣い稼ぎのためだ。今の財力があるからこそ、遊べばよかったと思えるのだろう。
泰隆さんは、やはり、淡い色で薄い生地の半袖のシャツを着ている。今日は淡いグリーンだ。残念ながら、と言うべきか、彼の上裸を見たのは、初めの1回目だけだった。でも、スタイルの良さは服の上からでもわかる。おまけに顔立ちが整った美人さんだ。天は二物を与えずとか言うけれど、彼は、なんだかいっぱい持っているような気がする。
私達は蝉の声をバックに聴きながら、今日はアイスのアールグレイをいただいている。
透明なグラスの表面は汗をかき、底に水たまりを作り始めている。。
「そういえば、そろそろお盆休みだね。紗希ちゃんは予定入れてる?」
泰隆さんがお盆休みの予定を聞いてきたのは、学生時代に過ごした夏休みの話題のついでだったと思う。ちょっと首を傾げる姿も計算の内ですか? きゅんとなるよ!! 計算だったとしても、イイ!
心の中で彼の仕草に悶えながら、表情も態度も崩さない。それが私です。
「私は休み当日から最終日まで、実家に帰る予定ですよ。」
私はそう言ってアールグレイを一口飲んだ。口の中に広がる独特の風味を味わう。
これは、会社の稼働日カレンダーを貰った時に決めていた。ちなみに、お正月の帰省予定も決めてある。
家から遠い場所に、家族の反対を押し切って就職した、私のけじめだ。私の家族は過保護なんだと思う。彼らが安心できるように、もっと信頼をしてもらえるように、長期休暇は家族の元で過ごすことに決めている。
「そうかぁ。休みの間、紗希ちゃんに会えないのか。さみしいな。」
泰隆さんは実家に帰らないんですか? と聞こうとして、彼の家族について聞いたことがないことに気付いた。話がないのは、わざと? それとも、ただ話題がないだけ? 私は、彼の家族については、彼から話が出てくるまで触れないことに決めた。
グラスを置いて彼を見ると、本当に残念そうな、ちょっとふてくされたような顔をしていて、私の心が揺らぐ。
「えっと、1日くらいなら、早く帰ってきましょうか?」
と声をかけてしまうほどに。本当に、彼は私の心を掴むのがうまいと思う。彼はとても魅力がある人だと思う。先に考えていた通り、それはルックスの話だけではない。私だけじゃなくて、きっと誰が見ても魅力的な人間に見えるんじゃあないかな。
「ううん。長期連休じゃないと家族とゆっくり出来ないでしょ。俺は紗希ちゃんが家族をとても大切に思ってることを知ってるからね。一緒に過ごせる時間は目いっぱい使いなよ。俺に気を使わなくてもいいんだよ。」
そう言って微笑む泰隆さんは、本当に寂しそうで、私もちょっと寂しさを感じてしまう。
「…気を使ってなんかいないです。私も、ちょっとさみしいような気がします。」
「でも、帰ってきてもらうのは悪いし…」
彼は軽く腕を組んで、考える素振りをする。腕の筋肉の筋が美しいです。いつか触りたい。
なんて考えていると、泰隆さんが急に腕を解いて、窓枠に手をついて身を乗り出した。
「そうだ。メールアドレス交換しよう。」
私は結構マヌケ面をしていたんじゃないかと思う。
「え?」
思わず聞き返していたが、彼は構わず先に話を進めていく。
「電話とかだと紗希ちゃん、話してくれそうもないでしょ。」
まあ、確かに。きっとめちゃくちゃ緊張すると思う。
「音声通話出来たら、俺は音声通話しちゃうよ?」
それは困る。
「メールなら、都合がいい時間に返せるから、ね?」
いい考えでしょ!と同意を求められれば…
「じ、じゃあ、よろしくお願いします。」
私はそう答えていた。
かくして彼と私の関係は、連絡先を知るご近所の茶飲み友達に進化したのだった。