4 切なる願い
それから二日もすると身体のだるさにも慣れた。慣れただけであって、決してその重みが消えたわけではないが、とりあえず仕事をする分には影響はなくなった。だが、以前はあんなに軽々と振るえていた剣が重くて仕方がない。瑛士に剣を学び始めたころのように、剣に振り回されている感覚だ。食も細くなった気がする。巴愛が、襲撃された日の昼食で使った米の残りを使わせてほしいと言い、その通りにさせたら、「雑炊」という料理を作ってくれて、それならさらさらと喉を通ってくれた。病人食らしいが、柔らかく煮込んであってなかなか美味だ。とはいえ、そればかり食べていると体力も気力も落ちるので、無理にでも多少は固形物を食べるようにしている。
瑛士と李生は騎士の訓練を徹底させている。矢須もあちこちから情報をかき集め、知尋も神核の研究に励んでいるようだ。
今のところ痛みはないし、変色もしていない。二日くらいではそう簡単に呪いは進行しないらしい。これならもう少し、時間的余裕はあるはずだ。
真澄は李生とともに軍議室にいた。他には誰もいない。真澄がひとりこの部屋にいるのを見つけ、李生が足を止めたというわけである。時刻は昼過ぎで、普段ならば少し昼寝でもしたいくらいの穏やかな天気だが、そうも言っていられない。
なぜ一思いに殺さなかった? 真澄の疑問はそれだ。いずれ死ぬと言っても、時間がかかる。その間に報復措置を取られるとは思わなかったのか。これでは「貴方はもうすぐ死ぬんですよ」と余命宣告をくらった家畜のような気分である。もしそういう意味合いで真澄に呪いをかけたなら、相当悪趣味だ。その呪いの銃の実験台にされた、と考えられなくもないが、皇を実験に使うとはいい度胸である。というよりむしろ、青嵐側もこの呪いの解除法は持ち合わせていないのではないだろうか。一国の皇がその呪いにかかったと知られれば、臣下たちが大慌てで解除法を探し出す。それを望んでいるのか?
しかし呪いとは、おかしなものだ。そんな効果を持つ神核がこの世に存在するとは。まあ考えてみれば知尋の使う治癒術も「呪い」のようなものだし、呪いはそれと対極にあるものだろう。字も同じことだし。一応巴愛にこういう症状の呪いを知っているかと尋ねてみたが、彼女は首を振った。
「青嵐で巨大な神核が発見されたというのは事実です。大規模な実験が行われているそうですが、その内容は一切開示されていません」
李生が世間話のような気軽さで、真澄にそう報告した。
「それと、青嵐の軍部では大規模戦争の兆しがあります。また国境を越え、天狼砦が襲撃されるかもしれません」
「玖暁を攻め落としたいのなら、私を殺せばよかったものをな」
「……いえ、一概にそうとは言えません。もしも真澄さまが命を落としていれば、玖暁騎士は復讐戦を挑みます。死兵は……たとえ一時のことであっても、恐るべき力を発揮します。それでは青嵐は痛手を被る」
死兵。死を覚悟した兵士。命すら捨てて突撃する者のことだ。他者を顧みない攻撃は凄まじい。
「しかし真澄さまをじわじわと衰弱させていけば、否が応でも指揮は鈍ります。騎士は不安にあおられ、実力を発揮できない。それこそが狙いではないかと」
李生は信じられないくらい冷静だった。平静になろうとすると、通り越してここまで淡々としてしまうのだ。とことん不器用な李生に苦笑しつつ、真澄は腕を組む。
「……で、それもお前の友人からの情報か?」
「あ、はい。後半部分は俺の推測ですが」
「たいした友人だな。一般人ではなかろう?」
「おそらく……あまり私的なことは互いに伝えないので微妙ですが。もし市民としてこれだけの情報を集めているのなら、命が心配ですよ」
心配だと言いつつ、それほど心配そうではない李生の声音だ。信じているのだろう、と真澄は思う。
「会ってみたくなったよ、その傑物に」
真澄の言葉に李生が微笑む。
「……青嵐の神都の下町に住んでいる、桐生という男です。縁があれば、訪ねてみてください」
「……?」
その言葉に真澄はやや訝しんだ。「いつか御前にお連れしますよ」とでも言うと思っていたのだが、逆に「会いに行ってみてください」だったのだ。しかも、李生自身はいかない前提である。
「李生……」
「はい」
ぽつりと腹心の名を呼んだ真澄は、自分でも何を言いたかったのかが分からずに黙ってしまった。やがて、突拍子もないことを尋ねた。
「――身体の具合はどうだ?」
「え……? なんのことでしょうか?」
李生のほうもきょとんとしている。真澄が頭を掻いた。
「出会ったとき、お前は酷く衰弱していただろう。立つこともできないほどに……同い年だというのに、とてもそうは見えなかった」
「ああ……昔のことですよ、もう大丈夫です。背も真澄さまと同じくらいにまで伸びましたしね」
「もう五年経つのだな……いや、まだ五年、か?」
李生は微笑む。
「長いか短いかはともかく、俺にとっては意味のある濃い五年間でした。本当に……真澄さまや知尋さま、御堂団長、騎士団の仲間たち……みなに感謝しています」
「ふっ……なんだ、まるで別れの言葉みたいだな」
李生の内面を透かし見たかのような真澄の言葉に、李生は僅かも動揺しなかった。
「思ったことは、思ったその時に言おうと心がけています。後悔だけはしたくありませんから」
「李生らしいな」
真澄はそう言い、腕を組んだ。窓の外の景色に目をやりながら、真澄は言う。
「お前の騎士道を曲げさせるつもりはない。瑛士にしても昴流にしてもそうだが……これから言うことは私の頼みだと思って聞け」
「頼み?」
「誰かのためじゃなくて、自分のために自分の命をかけてほしい。生き残ることを最優先にしてほしい」
李生が目を伏せる。確かにそれは李生の騎士道に反する。李生は「誰かを守る」ために戦うのだ。その「誰か」は真澄でもあり、巴愛でもあり、国民でもある。彼らのために命を投げ出すのはむしろ本望だ。
「皇は後ろに下がって命令を出せばいい、という者がいる。それでも私が刀を手に前線に出るのは、自分の力量に自信があるわけでも、味方の士気をあげるためでもない。後ろに控えている私が『突撃』を命じたとき、実際に突撃して傷つき、命を落とすのは前線の味方であって、私ではない。私は……味方に犠牲を強いるだけの存在ではありたくないのだ」
「真澄さま……」
「体の自由が利かなくなれば、当然私は共に戦うことができなくなるだろう。そうなったとき、私は酷く怖くなる。……だから、生きて戻ってきてほしいと願うことしかできない」
李生は頷いた。いつものように静かな表情で、特に昂ぶった様子もなく。
「絶対、とはお約束できません。しかし最善を尽くします。俺は生きて真澄さまをお助けしたいので」
「……有難うな」
真澄がほっと頷いた。
★☆
御堂隊の騎士たちは、広大な騎士団本部の敷地を走りこんでいた。一周三キロはあるコースを延々と、しかも戦場に出る本物の装備を身につけてだ。身を守る肩当て、帷子、籠手、勿論帯刀もしている。瑛士が戦場においてもっとも重視するのは「体力」である。突撃部隊である御堂隊の騎士たちが無事に帰還するためには、技術はもちろんだが逃げ足の速さも重要だ。肝心なところで足をもつれさせては命の危機に陥る。戦場で馬を失っても走って帰ってこい、それが瑛士の教えである。実際瑛士は、何度も地に足をつけて戦ったが、強靭な体力と身体ですべて生き延びた男だ。
和服で戦う者たちなので、装備と言っても西洋の騎士ほどごてごてはしていない。しかしそれでも身一つというわけではないし、刀もかなり長さがある。だが刀は騎士にとっての右腕で身体同然であるから、絶対に手放してはいけない。
瑛士はスタート地点で、延々と走り続ける部下たちを監督していた。が、にわかに騎士宿舎の裏手から声が聞こえてきた。それに気づくと同時に、明らかにランニングペースではない速さで部下がひとり駆けてきた。
「御堂団長! 小瀧がぶっ倒れました……!」
「! ……あんの、馬鹿!」
瑛士は舌打ちし、声がしたほうへ駆けだした。建物の裏で、数人の同僚に介抱されている昴流がいた。呼吸は荒く不規則で、酷く苦しげである。無理もない。胸や脚に多数の銃撃を受けてから、まだ日数が経っていないのだ。
騎士たちを走り込みに戻らせた瑛士は、昴流の身体から諸々の装備を剥ぎ取った。帯も少し緩めてやるとだいぶ楽になったようで、声を出す余裕が出てきた。
「すみません、団長……」
「まったくだ、倒れる前にやめろとあれほど言っただろうが!」
実際は「お前は走らなくていい」と瑛士が言ったのだが、昴流はそれを拒否したのである。まあこの状態で十二周も粘った昴流も昴流である。
「この怪我は、僕自身の未熟さの表れです……強く、ならなきゃ。もう二度と……あんなことは御免なんだ」
昴流が拳を握る。「あんなこと」というのが先日のクーデターで巴愛を守り切れず、咲良を死なせてしまったことの後悔だというのは瑛士にもすぐに分かった。
「自分の現状から目を背けて、限界も見極められない奴に騎士を名乗る資格はない! お前が巴愛や咲良のことに責任を感じているのは分かっている、だがだからこそ、お前はお前自身を大切にするべきなんだ。それが生き残った者の死んだ者に対する義務ってもんだぞ」
厳しい瑛士の言葉に目を見張った昴流だったが、すぐに平静を取り戻した。むしろ先程よりも決意に満ちた目で、瑛士を見返す。
「……なら僕は、騎士としてでなくとも強さを望みます」
「昴流……」
「死んだ者のためにも生きる。それはまったく確かなことですけど、また同じように、生き残った者を守る義務もあります」
瑛士はそれまでの勢いをなくし、昴流の真正面に胡坐をかいて座った。
「……単刀直入に聞くぞ」
「はい」
「お前、巴愛のこと好きなのか」
「本当に直球ですね。でも、そう……ですね。僕は巴愛さんが好きです。守るべき対象としてではなくて……もっと純粋に」
瑛士は苦々しい表情で昴流を見やった。昴流は微笑む。
「分かっていますよ。巴愛さんが兄皇陛下に惹かれているということも……兄皇陛下が巴愛さんを大切にしているのは、何も責任感だけじゃないってことも」
「いいのか、それで?」
「兄皇陛下を恋敵にするつもりはありませんよ。それに何より、僕は巴愛さんの気持ちを第一にしたい。兄皇陛下のお傍にいるほうが、巴愛さんには幸せなことです。僕は、そんなあの子のことを守りたいんです」
昴流自身、いつからそう思うようになったかは分からない。だが気持ちが明確になったのは、あのクーデターの時だ。
「僕は昔から……何かと不幸を呼び寄せますからね。離れているべきなんですよ」
「そんなことはないだろう。自虐はよせ。……本当に、お前は優しい奴だな。それにどうしようもなく損する性格だ」
「自覚していますよ」
「……よし、後半は恋愛相談みたいになったが、俺も協力してやろう。昴流、お前は別メニューだ。お前がもっと強くなれるように、俺が鍛えてやる」
その言葉に昴流が表情を明るくした。瑛士の特別訓練と聞いてげんなりしていた昴流はどこへ行ったのであろうか。
「有難う御座います!」
「じゃ、医務室行くぞ」
「……は?」
勢いを殺がれた昴流が素っ頓狂な声を上げる。瑛士が立ち上がって昴流を引き起こした。
「最初に言っただろう、限界を知れってな。お前には、騎士として巴愛を守ってもらわんとならない。ほら行くぞ。それともなんだ、俺に抱っこされて運ばれたいのか」
「う……わ、分かりました……」
昴流はようやく観念したのだった。
★☆
知尋はその時、皇城の通信制御室にいた。天狼砦や騎士団本部と連絡を取り合う場所で、大きなモニターと端末が並んでいる。例のごとくこれらの機器類は彩鈴から購入したものだが、通信技術というのは特に難しいもので、人並み以上に機器類に詳しいはずの知尋ですら扱いは困難だ。もし故障でもしたら大金を払って彩鈴から技術者を招かねばならないので、この機械の前では誰もが慎重になる。
天狼砦とは毎日朝、昼、晩と定時報告を行っている。だが報告事は面倒なもので、戦争直後ならまだしもこう日数が経つと単純化した作業は疎かになりがちだ。「確認しろ」と指示され、面倒だからちらっと見ただけで「確認終わりました」と報告するのと同じである。騎士とはいえ、やはり気は緩むことがある。
いつもはそんなことをしないのだが、今日知尋が自ら定時報告を受けるのは、そうした騎士たちに喝を入れて警戒を促すためである。
知尋はモニターの前の椅子に座り、パネルを慣れた手つきで作動させた。神核術士で、神核研究者でもあり、医学者、技術研究者という顔も持つ知尋にとっては、色々と知識を組み合わせれば機械を動かすことは容易なのである。壊れたときは別だが。
定時報告の時間になり、通信受け入れの態勢が整った。だが頭上のモニターは沈黙したままで、一向に砦からの通信が入って来ない。知尋がわずかに首をかしげ、他の技術将校たちも集まってきた。
「故障でしょうか?」
「朝の定時報告ではいつも通りだったんですが……」
「天狼砦、応答してください」
口々にそう呟きが漏れる。知尋はしっと唇に人差し指を当て、周りの者を静かにさせる。
「通信回線を辿ります。本当に故障ならどこかでぶつかりますし、そうでないなら砦の音が拾えるかもしれません」
魔力とは一種の電気信号だ。知尋は自らの意識を魔力に変換し、機器の中にダイブできるのである。その気になれば知尋はこの端末から国中の機器を制御不能にできるだろう。通信回線が故障しているなら、その場所より先に知尋の意識は進めないし、無事開通していれば知尋の意識は遠く離れた天狼の通信機器にまでたどり着ける。これはかなりの荒業なので、あまりほめられたことではないのだが。何せ知尋はこんな機械などなくとも、自分の魔力だけで遠く離れた場所のことが分かってしまうのだから。
知尋は【集中】を開始した。その意識は凄まじい速度で通信回線と言う一本のトンネルを駆け抜ける。特に障害物はない。故障ではないのだ。
だとすれば――知尋が危惧しているもうひとつの可能性が出る。
と、微かな声を知尋は察知した。神経を集中して音を拾ってみる。天狼砦の通信端末の傍に、誰かいる。
『も……すぐ、定……報告の時……うわっ……なん……こ……は……!?』
『急げ……通信……だけは入れ……』
『駄目だ……間に……』
雑音交じりの声。途切れがちな言葉だったが、知尋にははっきりと聞こえた。
知尋が目を開ける。同時に、機械の中にダイブしていた意識も戻ってきた。知尋は厳しい顔つきで、傍にいる技術将校に尋ねた。
「朝は、定時報告があったんですね?」
「は、はい、滞りなく」
「……」
知尋は少し黙り、室内で固唾を飲んで次の言葉を待っている将校たちを見回した。
「騎士団本部、及び軍議室に連絡を。天狼砦は、まさにいま襲撃を受けています」
その声は室内にいた者たちに、雷に打たれたかのような衝撃をもたらした。だがそれで取り乱すような真似はしなかったのは、さすがである。大急ぎで複数のモニターに向かい、知尋に指示された通りの場所に通信を入れる。
「騎士団長を至急軍議室に呼び出してください。おそらく国民への避難命令も出しますから、用意だけはしておくように」
「了解しました!」
知尋は手早く指示を出し、残りは待機するよう告げて通信制御室を飛び出した。今頃、通信を聞いた真澄が仰天している頃だろう。




