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和装の皇さま  作者: 狼花
弐部
39/94

13 諜報国の王

 黎が横からあからさまに溜息をついて肩を落とした。


「……陛下、私が兄皇陛下をお連れするまでに部屋を片付けるように言ったはずです。どうして五割も片付いていないのですか」

「これだけ散らかっていると片付けも手間取るに決まっているだろう」

「隣の部屋に押し込めば済むことでしょうに」


 なんというか、その発想は庶民である。


「そんなことはいまどうだっていい。それより、お前……」


 狼雅は本を書架に戻してから、真澄の目の前にまで歩いてきた。真正面に立たれると、狼雅のほうが頭半分ほど真澄より背が高い。狼雅はじっと真澄を凝視する。


「……なんだかやつれているようだな。まあ無理もないが、大丈夫か」

「確かに疲れはありますが、大丈夫ですよ」

「ならいいが、お前も堅苦しいな。年齢は俺のほうが上とはいえ、在位歴はそっちが長いんだ、体裁を気にする必要はない」


 真澄は十三歳で即位し、現在で在位十年目である。対して狼雅はまだ四年目だ。真澄が若くして、というより幼くして即位しすぎただけであって、狼雅だってまだ若い。彼は大雑把ではあるが王太子時代からしっかりと政治については学んでいたようなので、とても王になって四年目とは思えない威厳だ。


 その間にも黎は散乱した書類やら本やらを部屋の片隅にかき集めてとりあえずスペースを確保した。どこに埋もれていたのかソファとテーブルが姿を現す。真澄と知尋の執務室も本や書類が散乱していることはあるが、潔癖症の知尋がまめに片づけるので、その散乱状態は半日も続かない。この狼雅の執務室は、知尋にとっては許せない空間だろう。侍従の少年が部屋に飲み物を持ってきて、狼雅は真澄らに座るよう促した。


「まあ堅苦しい挨拶は割愛するとして、まず……そっちが気になって仕方がないだろう今回の奇襲についてだが」


 狼雅は冷たい茶を口に含んでから切り出した。


「天狼砦については、電光石火としか言いようがなかったな。ほんの数時間で陥落してしまったから、こっちの情報も追いつかなかった。だが、どうやら砦に詰めていた騎士たちは大半が生き残っているようだ」


 その言葉に真澄が身を乗り出す。


「天狼砦の騎士たちを無力化させただけ……ということですか」

「ああ。内部工作があったんだろうな。砦の設備を乗っ取られて、抵抗する間もなく騎士たちは取り押さえられたのかもしれない。天狼砦はいま収容所に変化している。で、青嵐は少数の兵を砦に残しただけで即座に進軍した。狙いはあくまでも皇都だったってわけだ」


 それを聞いて、瑛士がほっと胸をなでおろした。部下たちの大半が生きていることに安堵したのだ。彩鈴の情報なのだから信じて間違いはない。


「皇都は夜前には陥落した。皇都の城門前に……弟皇の知尋、宰相の矢須をはじめとする重要人物やら騎士団隊長やらの首級は晒されなかった」


 真澄の心臓の鼓動が速くなった。いまの狼雅の言葉が信じられない。


「生きて……いるんですか。知尋も、矢須も、李生たち騎士も……?」

「おそらく、な。青嵐は討った敵将の首を晒す悪趣味人間の集団だ。そんな奴らが首を晒さなかったとなれば、殺してはいないということになる。晒されたのは部隊長の桜庭(さくらば)西嶋(にしじま)蔵井(くらい)の三人だ。そいつらは皇都決戦の折、最前線にいたからその部隊も壊滅状態といっていいかもしれん。だが三人を除いた残り十三の部隊長とその部隊、勿論天狼砦に詰めている狭川(さがわ)高峰(たかみね)両部隊、合わせて十五部隊が生き残っていると俺は思うぞ」


 玖暁騎士団は瑛士を含む十八人の部隊長に率いられた十八の部隊で成り立っている。そのうち二つの部隊が天狼砦に常駐しており、残りの十六部隊はすべて皇都の決戦に投入されていた。いったい狼雅はどこまで玖暁の騎士団編成に詳しいのか、と驚く暇もない。真澄と瑛士にはそれくらいの衝撃だった。


 知尋が生きている。皇都を守って死んだと思っていた知尋が生きている。李生も、大勢の騎士たちも。それが事実ならば、真澄にとっても玖暁にとっても、これ以上ない奇跡であり吉報だ。


「だが生きているとなると、知尋の身柄は青嵐に渡った可能性が高くなる。あえて殺さなかったなら、青嵐は知尋を利用しようとしている、ということだからな」

「捕らわれているのなら取り返します。それが玖暁のやり方です。……そうですね、真澄さま?」


 瑛士が真澄に呼びかけると、真澄も頷いた。


「ああ……勿論だ」


 知尋も、矢須も、李生も助ける。それ以外に取るべき道があるものか。


「なるべく殺さず、というより殺す手間すら省いて、できるだけ時間を短縮した戦いだったようですね」


 黎の言葉に狼雅が頷く。


「そうだな。きっと民にも手は出していないだろう。だから気を落とすな」

「はい……有難う御座います」


 真澄は俯いていた顔を上げた。その顔は少し晴れ晴れとしているようだ。


「よし。この際青嵐がなんで玖暁に攻め込んだかは置いておく。まず問題は……それだな」


 狼雅が指さしたのは。真澄の右腕の痣だ。やはりそこまで知っているのだ。多分、奈織もその正体を察していながら真澄に尋ねていたのだろう。


 真澄が呪いを受けるに至った経緯を説明すると、狼雅の顔が不機嫌に歪んだ。


「堂々とやりやがるな、青嵐の奴らは」

「……狼雅殿、青嵐の刺客は彩鈴の諜報員が実験台にされ、殺されたと言っていました。それは……?」

「ああ、事実だ」


 狼雅はふんと息を吐き出す。


「真澄、俺が今回、中立を捨てて玖暁に与しようと思ったのは、それが原因だ」

「彩鈴の人間を実験に使ったこと……ですね」

「そうだ。奴ら、ご丁寧にこっちに連絡をよこしてきやがった。彩鈴の諜報員を特定した、あとは我々の好きにさせてもらう、ってな。それで真澄と同じ呪いをかけて、あげく殺した。だがな、それだけじゃ終わらなかったんだ」


 狼雅は憤然として茶を飲み干す。


「あいつらは彩鈴の正規の使者になりすまして玖暁を陥れようとした。あれで偽物だって見抜いてくれたから良かったようなものの、もしお前らがそれを見抜けないとんだ阿呆だったら、誤解は解けないまま彩鈴が玖暁皇を殺したってことになっていた。そうしたらどうなる? 玖暁は彩鈴をただじゃ済まさねえだろうが」


 真澄も瑛士も無言でいる。


「青嵐は彩鈴って国そのものを貶めたんだ。これが中立でいられるか」


 黎が言っていた「逆鱗」とは、このことだったようだ。


「まあもともと青嵐は気に食わなかったからな、丁度良いっちゃ良いんだが」


 黎が主君の暴言に空咳を挟んだ。狼雅は肩をすくめた。


「……そういうわけで。これより彩鈴は全面的にお前らを支援する。彩鈴国内にいる限り指1本触れさしゃしない。必要とあればどんな情報だろうと開示しよう。多少ではあるが兵も出せる」

「狼雅殿……」

「勿論、こっちも玖暁を利用するところでは利用させてもらう。とにかくこれからは同志だ。水臭いことは言うなよ?」


 真澄は頷き、深く狼雅に頭を下げた。


「感謝します」

「よし。まず目下最大の難問はその呪いをどう解くか、だ。お前が死んじまっちゃあ、元も子もない」


 狼雅の言葉に、真澄は呪いの紋章に視線を落とした。


「青嵐が発見した巨大な神核の作用……でしたね」


 頷いた狼雅は傍に控える黎を振り返り、「地図を出せ」と命じた。黎が室内の書架に向かって、地図とやらを探し出す。


「真澄。実は、このあたりにはある言い伝えがあってな」

「言い伝えですか」


 情報国彩鈴をもってしても、「言い伝え」とまでしか分からない事柄なのだろう。


「そうだ。だからあまり真に受けるなよ。……古代人は誰もが神核を自在に操れたが、特に彩鈴帝国皇族の人間はかなり優秀だったらしい。で、そいつらは国ひとつ簡単に吹っ飛ばせるくらい強力な神核を三つ生み出した。その三つをまとめて『(グランド)神核(コア)』という」

「グランド……コア?」


 真澄が言いにくそうに聞き返した。グランドは異国の言葉である。


 ひとつは炎を司る『神炎(しんえん)』。ひとつは水を司る『神水(しんすい)』。ひとつは雷を司る『神雷(しんらい)』だ。


 しかし、強力すぎる三つを傍に置いておくことは非常に危険だった。なので古代人は、大神核をひとつずつ別の場所へ安置したという。


 そこまで狼雅が話した時、見計らって黎が一枚の地図を卓の上に広げた。現在の地形図と形は似ているが、国境線が明らかに違う。彩鈴全土と玖暁、青嵐の一部を含む大国家が「彩鈴」。そのほかは今や歴史上の国でしかない小国が十以上名を連ねている。三〇〇〇年以上前の地図である。


「どこにそれを置いたのかは不明だが、推測はできる。ひとつは確実に深那瀬の中だ。多分『神水』だろう」

「深那瀬が滅んだ理由として、水の神核の暴走が最も有力なのです」


 黎の説明に真澄が頷く。


「奈織が話してくれた。しかし、大神核が暴走したとなると相当な大惨事に……」


 狼雅が肩をすくめた。


「なったんだろうな。でなけりゃ、海か、ってくらいに地盤が下がって水深が深くなるわけがない」


 狼雅は身を乗り出して地図を指さした。そこは現青嵐で、かつては彩鈴とその隣国の国境だった場所である。


「今回、青嵐が掘り出した巨大な神核ってのは、このあたりで発見されたんだそうだ。ここは昔の彩鈴だ。大神核同士を反応させないようにって離す距離には丁度いい。……奴らが掘り当てて真澄に呪いをかけた神核が、大神核だって可能性は高い。炎か雷か、そいつは分からないが、とにかくその神核には人間の命を削る力もあったってことだろうな。で、だ」


 狼雅の指がゆっくりと下に移動し、止まる。そこは現玖暁の皇都照日乃の傍、かつてはやはり彩鈴と隣国の国境に当たった場所だ。


「もうひとつは、ここにあるんじゃないか」


 真澄と瑛士が顔を見合わせた。皇都の傍にそんなものがあるとは一度も聞いたことがない。


「あくまでも言い伝えだ。本当に大神核なんてものが存在したのかどうかも怪しい。……が、仮にこれが真実だとして、青嵐の奴らがそれを知っていたら……全部、集めたくなるんじゃないか?」


 真澄らの間に重苦しい沈黙が流れる。真澄が眉をしかめる。


「それが……青嵐が侵攻してきた目的でしょうか。もしそうならば、次の標的はこの彩鈴では」

「だろうな」


 あっさりと狼雅が頷いた。


「だが、奴らだって竜戯湖の水をなんとかする手段は持っていないはずだ。それよりまずは、玖暁にあるであろう大神核を探すのが先決だろう」


 すると、じれったそうにしていた瑛士が口を挟んだ。


「大神核であるとかなんとかはともかく、真澄さまに呪いをかけたその神核さえあれば、真澄さまの呪いは解けるのですよね?」


 瑛士の言ったことは正しい。神核はひとつで二役を持っている。炎の神核は火を生み出すことができ、また火を消すことができるのだ。真澄に呪いを刻み付けた神核があれば、逆に呪いを消すことができる。


 狼雅がにっと笑う。


「その通りだ。面倒な話は省くとしよう。最優先は青嵐からその神核を手に入れることだ。ただまともな交渉が成立する訳がないから、強奪するしかないな」


 一国の王ともとれない言葉だ。だが、それを諌める人間はこの場にいない。ただ黎が嘆かわしげに息をついただけだ。


「行くか、真澄?」


 狼雅が真澄に問いかける。と、黎が口を挟んだ。


「兄皇陛下をこれ以上の危険に晒すことは控えたほうが良いのでは」

「いや、行く。私自身のことだ、ただ待っているだけというのは耐えられない」


 瑛士は真澄の答えを最初から承知していたので何も言わない。黎も微笑んだ。


「よし、よく言った。青嵐は神核研究も盛んでな、神都に研究所が密集している。どこの研究所に神核があるかを特定するから、もう何日か時間をくれ」


 狼雅が意気揚々と立ち上がった。この人はきっと荒事が好きなのだろう、と瑛士は早くもそう思っている。


「それだけの時間で特定できますか」


 真澄の問いに、狼雅が不敵な笑みを見せる。


「できるさ、彩鈴の情報力を舐めるなよ?」


 狼雅は軽い足取りで部屋の扉へ向かった。


「黎。真澄たちを部屋に案内しろ。面倒だからお前の妹も泊めて行け」

「承知しました」

「真澄、何かあったら黎に言いつけろ。今の内に身体を休めておくといい。丸一日、誰かさんに馬車に閉じ込められて疲れただろう」


 黎が苦渋の色を浮かべて王を見送った。真澄と瑛士も苦笑いを浮かべた。


 別室で待っていた巴愛と昴流と奈織と合流し、彼らは黎の案内で客室に通された。豪華なもので、一人一部屋だ。瑛士などは真澄の部屋の前の廊下で一晩中警護をしようと思っていたが、「彩鈴騎士を信用して頂けないかな」とやんわり黎に諭され、やむなく断念した。


 部屋を移動したすぐあとに一同は真澄の部屋に集まった。真澄は静かに告げる。


「知尋たちが生きている可能性が高くなった」


 巴愛が目を見開く。


「本当ですか!?」

「あくまで可能性……だけどな」

「それでも……それでも、あたし信じます」


 真澄も微笑んで頷き、それから狼雅に聞かされた話を待機組に告げた。


「もう、真澄がそれ刺青とか言うから吃驚しちゃったよー?」


 奈織がのんびりと言い、瑛士が溜息をつく。


「俺も度肝を抜かれましたよ……」


 奈織は真澄の傍に歩み寄り、右腕を手に取った。


「ちょっと見せてね」


 研究者らしくじっと真澄の呪いの紋章を観察している奈織に、昴流が問いかける。


「何かわかるんですか?」

「ん、全然分かんない!」


 がくりと瑛士が力を抜いた。真澄は微笑む。


「まあいいだろう。やるべきことが……ようやく見えてきた」


 青嵐に行き、大神核を探し出す。知尋と李生、矢須を助ける。皇都を取り戻す――それだけだ。


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