8 恋愛相談室
夕方には主要人たちも眠りから醒め、食事を摂った後すぐこの次の予定を立て始めた。その際、天狼砦に残してきた彩鈴と玖暁の連合軍が、青嵐軍に勝利したという報告を受け取った。やけにあっさり勝敗は決したらしく、有能な指揮官をすべて玖暁に送り込んでいた青嵐軍は負けるべくして負けたといった有様だったようだ。
「連城から皇都までの間に、いまだ青嵐軍に占領されたままの街はあと四つ。既に情報はそちらにも届いたらしく、それらの街は堅く門扉を閉ざしています」
そう発言したのは、高峰翔部隊長の父親だった。連城の自警団長が負傷したとかで、その代理人だ。息子の高峰は一瞬気まずそうな顔をしたが、すっかり騎士としての顔になって赤の他人を装っている。
「もう奇襲は通用しないということだな」
瑛士が腕を組む。真澄が高峰の父を見やる。
「その門が開くときというのはないのか? たとえば、青嵐騎士が出入りするとか」
「ええ、数日に一度はその街の間で連絡を取り合っているとかで、連絡部隊が出入りしているようです」
「それだな」
「は?」
真澄が不審がる高峰の父をよそに、不敵に笑った。
「その連絡部隊になりすます。そして彼らに偽装して、青嵐軍内を混乱に落としてやる」
知尋と瑛士は言わんとしていることを悟ったが、両者の表情は正極にあった。知尋は乗り気で楽しそうな笑みを浮かべ、瑛士は困ったように溜息をついたのだ。
そこからとんとん拍子に話は進み、気乗りしなさそうだった瑛士もすっかり覚悟を決めて行動を開始した。まずは投降して捕虜となった青嵐騎士たちから、その連絡部隊の情報を聞き出すのだ。
「それにしても、両陛下とも大胆な策をお考えになる。青嵐騎士になりすまして嘘の情報を流し、同士討ちにする……か。卑怯なことを好まないおふたりにしては、なんとも辛辣な作戦だな」
「けれど他に敵をおびき出す手はない。卑怯だということを、両陛下とも認識されているよ」
「その上での英断か。確かにその街に住んでいる住民のことを思えば最良の策だな」
会議室を出てそう会話を交わすのは、高峰親子である。高峰はおかしそうに笑って、自分の肩の位置にある父の頭をちらりと見やる。
「というか、父さんに策を語る口があったなんてね」
「馬鹿野郎、お前こそ敵の捕虜になっていたくせに」
「それについては返す言葉がないんだけど、僕の言葉に対する反論としてはおかしいよ?」
「うるさい」
父は息子をぼかりと叩く。軽く避けられるのだが、高峰は黙って小突かれた。
「おい、そういえば翔」
「うん?」
「『うん?』じゃねえ。昨日はごたごたしていたから大目に見るが、なんだってまだ家に戻って来ねえんだ?」
「まだ寝ていたんだよ」
「嘘つけ。本当の理由は?」
「――いやあ……合わせる顔がないというかなんというか」
「この親不孝者が!」
「うぐ……っ!?」
次の一撃は、さしもの高峰も避けることができなかった。怪我をしている右脇腹に父の左ストレート。思わず顔を歪めてよろめく。わざとに違いない。
「だって僕は、家出というか勘当されて街を出たわけだし」
「自警団に入らないなら出て行けとは言ったが、まさかあれを本気にとるとは思っていなかったんだ馬鹿が! 母さんと飛香がどれだけ心配していると!」
飛香とは、高峰の姉だ。とにかく、かれこれ十年近く前の父との大喧嘩がまさか冗談だったとは思わず、高峰は呆気に取られた。
「お前はあの時言っただろう。連城の自警団なんて自己満足の塊じゃなくて、自分は本当の意味でみなを守りたいんだと」
「はあ、よく覚えていらっしゃる……」
「あの時の大喧嘩は死ぬまで忘れねえよ。お前は騎士になって、玖暁の最前線に配属されて、副司令を務めている。立派にこの国を守っているじゃねえか。それなのに、合わせる顔がないだと? 少しは胸張りやがれ! お前は立派な騎士で、この連城の誇りで、俺の自慢だ」
瞬きした高峰は、ふっと微笑む。
「……父さん、最後が良く聞こえなかったよ。もう一度言ってくれる?」
「言うか、阿呆。わざとすっとぼけるんじゃねえ」
父は腕を組んでそっぽを向く。と、曲がり角で丁度二人は宙と鉢合わせた。
「おや」
「あ、高峰さん。……って、どうしたの!? 傷口が開いたとか……!?」
宙が驚いたように声を上げたのは、先程父に殴られた脇腹を高峰が抑えているからだ。高峰は笑った。
「平気だよ。ちょっと傷口を叩かれただけ」
「親父さん……」
宙に呆れた表情で見られた高峰の父は、宙の視線を無視した。何とも手が早い父親だと思ったが、思えば昨日自警団を助ける際、息子のほうもやたら乱暴だったような気がする。親子なんだなあ、と宙は妙に納得した。特に高峰が扉を蹴り破ったところは驚きだった。
「この坊主もお前の部下か?」
「いや。彼は兄皇陛下に助力している仲間のひとりだよ。昨日は友軍として加わってくれた。でもそれ以上に、彼は僕たち天狼砦駐在騎士の恩人でもある」
「へ?」
自分がいつ騎士たちに恩を感じさせるようなことをしたのだろう。きょとんとする宙に、高峰は微笑んだ。
「砦が青嵐に制圧されていたとき、牢屋まで助けに来てくれたでしょ。君と、同じ年くらいの女の子とさ。ちゃんと覚えてるよ」
「俺だって分かってたんだ……?」
宙が頭を掻く。と、高峰の父が笑い出した。
「あのでかい砦に忍び込んで騎士を助け出したのか! そりゃいい度胸だ、気に入った! おい坊主、今から家に来い!」
「ええっ、なんで!?」
「お前は翔を救って、自警団を救って、この連城の街を救った。高峰一家の命の恩人だ。連城じゃ、恩ある人は家に招いて盛大に感謝するもんなんだ、なあ翔?」
話を振られた高峰は苦笑を浮かべている。要するに、宙を家に招くのは高峰の帰宅の口実だ。家族総出で宙に感謝する、つまり高峰もいなくてはならない。
「……そうだね。宙、うちにおいで」
「で、でもいいのか? こんな時に邪魔しちゃって……それに俺、騎士でもなんでもないし」
「出撃までには日数がかかる。せめて夕食だけでも。そうだ、あの女の子も連れてきなよ。大勢のほうが楽しいんじゃない? うちの家族は揃って騒ぐのが好きだから」
少しの間考えていた宙だったが、顔を上げて頷いた。
「……分かった! じゃあ俺、蛍を探してくるよ」
宙はそう言って踵を返し、軽快に走り始めた。
★☆
連城の街の中心部には、大きな噴水のある公園がある。蛍はその噴水の傍のベンチに座り、沈みかけている太陽で赤くなっている噴水の水を見つめていた。青嵐の占領から解放された連城の民たちは今朝からお祭り騒ぎをしており、子供たちもその例外ではなかった。いつもならとっくに家に帰って来いと言われる時間のはずだが、今日は大目に見てもらって公園で遊んでいる。
蛍にはああやって遊んだ記憶がない。遊具なんてものは存在せず、子供のころから神核術と武芸の訓練に打ち込んできた。そういう意味では、真澄や知尋とあまり変わらない生活だっただろう。同年代の友達もいない。初めて出会った同年代は、宙と奈織だ。奈織は一つ年上だが精神的な年齢は自分たちと変わらない。しかし二歳年上の巴愛は内外共に大人の女性らしいので、蛍からすれば「お姉さん」だ。
「ひとりですか? 珍しいですね」
聞き慣れた声がして、蛍は顔を上げた。傍に知尋が佇んでいる。
「珍しい?」
「いつも奈織か宙と一緒にいる印象が強かったので」
知尋はそう言って、蛍の隣に腰を下ろした。奈織が単独、宙が単独でいることは何度もあったが、蛍は必ずふたりのうちのどちらかといつも一緒だった。『みなと一対一で話をする』というのを久々に再開した知尋としては、蛍と話せる機会は非常に少なかった。
「奈織は黎に連絡中。宙は分からない」
「そうですか」
「知尋こそ、忙しいんじゃないの?」
「ちょっとした休憩時間ってやつですよ」
知尋は微笑み、蛍の顔を覗き込んだ。
「何か心配事でもあるんですか?」
「え?」
「すっきりしない表情ですから。良ければ聞きますよ」
蛍は頷く。膝の上で何度か指を組み替え、それからぽつりと口を開く。
「自分がおかしくなっちゃった気がして」
「おかしくなるとは、どのように?」
「子供のころから、ずっと武芸に打ち込んできた。故郷の村じゃ、私より戦える人はもういない。その自信があったのに……最近の私は、宙に守られてばかり」
ああ、やっぱりそれか――とは口に出さないが、知尋の予想通りだ。
「身体は自然と動くように訓練していたのに、急に動かなくなっちゃう時があるの。私はもしかして、宙に守ってもらうことに慣れてしまったんじゃないかと思うと、すごく怖い」
「怖いんですか?」
「ひとりで生きていけなくなる。いざというときに戦えないと困る」
知尋は少し黙り、ゆっくりと口を開く。
「何も一人で生きる必要はないのではありませんか? いずれは、蛍が戦わなくても済む時代が訪れると思いますよ」
「でも……私がしっかりしないと、宙に迷惑をかける」
「宙は蛍のことを守りたいんですよ。ほら、真澄が巴愛を必死で守ろうとするのと同じです。少し蛍も、彼に甘えてみては?」
蛍は知尋を見つめる。
「宙に守ってもらうことを享受して、宙がいなくなっちゃったら……もっと怖い。宙はすごく無茶をする。怪我じゃ済まないかもしれない……もしそうならなくても、ずっと一緒にいることはできないでしょ? いつかはそれぞれの生活に戻って……その時、私、耐えられる自信がない」
恋する乙女は複雑で繊細ですねえ、と知尋は思う。蛍は旅が終われば宙と会わなくなると思っている。要するに宙を恋愛対象にしていないということだが、無意識的には宙が好きなのだろう。
「……宙に聞いてみるっていうのはどうでしょう? どうして自分を守ってくれるのか、と。彼のことだから素直に答えてくれると思いますよ」
それで宙が思いを告げてめでたしめでたし、というわけだ。だが蛍は首を振る。
「なんか、顔を合わせづらくて」
「どうして?」
「昨日、宙が無事で帰ってきたのを見たらほっとして、気付いたら抱き着いてた。あとから考えて、すごく恥ずかしかった……顔が熱くなって、なんか、変な気分」
知尋は蛍に向きなおった。そしていやに真面目な顔で、蛍に告げる。
「蛍。貴方と宙は病にかかっています」
「病? 私と宙が?」
「ええそうです。ふたりとも同じ病気ですが、症状は違います。宙は『蛍を守りたい』と思う症状で、蛍は『宙が傍にいるとどきどきする』という症状です」
蛍は不安そうだ。
「治るの?」
「治りますとも。宙と蛍が一緒にいれば、いつかきっと治ります。だから、顔が火照ったりするからと言って、宙を避けては駄目です。そうすると逆に症状が悪化してしまいますから」
「一緒にいられるかな……?」
「もう、そうやって弱気になる。何が不安なんですか?」
「宙が前に、旅が終わったら一緒に色んなところを見に行こうって言ってくれた。でも、昨日騎士に勧誘されたんだって嬉しそうに話していて……そのまま騎士になっちゃうのかなって」
そういえば高峰が宙のことをべた褒めしていた。気に入ったのだろう。確かに宙の動きはまだ粗削りな原石のままだが、磨けば宝石のように輝く存在になるはずだ。真澄や瑛士も「王冠には惜しいな」と常々言っていることだし。
宙も高峰と行動を共にして、まんざらでもない様子だ。だが、それとこれとは別である。
「宙は約束を守る男です。いつか騎士になると思っても、蛍との約束を決して忘れはしない。私なんかよりも、宙のことは蛍のほうが詳しいはずです。信じてみてください。弱気になる、というのも病を悪化させる要因ですよ」
蛍は頷く。知尋は腕を組んで微笑んだ。
「まあ心配だったら、巴愛に相談すると良いと思いますよ」
「巴愛に?」
「巴愛も蛍と同じ病ですから。ちょっと彼女のほうが先輩ですけどね。私に話したのと同じことを巴愛に相談すれば、もっと的確な治療法を教えてくれるでしょう」
男の知尋にアドバイスを受けるというのも、少し無理があるだろう。
「分かった。有難う、知尋」
「いえ、こちらこそ」
「どうしてこちらこそ、なの?」
「どうしても、です。……おや、噂をすれば」
知尋の言葉に蛍がはっと顔を上げる。公園の入り口であちこち見回していた宙が、蛍と知尋に気付いて駆け寄ってきたのだ。
「……ひ、宙」
蛍が急にかあっと顔を赤くする。おお、こりゃ重症ですね――と知尋はくすくす笑う。
「こんなところにいたのか。何話してたの、ふたりで?」
「ちょっとした世間話ですよ。それよりどうしたんですか、そんなに急いで」
「ああ、それがさ。なあ蛍」
名前を呼ばれた蛍が宙を見上げる。宙は何も気づいた様子はなく、彼女の両手を掴んで立ちあがらせた。
「昨日言ったろ、騎士の高峰さんって人のこと。あの人が、今日の夕飯一緒にどうかって」
「……私も?」
「天狼砦で騎士を解放してくれたお礼なんだって」
「私、たいしたことしてない……」
「何言ってるんだよ。蛍がいなきゃ、俺だってたいしたことできなかったって」
渋る蛍の背を押したのは、立ち上がった知尋だった。
「行ってきなさい。奏多やほかの皆には、私から言っておきますから」
「有難う、弟皇さま! じゃ、行こう!」
宙は蛍の手を握ったまま駆けて行った。蛍にはあれくらい強引な性格のほうがいいのかもしれないな、と知尋は思う。
「まったく、恋の病っていうのは人によって症状が違いますよね」
知尋は苦笑し、暗くなりつつある連城の街を歩いて行った。




