7 玖暁、落つ
瑛士と昴流、巴愛は、たった十数名の騎士を率いて裏口に回った。裏口から出た先は旧市街地に続く狭い路地だ。旧市街を抜けた先に、皇都から出ることができる門がある。今では使われていない門なので、青嵐の手が回っている可能性は低い。旧市街自体、複雑な構造をした迷路である。地元の人間でないと抜けることはできない。
騎士が、馬を二頭引いてきた。こんな状況の中、危険を冒して厩舎まで駆けてくれたらしい。かなりの駿馬だ。瑛士は真澄を自分の前に乗せて手綱を持ち、昴流も同じように巴愛を同乗させる。
「お前たち。……このままついて来れば、逃げられるぞ」
瑛士がそう言うと、騎士たちはみな首を振った。
「我々は戦場へ戻ります。天崎部隊長と合流して、少しでも敵を防ぎます」
「……そうか。騎士団が玖暁を守る者として最高の忠義を持っていることを、俺は本当に誇りに思うぞ」
「はっ! 兄皇陛下、御堂団長、九条殿、小瀧……どうか御無事で!」
瑛士は頷き、馬腹を蹴った。昴流もそれに続く。
「ようし、駆けるぞ。昴流、ついてこい!」
「はい! 巴愛さん、しっかり掴まってくださいね。僕は陛下ほど馬が得意じゃないんで、相当乗り心地悪いと思いますけど」
「大丈夫、飛ばしちゃって!」
三人とも緊張感のない会話を交わした。事態が急転しすぎて、脳が対処しきれていないのだ。それに、この悲しい結末から少しでも目を逸らしたいという切実な気持ちもある。
旧市街は避難してきた民でごった返している。瑛士としては、彼らに塞がれるのは御免である。わざと声もかけられないほど馬をかっ飛ばし、昴流とともに旧市街を抜けた。
古びた城門の傍には、不安げに騎士が佇んでいる。こちらの防衛に数名回されていたのだ。瑛士は速度を緩めず、大声で怒鳴った。
「開門――ッ!」
びくっとした騎士は、かなりの速さで馬が突っ込んでくる姿を認め、慌てて城門を下ろしている縄を引いて城門を押し上げた。その隙間を瑛士が突破し、昴流もそれに続く。
兄皇を連れたふたりの騎士とひとりの女性は、無事に皇都を脱出した。ひとりとして追手はない。李生がすべて押しとどめてくれたのだろう――。
目指す彩鈴は皇都から西。まずは国境となる『大山脈』を目指す。といってもすでに大山脈は目の前に広がっていて、いくら地理に疎い瑛士であってもひたすら前に進むという結論が出せるのであった。到着は、おそらく明日になるだろう。
★☆
天崎隊が前線に駆けつけた。必死で防衛していた玖暁騎士は「有難い」と思うと同時に「ああ、もう駄目だ」とも思った。なぜなら、天崎隊は防衛の要であって、こうして前線に出てくることはない。それなのに彼らは前線に投入されたのだ。つまり、負けはもう見えているということである。
「陛下の勅令だ! これより指揮は俺が引き継ぐ!」
李生がそう宣言し、天崎隊の騎士がわっと駆け出す。疲れ切っていた桜庭・御堂隊の騎士に、天崎隊の騎士は活力を与えた。
敵は王冠。ひとりひとりが千の騎士に勝る力量を持つ。決して侮れないが、しかし天崎隊の攻撃は王冠にも通じた。明らかに別格の部隊の登場で、王冠の統率は若干乱れた。李生は、それを見逃さない。
一点突破を狙い、攻撃が薄くなった場所に集中攻撃をかけた。効果は覿面である。ひとり、またひとりと李生の周囲で王冠が倒れていく。
「へえ、あんたが大将? まだ若いんだ」
王冠のひとりが余裕ぶって声をかけてきた。李生はちらりとその王冠を見る。若いと言っても、相手だって同い年くらいであろう。
「俺たち王冠に敵うと、本気で思ってる? 俺たちはあんたたちみたいなただの騎士とは質が違うんだよ」
「……確かにそうだろうな。お前たちは何の努力もなしに力を得た大量生産の産物だが、俺たちは経験と時間を重ねてきた。そんな作り物の強さに、俺が負けるはずがない」
李生の口から飛び出したさりげないがとんでもない毒は、王冠の理解に時間を要した。理解して王冠は真っ赤になる。きっと李生が力の差を感じて地面に這いつくばるのを予想していたのだろう。
「てめえっ」
王冠が刀を振り下ろす。だが、李生が振り上げた刀のほうが早く攻撃に達していた。王冠は一撃のもとで絶息した。的確に李生は相手の頸動脈を断ったのである。王冠は身体能力も大きく強化されており、多少の斬撃はものともしない。確実に殺すには急所を突くほかにない。王冠でも、さすがに神経や脈を鍛えることはできなかったようだ。
しかし驚くべきは、そんな王冠より早い攻撃を行った李生である。王冠以上の速さを有する人間など、王冠は存在しないと思っていたのだろう。
「己のものではない強さに驕る者は愚かと知れ! 異議があるのなら、俺の刀を折りに来い!」
挑発的な李生の声は、味方を勢いづけた。李生と、李生の部下たちは王冠を確実に倒すだけの力量を持っていたのだ。
「まだ退くなッ! この先には陛下がおられるッ! 持ちこたえろ――ッ!」
李生の怒声が響く。彼らは大手門からじりじりと後退しながらも、敵勢力を防いだ。
まだ謁見の間までは距離がある。これだけ時間を稼げば、瑛士たちは逃げられただろう。あえて「陛下」と呼んだのは、真澄が離脱したことを知って騎士の士気が落ちないためだ。
正面ホール。城の入り口部分で戦闘が行われていた。飾られていた調度品が粉々に砕け、絵画は鮮血に染まっている。栄華の欠片もない。ここから謁見の間までは、正面の階段を上がって六階へ行き、二、三度角を折れて、舞踏会などが催される巨大なホールを抜けた先だ。
指揮を引き継いだ時には、多くの隊の騎士を一度にまとめたのだが、今ではもう騎士が半分以下に減っている。残っているのは、李生の隊員を中心として僅かの人数だ。
「そっち平気か!」
「おう、まだ生きてるぜ! そっちは!?」
「こっちも無事だ!」
李生の隊は、しきりにそう声を掛け合って無事を確かめあっている。味方が傍にいてくれるということは、とても頼もしいことだ。李生にしごかれた騎士たちは、この苦境の中でも自分たちの戦いを保持していた。
李生たちの猛攻は続き、やがて王冠の動きも鈍くなった。消耗が激しく、王冠たちの交代が間に合わなくなってきているのだ。李生が激しく息をつきながらも僅かに笑みを浮かべる。
「それだけの人数になっても、まだ俺たちを破る気か……舐めるなッ!」
李生が【集中】すると、巨大な炎が撃ちだされた。襲いかかってきた王冠を一度に大勢薙ぎ払った。その炎に勢いづき、玖暁騎士が突撃する。勢いに押された王冠が散り散りになる。
攻撃が止んだ。だが騎士たちは緊張を解かないままだ。
「片付いたんでしょうか?」
ひとりが李生に問うと、李生は首を振った。
「第一波の攻撃を凌いだだけだ。すぐ第二波、三波と襲ってくる」
そう言った瞬間、強烈な炎が吹き込んできた。李生の部下が数人飲み込まれ、一瞬で命を失った。騎士たちの間に動揺が走る。李生が怒鳴った。
「構えろ!」
その言葉で騎士たちは統制を取り戻した。
現れた男は異様な容姿をしていた。赤い瞳。見たことがない色だ。その顔に浮かぶのは薄い笑みである。歳は三十代のようにも見えて、でも年齢不詳だ。そうさせるのは、その男を包む異様な威圧感。
なんだこの男――強すぎる。
李生は自分が震えていることに気付いた。圧倒的な力量の差に、身体が勝手に怖気づいている。ぐっと李生は刀を握りなおした。
男は李生の前に歩いてきた。
「これだけの王冠を相手に一歩も引かず、むしろ王冠の第一隊を壊滅させるとは。さすが忠義に篤き玖暁の騎士。皇への忠誠は絶対……ですか。死兵は強しと言いますが、守るものがある人間のほうが力を発揮できるものですね」
その意見には賛成だが、李生は無言だ。
「青嵐の武芸を扱う者がいると言うから来てみれば、貴方が噂の騎士殿でしたか。青嵐武技・瞬刃流――十五年近く前に師範が殺され、潰えた流派だと思っていましたが」
自分たちが殺しておいて何を言う――と反論してやりたくなったが、やはりまだ無言を貫いた。
「名を聞いておきましょう」
「……先に名乗れ」
「ふふ、それは失礼。私は青嵐特務師団隊長、矢吹佳寿と申します」
「……! 王冠の隊長……」
李生はさすがに息をのんだ。矢吹佳寿という男はこちらの動揺など気にせず、悠然と問い返す。
「さ、貴方の番ですよ」
「……玖暁騎士団部隊長、天崎李生」
「成程……音に聞こえた玖暁騎士の守りの要。前線で敵を切り崩すこともお手の物……青嵐の裏切り者ならではの強さですね」
その言葉を聞き、李生は笑みを浮かべた。やはり、そういう言葉が飛び出してくるのかと呆れる気分だ。――もう、聞き飽きた。
「何を勘違いしている……俺は玖暁の騎士だ。玖暁に生き、そして玖暁に殉じる。俺はそのために敵の武芸でも何でも使う。貴様らの編み出した武芸が貴様ら自身を貶める……そのさまを見ていればいい」
李生が腰を落とす。佳寿も刀を抜き放った。
「ここから先へは、誰であろうと通さない」
「面白い……では、矢吹佳寿、推して参ります」
佳寿は言い終えるとともに地面を蹴って突進していた。李生がはっとして刀を下段に構え、佳寿の刀を受け止めた。佳寿が感心したような顔になる。
「受け止めますか……玖暁の主席部隊長の名は、本物のようですね」
佳寿が押し切った。あまりの膂力に李生がよろめく。手が痺れた。再び斬りこまれ、李生は横っ飛びにそれを避ける。
想像以上だ。自分から斬りかかるなんて論外。逃げるだけで――精一杯。
李生の部下が佳寿に斬りかかった。援護しようとしたのだ。――だが。
佳寿が腕を振るうと同時に、神核術が発動した。強烈な炎が一気に部下たちを薙ぎ払い、屍に変えてしまった。
(なんだ、いまの【集中】の短さは……!?)
王冠とは、神核術の詠唱まで短くすることができるのか。それとも、この矢吹佳寿という男本人の能力か。もしそうなら、彼は知尋と同等の神核術士だということになる。それに加えてこの剣術は反則だ。
佳寿に斬りかかる。李生の刀は簡単に受け止められた。佳寿がにやりと笑う。それを見て、李生はしまったと思った。
そして次の瞬間には、李生は吹き飛ばされて柱に背を強打していた。嫌な音が自分の内側から聞こえる。骨が何本か逝ったようだ。
内臓のどこかに骨が突き刺さったか――血が逆流してきて、李生は喀血した。立ち上がることさえできない。
「っ……う」
「天崎部隊長!」
「貴様、よくも!」
部下たちの声が響いた。
佳寿はもう李生には見向きもしなかった。最初から、天崎李生という玖暁騎士の司令塔を叩き折って戦意を喪失させることが目的だったらしい。部下たちが簡単に殺されていくのを、李生はぼんやりと見ることしかできなかった。
「……退け……っ、みんなっ、もうッ……!」
倒れた李生は身体を起こそうともがいた。だができたのは、床の絨毯を掴むことくらいだった。
時間稼ぎはできた。真澄たちは逃げられただろう。だからもう、これ以上みなを傷つけないでくれ。
視界が赤くなった。額が切れて流れてきた血が目に入ったらしい。李生は呻いた。
「……知尋、さま……逃げ……」
それきり、李生の言葉は途切れた。
★☆
李生の部隊を突破した佳寿は、謁見の間にたどり着いた。部下に扉を開けさせて中に入ると同時にふわっと何かの気配を感じた。
咄嗟に防御の神核で身を守る。と、何にも気づかなかった佳寿の部下たちが真空の刃に切り刻まれて命を失った。佳寿が率いていた部下数十名が、全員である。
「……気づきましたか。たいしたものですが、自分の命だけを守って部下を見殺しにするのは、指揮官としてどうかと思いますよ」
静かな声がかけられ、佳寿が顔を上げた。玉座が置かれた階の上に佇んでいたのは、弟皇の知尋だ。
知尋はこの部屋に神核を仕掛けていたのだ。地雷のように、誰かが室内に入ってきた瞬間に術が発動し、結果的に佳寿は部下を失った。
「さすが、神核術において並ぶ者のいない弟皇陛下。怯みもせず、私を待ち構えていましたか。――兄皇陛下はどうされたのです?」
「真澄ならとっくにここを離脱しましたよ。この城にいるのは、私だけです」
「ほう」
佳寿が目を細める。知尋がゆっくりと数段の階を降りてくる。
「名乗りなさい」
「王冠の隊長、矢吹佳寿と申します」
「王冠は本来、国王の傍に仕える近衛のことだそうですね。しかしその権威は、前線に出る騎士よりも高いとか――それほどの力を持っているのなら、普段の戦争にも出てくれば良かったではありませんか。勝敗は案外簡単についたかもしれませんよ」
佳寿と十分間合いを取った場所で知尋は足を止めた。
「最初に言っておきますが、私は真澄ほど優しくありませんからね。敵である貴方を殺すことに、何の躊躇いも覚えない」
佳寿がここまで来たということは――防戦していた李生は、もう。
知尋は刀を鞘から抜き放った。知尋もまた、瑛士から剣の手ほどきを受けた身だ。並みの騎士より剣はできる。
「だから私は、皆の仇をとる」
「やめたほうが良いです。術の打ち合いならともかく、接近戦で陛下は私に勝てません。降伏したほうが身のためですよ」
「侮辱はいい加減にしろッ……!」
知尋はそう言い放ち、佳寿に斬りかかった。刃と刃がぶつかり、激しく火花を散らせる。
「玖暁は騎士の国。戦わずして負けを認めるは最大の屈辱。私にだってその心はあります。この国の玉座を血で染めるのは、私で最後……! いずれ手痛い反撃がありますから、覚悟することですね!」
「……成程、貴方と兄君のような皇になら、忠誠を尽くしたくなる騎士の心情も分かります」
佳寿は余裕だ。
「私としても貴方を殺したくはない。弟皇陛下、私に協力して下さいませんか」
「何を馬鹿げたことを……」
「現在、我が軍の砲撃台が旧市街地を狙っています」
その言葉で、知尋は凍りついた。
旧市街。――そこには大勢の玖暁の民が。
知尋が佳寿に押し切られ、追撃される前に知尋は足を捌いて佳寿と位置を入れ替える。
「私の号令の許、砲撃は開始されます」
「何の……ためにっ」
刃が交わって澄んだ音を立てる。
「貴方を脅すためですよ、勿論。嘘だと思うなら、一発発射してさしあげますが」
「……!」
「天崎という騎士、重傷ですが息はあります。宰相のご老人も部下が押さえました。兄皇陛下の足取りも予想はついています。騎士団長と、その部下の騎士、そして最近現れた女性とともに彩鈴へ向かっていますね」
知尋は佳寿の剣を、身を沈めて避ける。
「貴方が望むなら……彼ら全員の身の安全を保障しましょう。最初から私の目的は、貴方だったのですよ、弟皇陛下。神核を自由自在に操れる貴方に――ある実験に携わって頂きたかったから」
「私が……目的だった……?」
「ええ、そうです。貴方の考えひとつで、玖暁の民を含め大勢の生が左右されます」
知尋が若干剣を下ろした。
私が犠牲になれば、皇都の民は無傷で、真澄たちも助かる。
「心が揺れましたね?」
佳寿がにやりと笑う。知尋がはっとした瞬間、知尋は床に組み伏せられていた。仰向けに倒れた知尋の胸に、容赦なく佳寿が膝を伸せて圧迫してくる。両手ともに佳寿に押さえつけられ、知尋は身動き一つできない。
「後悔しても遅い。貴方はもうすでに、私の掌中に捕えられた――」
「くっ……離、せ!」
知尋がもがくが、やはり佳寿は力を緩めない。佳寿はそっと知尋の耳元に顔を寄せ、囁きかけた。
「貴方は聡明な方だ……そんな貴方が、兄皇陛下より数秒遅く生まれただけで後ろに下がっていなければならない境遇を、良しとしていたわけがありません。憎みなさい。貴方から権利を取り上げた兄を憎みなさい……」
「ふざ……けるな! 誰が……!」
知尋が怒鳴る。佳寿が冷ややかな笑みを浮かべる。
「言ったでしょう。貴方はもう私の掌の中にいます。貴方に選択権はありませんよ……」
佳寿の手が知尋の目を覆い隠した。その瞬間、知尋の身体から力が抜けた。魂を抜かれたように急に意識を失った知尋を、佳寿は丁重に抱き起した。その口元には、やはり笑みが浮かんでいた。
夏。電光石火の勢いで天狼砦が陥落し、皇都照日乃も一日ほどで陥落。兄皇、弟皇は行方をくらませ、騎士も壊滅した。玖暁皇国は、実質上滅亡した。しかしこれほど大規模な攻防戦だったに関わらず、民衆への被害はひとつもなかったのである。




