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和装の皇さま  作者: 狼花
壱部
15/94

12 皇都・照日乃と皇の煩悩

 巴愛は咲良に連れられて皇城の敷地から出た。きちんとした正門から、である。こんなに堂々として良いのかと思ったのだが、すれ違う騎士や貴族たちはみなこちらに関心を示さなかった。どうやら巴愛も侍女であると思われたらしく、この場合は好都合だった。


「うふふ、こんなに心が弾む買い物なんていつぶりでしょうか」


 咲良はにこにこと笑っている。しかし巴愛には最大の懸念がある。


「あたし、お金持ってないんですけど……」

「あらあら、ご心配なく。ほら、こうして」


 咲良は持っていた小さな鞄から、布製の小さな袋を取り出した。ずっしりと重いようで、じゃらっと音がする。


「兄皇陛下のお財布を預かってきましたから」

「まっ、真澄さまのお財布!? それって国家予算……」

「まさか。陛下にだって個人的に使うお金があるんですよ。あの方はよくふらりと街に出かけたりしていますから」

「皇さまのポケットマネーって……」


 しかもそれを握っている咲良って。余程信頼されているのか、咲良が尻に敷いているのか。


「まずは着物を何着か買いましょうね。本当なら仕立て屋を呼ぶべきなんでしょうが、今それは難しいですから、及ばずながら私が選ばせていただきます」


 着物と聞いてゼロがいくつも浮かんでしまったのだが、良く考えてみればこの世界では着物が普段着なのだ。ならそんなに高いわけがないし、一九八〇(いちきゅっぱ)のバーゲン品とかあるかもしれない。


 荘厳な装いだった皇城前を去り、緩やかな坂を下っていくと、一転してひどく賑やかな場所になった。広い大通りの両脇に所狭しと店が並んでいる。真澄たちは昨日、ここを歩いたのだろう。時刻は十時過ぎ、世の女性たちが買い物のために動き出す時間である。それはこちらも同じらしく、たくさんの人たちが大通りを往来している。ついでに馬車も走っている。


 スーパーや百貨店みたいなものはなく、それぞれが野菜だったり服だったり装飾だったりの専門店だ。商店街という印象だった。


 しかし、おかしなものだと巴愛は苦笑する。和服の人たちが持っている鞄は、思い切り洋風の革のバックだったりするのだから。巾着でも持っていてほしい。でないとアンバランスだ。さすがに靴は草履だったが。街の様子とまったく溶け込んでいない――ように見えて、案外違和感はない。


「どうです? これが諸国に誇れる玖暁の皇都、照日乃(てるひの)です。なかなかいい街なんですよ」


 喧騒にかき消されないように、咲良が声を張る。巴愛が頷く。


 咲良は路地を一本入り、小さな店に入った。店内にはずらりと綺麗な着物が並んでいた。思わず歓声を上げると、咲良が微笑む。


「巴愛さん、何色がお好きですか?」

「え……赤とか、暖かい色が好きです」

「そのほうが似合いそうですね。じゃあ、ためしにこれとか……」


 咲良が手近にあった薄い黄色の着物を手に取って巴愛の身体に当てる。咲良がよく来る店だとかで、そのうち女店主も交じって巴愛の着物を選び始めた。しかし結局、巴愛の意思が尊重されて、巴愛が気に入った三着の着物と、色の違う帯を六種類ほど購入した。帯が違うだけで雰囲気が変わるのだとか。


 その時見て驚いたのだが、この世界の文字はまるきり現代日本の日本語だった。考えてみれば、人の名前が漢字らしいから当然だったのかもしれないが、中国語のような言語かと思っていたのだ。だが実際は、助詞もきちんと存在する、まるきりの日本語だった。お金の単位は円ではないが、数字の見方も同じだ。巴愛の買い物は、二〇〇〇〇を少し超えたくらい。そのまま、二万円だろう。お金は札ではなく、銀貨や銅貨だった。「銅貨何枚」という数え方をする。


 買い物を終えて大通りまで戻ると、咲良に手招きされて装飾の店、つまりアクセサリーの店に立ち寄った。髪飾りやネックレスなど、見たことがないくらい綺麗だった。


「これは、魔力が尽きた神核なんですよ」


 咲良がそう説明した。いま巴愛が持っている髪飾りには、小さな宝石がいくつかつけられているのだ。シャラシャラと綺麗な音を立てるそれを、熱心に見つめていたところだった。


「神核って魔力が尽きるとかあるんですか?」

「はい、神核の力は無限ではないんです。大体二十年くらいで神核に込められた魔力が尽きてしまって。魔力のない神核はただの石です。それを加工して装飾品にしているんですよ」


 青い水の神核の魔力が尽きると、青い色がなくなって神核は透明になるのだとか。


「丁度いま、弟皇陛下が使っている神核の魔力が尽き始めているんです。だから交換の手間に追われていて大変そうですよ」


 咲良がそう言って微笑んだ。


 そのあとふたりは喫茶店に入り、人ごみから外れて一息ついた。


「こんなにゆっくり買い物したのなんて、久しぶり」


 アイスティーを飲みながら、巴愛が満足の息をついた。咲良も頷く。


「私もです。年甲斐もなくはしゃいでしまいました」


 巴愛より八歳ほど年上の咲良だが、それを感じさせないほど溌剌とした美人である。年甲斐というには違和感がありすぎる。


「……巴愛さん、こちらを」


 咲良が小さな包みをテーブルの上に置いた。巴愛が咲良を見ると、彼女は微笑んだ。


 その場で包みを開けると、そこには先程装飾品店で巴愛が見ていた、あの神核の髪飾りがあった。巴愛は仰天する。


「これ……」

「買わせていただきました。私のお金で」


 真澄のお金ではなく、咲良本人の金ということだ。


「月並みのことですけれど、出会いの記念と、これからよろしくという意味です」

「あ……有難う御座います! 嬉しいです……!」


 咲良はほっとしたように微笑んだ。巴愛はもう一度その髪飾りに視線を落とす。


 ふと思う。二十年という制限があるとはいえ、ひとつの神核で大量の水を得られる世界。大量の明かりを得られる世界。神核をひとつ地球に持ち帰ったら、かなり大騒ぎになるだろう。地球の水不足や資源不足が解消できるかもしれない。


 咲良や真澄たちには何かお礼がしたい。でもそれは、巴愛が自分一人で身の回りのことができるようになってからだ。


 とりあえず今するのは、神核の扱いを覚えること。水の神核、火の神核、光の神核の扱いを練習しなければ。しかし、意味もなく水や火を使うのは勿体ない気がする。


「……あ!」


 巴愛が急に声を上げたので、咲良が首をかしげた。


「どうしました?」

「咲良さん、あの部屋のキッチン、使っても平気ですか?」

「ええ、問題ないですよ」

「良かった! やりたいことがあるんです」


 意気揚々としている巴愛に、また咲良は首をかしげた。





★☆





「……というわけで、決壊した河川の堤防の補修作業は難航しておりまして……」


 そう説明してくる土木作業員の言葉を、玉座に腰かけた真澄は目を閉じて聞いていた。この男が遠まわしに何を要求しているのかは分かっている。だが途中で遮ったりはせず、最後まで要求を聞いてやる。


「――分かった、作業人員を増やすことを許可する。いずれ私も様子を見に行こう」

「ああ、有難う御座います!」


 男は深く頭を下げて謁見の間を出て行った。そのあとに謁見者として現れたのは、常々真澄の頭を悩ませている貴族の男だ。もうそろそろ六十歳になるのだろうが、野心と出世欲は若者以上だ。つまるところ、自分の娘を真澄に嫁がせたいのである。


「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」

「ああ」


 お前の顔を見た瞬間にご機嫌麗しくなくなったよ――と皮肉りたい気持ちがあるにはある。


「それで、あの件はお考えいただいたでしょうか?」

「……何度も言っているが、私にそんな気はない。お前の娘が駄目とか、そういう話ではない。その気がないのだ」

「陛下、いけませんぞ。皇たる者、世継ぎを早く設けなければ国の安泰もままなりません。宰相閣下も常日頃そうおっしゃられているはずですが」

「今の私の元に嫁いでも、お前の娘は幸福にならんぞ」

「そんなことはありません。これは気持ちの話ではないのです」


 真澄は小さく息を吐き出す。またこれだ。気持ちの話ではない、とはどういうことなのだろう。お互いにその気がなければ愛し合えるはずがない。まして真澄は、その娘とやらに会ったことがないのだ。父が決めたところに嫁ぐのは娘の義務、だとでも言う気か。古臭い考えだ。


 押し問答はしばらく続いた。いい加減真澄は苛々してきた。


「分かった、この際だからはっきりと言おうか」


 真澄はそう腕を組んで言った。


「お前に限ったことではない、だがお前のような人間の申し出はすべて断ってきている。もしお前の娘との間に子をなせば、お前が次期皇の祖父として権威を振るうことは目に見えている。それはいずれこの国を担う次世代の者たちにとって、悪影響でしかないだろう。私はそんな愚を犯すことはない」

「なっ……」

「お前がこの国に尽くす姿勢は私も高く評価している。だが、あまりくどくどと同じ話を繰り返されると少しばかり考えを改めたくもなる。ここらで退いてはくれないか」


 真澄はそう言い、冷や汗にまみれている老臣を見やった。


「お前の忠告は素直に聞き入れよう。この国の次を担う子をなすことは、『相手を良く見て判断する』ことにするよ」

「は……はい」


 老臣はすごすごと引き下がった。傍に控えていた矢須が「午前の謁見はこれで終了です」と告げた。真澄は溜息をつきながら肩の力を抜き、玉座に身体を沈めた。


「……少し、言い過ぎたかな」

「皇としてのお立場を考えれば、直接貴族を糾弾するのは避けるべきでしたでしょうね。ただ真澄さま個人のことを言うならば、『らしい』というか、ああでなければならないと思いますよ」


 矢須の言葉に、真澄は疲れたように苦笑する。


「しかし真澄さま、世継ぎを早くというのは変わらぬ事実です。国内の貴族の令嬢は勿論、他国の姫からの見合い書も大量に届いています。そろそろ、側室のひとりでもお考えください」

「……そういうのが嫌だと言っているんだ」


 ぽつっと呟く。呟き声だったのは、それが真澄の勝手なわがままだと自覚しているからだ。だから矢須も厳しく咎めなかった。


「分かっております。真澄さまを心から愛し、真澄さまも相手のことを愛せる……そんな女性でなければならないというのは、重々承知しています。ですから、その見合い候補のご令嬢たちと積極的にお会いになってください。……ただ」


 珍しく口ごもった老宰相の様子に、真澄は首を捻って彼を見上げた。


「どうした?」

「あの九条巴愛嬢のことです。真澄さま、彼女に惹かれていますね」


 真澄が激しく咳き込んだ。頬が一瞬で紅潮している。


「なっ、……ちょっ、どっ!?」

「おやおや」


 狼狽した真澄の様子に、矢須が頬を緩める。


「恋愛経験のない真澄さまがそんなになるとは……もしかしなくとも、戦場で出会った瞬間に惚れてしまったのでしょうな」

「ちっ、違う! 惹かれているとか惚れているとかそういうことではなくて、ただ放っておけないというか……」

「それでついつい構ってしまうんですから、要するに惹かれているんですよ。私に分かるくらいですから、他の方もとっくに見抜いていると思いますが……」

「う……」


 知尋など、巴愛を皇妃にしてやりたい気持ちでいっぱいだというのがありありと伝わってくる。知尋なら真澄が巴愛のことを過剰に心配していることも恋愛感情の一種だと一目で見抜いてしまっただろう。それからいい感じに真澄を誘導してきたに違いない。


「真澄さまと巴愛嬢がその気なら、私はそれで構わないと思いますよ」

「……い、いいと思っているのか? お前が?」


 真澄が疑うように矢須を見る。この問いかけは認めてしまったようなものである。


「彼女は貴族でもなければ、この世界の人間でもない。皇の伴侶としてはふさわしくありませんし、私もお止めするのが筋というものでしょう」

「なら、どうして」

「貴方の育ての親としては、貴方が望む方と幸せになって頂きたいのですよ」

「矢須……」


 矢須はにっこりと微笑んだ。


「まあ、その話はまたいずれ。午前の公務は終了しましたし、少し休憩なさってください」

「……ああ」


 真澄は頷き、玉座から立ち上がった。


 そのまま真澄は部屋のほうへと戻った。自室の扉のノブに手をかけたところで、廊下を漂っている甘い匂いに気付いた。疑問に思って顔を上げると、その匂いは隣の棟、つまり巴愛の部屋から漂ってきていた。


「……何をしているんだ?」


 ぽつっと呟く。様子を見に行くか、それとも放っておくか――と考え、『放っておく』とは何事だ、と自分を叱った。いま真澄が絶対に守らねばならない存在だ。放ってなどおけない。――それが言い訳であるということに、真澄はまだ気付いていない。


 巴愛の部屋の前まで行くと、部屋の中から女性の賑やかな声が聞こえた。巴愛と咲良だろうが、ふたりがこんな声で楽しくやっているとは想定外だ。


 扉をノックすると、すぐに扉は内側に開いた。咲良が顔を出す。


「兄皇陛下! 丁度良かったです」

「何かあったのか? やけに賑やかだったが……」

「ごめんなさい、うるさかったですか?」


 巴愛が歩み寄ってきて俯いた。真澄は慌てて首を振った。


「そんなことはないよ。少し時間が空いたから、様子を見に来ただけだ。楽しそうで何よりさ」


 そう言うと巴愛は微笑み、真澄を見上げた。


「真澄さま、お時間空いたんですか?」

「ああ、午前の仕事が終わったから、休憩だ」

「なら、是非食べてもらいたいものがあるんです!」


 真澄の手を取って微笑む巴愛の様子に、先程の矢須とのやり取りを思い出した真澄は若干真澄は頬を赤くした。が、そんなことも知らない巴愛は真澄を部屋の中に入れる。


 テーブルの上には、焼き立てと思われるクッキーが大量に並べられていた。真澄は目を丸くし、巴愛を振り返る。


「巴愛、これは……?」

「クッキーです」

「うん、それは分かるが……巴愛が作ったのか?」

「巴愛さん、すごくお菓子作りが上手なんですよ。驚きました」


 咲良がそう褒め、巴愛が照れたように笑う。


「朝、知尋さまに神核の使い方を教えてもらったんです。折角だから、水と火を実践してみようと思って、お菓子作ったんですよ。うまく神核、使えました」


 勿論材料に多少の違いはあるが、味はまったく一緒だ。こうやって時間をかけてお菓子を作ったのは本当に久しぶりだ。日本で事故に遭う前、弟のための誕生日ケーキのことを考えたこともあり、神核実践のために料理をしようと思ったのだ。オーブンも火の神核が必要だった。菓子も作れて、神核の練習もできて、一石二鳥だ。


 巴愛に勧められ、真澄はクッキーを一枚口の中に放り込んだ。何の変哲もないプレーンクッキーだが、不思議と美味しい。


「……美味い。久々に甘いものを食べたな」


 自然と表情が綻んだ。巴愛が尋ねる。


「甘いもの、お好きですか?」

「ああ。疲れたときは糖分が必要だな、うん……」


 呟きつつ、真澄はもう一枚クッキーをつまんだ。先程まで感じていた重みが少し軽くなった気がする。


「これ、どうぞ。皆さんで召し上がってください」


 巴愛は袋にたくさんのクッキーを入れてくれた。遠慮なく受け取りながら、真澄が首をかしげる。


「皆さんというと、主に誰に渡せばいい?」

「え? 知尋さまとか、瑛士さんとか、李生さんとか……真澄さまが一緒にこれを食べたいって思った人に」


 真澄は苦笑して頷いた。


「……有難う」

「はい」

「色々問題が山積みで、あまり休みがなくてな。少し参りそうだった」

「?」


 巴愛が首をかしげる。真澄はふっと視線を迷わせる。


「……多分、君が元気で笑っていてくれるだけで、私はもう少し頑張ろうと思えるのかもしれないな」

「え……?」

「! ……ああ、いや……なんでもない。とにかく、有難う。みんなで食べさせてもらうよ」

「はい。また色々、お菓子焼こうと思います」

「――そうしたら、食べさせてもらってもいいか?」


 尋ねると、巴愛は笑って頷いた。


「勿論です! 今度はちゃんとお茶しながらにしましょうね」


 真澄も微笑み、先程よりは軽くなった気持ちで自室へと戻っていった。


 ――彼女は最初、「家さえもらえればひとり暮らしをしようと思っていた」と言った。「皇城に住ませてもらうのは悪い」とも。ならば、彼女は神核を使いこなせるようになったら独り暮らしをしたいと申し出てくるだろうか? その時真澄は、「元気でな」と送り出せるのだろうか――?


 そんなことをふと思ったが、新しく逡巡してしまいそうなので考えるのはやめておいた。

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