序章
中学三年生の夏は、唐突に終わりを告げた。
バレー部のエースとして臨んだ、最後の大会。去年よりさらに技術的に磨きがかかったあたしたちのチームなら、負けはないと思った。
家族はみな、超がつくほどバレーが大好きだった。両親と、小学三年生の弟湊。試合には必ず誰かしら応援に来てくれた。この歳になって四六時中カメラを回されるのは恥ずかしいが、家族の声援はあたしにとって最高の活力だった。
試合開始まで一時間を切った。家族はもう家を出たころかな、と思いつつ身体をほぐす。そうしていると、急に顧問に名を呼ばれた。少々短気な顧問に怒鳴られ、あたしは身を縮める。また何かやらかしたのかと覚悟していると、思いもよらぬことを告げられた。
あたしの家族が交通事故に遭い、みな亡くなったのだと。
★☆
車と車の正面衝突。ぶつかってきたのは、対向車線から乗り出してきた若い男の車。飲酒運転だった。
両親はほぼ即死。後部座席にいた湊は一命を取り留めたかに見えたが、すぐ容体が悪化して帰らぬ人となった。
だというのに、犯人は掠り傷。おかしい、世の中って理不尽だ。
あたしは母方の祖母に引き取られた。祖母は、あたしにとってたったひとりの身内だった。祖母の家も自宅の近所だったので、あたしの学校生活は何も変わらなかった。ちなみにバレーのチームは準決勝で敗れてしまったそうだが、もはやあたしの興味の範疇外だ。
あたしはそのまま中学を卒業し、一駅隣の高校に進学した。一駅隣と言っても、自転車で通える距離だ。雨の日は歩く。バスも電車も使わない。交通費節約だ。部活には入らず、バイトを始めた。祖母はバレーを続ければいいと言ったが、嫌でも家族の死を思い出させるバレーとは、もう関わりたくなかった。そして祖母に面倒をかけている手前、自分の小遣いくらいは自分で稼がなければならないと思った。家事も全部自分でやるようにした。足の悪い祖母に、自分の世話まで焼かせたくはなかった。
新しい友人たちと出会い、仲良くなっていく中で、家族の死に対する痛みは少しずつ和らいだ。あたしは失っていた笑顔を取り戻し、生来の明るさが表に出てくるくらいには元気になった。家族を亡くして馬鹿みたいに笑っているなんて不謹慎だと思われるかもしれないが、いつだって笑顔を絶やさなかった家族への、これがあたしなりの意思表示だ。「大丈夫」――あたしはもう泣かない。
高校を卒業し、祖母に多少援助してもらいながらもほぼ自費であたしは大学に進学した。そしてそれを見届けたかのように、祖母はこの世を去った。
あたしは今度こそ、ひとりぼっちになった。けれど、何もできず泣くしかできなかったあの時とは違う。自分だけでも生きていけるように、今まで頑張ってきたのだ。勉強して、バイトして、家族の仏前に線香をあげて。何も変わらない。
でも、やっぱり寂しいから、時々無性に泣きたくなる。そういうときに零れる一粒の涙くらいは、許してもいいよね……?
九条巴愛。現在十九歳、大学二年生である。
★☆
昨日から降り続いている雨は、夕方になった今でもまだ降っている。もうそろそろ暖かくなる季節だが、季節外れに寒い。
「じゃあ、お先に失礼します」
「おー、巴愛ちゃん、気を付けて帰れよー」
バイト先のカフェの店長の声に送られ、巴愛は外に出た。
透明なビニール傘を開いて、雨だというのに人通りの多い大通りを歩く。こんな時間にここを歩くのは久々だ。
今日は朝から少し熱っぽかったので、早引けさせてもらった。高校時代からずっと勤めていて、巴愛の事情も知っている店長は、いつも巴愛に気を遣ってくれる。巴愛から早引けを申し出たわけではないのだが、店長から今日はもう帰れと言ってくれたのだ。
祖母が亡くなって一年。さすがにもう一人での生活は慣れた。家事は完璧に習ったから、まったく不自由はしていない。お金の管理もきちんとしている。
今日の夕飯はラーメンでも煮るつもりだったのだが、ちょっと疲れた。帰りにコンビニに寄ってお弁当でも買おう。そういえば来月は両親と弟の命日だ。ちゃんとお墓を綺麗に掃除しなきゃ。ああそうだ、キッチンの電球が切れていたんだった。替えはあったような気がするけど、あたしの背で届くのだろうか。
とりとめもない考え事が、次から次へと巴愛の脳裏をかすめていく。熱っぽいから頭もおかしくなっているのだろう、と自分で思う。
歩行者信号は青。
――『トモ姉、今年はなんのケーキ作ってくれるの?』
大好きだった弟、湊の笑顔が蘇る。
明後日は湊の誕生日だ。誕生日には毎年必ず、巴愛が手作りのケーキを作ってあげていた。昔から料理は得意で、特に菓子作りは好きだったのだ。結構凝ったケーキも作れた。湊はそれを楽しみにしていたのだ。
そうだな、店長には三日間お休みもらったし、大学も休み。調子が良ければ、何かケーキを作って、湊の誕生日をお祝いしてあげよう。生きていれば、今年で中学二年生だった弟。あの可愛い湊がどんな生意気な中学生になるのか、楽しみだったのだけれど。
両親と湊を殺した犯人からは、事故の後すぐ面会し、謝罪を受けた。多分誠意ある人なんだろうとは思ったけれど、それだけだ。今でも時々手紙が来るが、どうだっていい。何度謝られようが家族は生き返らず、あの男が殺したことに変わりはない。そしてあたしは、あの日にひとりになったのだから。
横断歩道を渡る。対岸まであと十五メートル。その時、派手にクラクションがなった。
車が突っ込んできている。どうして、いま車は赤信号なのに。足がすくんで動けない。下半身が言うことを聞かない。
ドン、と鈍い音がする。巴愛の持っていたビニール傘が、地面にポトリと落ちていた。