5 天の狼陥落、王の冠襲来
知尋が軍議室に到着すると、真澄のほかに李生、瑛士、昴流がいた。こんな時だと言うのに、知尋はついつい口が軽くなる。
「おや、みなさんお早いですね」
「はあ、昴流と一緒に下の医務室にいたもので」
「俺は元々真澄さまとこの部屋にいましたから」
律儀に瑛士と李生が答え、真澄ががっくりと肩を落とす。
「知尋、それどころじゃないんだろうが。さっきの連絡はなんだ」
知尋は表情を改め、腕を軽く組んだ。
「そのままの意味です。天狼砦が定時報告に応じませんでした。機器類の故障でないことは確かめましたし、微かですが襲撃の混乱の声が聞こえました」
「……! 本当に、いまこのとき襲われて……」
「しかも、報告ができないということは内部にまで敵が入り込んで、もう半ば以上が制圧されている状況、ということですね」
李生の言葉に知尋が頷く。瑛士が焦りのある顔で呟く。
「馬鹿な……あそこには騎士団の三分の一の人員が常駐していたんだぞ? 率いていたのは狭川と高峰だ。それでなくとも、あの堅牢な砦がたった半日で陥落するなど……」
駐在部隊司令官の狭川部隊長も、副司令の高峰部隊長も、瑛士が心から信頼している騎士だ。真澄は眉間に皺を寄せている。それは焦りでもあるし、不安の表情でもある。
「……天狼の騎士たちが弱いとは思わん。まともに戦えば、青嵐相手に遅れなど取らないだろう。そう……まともに戦えば、だな」
「つまり、内部工作があったということですか!?」
昴流は他の者のようにそこまで冷静になれないようで、あまり落ち着きがない。そもそも、彼は騎士団の御堂隊に所属するただの一騎士に過ぎなかったので、このような重大な話を目の当たりにすることはなかったのである。
「それに、『奴ら』も……」
李生の呟きに真澄は頷き、瑛士を見やった。
「瑛士、今すぐ皇都の防衛を強化させ、戦闘準備を整えろ。遅くとも三日後には、敵はここにやってくる。民衆は旧市街区へ退避。李生に任せる」
「了解しました」
瑛士と李生が身を翻した。知尋が真澄を見やる。
「真澄……天狼砦は」
「――今からでは、間に合わん」
真澄が低く呟く。極限まで感情を切り詰めた声だ。間に合わない。もう無理だ。諦めろ。――そんなふうに斬り捨てるのは、知尋の役目だったのに。
「今私が真に守るべきは……この国に住む民たちだ。皇都を戦場にしても、民に手出しはさせない。絶対、に……」
真澄の言葉が吸い込まれるように消えた。知尋と昴流が怪訝に思った瞬間、真澄がくるりとふたりに背を向けた。そしてそのまま、引き寄せられるかのごとく床に膝をつく。知尋が駆け寄って真澄の身体を支えた。
「真澄!?」
「痛っ……う……!」
食いしばった歯の間から、抑えようとしていた呻き声が漏れる。呪いの紋章が刻まれた右腕を強く抑えた。疼くなんてものではなく、激痛も通り越した痛みだ。常人なら失神していておかしくない。むしろ失神したほうが楽なのだろうが、強靭な意志が真澄からその選択を奪った。
どくり、と右腕で何かがうごめく感覚がする。ちらりと腕を外して紋章を見てみたが、色の変化は認識できない。だが、呪いの症状が進行したのは確かなはずだ。
「昴流! 医者を……!」
知尋の声で昴流が身を翻しかけたが、真澄の弱々しい、だが有無を言わさぬ声がそれを制した。
「……よせ。……医者を呼んでどうなるものではない」
「けれど、そんな身体では!」
「皇都を襲撃される……そんな戦争を経験した者は、誰もいない。戦い方も分からない……この状況で、皇がひとり欠けていたら……それこそ相手の思うつぼだ」
言いながら真澄は身体を起こした。この十秒ほどで、真澄は大量の冷や汗をかいていた。
「この発作のようなものは、ほんの一時のことだ。ほら……治まってしまえば、なんともない」
「そんなことないでしょう? 発作がないときだって、呪いを受けてからの真澄はいつも……」
「……倒れても、お前の忠告を聞かなかった私の自業自得。今は、虚勢を張らせてくれ。大丈夫、私には『気合い』という便利なものがあるからな」
真澄は額の汗をぬぐって立ち上がり、少し笑みを浮かべた。それから昴流に向きなおる。
「昴流、巴愛に事情を説明してやってくれ。別に包み隠す必要はない、起こったことをそのまま話してくれればいい」
「……分かりました」
「知尋も、神核術士部隊のほうは任せたぞ」
真澄はそう言って部屋を出て行った。足取りは確かに普段と変わりはない。
知尋はふうっと溜息をついた。
「……困った人だ」
「無理……なさってますよね」
なんとなく知尋をひとりにするのを躊躇った昴流が、相槌を打つ。虚勢を張らせてくれ、と言った時点で、無理をすると宣言しているようなものだ。
「ああ。けど、真澄は……ああいう人だ。自分よりも、誰かのことを心配して、自分を殺してしまう。真澄はいつだって……虚勢を張ってばかりだ」
知尋は手に取るようにわかる。真澄が呪いを受けて自分の死を悟り、かなり落ち込んでいること。さらに追い打ちをかけるように、敵が侵略してきた。どれほど辛い思いをしているか、知尋は理解している。
「……昴流。君の仕事は巴愛を守ることだ。瑛士のためでも、真澄と私のためでもなく、巴愛のために戦う。分かっているね?」
そう確認された昴流は、しっかりと頷いた。
「はい、心得ています」
「逃げろと言ったら、必ず逃げなさい。巴愛が何と言っても、無理矢理にでも逃げるんだ。皇都を脱出して、彩鈴へ」
「彩鈴……」
「彩鈴の王は話の分かる人だ。信用していい。それに、玖暁が襲撃されたことはすぐ掴むはずだから、事情は理解してくれる……」
知尋はそう言い、微笑んだ。その笑みは場違いなほど穏やかだった。
「……大丈夫。巴愛も真澄も、死なせはしない」
★☆
騎士が慌ただしく動き始めたと思うと、昴流が部屋にやってきて衝撃の事実を告げた。青嵐軍がこの街に向かって進撃してきているのだという。
昴流の様子から、巴愛は本当の意味で只事ではないことを悟った。喜納公爵による暗殺未遂事件の時より、昴流の顔は明らかに強張っていたのだ。前回は真澄や巴愛個人の命の話だったが、今回は玖暁皇国という国家全体の危機である。
だが、口から出た声は自分でも驚くくらい冷静だった。
「あたし、どうしたらいい?」
「え、どうしたらとは?」
その質問は昴流の意表をついたらしく、彼にしては無個性の問いが反ってきた。
「戦いとか、あたしは全然役に立たないから……真澄さまたちの足手まといにならないようにするには、どうしたらいいかなって。逃げろって言うなら、今すぐ逃げる」
てっきり真澄の傍にいたいと言うのだろうと決めつけていた昴流は、「ああそうか」と納得した。巴愛の中に「真澄が死ぬ」という可能性はなく、彼女は真澄を全面的に信じている。そして、「役に立ちたい」というよりは「足枷になりたくない」という気持ちのほうが強いのだろう。
「敵がどれだけの兵力で、その進軍状況が分からない今は、むしろ避難することのほうが危険です。避難するなら、騎士団が青嵐軍を押しとどめている間でしょう」
昴流は考え込みながらそう結論を出す。巴愛は頷きつつ、昴流の顔を見上げる。
「……昴流、顔色悪いわ」
「す……すみません。こんなこと初めてで……ちょっと、びびっているみたいですね……」
昴流は無理に笑みを作り、自分の胸を軽く拳で叩く。見かけよりずっと大胆な昴流だが、今回はさすがに怖いのである。
「ううん、あたしこそ緊迫感足りないよね……」
「いえ、パニックで取り乱すよりずっと良いですよ」
「そう……? でも、あんなに強かった砦の騎士さんたち、どうして半日なんかで……?」
「内部工作があったんだと思います。考えたくありませんが裏切りが起きたか、あるいは味方を装って忍び込んだ青嵐騎士が手引きしたってところでしょう。ただ……それだけではないはずです」
昴流は窓の外に視線を送った。
「青嵐の戦力は大きく分けると二つあるんです。そのうちの一つが青嵐騎士団で、前回戦った敵軍です。正直言うと、青嵐騎士団は人数頼みの部隊ですから平野戦で玖暁が遅れをとることはないのですが」
「もうひとつの部隊は?」
「特務師団――通称で、『クラウン』と言います」
「クラウンって、王冠のこと?」
巴愛が驚いて問い返すと、昴流が頷く。
「はい。異国の言葉では王冠のことをそう言うらしいです。そんなものを引用するなんて、気障ったらしいって僕らはちょっと馬鹿にしていたんですけど」
「あ、はは……」
現代日本では日本語だか英語だか分からない言葉が横行していたので、巴愛としては笑うしかない。
「王冠たちは、絶対数は少ないのですが怪物じみた強さを秘めています。というのも、入隊した時から人体実験を施され、人為的に強力な騎士として作り上げられているそうなんです。下っ端たちはそうでもありませんけど、幹部たちは御堂団長や兄皇陛下でも相当手こずる相手ですよ」
昴流の表情は苦々しい。
「通常王冠は戦争には参加しません。したとしてもほんの数名です。彼らの本当の任務は国王の警護と青嵐の首都、神都の治安維持ですからね。宝の持ち腐れのような気もしますが、王冠とはつまるところ青嵐という国家の権力の象徴なんです。そんな特殊部隊をおいそれと戦争で失う訳にはいかないんでしょう」
「でも今回は、その王冠たちが投入された……?」
「可能性はありますね」
昴流の不安の最大の要素はそれなのだ。王冠が投入された戦争は三年前に一度あったきりだ。真澄がそのとき、王冠ひとりのためにかなりの深手を負った。瑛士が討ち取ったが、昴流にとっては畏怖にも近い存在だ。
巴愛もぞくぞくと悪寒がしてきた。人体実験で強化された人間だなんて、それは人間と言えるのだろうか? そんな強さに意味があるのだろうか?
無理に打って出るのは危険だ。皇都の皇城が最後の砦となる。攻撃の要となるのは御堂瑛士の突撃部隊。彼らがどこまで敵を減らせるか。
援護の要は鳳祠知尋の神核術士部隊。攻撃の起点となって味方を援護するが、今回援護に有利な高低差がない。懐に潜り込まれると苦しい彼らが、どれだけ味方をサポートできるか。
そして守りの要、天崎李生の防衛部隊。彼らの防衛線を突破するのは、いくら王冠たちでも一筋縄ではない。李生が敵を弾き返せるか。
兄皇、鳳祠真澄が呪いに屈せず、毅然と立っていられるか――。
それが争点である。
★☆
それから二日が経った。推測通り敵軍の姿が確認できた、という報告を真澄は李生経由で受けた。
「皇都城門前に青嵐軍が陣を構えました。ここまでの道中、各諸侯がそれぞれ攻撃を仕掛けたようですが、どれも惨敗に終わっています。数にすると、青嵐騎士団がおよそ三万。王冠は一万弱と思われます。俺の仕入れていた情報通りなら、これは王冠の全人員に等しいのではないかと」
李生が告げる。場所は皇城の最奥、玉座の間だ。今回真澄も知尋もここを動かない。玉座の間を制圧することが、すなわち国を陥としたということになる。必然的に玉座の間の守りは固く、天崎隊全員に、瑛士、瑛士が厳選した近衛が詰めている。それに加え、宰相の矢須、そして巴愛もここに匿われていた。
真澄は久々に袴を身につけ、戦装束だ。巴愛も、動きやすさを重視した着物を選んだ。
瑛士が腕を組む。
「全人員……奴ら、本気ですね」
「何が彼らを、急に本気にさせたのでしょうね」
知尋は心底不思議そうだ。確かにそれは気になるところだが、今じっくり考える時間はない。
「やれやれ……いつもは数頼みの青嵐軍と馬鹿にしているが、今回数頼みなのは我々のほうだな。李生、民の避難は終わっているな?」
「はい、市街地に住民は残っていません」
「街の城門から城までの直線、およそ五キロ……そこが勝負だな。桜庭隊の配置は?」
今回先陣を切らせる隊の名を上げると、今度は瑛士が答える。
「滞りなく。ついでに、第一師団も」
「よし。……それにしてもなあ。仮にも一国の軍に私兵団だけで対抗しようとするとは、伝統と品格ある諸侯の名が聞いて呆れるな。功を焦るのは分かるが、せめて協力して敵の背後を突こう、とは考えられんのか」
ぼやいた真澄に、矢須が苦笑いを浮かべる。
「大部分の諸侯は邸宅に引きこもったようですな。兵を差し出したのもほんの一部だけです」
臆病者め、と罵るつもりは真澄にはない。自分の命を大切にするのはごく自然なことだし、別に真澄は「兵を出せ」と命じたわけでもなかった。善意は有難く借り受けるが、それ以外は迷惑である。
真澄は振り返った。そこには、昴流に付き添われた巴愛がいる。視線を向けられた巴愛が顔を上げた。
「巴愛。……怖い思いをさせてすまない」
そう謝すと、巴愛は首を振った。
「平気です。不安だけど、でも怖くはないです。みんな一緒だから……」
「そうか。……まあ、あれだな。菓子屋の話は少し先延ばしだな」
「そんなこと今気にしないでください! あたし、いつでもみんなのためにお菓子作りますから」
その言葉に、その場にいた者たちは顔をほころばせた。だが、その雰囲気をぶち壊す声が飛び込んできた。
「青嵐軍側が皇都・照日乃の無血開城を要求してきました!」
斥候の騎士が飛び込んできた。真澄が腕を組む。
「無血開城……?」
「『多くの人民を巻き込むのは我々の望むところではない。犠牲を出さぬため、名誉ある無血開城を要求する。三十分で返答を出すように』とのことです」
真澄が知尋と矢須に視線を送った。与えられた三十分とは、意見をひとつにするための猶予だ。だが、その時間は彼らに必要ない。知尋と矢須が頷いたのを見て、真澄は騎士に向きなおった。
「三十分も必要ない。今ここで返答をしよう」
真澄は腕をおろした。
「我が玖暁皇国は騎士の国。戦わずして負けを認めることは、我らの矜持が許さぬ。ゆえに、青嵐の要求は受け入れない」
その声は静かに、玉座の間全体に響いた。毅然とした言葉に、ある者は表情を引き締め、ある者は俄然やる気に満ちた顔になる。真澄の意思に異論はないのだ。
「戦闘用意!」
瑛士の一声で、伝令役の兵士が駆けだす。真澄が目を閉じる。
「……始まるぞ」




