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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
26/94

23 新たな誓いは寒気とともに

 ――救急車のサイレンが響いている。慌ただしく動いている救急隊員と、燃えている乗用車。


『痛いよ、トモ姉……トモ姉……!』


 少年が血にまみれた腕を、宙に伸ばした。何かを掴むような動作をした後、少年の手は力を失って地面に落ちた。


「――(みなと)ッ!」


 巴愛は叫んで飛び起きた。荒い息をしながら周囲を見渡すと、そこは静頼の宿の一室だった。


「夢……」


 巴愛はふっと息を吐き出した。と、急に扉が開いた。ぎょっとして顔を上げると、そこには真澄がいた。


「ま、真澄さま!?」

「……大丈夫か?」


 真澄が心配そうに尋ねる。巴愛の悲鳴を聞いたのだろう。巴愛より真澄のほうがぎょっとしたに違いない。


 真澄は巴愛のベッドの傍に歩み寄り、その額に掌を当てた。ごく自然な動作で、その力強い掌の感触に呆然としたが、すぐはっと我に返って首を振った。


「熱は……なさそうだな」

「だ、大丈夫です。ちょっと、嫌な夢を見ちゃっただけで……」

「夢?」

「あたしの弟が……死んだ時の夢です」


 真澄は無言で傍にあった椅子に腰かける。巴愛は毛布を引き上げた。


「あたしは弟がどうやって死んだか見ていないし、話で聞いただけなのに……はっきりと、死ぬ間際のあの子のことが夢に出るんです。『トモ姉』って、手を伸ばして……父よりも母よりも、最初にあたしのこと呼ぶんです」

「……仲が良かったんだな」


 巴愛は微笑んで頷いたが、瞳は僅かに潤んでいた。


「湊は……あたしのこと何度も呼んでいたのに、あたし、湊のところに行けなくて……っ。それが情けないっ……!」

「――私は君の弟を知らないから、確かなことは言えないが……大好きな姉が悲しんでいることを、弟は嬉しく思わないと思うぞ。死者が願うのは、生きている者の幸せだろうからな」


 真澄の優しくもしっかりとした言葉に、巴愛は頷いた。


「……有難う御座います。朝から驚かせちゃってごめんなさい」

「いや」

「……あれ? そういえば、真澄さま、言葉遣いが違いますね」


 真澄はぎくりとした。


「……どこが、どう違う?」

「昨日は自分のこと『俺』って……」


 真澄は無言で髪の毛を掻き回す。巴愛が首をかしげた。


「もしかして、そっちが真澄さまの素……ですか?」

「――ああ。興奮したり、人気がないとつい、な。まあ、忘れてくれ。あまり相応しいとは言えないからな」

「忘れなきゃ駄目ですか?」


 無邪気に問われ、ますます真澄は困り切った。巴愛に自覚はないのだろうが、相当真澄を追い詰めている。真澄本来のやんちゃさや乱暴さを隠している手前、そこを指摘されると弱いのだ。


「……忘れなくてもいいが、秘密だ」

「はい」


 巴愛は微笑んだ。良いように誘導されたような気がして、真澄は軽く肩をすくめる。そして、一応本題としてあることを告げる。


「昴流が目を覚ましたぞ」

「ほんとですか!?」


 巴愛が目を輝かせた。真澄は頷く。


「いま瑛士と話をしている。行くか?」

「はい!」

「よし、じゃあ行こう」


 真澄が立ち上がり、廊下で待っていると告げて部屋を出た。巴愛は慌てて身なりを整え、真澄と合流した。


 瑛士は昴流のベッドの脇に立ち、痛々しい昴流を見下ろしていた。包帯だらけであるということも勿論だが、その表情も沈鬱だ。


「……そうでしたか」


 やっと、吐き出す息のような呟きを昴流は口から絞り出した。瑛士が姉の死を告げて、二分は経過したときである。室内は沈黙に包まれた。


 静寂を破るノックの音が響いた。瑛士が答えると、巴愛と真澄が現れた。


 昴流はぱっと沈鬱な表情を捨て、笑みを浮かべた。いささか無理をした笑みだが、巴愛の姿を見てほっとしたのは本当だ。


「ああ、巴愛さん! ご無事でよかった」

「昴流こそ……!」


 巴愛が昴流の傍に駆け寄る。昴流は起きることができないので、横になったままである。


「僕ならほら、見ての通り。さすがに血を失いすぎてしまったようですけど、同僚や街の人の善意で助かりました」


 今でこそ昴流はぴんぴんしているが、輸血が必要になるほどに大量出血をしたのだ。町医者の迅速な判断と、騎士たちの行動力によって昴流は助かったようなものだ。


 いつもと同じ少しおどけた様子の昴流に巴愛はほっとしたが、急に表情を曇らせて俯いた。ぐっと毛布の端を掴む。


「昴流……あの……」


 昴流は微笑んだ。


「……姉のことなら、御堂団長からお聞きしました。巴愛さんが責任を感じることではありませんよ」

「でも……」

「巴愛さん、姉はね、皇都を出る前僕にこう言ったんです。『守るべき人のために死ぬのを恐れはしない』と。姉は巴愛さんの危機を陛下にお知らせするために走りました。そして報告をすることができた。……巴愛さんも僕も、姉に生かされているんですよ」


 昴流は分かっている。咲良があの時別行動を申し出たのは、自分が囮になって敵の目を引き付けるためだったと。その結果昴流を追う者は減り、昴流も死なずに済んだ。その代わりに、逃げる咲良を巴愛と思い込んだ追っ手により、咲良は殺されたのだ。


 けれどそんなこと、巴愛には教えられない。


 顔をあげない巴愛に、昴流はさらに語りかける。


「巴愛さんが姉の死を悲しんでくれるのは、僕としても嬉しいです。けれど、僕も姉も死に瀕してでも貴方を守りたかった。それは確かなことなんです。姉のためにも、巴愛さんは笑って生きてください」

「……うん……有難う……」

「はい」


 昴流は微笑んだ。真澄が巴愛の隣に立つ。


「昴流、私からも言わせてくれ。有難う――そして、すまなかった」


 真澄が昴流に頭を下げたので、昴流は慌てた。瑛士を見やったが、真澄を止める気はないらしい。


「へ、陛下、僕に頭なんて下げないでください……」


 そう言うと真澄は顔を上げたが、真澄はひどく真面目な顔だった。彼が昴流の怪我や咲良の死に責任を感じているのは確かだ。だがそれ以上に、強い思いがある。


「これは私の決意だ。二度と私の愚かさのために誰も殺させないし、傷つけさせない。お前に誓うよ、小瀧昴流。もし私がまた愚かな道を選ぼうとしていたら、姉の死を忘れたかと怒鳴ってくれ」

「陛下……はい、心得ました」


 昴流はそれを了承した。きっと自分が真澄にそんなことを言う日は来ないだろう。来てほしくないと昴流は祈る。


 巴愛と真澄が部屋を出ていっても、瑛士は残っていた。ぼんやりと天井を見上げていた昴流は、ふいに両手で顔を覆った。瑛士が声をかけないでいると、昴流が尋ねてきた。はきはきとした昴流には似つかわしくないほど、その声は弱々しかった。


「団長……『きっと大丈夫』って……何が大丈夫なんでしょうね……?」


 咲良の最後の言葉だ。瑛士は少し考えてから答える。


「真澄さまと巴愛のこと、これからの玖暁のこと、世界のこと……全部ひっくるめて、じゃないか」

「そうですね……でも、僕はこういう意味もあったんじゃないかって思うんです。『もう自分がいなくても、昴流や巴愛さんは大丈夫だろう』、って……そんなこと、あるわけないのに……!」


 昴流の声がくぐもっているのは、顔を覆っているからだけではないだろう。


「『泣くな』なんて勝手なこと、言わないでよ……ふたりで生きてきたのに……僕が泣かないなんて、本気で思って……」

「昴流……」

「……ごめんなさい、団長。今だけ……です」


 瑛士は無言でうなずき、部屋を出て行った。一人になった昴流は、小さな声で「姉さん」と呼んだ。扉を閉める寸前その声が瑛士にも聞こえたが、彼は聞こえなかったふりをした。





★☆





 結局真澄らの静頼滞在は二日間延びた。民家の修復等やることは山積みだったが、今の状況で真澄にはできることがない。ともかくも一度真澄は皇都に戻り、色々と指示を出さねばならない。事後処理のために李生が自分の部下を静頼に残し、他の者は皇都へ戻ることとなった。勿論捕えた喜納加留奈をはじめ、傭兵たちも連行する。


 昴流はと言うと、驚異の回復力で起き上がることくらいはできるようになっている。医者はもう少し安静にするべきだと言ったが、昴流がどうしても共に皇都へ戻りたいと言ったので、真澄がそれを許した。昴流は行きに巴愛と咲良が乗った馬車を使うことになり、巴愛は真澄の馬に同乗することになった。巴愛は真っ赤になったのだが他にどうすることもできず、言われた通りにした。


 皇都に到着したのはその日の夜だ。城門で出迎えた知尋はまず真澄らの無事を確かめてほっとした。だが口に出しては何も言わなかった。真澄の表情を見れば、失ったものの大きさが分かるのだ。


 真澄の馬に巴愛が乗っているのを見て、「おや」と知尋は呟く。巴愛の存在を人目にさらさないよう気を遣っていた真澄が、堂々と彼女を表に出しているのだ。これも変化だ、と知尋は見抜く。


 真澄は、巴愛の存在を隠したことを「愚かだった」と自評しているが、知尋はそうは思っていない。真澄が考えて出した結論であって、貴族が厄介な今の状況を考えれば当然のことだった。それを止めるということは、真澄は真っ向から貴族たちと「喧嘩」をする覚悟ができたということだ。


 馬を降りた真澄は、巴愛を支えて降ろしてやる。知尋が歩み寄った。


「お帰りなさい、ふたりとも」

「ああ、ただいま」


 真澄の答えに頷いた知尋は、ざっと後続の騎士たちを見やった。そこに咲良の姿がないことに、知尋はすぐさま気付いた。そしてそれがなぜなのかも。


「……そうですか、咲良が……」


 知尋はそう言ったきりしばし目を閉じた。それは知尋の黙祷だったのかもしれない。だがすぐ知尋は顔を上げた。落ち込む時間はあとでいくらでも、という考えは知尋にも共通していた。それに、こんなところで沈んだ話をしたくなかったのだ。


「喜納公爵およびその一族は捕えてあります。公爵から今回の計画についての首謀者であるという言質は取れましたが、どうやらその家族は一言も知らされていなかったようです」

「公爵とその次女だけの計画か……神谷のほうはどうした?」

「神谷は別荘を貸し出しただけで、具体的な計画は何も聞かされていませんでした。場所だけを利用されたのでしょう」


 真澄はそのあと知尋は少し話をし、馬を厩舎に繋ぎに行った。皇さまが自分でやるんだなあ、と思いながら夜の闇の中に見えなくなっていくその後ろ姿を見送っていると、知尋が言った。


「巴愛も、怖い思いをしたでしょう。巻き込んでしまってごめん」


 知尋にまで詫びられ、巴愛は首を振った。


「あたしは大丈夫です。こうして無事ですし……知尋さまの神核、役に立ったんです」

「そう……本音を言えばあまり役に立ってほしくなかったけど。君が無事で、本当に良かったよ」


 知尋は微笑んだが、急に笑みを消した。


「巴愛。これから君には、嫌なことがたくさんあると思う。見ず知らずの人間に罵倒を浴びせられたり、白い目で見られたり。でもね、真澄は絶対にそれを許さない。勿論、私も。何かあったら、すぐ真澄か私に言いなさい。それが君のためでもあり、私たちのためでもあるから」

「え……?」

「……これが真澄の、君への新しい誓いであり、今からは私の誓いでもある。今度は私たちも君を直接守るからね」


 束の間抑えていた知尋の笑みが、また広がった。よく分からなかったが、とにかく遠慮せずに言えということだろう。そうしなければ真澄らの迷惑にもなると言われたからには、言うしかない。


 真澄が戻ってくる。それに気づいた知尋は、真澄が口を開くより早く真澄の額に手を当てた。真澄が驚いたように瞬きをする。


「おい知尋、なんだ?」

「――やっぱり、ちょっと熱っぽいですね。ここ二週間くらいまともに休んでいなかったでしょう?」


 真澄も巴愛も驚き、なんとなく視線を見合わせた。皇城の豊かな光源の下でも真澄の顔はぼんやりとしか見えないが、とても熱っぽいようには見えない。


「そ、そうか? 別にいつもと同じだと思うが……」

「やれやれ、なんとかは風邪を引かないと言いますが、まさにそれですね」

「誰が馬鹿だって?」


 知尋は「馬鹿」という単語は言っていないが、丸分かりである。真澄が眉をしかめると、知尋は肩をすくめる。


「勉強ができるできないではありませんよ。自分の体調も管理できない、と言う意味です」

「うぐ……」

「どうせもう夜なんです。自分で部屋に行って休むか、それとも私に気絶させられて運ばれたいですか?」


 優雅な笑みとともに物騒な二択を迫られ、真澄が溜息をついた。


「分かった……今日は休む」

「よろしい。巴愛、真澄に付き添ってやってもらってもいいかな?」

「え!?」


 巴愛がぎょっとする。知尋は悪戯っぽい表情で巴愛の背中を押す。


「本当に部屋に行って寝るのか、ちょっと信用なりませんからね。監視です」


 巴愛は真っ赤になり、頷いた。


 ふたりは伴って皇城の中に入った。といっても巴愛は寝所までの道を覚えていないので、真澄の隣を歩いているだけだ。巴愛がちらりと真澄を見上げる。


「あの……大丈夫ですか?」

「ああ、体調が悪い気はしないのだが……知尋が言うんだったら、多分悪いんだろうな」


 自分のことだと言うのに、真澄は適当である。


 寝所に戻ると、真澄とは部屋の前で別れた。別れ際、真澄は微笑んだ。


「すまんな、付き合わせて。巴愛もゆっくり休めよ」

「はい。えっと……お大事にしてくださいね」


 巴愛はそう言って、軽やかな足取りで駆け去った。急いでいたというより、恥ずかしいという気持ちで走ってしまっただけだ。やれやれと肩をすくめ、真澄は自室に引っ込んだ。生活感がありすぎる自室の引き出しを片っ端から開け、神核仕掛けの体温計を探し出した。なぜそんなものが真澄の部屋にあるのかといえば、知尋がしょっちゅう熱を出しては、面倒臭がって熱を測らないから、真澄が部屋に常備することにしていたのである。どうやらまだ動くらしいことを確かめ、体温を測る。そうして示された数字は、三十七度二分。確かに熱っぽい。それに気づく知尋は、さすがというかとんでもない。


 しかしこうなると本当にまずい。真澄には色々と仕事がある。皇に限らず、政治家は健康でなければやっていけない。こんなところで倒れるわけにはいかないのだ。そういうわけで、今日の疲れを明日に持ち込まないため、真澄は早々にベッドに潜り込んだ。真夏であるにも関わらず「寒い」と感じて、ようやく自分の体調の悪化に気付いたのだった。


 少しうつらうつらしていたようで、気付いたとき傍には知尋がいた。真澄が目を覚ましたことに気付いたらしく、知尋が二粒の薬と水の入ったコップを差し出す。


「はい、薬。熱、上がってきたでしょう?」

「ん……そうかな」


 真澄は身体を起こした。節々が痛くて非常に身体がだるかった。寒い、という気分はなくなり、異常に身体が火照っている。


 薬を飲んだ真澄を寝かせ、知尋がふっと微笑む。


「なんだか、いい気分ですね。いつもは私が真澄に看病されるのに、今日は逆です」

「いい気分ってなあ……俺の不調を喜んでいるようにしか聞こえないぞ」

「そう言う意味じゃないですよ」


 真澄は溜息をついた。


「熱なんて、何年振りかな……」

「十年振り以上であることは確かですね。最近は特に神経張りつめていましたし……肩の力の抜きどころですよ」

「……お前は大丈夫なのか?」


 兄の問いに、知尋は頷く。


「平気ですよ」

「あまり無理をするなよ」

「そういうことは、まず自分の身を労わってから言ってください」


 知尋の言葉に真澄は薄く苦笑いを浮かべ、疲れたように目を閉じた。知尋はそっと毛布を引き上げてやり、静かに部屋を出た。


 しかし、結局真澄の熱は翌日になっても下がらず、やむなく知尋と矢須に仕事を代わってもらうことになったのだった。その間、知尋の悪戯半分本気半分の采配で、巴愛が真澄の看病をしたのは当然のことである。

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