21 逃亡、響く銃声
来た道を戻ろうと樹海に入ったのだが、昴流に指示されて樹海のもっと奥へと逃げた。とりあえず、「迷ってしまうよりも今は逃げることを考える」だそうだ。大丈夫、きっと御堂団長が探してくれますから、と昴流はかなり無理をした笑みを浮かべてくれた。
途中、空を切る音がまた響いた。どおん、とまた大爆発。どこかに二発目の砲弾が落ちたのだ。
敵が追いついてくるには時間があるだろう。ふと横手を見ると、だいぶ向こうではあるが民家が見えた。静頼の街から、まだそう離れていないようだ。
「……私、街に戻って陛下たちと合流するわ」
咲良が急にそう言い出し、烈火のごとく昴流が食いついた。それはすなわち、囮になるといっていることだ。
「姉さん! どうしてそういう無茶なことを……!」
「無茶は貴方よ。戦えない人間、しかも女を二人も抱えて、どう逃げるつもりなの?」
反論され、昴流は返答に詰まった。確かにそれは問題である。巴愛はまだ運動ができるが、咲良はからきしだ。
「大丈夫。ここから一直線に突っ切るだけだもの。ちゃんと戻れるから」
「けど……」
「巴愛さん、昴流について行ってください。この子はちゃんと、巴愛さんを守ってくれます。だから安心して」
咲良はにっこりと微笑み、街のほうへと駆け出して行った。
「咲良さん……!」
巴愛が声をかけようとしたところで、昴流が巴愛の腕を掴んだ。昴流は首を振る。
「姉なら大丈夫。今は自分が助かることを考えてください」
「……そう、ね。昴流のお姉さんだもん……ね」
巴愛が無理やり納得すると、昴流は頷いた。
「さあ、行きますよ」
昴流としては、このまま樹海を突っ切って静頼地方から出てしまうか、真澄や瑛士が助けに来るまで逃げ切るか、どちらかを選ぶしかない。しかし真澄らはきっと消火活動や人命救助で手が離せないはず。自力で助かるしかない。
昴流と巴愛はひたすら樹海の歩きにくい道を走った。もはや道とはいえず、木と木の間を縫っているだけである。
その時、乾いた音が響いた。昴流がはっとした瞬間、隣を走っていた巴愛がふっと視界から消えた。振り返ると、巴愛は地面に倒れていた。その右の上腕部の服の裾が裂けており、血が流れていた。
「巴愛さん!」
昴流が駆け寄り、巴愛を抱き起こす。怪我をさっと確認すると、どうやら銃弾が掠っただけのようだ。「だけ」と言っても、巴愛には体験したことのない痛みだろう。必死に歯を食いしばって痛みを耐えているようだが、目にはじんわり涙が浮かんでいる。
人の気配を感じた。昴流が【集中】して風の神核を発動させたのと、敵が銃を一斉に撃ったのは同時だった。
昴流が巴愛を片手で抱いたまま、空いている片手の掌を前方に向ける。昴流たちの前に巨大な風の奔流が生まれ、飛来した銃弾をすべて弾いた。そしてそのまま昴流は力を込める。風の奔流は真空の刃に形を変え、一直線に撃ち出された。その風の刃はすぱんと気持ちよい音とともに、太い木の幹を両断した。巨木が一気に何本も地響きとともに倒れ、道の上に折り重なってその巨体を横たえた。倒木の壁ができて、敵の行く手を阻んだのだ。
昴流はその隙に巴愛を抱き上げてその場を離れ、大きな木の後ろに身を隠した。そこで昴流は自分の着物の裾を豪快に破り、手早く巴愛の右上腕部に巻き付けて止血をする。
「大雑把ですが、今はこれで我慢してください。……走れますか?」
「……うん、大丈夫」
巴愛の気丈な言葉に、昴流は少し笑みを浮かべた。
再び走り出すと、すぐさま銃声が聞こえてきた。そのたびに昴流は風の神核術でそれを防いだ。昴流の前を走っている巴愛には何が後ろで起こっているか分からなかったが、後ろを振り返ってはいけないということは分かっていた。だからずっと走っていたのだが、急に昴流が巴愛の腕を引いて抱き寄せたかと思えば、昴流は片手一本で軽々と頭上の枝を掴んで太い枝の上に飛び乗った。思わず声が出そうになり、慌てて口を噤む。こういう扱いは、初対面の時の真澄以来である。真澄にしても昴流にしても、なんて人なんだろう。
昴流たちが登った木の下を、敵が通り過ぎていく。その姿が完全に見えなくなって、昴流が息をついた。
「……なかなか、骨のある連中ですね。騎士ほどじゃありませんが、統率のある動きをします」
巴愛が相槌を打ったとき、昴流が表情を歪めた。見ると、彼の肩や腕には銃痕があった。巴愛の守りを最優先にしていたので、自分の守りがおろそかになったのだ。
「昴流、この傷……!」
「ああ、大丈夫、掠り傷です。僕にとっては、こんな傷はしょっちゅうですからね……」
昴流はそう微笑み、巴愛にしたように止血をしようとはしない。巴愛は銃弾が掠っただけだが、昴流は撃ち抜かれているというのに。
「しばらく……ここで様子を見ましょう」
昴流はそう告げた。枝と葉が多い巨木なので、外からは姿が見えないだろう。昴流は巴愛を安定した太い枝に座らせ、幹に寄りかからせた。昴流自身はその隣に座る。明らかに昴流の場所は不安定だが、気にもしない。
だが昴流の顔色はすこぶる悪い。息をも上がって、身体も震えているようだ。失血からのものかと思い、巴愛が顔を覗き込む。
「傷、痛む……?」
「……いいえ。魔力が、枯渇しかけているだけです……」
聞きなれない単語に巴愛が黙ると、こんな時だと言うのに昴流は説明してくれた。
「僕は神核術士じゃありませんし……神核を攻撃で多用したことがないので……術を使うために必要な魔力が足りなくなってきたんです。感覚的には、走りすぎて酸欠になった気分ですね……」
「治るの……?」
「少し時間が経てば、元に戻りますよ」
昴流がそう微笑んだ。
時間にして約十分ほどだっただろうが、やけに長い時間に感じた。昴流も少し呼吸が落ち着いてきたようでほっとしたのも束の間、また銃声が響いたのだ。身を強張らせた巴愛を昴流が支える。その瞬間、昴流がびくりと震えた。
「っ……ぁ!」
「昴流!?」
昴流の背に銃弾が撃ち込まれていた。貫通はしていないから、弾は体内に残っているはずだ。もし貫通していたら、巴愛も撃たれていた。
昴流の身体がぐらりと揺れた。必然的に昴流が支えていた巴愛も引きずられ、もんどりうって二人は木の上から落下した。昴流が咄嗟に身を捻って自分の身体を下にして、巴愛を落下の衝撃から守る。撃たれた背中を今度は地面に強打し、昴流は激痛で呻く。それでも昴流は身体を起こし、巴愛に尋ねた。
「巴愛さん……怪我、ないですか」
「あたしのことより、昴流が!」
昴流の被弾箇所は、どこも急所ではない。だが放っておけば失血死する。
「僕は、大丈夫ですよ」
昴流はそう言って刀を抜き、それを杖に立ち上がった。もう立つことなど不可能なはずなのに、どこにそんな力があるという?
そんなふたりを、大勢の男が取り囲んだ。全員黒づくめで、それぞれ刀か銃を構えている。
昴流は地面に突き刺していた刀を抜く。そして構えた。玖暁騎士団流の構えである。
「昴流……昴流……!」
巴愛はもう昴流の名を呼ぶことしかできない。昴流は血と汗にまみれた顔で、それでも不敵に微笑む。
「……どこのゴロツキか知りませんけど、本物の騎士の力を思い知らせてあげますよ」
昴流がそう言った瞬間、刀を持った傭兵たちが一斉に飛び掛かってきた。刀三本同時の攻撃を、昴流は自分の持つ一本の刀ですべて受け止める。そしてそれを強い力で弾き飛ばした。よろめいた傭兵たちになど目もくれず、昴流は新たに斬りかかった傭兵の刀をひらりと避け、無防備な相手の肩口に斬撃を浴びせる。昴流としてはその気はなかったのだが、運悪くその刃は傭兵の頸動脈を断ち切ったらしく、傭兵は絶命する。巴愛がいるからといっても、この状況で手加減できるほど現実は甘くなかった。
昴流の動きは、致命的な怪我を負っている人間の動きとは思えないほど俊敏だった。本人も驚くくらいだ。多分守るべき存在がいると、力尽きることなど許されずに限界を超えてしまうらしい。今の戦いぶりを瑛士が見たら、「いつも力の出し惜しみしているな?」とでも言われかねない変貌だ。
ただし、厄介なのは銃である。
そもそもこの世界で「銃」というのは、戦争で使う機銃、いわば戦車のことを指す。それを小型化、改良したものを彩鈴は製造しているが、それが軍事転用されて刀の戦いが銃撃戦になるのはきっとずっと先のことで、そんなものを個人が所有できるなどあり得ない。だがそれをできるのが、喜納公爵の財布と権力なのだ。昴流も、ライフルやら拳銃やらを相手にするのはこれが初めてで、その銃弾の弾速には圧倒されがちだ。砲撃は至近距離ではできないし、飛んでくるまでに時間があるから全力で逃げればいい。しかし拳銃などだとそうはいかず、どうにかして防ぐしかないのだ。
発砲の音が聞こえ、ほぼ本能で刀を振り上げる。かん、という音とともに銃弾が刀身に当たって落ちた。――どうやら相手は、巴愛の身を生きたまま手に入れたいようだ、と昴流は確信する。身動きできない彼女を殺すことは簡単なはずだが、傭兵たちは昴流にしか手を出さないのだ。
逆に言えば、巴愛を守護する昴流が邪魔で邪魔で仕方ないと言うことで――。
銃口が一斉に、昴流に向けられた。四方八方から撃たれると、さすがの昴流もどうしようもできない。ぴたりと動きを止めた昴流に向け、引き金が絞られた。
――丁度その時、瑛士は樹海の中を南下していた。真澄の指示通り部下に住民の救護、避難をさせに行ったが、不測の事態に強い瑛士の部下たちは、団長に言われるまでもなくそれを実行していた。さすがに砲撃の直撃を受けた不幸な住民の命は助からなかったようだが、それ以外の者は怪我で済んでいるという。ならば自分の手は必要ない、と瑛士は昴流と巴愛を探すことにしたのだ。昴流ならきっと追手を撒くために樹海を北上する、と瑛士は部下のことをよく分かっていた。なので瑛士は街の北部から樹海に入り、こうして海のほうへ走っている。
と、風に乗って僅かに火薬の臭いがした。そしてかすかに聞こえる、銃声と刃鳴り。瑛士はいつでも抜刀できるように刀に手を添えながら、急いでそちらに向かった。
巴愛たちを追いかけた真澄が合流していればいいのだが。それが瑛士の切なる願いだ。巴愛と咲良を昴流一人で守るのは確かに無理がある。相手が刀だけならともかく、銃まで持ち出しているとなると、勝算は低い。
木々の間から、大勢の人影が見えた。そう思った瞬間、銃声。瑛士がはっとして足を止める。
「いやあぁッ!」
巴愛の悲鳴が響いた。束の間瑛士を動けなくさせていた呪縛はそれで解け、急いで彼はその場に向かった。
「巴愛! 昴流!」
叫びながら抜刀し、手近にいた傭兵を斬り倒す。そして見えたのは、まさに昴流が地面に倒れる様子だった。そのまま微動だにしない昴流に、巴愛がすがった。どうしてか、一緒だった咲良はいない。
「昴流、昴流ッ! しっかりしてぇっ、お願いっ……!」
瑛士が駆け寄ろうとするより早く、傭兵の一人が巴愛を昴流から引き剥がした。抵抗しようとした巴愛の首の後ろに、かなりの力で手刀が叩き込まれた。気絶とまではいかないが激しく脳が揺れ、巴愛の意識は朦朧となった。肩に担ぎあげられた巴愛に拳銃が突きつけられ、瑛士は動きを止める。さすがにこの状況で飛び掛かるには無理があった。
傭兵たちは巴愛を人質に牽制したまま、ゆっくりと後退した。隙あらば飛び掛かろうとしている瑛士に気付いているようで、警戒は全く解いていない。そのまま傭兵たちは巴愛を連れ去ってしまった。
「……くそっ!」
傭兵たちが街のほうへ行ったのを確認し、瑛士は倒れたままの昴流に駆け寄った。どのみち、昴流をここにおいて追いかけるわけにはいかなかった。瑛士にとって騎士団の、とりわけ自分の隊の部下は大切な存在だし、昴流は共に神谷桃偉の教えを乞うた兄弟弟子なのだ。
「おい、昴流大丈夫か!?」
この様子を見て「大丈夫か」はないな、と瑛士は自分で思う。ざっと確認しただけでも被弾箇所は十以上。最後の一発は胸を貫通したようだ。普通はとっくに死んでいるが、昴流は薄く目を開けた。
「……御堂、団長」
「しぶとい奴だよ、まったく……」
こんな時だと言うのに、気の抜けた笑いが唇の端からこぼれた。昴流は無理に身体を起こそうと試みた。
「巴愛、さんを……っ、ぐ、ぅっ」
「馬鹿野郎、無理をするな!」
「守……らなきゃ、いけないんだ。僕は……!」
昴流の言葉に瑛士は胸が締め付けられた。そうか、自分はこの小瀧昴流という男にこんなに強い責任を背負わせてしまったのだ。巴愛を守るという気持ちが昴流本人のものでも、きっかけを与えたのは瑛士だ。
「……お前は良くやってくれた。ここから先は俺たちに任せろ。巴愛を助けた後、お前が死んじまっていたら……巴愛と咲良が泣くぞ」
「……団長」
昴流は呟き、ぷっつりと意識を途絶えさせた。
★☆
本来ならとっくに巴愛と合流できていたはずの真澄がそうできなかったのには、勿論理由がある。それも結構命に関わる理由だ。何せ、超至近距離に二発目の砲弾が着弾したのである。爆風で吹き飛ばされた真澄はほんの数秒現実を見失い、我に返って痛む身体を起こしたとき、周りは火の海だった。しかも轟音の影響で鼓膜がやられたらしく、音らしい音が何も聞こえない。聴力が回復するまで、少し時間が必要だ。
樹海へ行く道が炎で遮られてしまい、やむなく真澄は迂回路を探し、来た道を戻ることになった。なるべく人の目につかないようにとこそこそ動いたのは、聴力が鈍っているので気配を察知できないため、攻撃されることを防ぎたかったからだ。
だから、ようやく樹海に接した場所を見つけて中に入ろうとしたとき、逆にそこから人が飛び出してきたときは仰天した。慌てて身構えかけ、それが信頼する侍女であることに気付いて目を見開く。
「兄皇陛下!」
勢いよく走ってきたため、真澄が抱き留める形で咲良を受け止める。咲良が何か言っているが、聞き取れない。
「陛下!?」
ひときわ大きな声で、ようやく咲良に呼ばれたことを認識する。
「……すまん、耳がやられているんだ」
そう言ったつもりだが、どうやらだいぶ大きな声だったようだ。咲良は頷き、彼女も真澄に聞こえるくらいの声で報告した。
「巴愛さんと昴流は樹海を北上しています。浜辺に上陸した複数の傭兵たちがそのあとを追っているんです。奴らは銃を持っています」
「そうか……その報告でここまで戻ってきたのか」
「はい。ふたりの足手まといになるわけには参りません。逃げる私を巴愛さんだと思い込んで、少しでも敵を私に引きつけられたらと思いまして。……巴愛さんと弟のことは、陛下にお任せします」
「ああ。咲良、街の北へ行け。騎士たちが避難誘導をしている。その指示に従って……」
聴力が回復してきたな。そう思ったが、どうやら完全に回復はしていなかったようだ。
真澄の耳は、完全に銃声を聞きもらしていたのである。
目の前の咲良の身体がぐらりと揺れる。何が起こったのか、真澄には把握できなかった。ただ咲良の胸に咲いた赤い花と、彼女が倒れたことでその後ろに立つ人物が見えた。
黒づくめの男。銃口をこちらに向けた、傭兵たちだった。




