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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
16/94

13 古代、滅びた世界

 昴流は本当に三日間休暇を取っただけで仕事に復帰した。たった三日だったとはいえ、ずいぶん長く顔を合わせていなかったような気がする。


「巴愛さんのクッキー、団長経由で頂きましたよ。とても美味しかったです」

「なら良かった。でも昴流、本当にお休みがこんなに短くて良かったの?」

「はい。休みと言っても、身体が鈍らないようにと、どの部隊も訓練は毎日行っていたんですよ」

「それ、休暇って言うの?」

「まあ僕らにとっては。一日の訓練量が減っただけで有難いです」


 常日頃から鍛えている彼らにとっては、訓練なしの生活は考えられないのだろう。


「いやあ、しかし驚きましたよ。訓練が終わった後に僕と天崎部隊長が団長に呼び出されて、何か重大なことでもあったのかと思ったらクッキー差し出されたんですから。団長の顔が本気だったからびびりましたよ」

「あはは、そうだったんだ?」

「御堂団長が言ってましたよ。『甘いものが苦手な李生がぱくぱく食えるなんて、巴愛はすごいな』って」


 それを聞いた巴愛が目を見張る。


「甘いもの苦手だったの!? ど、どうしよう」

「美味い、って言って食べてましたよ?」

「だって、李生さん優しいから……本当は我慢して食べてくれたんじゃ」


 動転している巴愛を、昴流は苦笑しながらなだめた。


「大丈夫ですって。天崎部隊長の甘いもの嫌いって相当で、口に入れただけで顔をしかめるんですよ。巴愛さんのクッキーを食べてもそうなりませんでしたから、本当に美味しいと思って食べていたはずですよ。あれは我慢して食べていた顔じゃありません、僕が保証します」

「そ、そう……さすが昴流は、よく人のこと見てるのね」

「人間観察は無意識なんですよね」


 ほんの少しの時間で、巴愛の無意識の癖はすぐ見抜かれそうである。


「さてと……これからのことなんですが、僕も日中は訓練や実地任務、城内の警備等、色々仕事があります。ここにいらっしゃる限りはまあ安全ですし、姉がいれば大抵のことはできるでしょう。女性同士の話に首を突っ込む気もありませんから、ひとまず僕は退散します」

「もうあんまり会えない?」

「まさか。安全とはいえ僕は巴愛さんの護衛です。それに、この安全は仮初のもの。ここで長く生活すれば、必ず巴愛さんの存在に気付く者が現れる、そういうときのために僕がいます。ですから、街などに出かける際は声をかけてください。遠くからお守りしますから」

「遠くから?」

「言ってしまえば尾行です。絶対に巴愛さんの目に留まる場所にはいませんから、ご心配なく。会話も届かないくらい離れます」

「隣歩いて、って言ったら、歩いてくれる?」


 そう尋ねると、昴流は息が詰まったような顔をした。


「見えない場所にいるって言われても、やっぱり気になるし。どうせだったら一緒に行こうよ、ね?」

「……分かりました、巴愛さんがそうおっしゃられるのなら、いつでも」


 昴流の答えににっこり微笑んだ巴愛は、はたと何かを思い出したらしく、話を変えた。


「そう言えば昴流、なんか本とかない?」

「本?」

「歴史の本とか。それじゃなかったら、地図でもいいんだけど」

「勉強熱心ですね。もっと生活を満喫してもらっても構わないんですよ?」

「うん……でも、なんだか落ち着かなくて。何かに熱中していれば、その間は他のこと考えなくて済むでしょ?」


 たとえば、元の世界での自分の存在。たとえば、これからの生活に対する不安。それをなるべく考えないようにと、巴愛は色々我慢しているのだ。それを察した昴流は、それ以上何も言わなかった。


「城の敷地内に、国立の蔵書館があります。一般市民も利用できる、近隣諸国で最大級の図書館ですよ。そこに行けば、何かしらの本は見つかるかと」

「ほんと? じゃあ、行く」


 巴愛がすっくとソファから立ち上がった。昴流が微笑む。


「即行動派なんですね、巴愛さんって。じゃ、ちょっと待っててください。着替えてきます」

「え? お仕事は?」

「今しがた言ったばかりでしょう、『出かけるときは僕も行きます』って。丁度、今日の午前は暇なんです」

「そうなの? ……ていうか、どうして着替えるの?」

「騎士はあまり図書館など行きませんから、浮くんですよ。それに騎士の制服を着ていると、明らかに僕が巴愛さんを護衛しているとばれます」

「あ、そっか」

「今日、姉はどうしたんですか?」

「新人の研修だとかで、一日手が離せないんだって」

「そうですか。あれでもうベテランですからねえ」


 昴流は軽く腕を組んだ。巴愛が首をかしげる。


「出かけるって言っておいたほうがいいのかな?」

「いえ、書置きでも残しておけば大丈夫でしょう。では、しばしお待ちを」


 昴流はそう言って部屋を飛び出した。巴愛はその間に適当な紙とペンを探し、『昴流と一緒に図書館へ行ってきます』とメモを書いた。それをテーブルの上に置いてから、そう言えば本当にこれで言語の使い方があっているのだろうかと心配になった。書置きは昴流に任せたほうがいいかと逡巡していると、ものの数分で昴流が戻ってきた。彼の恰好は黒の着物から、ゆったりとした薄青の和服に替わっていた。


「は、早いね」

「必要なものはもうこっちに持ってきてあるんですよ」


 昴流は言いながら、巴愛の手元を覗き込んだ。


「あ、書いてくれたんですね。有難う御座います」

「……あの、これ読める?」


 巴愛に問われ、さらっと流していた昴流が慌てて視線を戻す。じっと見て、それから顔を上げた。


「はい、何の問題もなく」

「本当?」

「そういえば、巴愛さんの世界とここはまったくの別世界なのに、言語は同じなんですね。言葉も通じるし、読み書きも同じ。不思議なものですね……」


 疑問が残りつつも、ふたりは図書館に向かって部屋を出たのだった。


 真澄たちと巴愛の寝所のある別棟から、皇城の主棟に向かい、昇降機を使って一度外に出た。そのまま敷地内を歩いて数分、皇城から少し離れたところにその蔵書館はあった。部屋からの距離は時間にして十五分前後、約一キロ歩いたことになる。それを考えると、この皇城はとんでもない広さだ。東京ディズニーランドとシーを合わせたより、絶対に広い。


 蔵書館の中には、老若男女を問わず大勢の人間がいた。地上階は五階ほどまであり、天井もかなり高く、天窓から日の光が差し込んでいて明るい。図書館にある静かで重厚な雰囲気も健在だった。


「すごい、こんな大量の本、初めて見た」

「僕も結構久しぶりです。昔はよく来たんですけど」


 場の空気に圧され、ふたりは小声で会話を交わす。昴流が標識を見ながら進む。


「歴史本はこっちですね。隣に地図もあります。ここ数年の総括的時事の本も……」


 その説明を聞きながら、歴史本の類のある書架に立ち、背表紙をざっと見ながら移動していく。言語が違うなら読み書きの練習から始めなければと思っていたが、その手間が省けたので、あとは読みやすそうな本を探すだけである。巴愛としては子供向けの、「漫画で知ろう! 近世の歴史」みたいな本が所望である。が、果たしてそんなものが存在するのかどうか。


 と、軽く誰かが巴愛の肩を叩いた。振り返ると、そこには若い青年がいた――と思いきや、素通しの眼鏡をかけた知尋である。


「ちっ、知尋さま……?」

「はい、お静かに」


 二重の意味で知尋は静かに、と促した。図書館であることと、身分を隠しているということである。巴愛が頷くと、遅れて気付いた昴流が軽く頭を下げる。


「歴史の勉強? 言ってくれれば私が教えたのに」

「いえ、そこまでお手数かけられませんし……知尋さまは、どうしてここに?」

「私は良くここに入り浸るんだよ。館員にはとっくに素性がばれているけどね。みな黙認してくれている」


 知尋はそう言って眼鏡を外した。ということはつまり、護衛もいないのだろう。


 巴愛は、知尋が手に持っている数冊の本の題名に視線を落とした。どれもすべて「神核」と書いてある。


「しんかく……?」

「残念。『しんかく』でも『かみかく』でもないよ。神の核と書いて、コアと読むんだ。本来神核は古代人たちが創り出した技術の結晶だけど、その力はまさに神のものとしか思えないから、そういう名がついたのだろうね」

「じゃあ、これ神核の研究本ですね」

「まあ、私が読むのはそれくらいしかなくて……というか、巴愛はこの世界の文字が読めるの?」


 知尋が驚いたように目を見張る。


「まるきり一緒なんです」

「そうだったのか……言葉が通じるからと思って、言語のほうは後回しにしてしまっていたけれど」

「どういうことなんでしょうね? 全然世界は違うのに」


 知尋は軽く首を捻り、それから口を開いた。


「……もしかしたら、この世界は巴愛の住んでいた世界の、ずっと未来なのかもしれないね」

「え?」

「歴史は繰り返される。巴愛の世界では過去だったものが、いまここで一般になっている。たとえば服、馬車、そして戦争。けれど変わらないものもある……異次元というよりは過去と未来と考えるほうが、自然かもしれない」


 知尋は言いながら、傍にあった本を一冊引き抜いた。ページをめくり、見開きになっているものを引っ張り出す。それは地図だ。


「これが今の世界の地図だ。どう?」


 そう聞かれ、あっと巴愛は声を上げた。少し形は崩れているが、それは巴愛の知る世界地図と同じだったのだ。大陸の位置は変わっていない。ただ形が違う。大陸の形が変わるほどの時間が経っているということだろうか。


「じゃあ、あたし……異世界に来たんじゃなくて、タイムトリップしたってこと?」


 そしていまいるこの場所は、未来の日本。国土は現在よりずっと広い。大陸と一部繋がってしまったのだろう。


「単純な過去と未来とは言えないかもしれないけれど、次元的には同じかもね。並行世界、可能性の世界……異国の言葉で言えば、パラレルワールドってことだ」

「ぱられるわーるど……」


 昴流が言いにくそうに繰り返す。昴流も博識なはずだが、異国の文化などには精通していないらしい。巴愛にしてみれば、パラレルワールドという言葉自体日本語みたいなものだ。


 知尋は日本という国名も、アメリカ合衆国の名も知らない。伝承にすらそれらが残っていないほど、巴愛が生きていた時代は過去なのだろう。けれど世界はここまで存続するのだ。戦争と言う副産物はついていても、これほど豊かでたくましい人たちが生きている。


「……私たちの歴史は、世界の滅びの危機から始まっているんだよ」


 知尋がゆっくりと語り出す。


「かつてこの世界は一度滅びを迎えた。水が汚染され、動植物が死に絶え、資源も尽きた。僅かに残った人間たちもまた、絶滅の危機にあったんだ。けれどその時、人間が持てるすべての力をひとつにした。その力、高純度な魔力は大地を蘇らせ、この世界は滅びを免れ……今がある」

「人間が持つすべての魔力をある大きな岩に込めて、それを粉々にして地中に埋められたのが神核です。神核は再生された世界を支える核となりました。そして世界を再生した人々、つまり神核を生み出した者を『古代人』と呼びます」


 続けて昴流も説明した。知尋が頷き、唖然としている巴愛に視線を戻す。


「……巴愛は、その滅びの危機の前の豊かな時代を生きた人なんだね」

「古代人より昔なら、あたしは超古代人ってことですね」


 巴愛は戸惑いを隠して苦笑した。巴愛の生きた世界よりこちらのほうがある意味不便であるのに、こっちが未来だなんて信じられない思いもある。しかも地球が滅びを迎えたころには、すでに魔力の存在が一般化していたようにも聞こえる。


 知尋は書架から本を数冊抜き取り、巴愛に手渡した。目を瞬かせている巴愛に、片目を閉じてみせる。


「――とまあ、今言ったようなことがその本に載っているから。じっくり読んでみて」

「あ、はい!」


 巴愛は我に返ったように頷いた。知尋は笑みを収めて彼女を見やる。その瞳はひどく冷静だ。


 正直、もっとややこしくなってしまった。ただでさえ九条巴愛という人間は「技術的価値」の塊だったのに、それに加えて「歴史的価値」もついてしまったのだ。古代人より前の歴史は、一切の書物が失われており知ることができない。地中や海底に埋もれている古代の遺構から、僅かな生活用品などが発掘されるくらいだ。しかし巴愛はまさにその時代を生きた者。彼女がどのように暮らしていたのかと知ることができれば、世界を揺るがす発見があるはずだ。


 一介の神核研究者としても、それを知りたいという気持ちが少なからず知尋にはある。だがそれは尋ねないでおこうと決めた。いつかは聞きたいが、それは今ではない。今は、まず彼女の身の安全を第一にしなければならないのだから。


「……まったく、面倒臭いね」


 知尋はぽつりと呟く。だがそれ以上に、――面白い。


 巴愛はどう生き、なぜここに来たのか。それを知るのが、これからの知尋の目標だ。そして、真澄と巴愛の面倒な今後のことも――じっくり、観察していきたいところだ。


 巴愛は皇である真澄に対し、緊張したり気を遣ったりもするが、必要以上にかしこまったりはしない。媚を売ろうとしたり、取り入ろうとすることもない。そんなことをしない自然な女性は、巴愛が初めてだ。そして、真澄がそんな彼女に惹かれないはずはない――。


 知尋はひとり悦に入り、顔をほころばせた。

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