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和装の皇さま  作者: 狼花
弐部
36/94

10 奇妙な出会い

 夜が明けてすぐに四人は目を覚ました。真澄の体調もすっかり元に戻っている。元――というのは、呪いの症状が出ていないときという意味だ。呪いを受けて以来、身体がだるいのは相変わらずなのである。それでも、自分でもよく順応していると思う。


 ただ、少し疲れやすくなっているかもしれない。どれだけ乗馬していようが平気だったはずなのに、昨日ずっと馬に乗っていたせいで酷く疲れた。食欲も、ここ最近ずっとない。


 朝食の要望を聞きに来た店の主人に、巴愛がまとめて答えた。そして真澄に出されたのは野菜を柔らかく煮込んだスープと、こちらも柔らかめですんなり飲み込めるタイプのパンだった。巴愛が気を遣ってくれたらしい。有難う、と巴愛に感謝すると巴愛は照れたように微笑んだ。おかげで久々にきちんと朝食を完食できた。とはいえ、真横で瑛士が朝から炭水化物とタンパク質を大量に摂取しているのを見ると、食べる気が萎えるというものだ。瑛士は、見た目的には太ってもいないしとりわけ筋肉質というわけではないのだが、やはりエネルギー源は食事らしい。多分、真澄も以前はそうだったのだろう、自覚はないが。皇城では、ちまっとして綺麗な一口台の料理が乗った皿が大量に出てくる、いわゆるフルコースを見て辟易していたのが遠い昔のようだ。なんだか食が細くなってからはそれが有難いくらいだった。


 真澄の身体が明らかに変調を来しているのは、瑛士も巴愛も昴流も分かっている。やはり呪いは、真澄を着実に衰弱させているのだ。


「僕、買い物行ってきますね。陛下たちは外出は控えたほうがいいです」


 昴流がそう言って市街へ物資の調達へ出かけた。彼の言い分はもっともなので、真澄も瑛士もそれを見送った。この辺境地では、昴流が身につけている服が騎士のものであると知る者は少ないだろう。


 留守番している間、真澄は自分の和服の懐などをしきりにまさぐっていた。瑛士がそれに気づいて問いかける。


「何かお探しですか?」

「うん……大山脈に入るとき、関所があったろう。何か身分を示すものを提示しなくてはならないんだが……」


 そう言われて瑛士がはっとした。そういえばそうだった、すっかり忘れていた――とは口に出さない。


 大山脈は彩鈴領土だ。つまり、入るときに入国の関門がある。通常、一般市民が国境を超えるときは国家に申請して旅券を発行してもらい、その旅券を国境関門で提示すればいいのだ。旅券が身分証の代わりになり、玖暁の人間ならば「その人間は玖暁国民である」と証明できる。研究者や騎士などが仕事で国境を越えるときは、その職種が発行する別の書類を見せればいい。


 だが、真澄たちがそんなものを持っている訳がない。彩鈴の関所にいる人間が、真澄の顔を知っているのなら話は別だが、さすがに彩鈴といえどもそれは期待できない。皇騙りとして捕縛されることもあり得るだろう。


「いっそのこと捕縛してもらって、王都まで護送してもらうか――彩鈴王に会えば、一発で解決することだしな」

「そ、それは駄目です。一時的とはいえ真澄さまが罪人扱いされるなど、俺が耐えられません!」


 瑛士が慌てて諌める。思考が柔軟すぎるのもどうかと思う。


「だが押しとおる訳にはいかないぞ? それこそ国際問題だ」


 真澄はそう言ってから表情を曇らせた。


「……まだ私に皇としての権威があるなら、な」


 瑛士に聞かれたら大騒ぎされるので、真澄は本当に小さな声で呟いた。


 と、出掛けていた昴流が戻ってきた。調達してきた荷物を抱えているが、焦った表情をしている。


「陛下、団長!」

「どうした?」


 真澄が腰を浮かせると、昴流が早口で告げた。


「青嵐騎士です! もう街の中に入っています。宿のご主人が、食い止めるから裏口から逃げろと……!」


 瑛士も素早く立ち上がり、自分の荷物を取り上げた。と言っても刀しかない。昴流が巴愛を部屋から出した。真澄はちらりと窓から外の道を見やった。明らかに街に浮いている物々しい男がふたり、宿に向かってきている。青嵐騎士だ。王冠ではないのが唯一の救いだ。


 久遠に宿はひとつしかない。久遠にいるならここしかないというのは、分かりきったことだ。


「急ごう」


 真澄は自分たちがいた痕跡がないかを確認したあと、部屋を出た。一階へ降りると、宿の主人の妻が、声は出さず、手振りで場所を示した。そちらは厨房だ。おそらく宿の裏へ出る出口があるのだろう。


 玄関ホールから、主人の不機嫌な声が聞こえてきた。


「なんだね、あんたら! 朝一番にそんな物騒なモン抱えて何の用だ!」


 物騒なモンとは、騎士が腰に佩いた刀である。一般市民が刀を持ち歩いている訳がない。


「ここに玖暁の兄皇がいるはずだ。兄皇を出せ!」

「兄皇陛下ぁ? なんだってそんなお偉い方がこんなど田舎の街にいるんだ? ここにはいないよ!」

「それは我々が判断する! 部屋を見せろ!」

「そいつは無理だ! うちは客商売なんでね、お客のプライバシー絶対死守ってのが大前提だ! 誰だろうと見せるわけにはいかないぜ」


 主人は急にじろじろと騎士の姿を上から下まで見回した。


「……あんたら、玖暁の騎士じゃないね。名乗りもしないで兄皇を出せ、なんて穏やかじゃない言い方するのも怪しい。あんたたち、兄皇陛下に悪さしようとしてんじゃないだろうな?」


 相手の正体が分かっているくせに、演技が上手い人である。青嵐騎士にとっても、この段階で玖暁の人間に正体がばれるのは避けたいことだ。騎士たちは身分を疑われてから慌て、わざとらしく舌打ちして宿を去った。


 それを見送って、宿の主人はほっと胸をなでおろした。それからぼやく。


「陛下はちゃんと逃げられたかなあ……」


 その頃には、真澄と瑛士、巴愛、昴流は厨房の奥にあった裏口から庭に出て、宿の女将さんが引いてきてくれた馬に乗っていた。巴愛は真澄の前で、昴流は瑛士の後ろである。


「すまない。迷惑をかけた」


 真澄の言葉に女将は強気な笑みを浮かべた。


「陛下に協力するのは当たり前じゃないですか。うちの人が喧嘩している間に、さっ、お早く」

「ああ。ご主人によろしく」

「あっ、そうだ、これ!」


 女将は慌てて真澄を引き留め、持っていた袋を真澄に差し出した。


「少ないですけどお弁当。お昼にでも食べてください」

「……有難う」


 真澄は微笑み、袋を受け取って馬腹を蹴った。


 無事に一行は大山脈側の出口から街を出ることができた。このままひたすら西へ進めば、大山脈が見えてくる。


 久遠の街がだいぶ遠ざかるまで駆け、見えなくなるほど遠くなってからようやく速度を緩めた。追っ手はないようだ。


「本当にみんな……親切で良い人たちだな……」


 真澄がしみじみと呟いた。瑛士が大きく頷く。


「そりゃ勿論です。俺の故郷なんて玖暁屈指の田舎ですが、たまに帰郷すればすごいですよ。この間もそうでした。俺が皇陛下のお付きだもんで、街中が大騒ぎです。ど田舎にまで、真澄さまと知尋さまのお人柄は届いているんですよ」


 自分のことのように瑛士が言い放ち、堅苦しい瑛士の口調が雑になった。誇張ではなく、瑛士は真澄と知尋に仕えられることを誇りに思っているのだろう。


「玖暁の民は、真澄さまと知尋さまの味方ですよ」


 真澄は微笑んだが、少し引っかかることもある。


 真澄と知尋の父、先代の皇だった鳳祠真崎(まさき)――あの悪政皇の時代を知っている人々も、そう思ってくれているのだろうか。父の悪政の記憶を拭えるほど、真澄と知尋は良い政治を行っていただろうか。


 即位したころは、周囲の目は冷たかった。当然だ、父があれほどの悪逆ぶりを発揮した後を継いだのが、たった十三歳の少年だったのだから。


 今ではそれもなくなった。廷臣たちは真澄と知尋の能力や人柄も認めてくれた。もちろん喜納公爵のような例外もいるから、全員がそうとは限らない。真澄はそれが分かっているからこそちやほやされることを享受しなかった。自分が絶対にみなから愛される存在だとは思っていない。驕り高ぶらず、常に高みを目指すよう心掛けてきた。


 その信頼を、ここで失うわけにはいかない。


「先を急ごう」


 真澄の言葉にみなが頷いた。


 そういえば旅券の話をうやむやにしていたことを思い出した真澄が、さてどうしようかと本気で悩み始める。


「やはり捕縛されたほうが……」

「いや駄目です!」


 というやり取りが先ほどから繰り返されている。馬の速度はだいぶゆっくりだが、それでも否応なしに前進しているので関門が見えてくる。仕方がないので少し離れて馬を止める。見とがめられたらそれこそ真澄の思惑通りになる。


 真澄たちが脇に逸れると、後ろにいたらしいひとりの少女が悠々と関門に近づいていく。同行者にしてくれないかな、と真澄は叶わぬと分かっていながら思う。真澄の前で巴愛が「あれ、あの人……」と呟いたが、話をこちらに振って来ないので申し訳ないがスルーする。


「身分を証明できる何か……か。自分が誰かを証明するのがこれほど大変だとはな……」


 真澄が難しい顔で腕を組む。と、先ほど真澄たちを追い抜いた少女の声が聞こえた。


「はーい、これ通行許可証ね! そんで、あそこにいる四人、あたしの連れだから通していいよね?」


 その声に真澄たちはぎょっとして関門に視線を送った。間違いなく、さっきの少女だ。歳は巴愛と同じくらいだが、随分闊達とした表情だ。だがその瞳には理知的な何かが秘められているようにも感じる。少女はこちらを振り返ると、さも知り合いのように気安く笑みを見せて手招きしてきた。真澄が動揺している三人に目くばせする。


「乗るぞ、瑛士」

「は、はい」

「いいんでしょうか……」


 巴愛は疑わしげだ。


 真澄はたいした役者である。しれっとして関所を通過し、真澄の馬の前に乗る巴愛は俯いて顔を上げない。瑛士も平然と通過した。


 しばらく少女について歩き、かなり滑稽な光景だろうなと真澄は感じた。十分に関門が遠ざかってから真澄は声をかけた。


「で、何が目的だ?」

「つれないなあ。旅券持ってなくて困ってるみたいだから、一緒に通っちゃおうよって意味だけど?」

「生憎と無条件で人を信用するのが難しくてな」


 つい先日、それで騙されて酷い目にあったばかりである。


 少女は傷ついたようでもなく振り返り、満面の笑みを見せた。


「まずはあたしの機転に感謝してほしいなあ」


 真澄は沈黙し、軽く少女に頭を下げた。瑛士が慌てて止めに入るが無駄である。


「――助かった。これは本音だ。だから頼むから目的を教えてくれ。先ほど提示していたのは旅券ではなく、組織から発行された通行証だろう。となれば、政府関係者ということになるな」


 少女は頷いた。


「あたしは時宮(ときみや)奈織(なお)。これでも一応彩鈴で神核について研究してるの。玖暁に行ってたのは、皇都の研究所にお邪魔するはずだったからなんだけど、なんか物騒なことになってたから引き返してきたってこと」


 真澄は彼女の言い分に不可解なものを感じた。それを指摘したのは瑛士だ。


「皇都の様子を知って引き返してきたのか?」

「そうだよ」

「皇都と大山脈を一日で往復できるわけがない。常識的に無理だ」

「あはは、常識語っちゃう?」


 奈織は頭の後ろで指を組み、上半身を揺らした。落ち着きのないその様子は、妙齢の女性には見えず活発な少年のようだ。というか、なぜ瑛士にことさら「常識」と言ったのだろうか。まるで瑛士の正体を知っていて、彼が常識にとんと疎いことを見抜いているようだ――とは瑛士に失礼だと昴流は思い直す。と、巴愛が思い出したように声を上げる。


「間違ってたらごめんなさい。さっき、あたしたちとすれ違いましたよね?」


 それを聞いて真澄も思い出した。そうだ、昼食を摂って再び進み始めてすぐに、ひとりの女性とすれ違ったような気がする。相手に顔が知れないようにとすれ違う人とは目を合わせないようにしていたので、印象に残っていなかったのだ。


 真澄が目を細める。


「……つまり、私が誰かを知って協力したのか」


 瑛士の言った通り、皇都に行くまではここから数日かかる。徒歩ならなおさらだ。それで奈織が、皇都が陥落したと知ることができたということは――真澄が兄皇であり、皇都から脱出して彩鈴へ逃れるところだと確信した、ということだ。


 真澄とすれ違った時点で彼女は皇都行きをやめ、ずっと後をつけてきたのだ。そのあたりはすでに真澄たちは馬を歩行させていたので、徒歩で尾行は簡単だった。


 そこまで問い詰めると、奈織は困ったようにぼさぼさの頭を掻き回した。


「んー……、ぶっちゃけて言うと兄皇さまだよね?」

「ぶっちゃけるな」


 瑛士が困ったように肩を落とす。


「ますます怪しい。本当に善意か?」

「善意疑っちゃう? 騎士団長さま、気難しいね」


 ずばり言い当てられ、瑛士が押し黙る。奈織がにっと笑う。


「じゃあほんとのこと言うけど、確かにあたしは兄皇さまの顔も騎士団長さまの顔も知ってた。青嵐が天狼砦を速攻で陥落させたことも知ってた。だからさっきすれ違って、ああ皇都は落ちたかって思ったの。で、あたしが協力したのは、玖暁のみんなにお世話になったから、せめて恩返しと考えたってわけ。兄皇さまって、彩鈴でもひそかに人気あるんだよ?」


 奈織が陽気な声で告げる。


「王都に行くんでしょ? あたしも帰るから、案内してあげるよ。あたしの上司通したら王様と会うのも融通利くでしょ」


 瑛士と巴愛が顔を見合わせる。うまく運びすぎて、なんだか逆に怪しくなってきた。個人的には信用ならないが、結局のところ結論は真澄に任せるしかないのだった。

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