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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
8/94

5 凱旋、勝敗決す

 ごろりと敵将の首が地面に落ちた。遅れて首を失った身体が馬上から落ち、鮮血が噴き出る。またいつものように袴が返り血で染まってしまう。


「っ……」


 毎度のことだが、自分で殺しておいてどうして悲しいと思ってしまうのだろう。そう思うくらいなら、殺さなければいい。殺してから悔いるなんて、順番が違う。



 ――いずれ、多くの人の命を絶ってきた罪は清算されるだろう。



「真澄さま!」


 騎士団長、御堂瑛士が駆け寄ってきた。真澄は今の今まで敵将が乗っていた馬から、青嵐と分かる装飾具を取り外し、鞍だけの状態にして乗馬した。もう呼吸の乱れも、心の乱れもない。声高々に宣言した。


「青嵐軍指揮官は、この私、鳳祠真澄が討ち取った! これ以上の争いは無益である、早々にこの地から去れ! ……同じく玖暁軍に告ぐ! ただちに攻撃を止め、砦まで撤退を開始せよ!」


 その声は、瑛士の傍に控えていた数名の伝令役の騎士が戦場を駆けまわって伝え、あっという間に戦況が変わった。青嵐軍は撤退とも呼べないほど無様な敗走をしたが、真澄の指示通り玖暁側は追撃をしなかった。


 敵が去り、味方も帰還するさまを見ていた真澄はようやく刀を鞘に納め、深い吐息をついた。瑛士が馬を寄せる。


「ようやく終わりましたね」

「ああ……長かった」


 感慨深げだったのはその数秒だけで、瑛士はすぐさましかめ面になった。


「時に真澄さま。いったいここがどこかお分かりで?」

「うん? ……敵本陣の真っただ中だったな」

「何を悠長に! 見ていましたよ、あやうく砲撃を浴びて青嵐騎士どもと心中するところだったではないですか! 知尋さまの援護があったから良かったようなものの!」

「はは、それがつい」

「爽やかに笑っても駄目です。まったく、真澄さまの無茶が毎度毎度どれだけ俺の寿命を縮めていることか……! 自分が狙い撃ちにされるのは分かっているでしょう!?」


 真澄はさらりと聞き流している。瑛士の小言はいつものことだ。


「敵に私の顔は知られているから、どこにいようが同じさ」

「そういう問題では……」

「終わりよければすべてよし。今回は玖暁の勝利だ、それで良かろう? もう過ぎたことだ、言うな」


 楽天的な皇に頭を抱えた瑛士だったが、不意に真面目な顔になった。


「……分かりました、しかしひとつだけ。突っ込まれるのなら俺も共に。置いてけぼりをくらって足止め目的の騎士を薙ぎ倒すのはいささか飽きました」

「どこの戦闘狂だ、瑛士……?」

「真澄さまだけに人殺しの罪を背負わせるのは、嫌なんですよ」


 その言葉に真澄は沈黙し、ぽつりと「有難う」と呟いた。照れくさくなったのか、瑛士も話を変える。


「……そういえば、馬はどうしたんですか?」

「肢を撃たれてな。私の不注意で可哀相なことをした」

「馬を失った時点で引き返してくださいよ、もう……」


 そこでどうしてひとり前進して敵将と刀を交えようという気になるのかが、瑛士には分からない。それをやってのけてしまう真澄の技術や度胸も、信じられないのだが。


「……まあ私の単騎特攻も、騎士団の援護あってのことだ。お前が背を守ってくれているということが一番の強みだった。さすが、鬼騎士団長・御堂瑛士に鍛えられた騎士たちだな」

「恐縮です。こういう時に使い物になるよう、日ごろからしごいていますからね」


 鬼と呼ばれたことを否定もせず、瑛士はにやりと笑った。かつて瑛士に剣を教わっていたころ真澄も相当瑛士にしごかれ、死ぬかと思ったことがある。それを常にやらされている騎士たちに同情するとともに、ぞくりと背筋に悪寒が走った。


「とにかく真澄さまは、その肩の傷を治療してお休みください。戦後処理は俺に任せていただければ十分ですので」

「ああ、包帯くらいは巻いておくよ。私などより重傷の者は多い。これしきの傷で、知尋の手を煩わせたくはないからな」

「……それでは知尋さまが納得しないと思いますがね?」


 知尋は真澄のことを第一に考える。真澄のこととなると少々融通が利かなくなるくらいだ。そういうわけで、どんな小さな怪我だろうが知尋が放っておくわけがない。


 知尋以外に、治癒術を使える者がいればいいのに、と切に思う。これでは知尋ひとりに大きな負担だ。責任感の強い弟だから、苦しむ者を放っておけない。だから術を使い、無理をする。


 治癒術を使えるのは知尋だけだが、治癒の力を持った神核はいくつも発見されている。だが誰も使えないだけだ。もともと神核に秘められた力は、遥か昔に優れた文明とともに存在した古代人の英知だと言われている。その力を石に宿したのが神核。彼らがどのような英知を石に込めたのかは、まだ分かっていない。だから世界には、まだまだ不思議な効果を持つ神核があるはずだと、歴史学者や発掘者は信じている。きっと現代の医療では治すことのできない病を治す神核や、今戦争に使っている神核以上の威力を持つものが、必ずある――と。


「砦に戻ろう。知尋が待っている」

「はい。それと、あの子も」

「……会うのは、着替えてからにしたほうがいいな」


 真澄はひとり呟いた。その横で瑛士が「俺のことを紹介してくださいね」と頼んでいる。真澄は頷きつつ、天狼砦へと馬首を向けた。





★☆





 知尋が放った神核術はとんでもない破壊力だった。知尋一人で敵を殲滅できるくらいの力だ。巴愛はそのすごさで腰が抜けかかっている。


 本当にすごいんだ――そう思ったとき、知尋の膝ががくんと折れた。地面に両膝と両手をついてうずくまり、激しく咳き込む。大粒の汗が知尋の頬を伝い、顎から滴っている。


「陛下!」


 神核術士たちが駆け寄る。巴愛は何が何だかわからずに目を見張った。


「ど……どうしたの?」

「弟皇陛下は、お身体が丈夫ではないんです。強大な魔力を有しているせいなのかは分かりませんが、今のように強い術を使うと、反動で倒れられてしまうんですよ。あまり陛下が自ら戦わないのは、そういう理由もあるんです」


 昴流の言葉に巴愛は絶句した。そんな、病弱な身体で知尋はずっと戦っていたのか。今このとき、玖暁に勝利をもたらすために、三か月も。


「……大丈夫ですよ。有難う」


 知尋は支えてくれる臣下たちに礼を言い、身体を起こした。戦場を見渡し、ほっと息をつく。


「戦いは、終わりましたね……」


 多くの人間が二方向に分かれている。こちらに来るのが玖暁騎士。去っていくのが青嵐騎士だ。自国の勝利を知った神核術士たちはそれぞれ安堵の息を漏らしたり、手を叩いて喜んだりしている。ようやく彼らの人間らしさが見えたような気がした。


 術士たちが戦後処理に当たり始めても、知尋はしばらく地面に座っていた。知尋はこのときはじめて巴愛を振り返った。


「巴愛」

「はい」

「真澄って、ああ見えて繊細で心配性すぎるところがあるんですよ」

「はあ……」

「多分、貴方とどういう顔で会えばいいのか悩んでいる最中でしょうから、自然に接してあげてくださいね」


 人殺しを嫌い、だが戦争だからと割り切っている真澄。巴愛は明らかに、その真澄が人を斬ったことを恐れていた。真澄はそれに少なからずショックを受けているはずなのだ。「人殺しの自分には会わせる顔がない」という具合で葛藤中だろう、と知尋は手に取るように兄の心情が分かる。


「真澄が帰ってきます。出迎えてやってください。私も後から行きますので」


 知尋の笑みに、巴愛が頷いた。昴流に伴われて踵を返しかけたとき、知尋が昴流を呼び止めた。


「小瀧」

「はっ」


 昴流が堅苦しく返事をする。


「巴愛を守ってくれて有難う。貴方の評価は、きちんと瑛士に伝えますからね」

「……光栄です!」


 昴流は心から嬉しそうに微笑み、頭を下げた。


 城壁を降りながら、打って変って昴流が申し訳なさそうな顔をした。どうしたのかと尋ねると、「危険な目に遭わせて申し訳ありません」と言うのだ。功績を認められて嬉しそうだったが、それとこれとは別らしい。


「やはり危険な場所に、巴愛さんをお連れしたのが間違いでしたね」

「あたしが見たいって言ったからいけないの、昴流は悪くないよ。昴流こそ怪我してない?」

「はい、僕はなんとも」

「良かった」


 巴愛が微笑んだ。その笑顔を見た昴流は一瞬目を見開き、そして伏せる。


「――本当に、優しいんですね。参ったなぁ……女王様みたいな態度取ってくれるなら、こっちもやりやすいのに」


 昴流が今まで仕えてきた貴族の娘は、みな特権意識の塊だった。奉仕されるのが当然で、すぐこちらのせいにして八つ当たりをする。だから奉仕する側の昴流にしたら黙って言われたことを忠実にこなし、なじられようが怒鳴られようが「申し訳ありません」と頭を下げておけばいい。それはプライドの高い人間には過酷なことだろうが、少なくとも昴流はそうすることに抵抗がなかった。抵抗がなければ、実に相手をするのは簡単だったのだ。


 だが巴愛はそうではない。あくまで昴流と対等で丁寧、あろうことかこちらの身を案じてくる。謝罪の言葉すら口にする。そして昴流に気を遣って、言葉を口にする。多分彼女に向かって「申し訳ありません」を貫けば、気にするなとか、あたしも悪かったとか言うのだろう。実際にいま彼女はそう言った。そう言われてしまうと、昴流は困るのだ。それ以上話の進め方を知らないから、話題が終わらない。


 巴愛に仕えているという意識はない。最初にも言ったように、良い相談役だとでも思ってくれればいいのだ。しかし長年培ってきた「奉仕する姿勢」はそう簡単には抜けない。


 とりあえず昔の感覚で、巴愛を「主」と考えるなら――昴流は、巴愛のような女性に初めて出会った。生まれながらの貴族意識を持たない巴愛は、何もかも新鮮だ。彼女が今何をどう考えているのか、もっと知りたいと思った。


 ――まったく。出会って一日も経っていないのに、どこから来たのかもしれない娘なのに。どうして自分は、これほど彼女に惹かれているのだろう?


「何か言った?」


 巴愛が首をかしげた。昴流は顔を上げ、にっこりと微笑む。


「……巴愛さんと出会えたことは、僕にとって大きな転機になると思ったのです」

「え?」

「とりあえず、会えて良かったってことですよ」


 よく分からないらしく、巴愛はまた首をかしげた。まあ、それでもいいやと昴流はひとり納得する。


 地上まで戻り、建物から出る。そこは広場のようになっていて、地面に敷かれた布の上に多くの負傷兵が横たわっている。ごつごつとした石は取り除かれているが、やはり地面に寝るのは背中が痛いだろうと巴愛は思う。白衣を着た軍医たちが慌ただしく治療に当たっていた。


 その中には、手首から先がない者、片足を失った者、背中に深い袈裟懸けの傷がある者がいる。戦争に勝っても、こういう痛みはなくならない。あまりに無残な光景に、きゅっと巴愛は歯を食いしばった。


「巴愛さん、陛下が戻られましたよ」


 昴流に言われ、巴愛がそちらを見やる。跳ね橋を渡り、真澄とひとりの騎士が砦内に戻ってきた。馬を降りた真澄は別の騎士に馬を預け、こちらを見た。巴愛とばっちり目が合い、真澄がぎくりと硬直したように見えた。付き添っていた騎士がにやりと笑う。


 巴愛が困ったように笑みを浮かべると、真澄はこちらに歩み寄ってきた。腰帯から抜いた刀は背中に回し、見せないようにしている。


「……待っていたのか、巴愛?」


 真澄が尋ねる。騎士はさりげなく、他の騎士の目から巴愛を隠すために自分の身体で遮る。


「弟皇陛下に出迎えてあげてほしいと言われました」


 ん、と真澄が眉をしかめる。巴愛の後ろで昴流が顔色を失う。付き従っていた騎士が昴流に視線を向けた。


「小瀧、お前、巴愛殿を城壁に上げたな?」

「す、すみませんっ」


 条件反射のごとく、昴流が頭を下げた。巴愛もようやくそのことに気付き、慌てて弁解する。


「違うんですっ、私が見たいって言ったから……」

「戦場をか?」


 あんなに怯えていた巴愛が自分から戦場を見たいなんて、予想外のことで真澄が尋ねる。巴愛は頷いた。


「……私だけ安全なところで守られているの、嫌で。私を助けてくれた兄皇陛下が戦っているのに……あたしだけ……」


 真澄が微笑んだ。優しい、愛おしむような目だ。


「……戦いは、戦いを生業とする者の役目だ。君が背負いこむことではない」

「はい……」

「で、ちゃっかり私の身分もばれているわけか。手間が省けたというか、予定が狂ったというか」


 その言葉に、騎士がくつくつと笑った。


「血を落としてから会おうと思っていたのに出迎えられたんじゃ、予定が狂いますね」

「瑛士!」


 真澄が鋭く叱咤した。悪びれた様子のない瑛士は巴愛に一礼した。


「挨拶が遅れて申し訳ない。俺は玖暁騎士団の団長を務める御堂瑛士だ。小瀧の直属の上官にあたる」

「騎士団の団長……ってことは、一番強いってことですよね……?」

「実力がすべてというわけではないが、まあそうなるな。この瑛士は、私に剣を教えてくれた師だ」


 真澄の言葉に、巴愛は呆けて瑛士を見上げる。背は欧米人並みに高く、大袈裟に言ってしまえば巨漢だ。鍛えられたその身体と、若々しいその顔つきは逞しいのだが、どちらかと言えば少年のようなイメージがある。


「……騎士団長っていうからもっと年上なのかと思ってました」


 それを聞いた瑛士が笑う。


「そんなに若く見えるか? これでももう二十八だが」


 多くの人間をまとめる年齢としては十分若いと思う。皇も騎士団長も、本当に若い。真澄と知尋はおそらく、二十二、三であろう。


「楽しそうですね、みなさん」


 その声がして、真澄が振り返った。知尋が新品の包帯を手に持って佇んでいた。


「知尋、大丈夫か?」


 真澄がすぐさまそう尋ね、知尋が苦笑する。


「それは私が聞きたいですよ。私なら見ての通りです」

「……見ての通り、顔が真っ白だな」


 知尋が瞬きし、つい自分の頬に手を当てる。確かに知尋の顔に血の気は薄い。知尋は微笑んだ。


「いつものことですよ。私は負傷兵の治療を始めます。真澄はその肩の傷、きちんと消毒してくださいね」


 おや、と瑛士が片眉を上げた。傷に気付いているのに、知尋は治療しようとしない。こんなことがあるのかと信じられない思いだ。


 知尋は持っていた包帯を渡した。渡した相手は巴愛である。


「はい、これ包帯です」

「え……?」


 知尋は悪戯っぽい笑みを浮かべ、踵を返した。残されたのは、いまいち事情の分からない当人たちと、事情を察して笑いをこらえる騎士ふたりだ。


 つまり知尋は、巴愛に手当てしてもらえと暗に言っているのである。


 ――相変わらず、この手のからかいと言うのか気遣いというのか、とにかくこういうことが好きな人だ。


 巴愛が真っ赤になって俯く。そしてぼそぼそと提案した。


「……あの、あたし包帯巻きましょうか……?」

「……」

「肩の傷じゃ、自分一人で手当てできないでしょうし……だからその」


 真澄は沈黙していた。知尋の策に嵌るのは気が引けたが、やがて諦めて頷く。


「……ああ、頼む」


 どのみち、ひとりで包帯を巻けないのは本当だ。


 お水をもらってきます、と昴流がそそくさとその場を去り、瑛士も戦況確認を、と踵を返していった。

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