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赤秋の月、10日。
夏の厳しさもなくなり、柔らかな光になりつつある太陽の下、ミーナは一人、家の裏口で魔法の練習をしていた。
「『一≪ファースト≫』!」
ミーナが呪文を唱えれば、地面に描いた紋章がぼう、と淡く光る。彼女がそれと同時にびしぃっ、と指差せば、その方向に一発の魔力弾が飛んでいった。
それはミレイユが初めに見せたほどの威力には到底追いつかなかったが、木の幹に大きな傷を付けられるくらいには威力があった。
最初はへこみ傷程度の威力だったので、順調に成長していると言っていいだろう。
(ん、まだまだって感じかな)
しかし、ミーナはそれほど納得していないようだ。
ミーナに魔力操作の才能があるとはいえ、一日の長があるミレイユには当然敵わない。しかし、ミレイユが最初に見せてくれた同じ魔法があまりにも強烈すぎて、彼女の中の目標が高く設定されてしまっているようだった。
(……でも、そろそろこの魔法だけっていうのも飽きてきたなあ)
ミーナは小さな溜息を吐く。最初はおっかなびっくりだった魔法であるが、毎日毎日繰り返せばそんな感情も失せるというもの。
ミレイユがミーナに教えたのは、『一≪ファースト≫』『二≪セカンド≫』『火≪ファイア≫』『水≪ウォーター≫』の四つ。それぞれ字面の通りの魔法なので、詳しい説明は省略するが、一ヶ月半もの間、この四つだけをずっと練習してきたのだ。
基礎をしっかりと練習するのは重要なのだが、他の漢字を知っているミーナにとっては退屈で仕方なかった。
(「この魔法しか練習したら駄目!」って言われてるわけじゃないし……そろそろ別の魔法を使ってもいいよね?)
ミレイユがそんな注意をしないのは、当然自分の教えた魔法しか知らないと思っているわけだから当たり前だ。
しかし、ミーナ本人も屁理屈と承知の上で、自分に言い訳するのだった。
(……今度、こっそり近くの森の中で練習しようかな)
この世界には、魔物が生息している。この町にまで出てくることは殆どないが、近くにある森の奥に入れば沢山いて、人間を襲ってくるのだという。
そのため子供たちは、何よりも先に、森に入らないようにと大人に教えられる。大人たちも、特別な用事がない限りは森に近付くことすらしない。
(……浅いところなら大丈夫だよね? あー、早く違う魔法をあれこれ試してみたいっ!)
ミーナも森の中に入る危険性は当然知っていたが、それよりも別の魔法を試すことの方が急務なようだった。
***
「お母さん、ちょっと遊びに行ってくるね!」
「行ってらっしゃい」
ミーナはそう言って家を飛び出す。
ミレイユは、いつものようにシオンの家にでも遊びに行くのだろう、と彼女の行動を少しも疑わず彼女を見送った。
ミーナはふんふん、と鼻歌を歌いながら、目的地である森の方へと向かう。
しかしその途中で、運悪くシオンとばったり出くわしてしまった。
「あ、ミーナじゃない!」
「シ、シオン!?」
シオンの唐突な登場に、ミーナは肩を揺らす。しかしシオンはそれに気付かず、彼女に駆け寄った。
「今、ちょうど遊びに行こうと思っていたのよ。行き違いにならなくてよかった!」
「あ、そうなんだ……えっと、でもね、その」
「……ミーナ?」
ミーナのそわそわと煮え切らない様子に、シオンはどうしたの? と首を傾げる。しかしミーナは、ここを切り抜ける上手い言い訳が全く思いつかず、しどろもどろになってしまう。
そして結局。
「ごめん、今からちょっと用事あるんだっ! またねー!」
「え、ちょっと、ミーナ!? ……もうっ!」
全く言い訳になっていない言葉を口にして、ミーナはシオンの脇をすり抜ける。シオンは一瞬呆気に取られたが、すぐ我に返って頬を膨らませるのだった。
***
「はぁ……はぁ……」
森まで全速力で走ってきたミーナは、その場にごろんと座り込む。息切れをどうにかしようと、深呼吸を繰り返した。
しばらく座り込んでいれば、息も落ち着いてきて、思わず彼女は溜息を吐いてしまう。
「まさか、あんなタイミングでシオンに出くわすとは……」
酷いあしらい方をしてしまったので、シオンには後でちゃんと謝ろう。
そう深く心に誓いながら、彼女は立ち上がった。
「……さて、と。魔法試してみよう!」
近くから生乾きの木の枝を拾い、その場にしゃがみこむ。
「えっと、何がいいかなー。やっぱり『湯』とか『風呂』とかかなー?」
言って、地面にがりがりと湯、という漢字を描く。
魔法は、組み合わされる紋章が多ければ多いほど魔力の消費量が多い。なので、ミーナはまず一紋術である『湯』から試すことにした。
ちなみに二紋術以上の場合、それぞれの紋章に定められた必要魔力の積が消費される。たとえば、『火炎』という魔法であれば、火=2×炎=4で8の消費だ。
(呪文は、ホットウォーターでいいかな? それともホットスプリング? ……いや、それは温泉か)
ミーナは色々考え、よし、と決める。
「えっと……『湯≪ホットウォーター≫』!」
出来るかどうか半信半疑ながらもミーナがそう唱えると、彼女の目の前に水球が出現する。『水≪ウォーター≫』の魔法とほぼ同じ効果のように見えるが、その水球からはもうもうと湯気が立っていた。
「わ、ちゃんと出来た……!」
ぴょん、とその場で飛び跳ねる。その後、ちょん、と水球を指で突いてみれば、そのお湯はお風呂にちょうどいい温度で、更にミーナは喜んだ。
「……よし、まだまだ試そっと!」
全ての漢字が紋章として認識されるのか、呪文は意味さえ合っていればどの英単語でも大丈夫なのか。やってみたいことは、いくらでもある。
ミーナは心躍らせながら、数々の魔法を試していった。
***
彼女があれこれと試した結果、以下の検証結果が得られた。
まず、紋章について。
覚えている漢字を元に魔法を試してみたのだが、その全てがちゃんと発動した。試してみたのは『雷≪サンダー≫』『雪≪スノウ≫』『成長≪グロウ≫』など約十五種類ほどだ。
組み合わせる漢字も殆ど自由で、実際には無い熟語、たとえば『雷矢』などでも大丈夫だった。ただ、『火水』など、使用者が効果を明確にイメージしきれないものだと発動に失敗してしまうようだ。
次に、呪文について。
これは、紋章に対応した意味のものであれば、どの英単語でも大丈夫なようだった。『一』という紋章に対し、≪ファースト≫でも≪ワン≫でも発動し、『水』という紋章に対し、≪ウォーター≫でも≪アクア≫でも発動することからの仮説だ。
ただし、全ての紋章にそれが適応されるとは限らないので、1つ1つ検証していく必要はあるだろう。
この検証結果を元に、ミーナは色々と遊んでいた。
雷を操ったり、花びらを舞わせたり、前世では有り得ないことのオンパレードに、ミーナは明るい声色で笑う。
「……あ、うそ!?」
とある魔法を試してみたミーナは、驚愕に口をぽかんと開け広げる。
彼女の足元には『菓子』、そして発した呪文は≪ポテトチップス≫。冗談のつもりでやってみたそれは、しっかりと発動したようで、彼女の目の前には、前世でよく見たポテトチップスが一枚、ふわふわと浮かぶ。
「造語というか……こういう固有名詞っぽいのでも大丈夫なんだ……」
ミーナは呆然としながら浮かんでいたそれをつまみ、ぱり、と口にする。とても懐かしい、濃いうす塩味に、彼女はほう、と感動の溜息を吐いた。
「じゃあこれはどうだろう……『菓子≪ポッキー≫』!」
さすがにこれは発動しないだろう。そう思って発動した魔法は、彼女の思惑から外れて発動してしまった。
もはや英語じゃない気もしたが、英語っぽい何かなら何でもいいのだろうと、ふわふわと浮いていた一本のポッキーを口にしながら、ミーナは勝手に解釈することにした。
不意にミーナの後ろにあった茂みが、がさりと揺れる。
「っ!?」
音のした方を、ミーナは即座に振り返った。まさか魔物だろうかと、彼女は額に汗をうっすらと滲ませながら、手に持った木の枝を握り締める。口にはポッキーがくわえられたままだが、ミーナにはそれを気にする余裕などはない。
魔力の消費を考えずに思ったままに魔法を乱発していたため、ミーナの魔力は殆ど空に近い。迂闊としか言いようが無かったが、彼女も浮かれていたのだ。
緊迫する空気の中、その茂みから姿を見せたのは。
「……だ、れ?」
濃い藍色の髪をした一人の男の子……というよりは少年だった。
その知らない少年に、ミーナはぽかんと口を広げてしまう。その途端ポッキーが彼女の口からこぼれ、地面に落ちた。
(まさか、今の魔法を見られてた……?)
ミーナは内心で物凄く焦りながら、少年に問いかける。
「えっと、み、見た? さっきの……」
「…………見ていない」
嘘だ。少年の言葉に、ミーナはそう直感した。
だけど彼は、ミーナが何度問いかけても、ただ首を横に振る。
「……ほ、本当に見てないんだよね?」
こくん。少年が頷く。
ミーナは、内緒にしていてくれる、ということなのだろうと勝手に解釈し、そっか、と息を吐いた。
「えっと、貴方は?」
「……レグルス」
寡黙なのだろうその少年は、殆ど余計なことを言わず、必要なことだけを口にする。ミーナはそのとっつき辛い反応に、少しだけ困ったように眉を寄せたが、気を取り直して彼への問いを続ける。
「レグルスはどうしてここに来たの?」
「……迷った」
思わぬ言葉に、ミーナがきょとんと目を見開く。そしてすぐ後に、ぷっと吹き出した。
「え、迷った!?」
ミーナは悪いと思いながらも、大笑いしてしまう。だが、大真面目な顔をして「迷った」だ。ミーナが笑ってしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
「あはは、ごめん、ごめんねレグルス? 初対面なのに大笑いしちゃって?」
ミーナはまだ笑いが収まらないまま、彼に謝罪する。しかしレグルスの表情はほとんど変わらないため、怒っているのか、何とも思っていないのかはわからなかった。
「じゃあ、私と一緒に町まで帰ろうよ? レグルスの家はどこなの?」
「……孤児院」
「え?」
レグルスの言葉に、ミーナは一瞬言葉を失う。そこでどんな反応をすればいいのか迷ったが、気を遣うのも変だろうと、普通の様子で彼との会話を続けた。
「そっか! じゃあ、帰ろっか?」
こくん。レグルスは頷く。どうやら不快に思っている様子は無かったので、その対応で間違いはなかったようだ。ミーナは内心でほっとした。
二人で歩いて森を抜ける。
「ねえ、レグルス?」
「何だ……?」
「今度、一緒に遊ぼう?」
ミーナは基本的に友達が少ない。少ないというより、実はシオン一人しかいない。
それは、同年代の子供が近くにあまり居ないということもあるし、ミーナが他の子より大人びているせいでもあった。それに加え、ミーナの変な発音に、他の子供たちが近付かなかったという事情もある。
ミーナは偶然によって現れた友達候補に、期待に満ちた目を向ける。
「わかった」
「じゃあ今度迎えに行くね!」
一方は笑顔で、一方は無表情で、そんな会話を交わしながら、二人は町の大通りを目指して歩く。
既に空は、赤く染まっていた。