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和装の皇さま  作者: 狼花
参部
72/94

20 償いを模索

 翌日、早々に真澄たちは天狼砦へ向けて出発することになった。今回は黎が不在だが、前の時のような不安はない。


 真澄と知尋は、狼雅と最後の話があるとかだったので、瑛士らは先に城門に向かって準備を整えていた。真澄たちがやってきたとき、全員騎乗していつでも出発できる状態だった。


 真澄が視線を馬上の巴愛に向け、軽く目を見開いた。


「ひとりで馬に乗れるようになったのか?」

「嫌だな、とっくじゃないですか」


 知尋が苦笑する。真澄は本気で困惑した顔で弟を振り返る。


「とっくって、いつ?」

「天狼砦から皇都に向かう時ですよ」

「あ、ああ……どうにもそのあたりから、記憶が曖昧でな……こう、やけに途切れ途切れになっていて思い出せないんだ」


 真澄の笑みが翳る。昏睡と覚醒を繰り返していた真澄の記憶には、大きな空白がいくつもあることだろう。自分のことに精いっぱいで、仲間たちのことに気を配れなかった。いつの間に巴愛が乗馬と神核術を覚えたのか、いつの間に瑛士と黎が名で呼び合うようになっていたのか、いつの間に宙が蛍から言語の教えを乞うていたのか……。


 知尋が元気づけるように、真澄の肩を軽く叩いた。


「じゃ、これからは一秒たりとも見逃してはいけませんよ」

「……ああ、分かってる」


 真澄は頷き、束の間止めていた歩みを再開した。巴愛の顔がぱっと輝く。


「真澄さま! 身体の具合は……?」

「もうすっかり元通りだ。すまなかったな、心配かけて」

「そんなこと……知尋さまは?」

「私も平気だよ。ついでに心配してくれて有難う」


 知尋がとびきりの微笑で皮肉を吐き出す。巴愛が慌てた。


「つ、ついでなんて、そんなつもりじゃなくて……!」

「嘘、嘘。ごめん、冗談だって。有難う」


 先程の皮肉は知尋自身に向けられたものだった。みなを傷つけておいて、心配される資格はないと鬱屈しているのだ。誰もあの時のことに触れない。それが逆に、知尋を不安にさせる。


 真澄は無造作に、巴愛の馬の後ろに飛び乗った。ぎょっとした巴愛が真澄を見上げる。


「えっ、なんで!?」

「駄目か?」


 巴愛の質問には答えず、真澄が優しく微笑む。そんな風に聞かれてしまっては、巴愛は真っ赤になって俯くしかない。


「駄目じゃ……ないです」

「なら良かった」


 遠巻きにそれを見ていた宙が難しい表情でつぶやく。


「……あれが大人か……」

「何?」


 蛍が首を捻って宙を見やる。彼女が馬に乗れないのは相変わらずで、今でも宙と同乗している。


「!? い、いや、なんでもねえ」


 俺もさりげなく格好良くなりたい。それが宙の切なる願いだ。勿論、強くなりたいという願いが一番強いが、恋愛とは別である。


「おいおい、余所でやってくれよ。朝っぱらから見るに堪えねえ」


 そんな呆れた声がかけられた。真澄と巴愛の様子に「まったくだ」とみなが同意し、その声がしたほうを振り返る。


 狼雅と黎が見送りに来ていた。


「真澄、お前恥ずかしくないのか?」

「いえ? 私は別に」


 きっぱりと断言した真澄に、またも巴愛が顔を真っ赤にする。狼雅がやれやれと肩をすくめ、黎が苦い笑みを浮かべる。だが黎はすぐ表情を改め、知尋の前に進み出た。


「弟皇陛下」

「どうしました?」

「陛下のお命を絶とうとしたこと、どうかお許しください」


 そう言って黎は、深く頭を下げた。知尋は困ったような表情になる。


「許すも何も……私としてはむしろ」

「殺してくれたほうが良かった、――などとは仰られませんよう」


 先回りされ、知尋は今度こそ困り果てる。


「私は貴方を殺さなかったことを後悔したくはありません」

「……私がまだ、矢吹の支配下にいると思っているのですか?」

「いえ。ただ、生きる意志のない者を助けても、何の意味もないと思っているだけです。むしろ生かしたことで、相手には苦痛を与えることになるかもしれない」


 自殺志願者を、止めるか止めないか。止めるのが人道的な選択だろう。だが黎はそうしない。本当に死にたいという者を無理に生かすのは辛すぎることだ。だが黎は知尋の命を奪わなかった。黎には、知尋を「生かした」という責任が生じたのだ。知尋がこの先どうしようと、それは生かした黎の責任だ。


 これはかつて、自分が狼雅と交わしたやり取りと同じである。


 黎がふっと微笑む。


「陛下は陛下のままでいればいい。みな、ありのままを受け入れています。どうかご自愛ください」

「……分かりました」


 知尋が小さくうなずく。黎はそのまま視線を真澄に向けた。


「栖漸砦からの騎士は、陛下らと一日遅れて、深夜に到着する予定です。いかようにもお使いください」

「有難う、頼りにしているよ。……では黎。後日、無事に合流しよう」

「はい」


 真澄はその答えを聞き、狼雅に馬上から一礼して馬首を返した。それに他の面々が続く。


「大丈夫かね、知尋は」


 狼雅が腕を組み、彼らの遠ざかる背中を見つめた。隣に立つ黎の答えはあっさりしたものだった。


「大丈夫でしょう」

「そうか、大丈夫だな」


 瑛士がいたなら「本気で心配しているのか」と問いただしただろう適当なやり取りを交わし、ふたりは城へ向けて歩き出した。だが決して適当だったわけではない。それだけ信頼している証だ。






★☆






 天狼砦への道は、大山脈から続いている。玖暁との行き来で使う道ではなく、その一本北の山道を使う。そういうわけで、何度世話になったか分からない大山脈休憩所の小屋で、一行は昼食のために足を止めた。


 昼食を終えて昴流が片付けをしている間、知尋は崖の淵に座って眼下に広がる自然を見つめていた。柵もなく、今座っているところが崩れでもしたら一貫の終わりだが、別に知尋は恐怖を感じることはない。間違っても真澄はこんな場所に立たせられないが。


 と、軽い足取りで奈織が歩み寄ってきた。躊躇う様子はなく知尋の隣に座り、知尋と同じように足は崖から下におろした。足が地面を踏んでいないのは結構怖いはずだが、奈織はそんな素振りを見せない。


「わぁお、良い景色だねえ」


 奈織が楽しそうに歓声を上げる。知尋は微笑んだ。


「怖くないんですか?」

「あたし、高いところ大好きなんだ。小さいころは、よく兄貴に肩車してもらったりしてたから」

「黎ほど背が高ければ、さぞ楽しかったでしょうね」


 知尋にはそういった、家族との楽しい思い出はない。兄は双子だから同い年で、母は幼くして他界、父は息子たちに無関心。いつもそばにいてくれた矢須や神谷桃偉、瑛士はあくまでも「臣下」であり「お目付け」。誰かに遊んでもらった記憶はない。


 頷いた奈織は、そのまましばらく無言で目の前の雄大な景色を見つめていた、知尋も沈黙を保つ。すると、唐突に奈織が口を開いた。


「あたし心配だなあ」

「……? 何がです?」

「知尋のこと。知尋がどこか行っちゃうんじゃないかって」

「私はどこにも行きませんよ」

「なんていうか、身体のことじゃなくてさ。知尋の心が、どっか行っちゃいそうな気がしてね。知尋は穏やかだし静かなんだけど、その質が前とは違うんだ。無関心とか、絶望とか、そういうのと紙一重の静けさなんだよ」


 知尋は軽く目を見張った。膝に乗せていた知尋の左手を、奈織が掴む。いきなり手を掴んでくる人などいなかったので驚いたが、これは奈織のスキンシップである。


「知尋、兄貴が言ったこと気にしちゃ駄目。兄貴は絶対、知尋を生かした後悔なんてしないよ。あれはね――」

「分かっていますよ、奈織。あれは黎の激励です。でも、だからこそそれに甘えてはいけないと思う」


 知尋はそっと奈織の手を離した。


「こんなこと、本当は人に聞くことではないのですが。……奈織、まだ私は矢吹の支配下にいると思いますか? また貴方たちを傷つけると思いますか?」

「……知尋自身は、分からないの?」

「分かりません。深那瀬でのときでさえ、それまで自分が矢吹に操られていたとは思っていませんでした。ですから、己が恐ろしいのです。いつまた、自分を見失ってしまうかと……」


 だから知尋はみなと距離を置いている。奈織もそれを見かねて声をかけた。


 正直、知尋の悩みは悩むに値しない小さなものだ。奈織たちにとってみれば、あれは知尋の意思ではなかったのだから仕方がない。みんな無事でよかった、と誰もが思っているのだが、知尋はそうは思っていないのだ。だからこそ、知尋は答えを自分で探さなければならないのだ。


「……あたしはね、もう知尋が矢吹に操られることはないと思うよ」

「なぜそう言いきれるのですか?」

「論理的理由と直感的理由、どっちから聞きたい?」

「では論理的に」

「蛍は神核で人間を支配することはできないって言ってたけどね。実は少しなら可能なんだ。勿論、それは非人道的なことだよ。相手の意思を奪うとかそういうんじゃなくて、『痛み』で縛るの。自意識はある、けど相手の言うとおりにしないとあまりの苦痛で耐えられない。そういう状況で、やむなく従ってしまうってことなんだ」


 奈織がそう言って、足をぶらぶらと前後に揺らす。


「でも矢吹はそうしなかったでしょ。一度目はともかくも、二度目の時はやろうと思えばできたはず。そうしなかったのはなぜか、仮説は二つ」

「……」

「一つは、知尋の役目はあれで終わりだったってこと。神水の神核を手に入れ、その力をあたしたちに見せつけた。あとはもう相討ちにでもなってしまえ、みたいな感じだったのかもしれない。二つ目は、矢吹は知尋を自分の支配下に置けなかった」

「――どういうことです?」

「これから先のことを考えれば、矢吹だって知尋の力は自分のものにしたかったはずなんだ。でも、操る相手の意志、魔力の強さが自分より強ければ、操ることは不可能。つまりそういうことがあって、矢吹は知尋を諦めざるを得なかった」


 知尋を支配下に置かないままその力を得ようとしても、知尋は絶対に従わない。自ら命を絶つだろう。であれば、それは佳寿にとって致命的だ。


 いかに化け物じみた男であっても、矢吹佳寿も人間。不可能なことはある。計算違いもある。


「矢吹が和泉のことをヒントとして出したり、知尋にわざわざ本物の大神核を持たせたりしたのは、真澄に死んでほしくないから。矢吹は多分、真澄を自分の手で殺したいと思っているんだと思う。そして和泉で待ってるよ、きっと……」

「……すべての準備は整ったから、もう手は出してこない……ということですね」

「そういうこと」


 奈織は頷き、笑みを浮かべた。


「これはあたしの推論ね。で、直感的理由はね」

「ええ……」

「あたしはみんなを信じてるから」

「みんな……?」


 知尋を信じている、ならまだ分かる。だがどうして「みんな」なのだろう。


「知尋は矢吹の支配の手が伸びてきても負けないと信じてる。でもこの世に絶対はない。だからもしかしたら、っていうこともあり得る。でもね、知尋がまた同じようになっても、みんなが止めてくれるよ。真澄も瑛士も、兄貴も昴流も巴愛も奏多も宙も蛍も! 勿論、あたしもね」


 だから大丈夫! と奈織は元気よく宣言した。


「奈織……」


 知尋は少し微笑んだ。途端に奈織が「あ」と言って立ち上がる。


「……でもまあ、あたしひとりの意見だけじゃ心許ないしね。みんなと話してみなよ、知尋」

「みんなと話すって、何を?」

「最初にあたしに聞いたことをだよ。あっ、ねえ奏多!」


 傍を通りかかった奏多を奈織が呼び止める。知尋がぎょっとして止める間もなく、奏多がゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。


「どうしたんだい」

「知尋がね、お話あるって!」


 知尋が弁解しようとするが、奈織がその肩を叩く。


「大丈夫だよ、これ良い親睦会話になると思うよ? じゃっ、そういうことで!」

「あっ、ちょっと……!」


 駆け去った奈織の背中を見て、知尋が落胆の溜息をつく。奏多がその隣に胡坐をかいて座りながら尋ねた。


「どうしたんですか? 俺でよければ、話聞きますけど」


 奏多の顔を見つめた知尋は、諦めて腹を括った。ここまで来たら、全員に話を聞くしかない。皇都へ向けて進軍を始める前に、納得のいく答えを自分で出さなければならない。


 そういうわけで奏多に、知尋は奈織にしたのと同じ質問を投げかけた。「自分がまだ矢須の支配下にいたらどうするか」と。首を捻っていた奏多はあっさりと答えた。


「変わらないと思いますよ」

「え?」


 例によって重要なところがすべて欠落している奏多の言葉に、知尋が気の抜けた返事をする。


「弟皇陛下は弟皇陛下ですよ。いまこのことで悩んでいること自体、まさに弟皇陛下じゃないですか」

「そ、そうなんですか?」

「貴方は優しくてすごく繊細な人です。だから俺たちを傷つけたことを悔やんでいる。命で償おうとする……のは少し大袈裟のような気がしますが、それだけ俺たちのことを大切に思ってくださっているというのは分かります」


 でもね、と奏多は穏やかに続ける。


「俺たちだって弟皇陛下に酷いことをしたんです。止めるため、なんて口実みたいなものですよね。俺も御堂さんも時宮さんも、本気で貴方を殺そうとしたんですよ」

「……」

「分かっていたでしょう? 俺が貴方の膝の骨を叩き折ろうとしていたこと」

「……ええ」


 あの時の奏多は恐ろしかった。知尋も心からそう思う。のほほんとした奏多のどこに、あんな気迫や速さがあるのだろうかと不思議なくらいだ。


「いま……そんなことしなくて、ほんっとに良かったと思っているんです。もし折っていたら、俺は貴方から一生『歩く』という動作を奪ってしまうところでした」

「……」

「俺も陛下を殺そうとした。陛下も俺を殺そうとした。それで……おあいこってことにしませんか? ほら、仲直りの握手です」


 奏多が右手を差し出す。はちゃめちゃな理論は奏多らしい。そしてそう思う知尋も、知尋らしいのだろう。知尋は苦笑し、その手を握った。


 その途端に知尋の右腕に痛みが奔った。思わず表情を歪めると、奏多はしてやったり、という笑みを見せた。


「……やっぱり、傷の治療してなかったんですねえ? 陛下のことだから、絶対おろそかにしていると思っていましたよ」

「奏多……鋭いのか鈍いのか、どっちかにしてほしいですね」

「別に鋭いわけじゃないですよ。ただ、付き合いが他の人より短い俺ですら、弟皇陛下の考えは先回りできるんですよってことです。何で悩んでいるのかもみんな知ってます。抱え込まずに相談してください」

「……有難う」

「いえいえ。じゃ、ちょっと薬と包帯持ってきますから、ここで待っていてくださいね」


 奏多がそう言って立ち上がり、足早に歩いて行った。それを見ていた瑛士が、傍にいる真澄に声をかけた。


「珍しいですよ、知尋さまと奏多がふたりで話しているなんて」

「良いことだ」


 真澄はぽつりと呟く。先程知尋が奈織と話していたのも見ていたから、きっと彼女が知尋の背を押してくれたのだ。


 ただでさえ知尋は他人に心を開きにくい。あの性格で人見知りはないと思っても、それが事実だ。だから瑛士も驚くのだ、「知尋と奏多がふたりで話をしている」と。以前ならそんな光景はあり得なかった。知尋がさりげなく避けていた「一対一」の会話で彼自身が、答えなら答えを、償いなら償いを、探してくれないといけない。


 兄として真澄にできるのは、見守ることだけだ。

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