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和装の皇さま  作者: 狼花
肆部
81/94

7 生誕日の勝利

 自重するということを覚えたんじゃなかったかなあ、と奏多が疑問に思う横で、真澄はさくさくと敵騎士を薙ぎ倒していた。その技量の見事なこと、よくもまあこんな人を敵に回して青嵐は戦いを仕掛けていたなと恐れ多くなるほどである。


 奏多の目が連城の街へ向けられる。そこで彼は「あ」と呟いた。


「兄皇陛下、あれ、連城の自警団じゃないですか?」


 真澄がそちらを見やる。街の中からわらわらと大勢の人々が出てきて、背後から青嵐軍に斬りかかった。まさしく、連城の自警団だった。真澄が微笑む。


「高峰と宙がうまくやってくれたな」

「そうみたいです」

「よし……このまま押すぞッ、青嵐軍を押しつぶせッ!」


 真澄の声に、騎士たちが威勢よく応じて勢いを増した。今まで街から引き離すこそを目的に戦ってきたが、ここでようやく攻めの戦いに転じたのだった。


 連城奪還の戦いの終わりが見えてきた。






★☆






 後方の本陣には、続々と負傷者たちが担ぎ込まれてきていた。


 従軍医たちに交じって巴愛と昴流、蛍、奈織も大忙しである。巴愛は応急処置を施し、蛍は治癒術をかける。今この場に知尋がいないのは痛手だが、できる限りのことをしなければならない。昴流と奈織はもっぱら医療道具の運搬をしていた。


 絶え間なく打ち上げられていた照明弾の数が減ったことに気付いたのは、もう朝も近くなった時だった。ふと手を止めて顔を上げた巴愛に、昴流が言う。


「戦いが終わったみたいですよ。事後処理もありますし、兄皇陛下らが戻られるのはまだ時間がかかるでしょうけど」

「そっか……長かったね……」


 巴愛はほっと息をついた。しかし戦いが終わっても、負傷者の手当ては終わらない。巴愛は勝利をそれほど長いことを喜ぶことは出来ず、すぐ治療を再開した。


 真っ先に本陣へ戻ってきたのは知尋たち神核術士部隊だった。知尋が玖暁軍の勝利を告げ、負傷兵も一緒になって喜んだがすぐ傷の痛みで歓声は呻き声に変わった。知尋がすぐさま治療に入ってくれたので、巴愛たちの負担も少しは軽減される。


 その後も続々と騎士たちが帰還してきた。仲間たちの中で最初に戻ってきたのは宙と高峰で、宙は負傷している高峰を支えていた。昴流が駆け寄る。


「翔さん!」


 そう呼びかける昴流と高峰は、やはり親しい仲のようだ。高峰は微笑む。


「ああ、小瀧。ただいま」

「お帰り……無事でよかった。さ、早くこっちへ」


 昴流が宙から高峰の身体を受け取る。高峰は肩越しに振り返り、宙に笑顔を向けた。


「宙、お疲れ様。良い戦いだったよ」

「高峰さん、ありがとう。俺も色々、考えることができて良かった」

「……高峰隊の席、空けておくからね」


 高峰はにっこりと微笑み、昴流の肩を借りてひょこひょこと歩いて行った。それを見送って照れたような笑みを口元に浮かべた宙の元に、蛍が駆け寄ってきた。


「宙!」

「おっ、蛍……て、ちょっ!?」


 蛍は駆けてきた勢いそのまま、宙に飛びついた。宙が華奢な蛍の身体を抱き留める。


「大丈夫だった? 痛いところない? Isn't(怪 我) there(し て) any( な) injury()?」


 無意識なのか、英語も交じっている。それだけ必死ということだろう。今までそんな兆候もなかったのに、急に好きな女の子に抱き着かれたら宙だって動揺する。が、酷く心配させたということに気付き、宙は落ち着きを取り戻した。


「……It() would(丈 夫) be() all() right(配し な), never(くて) fear(良い よ)

Really(本当に)?」


 宙は頷く。蛍はほっとしたように微笑んだ。彼女の笑みを見るというのは滅多にない。いまその貴重な花のような笑みを、蛍は宙に向けてくれた。


「良かった……」


 宙はくすぐったさを覚えつつ、蛍の頭にぽんと手を置く。――その様子を遠目に見ていた巴愛は、人知れずくすりと微笑んだのだった。


 そのあと、玖暁軍は連城の街に向かった。真澄らによって青嵐軍はすべて拘束されており、彼らに怯えて家の中に閉じこもっていた民衆が、早朝だというのに大勢外に出てきた。まあ、市街であれだけの戦闘を繰り広げられていたのだから、みな眠ることなどできていなかっただろう。民衆は街に入ってきた玖暁軍を大喜びで歓迎し、ちょっとした宴のようになった。民衆たちがみなで作り上げる自由な街。それこそが連城であり、彼らはその気質を取り戻したのだ。


 戦いの熱は冷めてきたが、どれだけ待っても真澄の姿はなかった。忙しいのだろうということは理解していても、やはりどこか心細くなる。不眠不休で戦った騎士たちが次々と休息を取っていく中で、巴愛はあてがわれた宿屋のロビーにあるソファに座り、じっと真澄を待つことにした。


 結局真澄が仕事から解放されて休息を取ることができたのは、昼近くになってのことだった。前日の夜から一睡もせず、何も食べていない。もう疲労も空腹も通り越してしまっていて、もはや何も感じない状態だ。しかし慣れた感覚であるので、別に苦ではない。真澄の仕事の後始末は瑛士が代わってくれたので、瑛士は真澄以上に働いているのだ。彼ほどタフな人間はそういない。


 どうしたらあんなに体力がつくのだろう、と首を捻りつつ真澄は宿の中に入り、視線をやや右手に移動させてぎょっとした。少し行儀が悪いが、ソファに両足を上げて腕で抱え込んだ状態の巴愛が眠っていたのだ。俗にいう体育座りである。その巴愛にはきちんと毛布が掛けられている。


「巴愛……?」


 真澄が歩み寄ると、短くお叱りが飛んだ。


「遅い」


 それはもちろん、眠っている巴愛が真澄に言ったわけではない。いつの間にか――というより最初から――知尋が真澄の背後にいて、腕を組みつつ真澄に苦言を呈したのだ。


「巴愛はもう三時間近くここで待っていましたよ。眠ってしまったのはほんの十五分ほど前ですけど」


 どうやら知尋が巴愛に毛布をかけてあげたらしい。真澄がしどろもどろに答える。


「い、いや……まさか、待っているとは思わなくて……」

「じゃあこれで勉強しましたね、巴愛は待ってしまう人なんです。どうしてもっと早く切り上げてこないんですか」

「と言われても、仕事だからな……」

「仕事仕事仕事。家族を顧みない夫。これは家庭を崩壊させる要因ですよ」


 台詞とは裏腹に、知尋の表情は真剣そのものだった。


「真澄をこれほど慕っているのに放っておくなど、罰当たり以外の何物でもありません。仕事があるなら私を呼んでください。独りで抱えようとしないで」


 知尋は身体が弱いから、とか、知尋は負傷者の治療があるから、とかいう理由で真澄に遠慮されるのが、知尋は一番嫌いだった。気を遣ってくれることは勿論嬉しいのだが、知尋だって毎日毎日調子が悪いわけではない。せめてこういう時くらい、真澄の仕事を代わってやりたいのだ。折角皇がふたりいるのだから、仕事の分担は基本だ。


「すまん。以後気を付ける」


 真澄は素直に謝った。知尋も微笑む。


「分かればよろしい」

「……そう言えばお前、最近調子良さそうだな。顔色も随分いい」


 その指摘に、知尋は頷いた。


「今までより――皇都にいた時より身体が楽なんです。薬も飲まなくて済んでいますし」

「そうか……」

「経験したことがないような旅路でしたからね。山道を登ったり、長い距離を歩いたり、追っ手から逃げたり。自然と触れ合うことができて、私の身体も良い方向へ向かってくれているのかもしれません」


 皇都にいたときの知尋は、およそ健康的とは言えない生活を送っていた。本を読み、研究をし、書類を片付ける。それに比べて最近の生活はどうだろうか。連日戦いが続き、身体を酷使しているようにも思えるが、知尋にとってそれはストレスとはならず、良い緊張として身体を整えてくれているし、戦いも彼にとっては運動不足解消のようなものだ。運動をして食事をとる。見方によっては健康的だろう。


「知尋は皇都という檻の中にいるより、自由に外を歩いて回っているほうが良いんだろうな」

「時間があれば物見遊山の旅に出かけてみるのも悪くないですね。そんなことより、巴愛を部屋に運んで行ってあげてください。ただでさえまだ本調子じゃなかったはずなのに、ずっと負傷者の手当てをしてくれていたんですからね」

「ああ……」


 真澄は頷き、巴愛をかけられた毛布ごと抱き上げた。そのまま知尋が示した部屋に運び、巴愛をベッドに寝かせる。そのまま部屋を出るのも忍びなくて、真澄はゆっくりとベッドに腰をおろし、巴愛の寝顔を見やった。それからぽつりと呟く。


「有難うな……」


 その声が聞こえたのか、巴愛がうっすら目を見開いた。真澄が微笑む。


「起きたか、巴愛」

「――ま、真澄さま」


 巴愛が慌てて身体を起こす。


「お仕事は……?」

「もう終わった。待っていてくれたんだろう? 遅くなってすまなかったな」

「いえ……あたしが勝手に待っていただけですから。ていうか、ごめんなさい、疲れているのに部屋まで運んでもらったみたいで……」

「気にするな。それより負傷者たちの手当てをしてくれて有難う。今日はゆっくり休んでくれ」


 真澄は立ち上がった。彼の目的は達した。巴愛の声が聴きたかった――なんてそんなこと、今は言えないけれど。


 そこで何かをはたと思い出したらしい巴愛が、真澄を呼び止めた。


「あの、真澄さま!」

「なんだ?」

「えと、ちょっとこっちに……」


 言われるがまま、ベッドに身体を起こした巴愛の傍に戻ると、巴愛は少し首を伸ばして真澄の頬に軽くキスをした。あまりのことに真澄が言葉をなくすと、巴愛はかあっと赤くなる。


「……た、誕生日のお祝いです。おめでとうございます」

「……え? 誕生日……ああ、そうか。今日だったのか」

「ああそうか、って、忘れてたんですか?」

「すっかり、な」


 真澄は苦笑した。それは照れ笑いでもある。


「俺の誕生日なんて、誰に聞いたんだ?」

「昨日昴流に……毎年八月三十一日は真澄さまと知尋さまの誕生日で、花火の日でもあるんだって」

「ああ、そうだよ。日が暮れてから日付が変わるころまでずっと打ち上げ続ける。この日ばかりは早めに仕事を切り上げて、屋上の空中庭園で花火を眺めるんだ」

「わあ、見てみたいな」

「来年は一緒に見よう。君に見てもらいたい」


 巴愛は嬉しそうに頷く。


「来年こそ、ちゃんとした贈り物を用意しますからね」

「そいつは有難う。……でも、今年の誕生日は今までで最高だったよ」


 真澄は、今度は自分から巴愛の額にキスを落とす。またまた巴愛が赤くなった。


「来年はきっと、今年よりもいいと思えるだろう。君が隣にいてくれるなら……年を取るのも、悪くないな」


 微笑んだ真澄は、巴愛にそう囁いて立ち上がる。「ゆっくり休めよ」と付け足して、ようやく真澄は部屋から出た。


 扉を後ろ手で閉め、真澄は廊下に佇んでいる知尋を睨み付けた。


「盗み聞きとはいい趣味だな」

「嫌だな、通りかかっただけですよ」

「思い切り立ち止まって聞いていたじゃないか。言っておくが後をついてきていたのも知っているぞ。盗み聞きと言わないのなら一体何なのかを教えてほしいな」


 知尋が肩をすくめた。


「やれやれ、油断も隙もない真澄に戻ってしまいましたね。一応気配は消していたんですが」

「戻って悪いか。わざわざそんなことに労力を使うなよ」

「気付いていながら恥ずかしげもなく気障な台詞を吐ける真澄も真澄ですよ。聞いているこっちが恥ずかしい」

「だから聞くな!」


 今更になって真澄が赤面する。知尋は悪びれることなく笑う。


「……戦いの勘も、戻ったようですね」


 結局知尋の本題はこれだ。呪いに蝕まれていたころの真澄は、尾行しても全く気付けなかった。だが今回、気配を消した知尋が近づいても真澄は気付いた。要するに、それを確かめたかっただけである。こうやって兄弟で不毛な会話を交わすのも、久々だ。


「やっぱり真澄はそうでなくては。怪我の心配なんてしないで、先頭に立ってください。何かあっても私が支援しますから、死なない程度に突っ込んでくださいよ」

「頼りにしているよ」

「さて、一応ほっとしたので私も休みますね。真澄も無理はほどほどに」

「ああ……あ、そうだ知尋」


 呼びかけると、踵を返しかけていた知尋が動きを止めて振り返る。


「はい?」

「誕生日、おめでとう」

「まるで私だけの誕生日みたいですね。真澄もでしょ」

「俺はもう祝ってもらったからな」


 真澄はふっと笑って知尋の横を通り過ぎる。知尋が足早にその隣に並んだ。


「なんですかもう、あまりのろけないでくださいよ」

「悪かった。……しかしもう俺たちも二十四か。二十代も半ばになると、もう若いとはみな見てくれなくなるかな」

「これからはとんとん拍子で三十路まっしぐらですよ」

「それは嫌だな……」

「巴愛が隣にいるなら年を取るのも悪くないんでしょ?」

「本当にちゃっかり聞いていたのか!」

「まさか、あの分厚い壁で聞こえるわけないじゃないですか。冗談に決まっているでしょう。言いそうだな、と思ってカマをかけただけです。しかし本当に当たっているとは……ふふ、単純ですねえ」

「お前に言われたくない」


 一国の皇の会話とも思えないほどの気楽さで、ふたりはゆっくり歩いて行った。

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