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和装の皇さま  作者: 狼花
弐部
35/94

9 突きつけられる現実

 さすがに深夜ということもあり、街は静まり返っていた。真澄の案内で久遠の街に入ってから馬を引き、市街の中央にある古びた宿に到着した。


 夜間は宿とはいえ施錠をしている。真澄が扉を叩くと、すぐに室内に明かりが灯った。扉を開けて出てきた男性の顔も声も寝ぼけてはおらず、奥で仕事でもしていたのだろう。


「なんだい、今日はもう満室なんだけど……」


 言いかけた宿の主人はまじまじと真澄を見つめ、それから驚愕の声を上げてのけぞった。


「けっ、兄皇陛……ッ」

「しっ」


 真澄が身振りで静かにするように諭す。慌てて主人は声を飲み込み、小声で尋ねる。


「ど、どうして久遠に!?」


 どうやらまだこの街には、皇都陥落の知らせは届いていないようだ。


「それは説明する。夜遅くにすまないんだが、部屋を用意できないか?」

「は、はい! 空き室がありますんで、どうぞ」


 そそくさと主人が真澄らを招き入れる。昴流が腕を組む。


「満室なんじゃなかったんですか?」

「いやあ、あれは客を追っ払う常套句で。二部屋空いてますよ」


 悪びれずに笑った主人に、昴流は肩をすくめたのだった。


 主人に通された部屋は二人部屋が二つだった。とりあえず片方の部屋に全員集まり、真澄は主人に向きなおる。


「どうせ遅かれ早かれ知ることだから、先に言っておく。……皇都は青嵐の襲撃を受け、陥落した」


 真澄の言葉に主人は大声をあげそうになり、瑛士が慌てて口をふさぐ。


「そ、そんなっ。では陛下は……」

「……彩鈴へ逃れる。だが必ず戻ってくる」


 真澄はそう断言した。


「私は今青嵐の追っ手に追われている。だから……」

「分かりました! ここに陛下なんか来ちゃいないと証言すればいいんですね」


 物わかりのいい主人に、真澄は微笑んで頷いた。


「そういうことだ、有難う。……それから、これを換金してほしい」


 そう言って真澄は、自分の首の後ろへ両手を回した。着物の下に隠されていたそれはネックレスだ。大きな青い宝石が美しく、嵌めこまれている台座も精巧な意匠を施されている。


 洒落っ気の欠片もない真澄がこのような状況でネックレスを身につけているということは、普段から肌身離さず持っていたということだ。相当思い入れがあるに違いない。


「真澄さま、それは……?」


 巴愛の問いに、真澄が答える。


「私の母の形見だよ」

「皇母さまの形見? そんなものを売ってはだめです、真澄さま」


 瑛士が止めたが、真澄は首を振った。


「私たちは無一文だ。生きるために、金はどうしても必要になる。――母上も分かってくれるだろう」


 真澄はそう言って宿の主人にネックレスを渡す。


「価値はある。売るなり飾るなり、好きにしてくれ」

「……はい。では、一時の間お借りしますね」


 借りるという表現に真澄は首を傾けた。


「陛下が戻られたとき、陛下にお売りします」

「! 有難う……」


 人情的な主人に心から感謝しつつ真澄が頷くと、宿の主人は部屋を出て、しばらくして金貨や銀貨を入れた袋を持って戻ってきた。


「宿代は結構です。陛下御一行が泊まられたと帳簿に付けることはできませんからね」

「すまない、恩に着る」

「そんな、とんでもない! こちらこそ、陛下には大きなご恩がありますから!」


 朝になったら食事をお持ちします、と告げて主人は部屋を出て行った。瑛士が真澄に問う。


「あの宿のご主人に何をされたんですか?」

「昔、この街全体の財政が赤字になったことがあっただろう。その時、私が個人的に資金援助をした。あのご主人は久遠の代表でもあるから、当時はよく顔を合わせていたんだ」

「成程、そういえばそんなことがありましたね」


 かなり前の話だったが、あの主人はそのことに強く恩を感じていたようだ。


「ここは彩鈴との貿易都市だ……この街がなければ、今頃玖暁は機械技術で遅れを取っていただろうよ」


 真澄はしみじみと呟いた。皇が個人的に資金を出す価値があったということだ。そうでないにしても、真澄が困っている者を見過ごせるわけがない。


「ともあれ、今日は休みましょう。明日は朝一番で物資を調達しなければなりませんし。山越えに必要なものは多いでしょうからな」

「そうだな、そうしよう……巴愛、この部屋を使ってくれ。私たちは隣の部屋に行く」

「え!?」


 巴愛が目を見張る。真澄が苦笑した。


「え、って……いくらなんでも女性のプライベートは守るぞ?」

「で、でもでも、そうしたらひとりベッド使えないじゃないですか。隣も二人部屋でしょう?」

「ふむ……瑛士、ベッド使うか?」


 真澄が腕を組んで瑛士を振り返ると、瑛士が脱力する。


「何をおっしゃいますか。貴方はどこまで気さくなんですか、もう。真澄さまと昴流で使ってください。俺は床でもなんでも寝られますから」

「いえ、僕が床で寝ますよ」


 昴流も論争に参加し、譲り合いが展開しかけた。巴愛が俯いた。


「あ、あの……」

「ん?」

「その、色々あって……ひとりになるのが怖い、っていうか……なんだか不安で……」


 瑛士がにやりと笑い、真澄の背中を叩く。


「そういうことなら、真澄さまがこの部屋にいてやればいい」

「え!?」


 真澄がぎょっとする。瑛士の顔を見て苦い表情になり、取り繕うように空咳をする。


「……この状況下でひとりになるのは、確かに危険ではある……巴愛が気にしないのなら、私は構わないが……」


 煮え切らない真澄にくつくつと瑛士は笑い、昴流の腕を引いた。部屋を出るぞ、という合図である。


「は、はい! ごめんなさい、我が儘言って……」


 巴愛がそう言うので、真澄は微笑んで首を振った。


「我が儘などではない……」


 痛みは唐突に襲ってきた。


 言葉の途中で真澄の声が途切れる。


「――ッ!」


 真澄は右腕の痣を抑えた。歯を食いしばりつつも、耐えられず床に膝をつく。巴愛が倒れかけた真澄の身体を支え、瑛士と昴流が駆け寄ってくる。


「真澄さまっ」


 巴愛が呼びかける。瑛士がそっと真澄の右腕を持ち上げると、そこにあった紋章の色が微かに濃くなっていた。それまでどちらかと言うと蒼黒い色だったのだが、黒が濃くなって蒼い要素は消えている。


「紋章の色が……」

「濃く……なっていますね」


 昴流が呟く。痛みが少し和らいだのか、真澄が顔を上げる。その額には汗が浮かび、酷く疲れ切った顔をしていた。


「……症状が進行したか」

「そのようですね……」

「彩鈴へ……急がなければな……私の身体が、動くうちに……」


 瑛士が強く真澄の身体を支えた。


「真澄さま。彩鈴で最初にするべきことは、この呪いを解除することです」

「そうですっ。こんなお身体のままじゃ、玖暁を取り戻しても……!」


 瑛士は目を閉じ、あえて避けていた言葉を口にした。


「皇はもう、貴方しかいないんです」


 真澄の目が見開かれる。瑛士は淡々と告げた。


「貴方は、残された玖暁のたったひとつの希望です。命を粗末にしないでください。――玖暁のために戦った李生たち騎士や、……知尋さまのために」


 瑛士によって突き付けられた現実。真澄は固く目を瞑った。絞り出すように、震える声で答える。


「――分かっている。責任から逃れはしない。生きることを……諦めない」


 瑛士は頷き、真澄を支えて立たせ、ベッドに座らせた。真澄を真っ直ぐ見つめ、瑛士が告げる。


「真澄さまのことは、必ずお守りします」


 真澄は頷き、目を閉じた。


『真澄を頼む』――知尋はそう瑛士に言った。真澄のために、すべての騎士を率いる身でありながら部下たちを見捨てた。このうえ真澄を死なせたら、恥を忍んで逃げ延びた意味がない。


 だから、真澄と巴愛と昴流だけは必ず守る。瑛士はそう誓った。


 瑛士と昴流が部屋を出て行ったあともしばらく、真澄はベッドに座って微動だにしなかった。やがて溜息ひとつして、真澄は両足をベッドの上に上げる。同じように隣のベッドに腰掛けていた巴愛が、心配そうに尋ねる。


「もう、痛みはないんですか……?」

「ああ、すぐ治まった。突然発作が起こるのは困ったものだが、何日か間隔が空いているからしばらくは大丈夫だ」


 真澄は言いながら手を首の後ろに持っていきかけ、はたと手を止めた。その動きはネックレスを外す動きで、もう身体に染みついている動作なのだろう。


「あのネックレス……皇母さまの形見、なんですよね……もっと他のもので換金できなかったんでしょうか……?」

「金になりそうなものといえば私たちが持つ刀くらいしかないな。だがこれは手放せない。強いて言うならその髪飾りくらいだが……」


 巴愛がつけている髪飾りに視線を送った真澄は笑みを浮かべた。


「……それは、咲良からの贈り物だろう? そんなものを売っては駄目だ」

「でも形見っていうなら真澄さまも……」


 真澄は胡坐をかく。


「――母は、私と知尋が二歳の時に亡くなった。どんな人で、どんな性格だったのか、私は覚えていない。ただぼんやりと……よく笑ってくれていたことが印象に残っているだけだ」


 ゆっくりと昔のことを語る真澄は、酷く穏やかな表情だった。


「母の形見だと言ってあのネックレスを矢須から渡されたのは、十歳になったときだった。同じものを知尋にも、母が死ぬ間際に書いた私たちへの手紙を添えて……な。いつか私たちが字を読めるようになったら、ということで手紙を書いたらしい。それによると、あれは『お守り』なんだそうだ」

「お守り?」

「肌身離さず持っていれば、辛いことがあってもきっと乗り越えられる。きっと守ってくれる……そういうものだ」


 真澄は苦笑する。


「私は神もお守りもあてにしないが、母の遺してくれたお守りだけは、信じてみようと思ったんだ。だからずっと身につけていた。知尋など私以上に現実主義な奴だが、あいつも肌身離さず持っていたよ」

「ふふ、なんだか可愛いですね」

「まあな。だが実際、私はあのお守りに救われた。……皇などではなく、一般市民としてのんびり暮らしたいと思うことはしょっちゅうだ。なんで自分が、と自暴自棄になったこともあった。それでも逃げ出さずにいられたからな。――けれど、もう私にあのお守りは必要ない。何があっても曲げぬ強さを、みなに支えてもらいながらも私は保つことができるようになった。だから……物にすがるのは、もうやめだ」


 お守りに本来効果などない。「お守りがあるからきっと大丈夫」という気の持ち様次第で、効果が現れるのだと真澄は思っている。そのあたりは病と同じだ。ただの飴玉でも「良く効く薬だ」と言われればそう思い込んで、風邪が治ってしまうかもしれない。お守りはあくまでも心を支えるもので、依存してはいけない。ひとりで立てるようになったら、手放すべきなのだ。


「それに、永遠に手放したわけではないよ。あのご主人は信用できる。約束は守ってくれるだろう」


 いずれ真澄にペンダントを売ると言ってくれたのだ。要するに質である。


 しかし、と真澄は内心で苦笑する。母の手紙の内容は今もしっかり頭に入っている。母が生まれつき身体の弱かった知尋を心配したのは当たり前だが、「真澄は責任感の強い子だから」という文が書いてあったことが驚きだった。二歳の子供の性格が「責任感が強い」って、そんなことがあるのだろうか。もしくは、そうなってほしいと母は思ってあの一文を書いたのか。――それは定かではないが、息子たちを愛してくれていたのは紛れもない事実だった。そのことが、真澄と知尋を真っ直ぐ成長させたのだろう。


「……っと、長話をしてしまったな。もう休もうか」

「あ、はい。灯り、消しますね」


 巴愛が手を伸ばして部屋の明かりのスイッチを押した。部屋が一気に暗くなる。


「おやすみなさい」

「……ああ、おやすみ」


 ふたりはそう挨拶を交わして、それぞれのベッドに潜り込んだのだった。

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