7月
7月中旬
梅雨の季節がやってきた。じめじめするし、雨が降っていると泰隆さんとお茶が出来ない。
いつからか、私は彼とお茶をするのが楽しみになっていた。
楽しみになればなるほど、余計な言って嫌われたくないという思いから、変に話を途切れさせてしまって反省したり、彼の話の中にたまに感じる女の人の影におびえてしまう。もし、誰か知らないその彼女が彼と私の関係を嫌がったら? きっと簡単に、この関係は壊れてしまうのだろう。
先週末はどちらも雨で、ほとんど話す時間をとれなかった。それが、今回のコトの発端だったと思う。
土曜日のいつもの時間に窓を開けると、泰隆さんも窓を開けていた。
「今日は無理そうだね。明日も降るらしいよ。」
私はよほど情けない顔をしていたのだろうか。彼は私の顔を覗き込むようにまじまじと見つめ…ってお兄さん、そんなに窓から乗り出した濡れちゃいますって!!
私と目を合わせると、少し困った顔をして、
「うーん、でも、ちょっと待ってて。」
と言って部屋の奥の方に入っていった。これまでで一番顔が近かった! もっとしっかり嘗め回すようにガン見して、顔の造形を脳裏に焼き付ければよかった!! 急すぎて驚いて目がきれいだなーとか、やっぱり美人さんはまつ毛が長いな、なんていう、当たり前の所しか見れなかった!! なんてこと! もっと肌のきめ細かさとか、ほんとに髭あんまり生えてないんだなってとこを確認したかったのにっ!
泰隆さんは数分後にタンブラーを1つ、手に持って帰ってきた。明日同じ時間に返してくれればいいよ。と言われて受け取ったタンブラーの中身は、ホットココアだった。
このジメジメして熱いときになんでホットココアなのか。
でも、飲みはじめたら、胸の内に渦巻いていたもやもやとしたものが流されていって、かわりに温かい何かで満たされていくような気がした。
彼が言ったように、日曜日も雨だった。
憂鬱な気分になりながらも、いつもの時間に窓を開けた。少し遅れて反対側の窓が開く。
「これ、ありがとうございました。おいしかったです。」
そう言ってタンブラーを返すと、なぜか金曜日の予定を聞かれたのだった。
そう、今日はその金曜日。久しぶりに雨が止み、良い天気だった。
定時退社をしてきた私は、19時半には夕飯を食べ終わっていた。後片付けも終わりゆったりと寛いでいると、西側の窓からコンコンと音が聞こえた。
窓を開くとじめじめとした生温い風を感じる。さすがに窓の外は薄暗くなっていた。
周囲に見えるものは全部、薄暗く感じるのに、なぜか泰隆さんだけは明るくはっきりと見えた。
はっ! もしかして、美人さんは発光能力をもっているのか!? 下着売り場の光ってる人みたいに、内側が光ってるせいで身に着けているものもきれいに見える、みたいな!? わからなくはない。美人さんが着ているものは、大体なんでもおしゃれに見えてしまうものだ。
「缶しかなくてごめんね? どれがいい?」
私の思考がわき道に逸れている間に、泰隆さんが出してきたのはアルコールドリンク。ビールからハイボール、梅酒、今流行の女性向けチューハイに至るまで20本くらいをいっぺんに持ってきていた。もしかして、ノンアルコールの茶飲み友達がグレードアップして(お互いの)宅飲み友達になったとか??
とりあえず私はアルコール度数があまり高くない、女性向けチューハイをいただくことにした。泰隆さんはビールを飲むようだ。
私たちは軽く乾杯した。
「仕事には慣れた?」
もしかして、ずっと心配してくれていたのだろうか。
配属から1カ月。初めに彼が指摘していた人間関係は概ね順調であると言えなくもない。一部に表面上は、という但し書きが必要かもしれないが。仕事については、与えられた仕事がちゃんとできているのか、これからスキルアップできるのか、という漠然とした不安があるにはある。
「自分ができる仕事の幅が、どんどん広がっていくのは楽しいです。でも、先輩たちみたいな仕事ぶりが出来るようになるか、不安です。」
私はそれを言葉にして初めて、ずっと胸の奥にしまいこんで忘れたフリをしていた焦燥感が、思いの外、大きなものだったことを自覚した。胸の内に渦巻いていたもやもやとしたものの正体は、これだったのか。
「大丈夫。焦らなくてもいい。仕事なんて真面目にやっていれば実力が付くからね。自分で考えながら仕事をすることが大切だと思うよ。紗希ちゃんはその点、しっかり出来てそうな気がするけどな。」
「自分で考えながら仕事をする、ですか。」
泰隆さんは綺麗な黒い目で私を見ていた。あれ、彼もう缶3個空いてる。なのに何も酔っている感がない…
もしかして、ザルですか?ちょっと酔っぱらって瞳うるうるな感じになっちゃったり、顔が火照ったり、色っぽい部分が見れるのを、ほーんのちょっぴり期待してたんだけどな。この美人さんが気だるげな雰囲気とか出したら、9割9分の女性はときめいてしまうんじゃなかろーか。
私たちはこの後は、くだらない話をしていたと思う。でも、彼と話していて印象に残ったことがある。
蟻と会社の話だ。
泰隆さんが言うには、働き蟻は2割が良く働いて、6割は普通、残りの2割は働かない奴がいるそうだ。
「会社も同じだよ。」と彼は言った。理不尽に感じるかもしれないけど、すごく忙しい人はずっと忙しいままだし、仕事をしているふりをして、インターネットサーフィンをしている人もいる。人が集まれば、いろいろな人がいるのは仕方がないことなんだと、そう言っていた。
あれ、私、人間関係の話は出さないようにしてたつもりだったんだけどな。もしかして、気付いているんですか? エスパーか何かですか? それとも、前言っていたように愚痴っていいんだよって遠まわしに言っているのかな。彼の周りにもそういう人がいて、愚痴りたいのかな。
私には、あの美人さんな隣人に何かしてあげられることはないだろうか。
いつもおいしい飲み物をくれて、楽しい時間を過ごせて、何より、目の保養になる!!私にはおいしい点ばかりだけど…彼には何の利点があって、この関係を続けているのだろうか。