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青冬の月、1日。
空気がひやりと澄み、吹く風も冷たさを帯びてきた今日この頃、とうとうシオンがぶち切れた。
「ミーナ!」
「はいぃっ!」
その凄まじい剣幕に、名前を呼ばれたミーナは直立不動でびし、と固まる。シオンはむう、と怒った表情でミーナに詰め寄った。
「ミーナ、今日という今日は言わせて貰うわ!」
だらだらと背中に汗を掻きながら、ミーナはシオンの言葉を黙って聞く。
「最近付き合い悪すぎなのよ! 遊びに行けば、本を読んでたり魔法の練習をしてたりだし、道で出くわせば用事があるって言ってすぐ走って行っちゃうし!」
ミーナは全く反論できなかった。
元々、ミレイユに魔法を習うようになったころから、シオンと遊ぶ回数が減っていた。家の手伝いや読書や漢字書き取りに加え、日課に魔法の練習が増えたのだから仕方がない。
しかも最近になって、こっそりと森に行ったり、レグルスと遊びに行ったりすることも増えていた。とは言っても、シオンと遊ぶよりは低い頻度であったが。
ミーナはシオンにあれだけ発音の練習に付き合ってもらったのに、これでは掌返しと取られても仕方がないだろう。
「私たち、先月は十回しか遊んでないのよ!」
一月は60日。つまり六日に一度は遊んでいることになるのだが、シオンは納得していない。一年前の今頃であれば、二〜三日に一度は遊んでいたので当然かもしれなかったが。
(シオン、数えてるんだ……)
凄い執念だなあ、とミーナは心の隅っこで思ったが、口にはしなかった。さすがに、火に油を注ぐ真似はしたくない。
「えっと……ごめんね、シオン?」
「ごめんじゃないわよ……!」
ぶす、とむくれるシオンに、ミーナはおろおろとしながら謝る。自分が悪いのは確かだったので、どうにかして機嫌を直してもらおうと、必死にシオンに声を掛け続ける。
「えっと、今日はお店も休みだし、一緒に遊ぼう?」
「……今日だけ?」
「えっと、明日も!」
「……手伝いはいいの?」
「それは……明日にならないとわからないけど」
その言葉に、シオンはぷいとそっぽを向く。ミーナは焦って、シオンの顔を覗き込もうと、周りをぐるぐると回る。
シオンが右を向けば、ミーナも右に。
シオンが左を向けば、ミーナも左に。
シオンが背を向ければ、ミーナもシオンの前に回り込もうと移動する。
それを何度か繰り返していれば、唐突にシオンが小さく吹き出すように笑い出した。
「……ふふっ……!」
「……シオン?」
小刻みに肩を揺らすシオンに、ミーナはぽかんと立ち竦む。
どうやらいつの間にか機嫌は直ったようだったが、一体どうしてなのか、ミーナには全く把握出来なかった。
シオンはひとしきり笑ったあと、ミーナに向かって笑いかける。
「ミーナ、ごめんね? ちょっとからかってみたんだけど、予想以上にミーナがうろたえるから、面白くって……!」
「え、ええ!?」
そんなシオンの言葉に、ミーナがあからさまに狼狽する。そんな彼女に、シオンはまたしてもくすくすと笑うのだった。
(つまりは、今までのは全部演技ってこと!?)
「あ、でも怒ってるのは本当よ?」
「……う、ごめんなさい」
まるでミーナの思っていることが分かっているかのように、シオンがタイミングよく釘を刺す。
ミーナは心底悪いと思ったらしく、しょぼん、と肩を落とすのだった。
「まあ、今回はこれで許してあげる?」
「……ありがと、シオン」
ミーナはようやくシオンに許してもらうことが出来て、安堵の息を吐いた。
「その代わり、今日は一日中付き合ってもらうわよ!」
「あ、それは勿論!」
「じゃあミーナの部屋に行きましょう?」
「うん!」
二人で連れ立って、ミーナの部屋にぱたぱたと駆ける。
(……仲直りできて良かったな、ミーナ)
「あ、な、た! 掃除の邪魔、ですっ!」
「ミ、ミレイユ、ちょ、それは酷くないか……!?」
こっそりと、玄関先での二人の会話に聞き耳を立てていたセルジュは、ミレイユの持っていた箒によって外に掃きだされるのであった。
***
「じゃあ、私がお父さん役で、ミーナがお母さん役ね!」
「う、うん……!」
ミーナの部屋で、何をして遊ぶか相談していた二人だったが、どうやら一緒にままごとをやることになったらしい。
(私より、シオンの方がお母さん役には相応しいと思うんだけどなあ?)
シオンの言った配役に、正直ミーナは内心で首を傾げてしまうのだが、とりあえずは言う通りに進めることにする。
「ミーナ、行くわよー?」
一度シオンは外に出て、そう声をかけてから再び部屋の中に入ってくる。
「ミーナ、ただいま」
「あ、えっと……あなた、お帰りなさい?」
わざわざ声を低くして父親役になりきっているシオンの言葉に、ミーナは一瞬戸惑いながらもそう応対する。
シオンは満足したのか、嬉しそうに笑ってミーナの背に腕を回し、彼女を抱き締めた。ミーナは一瞬パニックになりかけたが、おずおずとシオンの背中に腕を回し返す。
するとシオンは、今度はミーナの髪と頬にキスを落としてくる。
(うわ、これ照れる……)
ただのままごとだと言うのに、そんな慣れない行動にミーナは照れた。シオンがとても可愛いのも、大きな原因の1つだろう。
だが、所詮ままごとだ。ミーナはドキドキとしながらも自身の両親を思い出して、甘えるようにシオンの髪に頬を擦りつけてみる。
「もう、ミーナは甘えん坊だね」
するとシオンは嬉しさと困惑が混ざったような、そんな曖昧な声色で言う。そして、ふわり、とミーナの頭を撫で始めた。
しばらくそうやって抱き締めあっていた二人だが、とうとう耐え切れなくなったミーナが、身じろぎして口を開く。
「えっと、あなた。そろそろご飯を作らなくちゃいけないから、離して?」
「だーめ」
「ええ!?」
ミーナの背中に回されたシオンの腕の力が、少しだけ強まる。
(もしかして……やっぱりシオン、寂しかったのかな)
ぎゅうと抱き締めたまま離そうとしないシオンに、ぼんやりとそんなことをミーナは思う。さっきシオンは怒っていたけれど、本当はあまり遊べなくなって寂しかったのかもしれない、と。
別に、シオンを蔑ろにしようと思っていたわけではない。だけど、シオンのことが後回し気味になっていたのは、正直なところ事実だった。幼馴染だからわかってくれるだろう、という甘い考えがミーナのどこかにあったのだ。
(……本当にごめんね、ミーナ)
ミーナにとって、シオンは大切な幼馴染だ。一緒にいる時間が、両親の次に長いのがシオンだと言い切れるくらいには、いつも一緒だった。
なのに、新しいことにばかりかまけて、寂しい思いをさせてしまった。
(これからは、もうちょっとシオンのこと、考えよう)
シオンの腕の中、ミーナは改めてそう思うのであった。
***
「はあ、楽しかったわ!」
(つ、疲れた……)
砂糖を大さじ三杯ほど投入したリアルおままごとが終わり、シオンは満足そうに息をつく。ミーナはと言えば、まるで新婚家庭のようなベタベタに甘い雰囲気に、思い切り疲弊していた。
態度が悪いかなと思いながらも、ミーナは疲れのあまりベッドの上でぐでんと寝そべる。
そんな彼女に、シオンが悪戯っぽい笑顔を浮かべて言う。
「ミーナ、また今度やりましょうね?」
「え!?」
シオンの衝撃発言に、がばりと起き上がるミーナ。そんな彼女の様子に、シオンはまたくすくすと笑った。
どうやらからかわれたらしいと悟って、ミーナも一緒に笑った。その笑顔がどこか苦笑気味だったのは、お互いに気付かないふり。
「あ、そうだわ。ねえ、ミーナ?」
「ん、なーに、シオン?」
「今度、私も森に連れて行ってよ?」
「……え?」
ぎくり。そんな擬音がミーナから聞こえてきそうだった。あまりにも分かりやすい態度である。
一瞬の内に硬直から立ち直った彼女は、愛想笑いを浮かべてシオンに問いかける。
「も、森? 何のこと?」
「……隠すの?」
その声には、言い知れぬ威圧感が漂っていて。
ミーナはすぐに白旗を上げた。
一体いつばれたのか。そして、どうしてばれたのか。
町中で出くわした時にでも、後を尾行けられたのだろうか。そんなこと気付かなかったけどなあ、なんてミーナは内心で息を吐いてしまう。
(シオンが知ってるってことは、お母さんも知っているのかなあ……)
知っているとすれば怒られるはずだし、恐らくばれていないのだろう。いや、きっとそうだ。……そうであってほしい。
ミーナは一人、そう真剣に願うのだった。
「……うう。でも、何で森に行きたいの?」
「何でって、ミーナが行っているからよ!」
理由になっていない理由に、ミーナは小さく溜息を吐く。
「んー、シオンが行きたい、っていうのはわかったけど……でも、森って危ないんだよ?」
「ミーナは行ってるじゃない」
「私は少しだけど魔法が使えるし、それにこれがあるから」
ミーナはそう言って、一年前の誕生日に貰ったペンダントを胸元から取り出す。
ちなみに今年の誕生日には、魔法関連の本を数冊貰っていた。この世界ではまだ印刷技術が発達しておらず、殆どの本が手で書き写されたものか、魔法で複写されたものだ。そのため本は貴重品、または金持ちの道楽、という側面が強い。幸いにして、ミレイユが本を転写するための魔法を使えるため、この家には蔵書が多かったりするのだが。
シオンは、ミーナが取り出したペンダントに首を傾げる。
「それって、誕生日にミレイユさんたちから貰った物よね?」
「うん。これ、護りの力が込められた魔道具でもあるんだ。まあ、それでも危ないことには変わりがないんだけど」
魔法を習ってから改めてペンダントを見てみれば、かなり強い魔力がこめられていることにミーナは気付いた。そのペンダントは、一人娘のためだけに作られた、セルジュとミレイユ渾身の力作なのだ。
「なるほど、それなら森に行っても安心よね……私もお母さんと、ミレイユさんたちに頼んで作ってもらおうかしら」
「いいかもしれないね。森に行く行かないに関わらず、持ってるだけで安心できるし。……あ、でも、最近大きい注文が入ったとかで忙しいみたい。今日もちょっとぴりぴりしてたし。だから今頼んでも、結構時間かかっちゃうかも」
「そっか、それは残念ね……」
シオンが落ち込むのを、ミーナはまあまあ、と慰める。
「でもどっちにしろ、これから寒くなって来ちゃうから、行くなら春だと思うよ? 私も冬の間は、森に行かないつもりだったし」
「そっか、それもそうね。わかったわ。森に行くの、楽しみにしてるからね?」
シオンが嬉しそうに微笑む。
(……あれ、いつの間にか行く方向で纏まってる?)
ミーナはそれに、内心で首を傾げるのであった。