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蜘蛛のごはん

作者: 京介

「ちゃんと掃除しなさいよ、まったく」

 部屋の掃除をしながら宮森はぼやいた。目の前にはまだゴミの山ができたままだった。これではきりがない。

 宮森は掃除を諦めた。まだ部屋はずいぶんと汚いが、既にいっぱいになったLサイズのゴミ袋が六つ、足元に転がっている。

「ブラックホールかこの部屋は。あんたどんだけ溜め込んでんのよ」

 宮森は後ろのソファでくつろいでいる高里に向かって言った。高里こそがこの部屋の主だった。

「ありがとな。助かってるよ」

 高里は笑いながら呑気に言った。高里は掃除が苦手だった。放っておいたら高里はどんどんゴミを出す。しかし掃除はしないものだからすぐに部屋が汚れてしまう。本人は全く気にしていないようだったが、遊びに来る人間からするとこれは大問題だった。

 宮森はきれい好きだったから、高里の不潔なところが我慢ならなかった。

「不潔にしてると健康に悪いよ。きゃっ」

 何気なくティッシュの箱を持ち上げた宮森は叫んだ。箱の下から大きなゴキブリが二匹這い出してきたからだ。

 結局、宮森は腹を立ててすぐに帰ってしまった。彼女は虫と名の付くものが大の苦手だった。

「あーあ、帰っちゃった」

 高里は呟いて、部屋の中を見回した。

 適当に服を詰め込んだ段ボール。乱雑に積み上げられた本。鼻をかんだティッシュもたくさん転がっていた。

 ゴミをエサにして虫も発生している。こうして部屋を見回している間にもゴキブリが一匹、壁を這ってどこかに行ってしまった。

「そんなに汚いかな」

 高里は頭を掻いた。ふけが飛んだ。

 自分の部屋が一般的な人間の部屋に比べて汚いことは知っていた。しかしここは自分の部屋なのだから、他人にとやかく言われる筋合いはない、と高里は考えていた。

 おせっかいな友人たちは皆口をそろえて部屋をきれいにしろとうるさかった。特に高里の親友である宮森は一段としつこかった。それが彼女の親切心であることは承知していたが、片づけが苦手な高里からしてみると迷惑というのが正直なところだった。自分は宮里とは違うのだからと、高里は半ば開き直っていた。

 最近では部屋に虫が増えてきていた。ゴキブリだけではなく、正体よく分からない小さな虫なども見かけた。高里は虫が好きなわけではなかったが、あまり気にもしていなかった。

 そのうち部屋で蜘蛛を見かけるようになった。どうやら部屋に発生した虫をエサにしているようだった。その蜘蛛は黒くて動きが素早かった。しかし高里は蜘蛛を見つけても放っておいた。

 蜘蛛は益虫でゴキブリなんかを食べてくれているのだ、くらいに思っていた。

 高里は全く気にしてはいなかったが、友人たちはそうはいかなかった。特にきれい好きで知られている宮森などは、高里の顔を見るたびに部屋の掃除をしろとうるさく言った。

「そんなことじゃ結婚もできないよ」

 ある日、高里の部屋を訪ねてきた宮森は言った。

「部屋を掃除してくれるような奴と結婚したいな」

「いるかそんな奴」

 宮森はまたすぐ帰っていった。一段とひどくなった部屋の様子に辟易したからだ。もはや友人のために掃除をしてやろうという気も起きないぐらいに高里の部屋は汚れていた。

 しかし発生する虫の数は減ってきた。数えているわけでもないのだが、なんだか虫を見る機会が減ってきていた。ゴキブリもたまにしか見ない。高里は虫に嫌悪感を抱くタイプではなかったが、それでも少しほっとしていた。どちらかと言えば、いない方が良いに決まっている。

 ある日、高里は部屋の中で大きな蜘蛛を見つけた。どうやら以前見かけた蜘蛛が成長したものらしかった。その蜘蛛は壁に張り付いていた。

「こいつが虫を食べてくれたのかな」

 高里は蜘蛛を見て呟いた。だとしたらありがたい話だと思った。近所に森があったから蜘蛛は子供のころから見慣れているし、虫を食べてくれているのなら自分にとっても有益だと感じていた。

 蜘蛛はいつも壁に張り付いていた。しかし巣のようなものはどこにも見当たらなかった。どうやら巣を作って獲物を待ち受けるタイプではないらしかった。

 部屋は汚いままだったし片づけもろくにしないままだったが、高里の部屋には虫はいなくなった。

 ただ一匹、あの蜘蛛を除いて。

 虫が出なくなってからというもの高里は機嫌が良かった。自分では気にしていないつもりだったが、やはり虫が部屋にいるというのはストレスになっていたのだと、高里は自分を分析した。

 しかししばらくして異変が起きた。

 ある日、高里は泥酔して帰ってきた。高里はあまりお酒には強くないので部屋に帰ってくるなりベッドに倒れ込んだ。そのまま意識を失うようにして眠りについた。

 高里は夢を見た。

 夢の中で高里は全身を黒い衣服で覆った女に出会った。彼女は何もしゃべらなかった。高里が不審に思うと女は高里に襲いかかった。そして高里の左のまぶたを無理やりこじ開けて眼球を引きずり出した。高里の脳内にぶちりという音が響いた。高里は絶叫した。

 目を覚ました高里は鏡を見た。

 眼球に異常はなかった。

 高里はほっと胸をなでおろした。しかしよく見ると、白目の部分に黒く細い線が見えた。長さは一センチメートルほどで、最初は髪の毛かとも思ったのだがどうも違うようだった。

 不思議には思ったが、高里はたいして気にしなかった。

 それ以来、蜘蛛が部屋からいなくなった。

 蜘蛛が部屋からいなくなってしまってからは、また室内で虫を見るようになってきていた。以前の高里だったなら気にしなかったのだが、虫のいない部屋での生活に慣れてきていた高里は、虫に嫌悪感を抱くようになっていた。

 そして掃除することを決めた。

 それから高里はたまに部屋を掃除するようになった。

 部屋は少しずつではあるが、着実にきれいになっていった。部屋がきれいになると心もきれいになっていく気がした。高里は親友の宮森を部屋に呼んだ。彼女は高里の変化を目の当たりにして、とても喜んでいた。

 高里の部屋はきれいになった。

 それに伴い、今まで部屋に来ることを嫌がっていた友人たちもまた、高里の部屋に集まるようになっていった。

 幸せだった。ある一点を除いては。

 高里にはずっと気にしていることがあった。

 それは自分の眼球のことだった。

 夢の中で謎の女に眼球を引きずり出される夢を見てからと言うものの、ときどき自分の眼球が痛むことがあるのだ。

 しかし痛み自体はたいしたことはないし、鏡で確認しても異常は見つからなかった。

 だから気にしつつも、いつも忘れてしまうのだった。

 ある日、高里が部屋で宮森と話しているときに、宮森が「あれ?」と言った。

「どうしたん?」

 高里が聞くと彼女は首を振った。

「いや、気にしないで。なんか目が変な感じがしたから」

「変な感じ?」

「うまく説明できないけど。なんかあんたの左目の瞳が揺らめいているというか。だめ、うまく説明できない」

「なにそれ」

 高里は目については気になっていることがあったので、なおも宮森から聞き出そうと口を開いた。

 その時だった。

 高里の左目に激痛が走った。眼球を内部から圧迫されているような感じだった。

 たまらず左目を手で覆うがそれで痛みが引くわけでもない。高里は救急車を呼ぶように宮森に頼んだ。そうこうしているうちにも、目の痛みは一段とひどくなっていった。高里は左目にタオルを当てようと手を離した。

 部屋に絶叫が響いた。

 宮森が悲鳴を上げていた。

 いつ果てることともしれない、長くて大きい悲鳴だった。

 彼女は高里の左目を見ていた。高里は宮森に説明を求めたが、彼女は声が出ないようだった。ただ彼女の顔は恐怖で引きつってしまっていた。

 高里は痛みを我慢して洗面所まで歩いて行った。痛みはひどくなる一方だった。

 高里は洗面所にある鏡を覗きこんだ。

 眼球から蜘蛛が生まれていた。左目から小さな子蜘蛛が溢れて出ていた。

 子蜘蛛は新たな住み家を求めて高里の頬を這っていた。

 鼻の穴に入り込むものや、口に侵入しようとするものもいた。

 高里は痛みも忘れて、ただ茫然としていた。

 そのうち、眼球を突き破って黒い大きなものが這い出てきた。

 部屋からいなくなっていた、あの大蜘蛛だった。大蜘蛛は高里の左目の上でなにかを探し求めるようにその前足を上下させた。

 高里は自分の意識が深い闇に引きずり込まれていくのを感じた。

 意識を失うその直前、頭の中に女のけたたましい笑い声が響いた気がした。

 そうして高里めぐみは左の視力を失った。

 次に彼女が目を覚ましたのは病院だった。

 目を覚ました彼女は、自分の視界が随分狭くなっていることに気付いた。

 自分の体験を思い出した高里めぐみは、自分の身に何が起きたのかを医者から聞いた。

 どうやら高里めぐみの部屋にいた大蜘蛛が、彼女の左目に子供を産みつけたらしかった。そして卵を産み付けた母親蜘蛛も彼女の目に住み着いていたのだった。

 彼女は全快するまでの数か月間を病院で過ごした。長い入院期間を経て、高里めぐみは少しずつ回復してきていた。お見舞いに来た宮森にも、ときどきではあるが笑顔を見せるようになった。

 しかし彼女は深刻な蜘蛛恐怖症となっていた。また蜘蛛以外の虫に対してもひどい恐怖感を抱くようになってしまっていた。

 そして彼女は時々、医者の目を盗んで病院を抜け出すようになった。遠くに行くわけではないのですぐに捕まって病院に戻されるのだが、なぜか彼女はいつも黒い布を体に巻きつけているのだった。その布をどこから調達してくるのか、誰にも分からなかった。

 高里めぐみは間もなく退院した。

 しかし彼女が今までの日常に戻ることは、二度となかった。


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