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桃春の月、43日。
魔法を初めて見た夜から、約一年が経った。
「あのねお父さん! 私、明日からお母さんに魔法教えてもらうんだよ!」
「そうか、良かったなあ、ミーナ!」
とうとうミレイユから魔法を教えてもらえることになったミーナは、満面の笑顔でセルジュに抱きつく。
セルジュもまた、ミーナと同じような眩しい笑顔で、彼女を抱きとめた。
シオンとの特訓の結果、発音もすっかり良くなったミーナは、今ではすらすらと言葉を操れるようになっていた。そんな彼女の努力を認め、まだ少し早いと思いながらもミレイユは魔法を教えることにしたのだ。
「ミーナ、教えるからにはビシバシ行くわよ? だから今日は、早く寝ておきなさい」
「はいっ!」
ミーナはセルジュから離れ、びしっと背筋を伸ばす。セルジュはちょっと寂しそうな顔で思わず手を伸ばした後、腕を引き戻してから、頑張れ、と彼女を応援した。
嬉しそうな娘を見るのは父としてはとても嬉しいのだが、細工師としては自分の仕事にも興味を持ってもらいたいなあ、とひっそり思うセルジュなのであった。
***
そして翌日。
朝食を食べ終わった後、ミーナとミレイユの二人は、家の裏口で向かい合っていた。セルジュは店を開けるための準備があるため、泣く泣くそちらの方に行っている。
「ええと、まずミーナには魔力というものを感じてもらいます」
「魔力……」
ミーナはミレイユの言葉に、ごく、と生唾を呑む。どこかの作り話にしかないような魔力という存在を、本当に感じられるのかどうか不安だったからだ。
「本当は、紋章と呪文だけでも魔法は発動可能なのだけれど、ミーナには魔力操作についても知っておいてほしいから。さ、ミーナ、右手を出して」
「は、はい……!」
ミーナは言われたとおりおずおずと手を差し出す。ミレイユはそれを優しく両手で包んだあと、目を閉じた。
途端にミレイユの方から、言葉で表すことが出来ないような冷やりとした感覚がほんの少しだけ流れ込んできて、ミーナはびくりと肩を揺らす。それは本当に微量なものであったが、今まで一度も感じたことがない感覚だけに鋭敏にわかった。
「わかった? これが魔力よ」
「今の、が……?」
ミレイユから解放された右手の掌を、ミーナはじっと見る。先程の感覚はもう残っていなかったが、記憶にはしっかりと残っている。
「魔力は誰でも持っていて、一人一人、少しずつだけど性質が違うの。だから、人の魔力はすぐに感じることが出来る。でもそれを手掛かりに、自分に中にある魔力を感じるのはとても難しいわ。魔力は、いつも自分と共にあるものだから」
ミレイユの言葉に、真剣に耳を傾けるミーナ。
「魔法使いの中にも、自分の中の魔力を感じ取れないまま魔法を使っている人たちがいる。でも、やっぱり感じ取れないよりは、感じ取れた方が魔法の幅が広がるの。事実、魔道具を作るには、魔力の操作が必須なのよ。だから、ミーナはまず、自分の魔力を把握するところから始めましょうね」
「は、はい!」
ミーナは返事をして、静かに目を瞑る。そして、先程の感覚を参考に、自分の中から魔力を探し出していく。
(ええと……いつも共にあるけれど、妙っぽい感覚……)
自分でもなんだそれと思いながら、ミーナは自分の中を探っていく。
しかし、妙だと思えるところは、いっこうに見つからない。
(んー……前世の私と違うところ……)
そこでミーナは、前世の自分が持っていた感覚を思い出し、今と比べてみる。暫く真剣に探っていれば、鳩尾の辺りに僅かな違和感を覚えた。
今まで気付かなかったほどに小さなそれは、先ほどミレイユから感じたものとは違い、言うなればお風呂に浸かっているような、温かくて癒されるような感覚だった。
(……もしかして、これ?)
そう思った瞬間、ミーナの中でその温かい感覚が強くなった。何だか本当にぬるま湯に浸かっているようで気持ちいいな、なんて思っていれば、ミレイユが口を開く。
「……お、どろいた。私の娘とは言え、こんなに早く魔力を感じられるなんて」
ミレイユが、信じられない、といった声色で言う。
魔力を感じるには、早くても一日はかかる、と言われている。中には、ミレイユが言ったとおり、魔力の感覚を理解せずに一生を終える魔法使いがいるくらいなのだ。
前世というハンデがあるためだとしても、客観的に見ればミーナの魔力を感じ取る才能は突出していると言って良いだろう。
「……これが、魔力?」
そしてミーナも、呆然と呟いていた。
一度理解してしまえば、何故今まで気付かなかったのかと思うほどに、その暖かい力は自分の中に満ち溢れていたのだ。
前世ではありえなかった感覚に、ミーナはぶるり、と身震いした。
「今日はまだ、魔法まで教えるつもりはなかったのだけど……ミーナには才能があるわ……」
ミレイユの目が、きらりと光る。
魔力を感じ取る才能があるということは、すなわち魔力操作の才能もあるということ。
ミーナであれば自分を越える魔道具職人になれるのではないかと、ミレイユは密かに期待するのだった。
「じゃあ、まずは私が簡単な魔法をやってみるから、あの木を良く見ててね?」
「は、はい!」
ミレイユが指で示した木を、ミーナはじっと見つめた。
「『一≪ファースト≫』」
ミレイユは腕を真っ直ぐ伸ばし、すっ、と指を横に滑らせる。
すると彼女の指元から、圧縮された魔力が発射され、10メートルほど離れた木に当たって掻き消えた。
バキィッ、という音を残して。
「ひぅっ!?」
ミーナの口から、小さな悲鳴が漏れる。まばたきするようなほんの一瞬の間に、木はその幹の半分ほどが抉られていた。
「これが大抵の魔法使いが一番最初に習う魔法、『一≪ファースト≫』よ。魔力を圧縮して一発の塊にして打ち出す魔法なの。今のは魔力操作で目いっぱい魔力を圧縮したから、本当ならここまで威力が出ないわ。だから、安心してね?」
そう言われたところで、ミーナはちっとも安心できなかった。それくらいに今の光景は衝撃的だった。斧でもチェーンソーでもあんな傷跡は再現できないだろうに、それが一番最初に習う魔法によって出来た傷跡だなんて信じたくなかった。
ミレイユとしては、魔力操作の重要性を示したかっただけなのだが、ミーナの中では「魔法恐い魔法恐い魔法恐い」という恐怖が渦巻く。
「……えっと、ミーナ、どうしたの?」
「な、何でもない……」
お風呂を作る魔法とか開発してみたいな、などという、ただただ暢気なことを考えていたミーナは、魔法の危険性を改めて実感したのだった。
「じゃあ、ミーナもやってみましょうか。まずは発音の練習からね。≪ファースト≫よ」
ミレイユの言葉に、ミーナは少し考えてから口を開く。
「……ふぁ、すとぅ?」
「ふふ、やっぱり難しいわよね。≪ファースト≫よ」
「ふぅあ、すと! ……違う?」
ミーナがたどたどしく言うのを、ミレイユは微笑んで見守る。が、ミーナのそれは当然のごとく演技だった。さすがに最初からスラスラ呪文が言えるのは、疑ってください、と言っているようなものだからだ。
「うう……≪ファースト≫!」
「それよ!」
数十回、呪文の練習を繰り返したミーナは、そろそろいいだろうと思い、しっかりとした発音で呪文を口にする。するとミレイユは、まるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
「ミーナは覚えがいいわね」
ミレイユはそう言ってミーナの頭を撫でる。ミーナは少しだけ罪悪感を覚えながらも、えへへ、と笑った。
「じゃあ、早速魔法を使ってみましょう。そうね……まずは地面に紋章を書きましょうか」
「あれ、お母さんみたいに指でやるんじゃないの?」
ミレイユが魔法を使うときは、いつも空中を指でなぞっていたはずだけど、とミーナは首を傾げる。その魔法使いらしい仕草に彼女は憧れていたため、そのことを良く覚えていた。
「ああいう風に魔法を使うには、魔力を指に集めなくちゃいけないの。だから、ミーナにはちょっと早いかな?」
「集める……?」
ミーナは首を傾げながら、先程理解したばかりの魔力を指に集めてみる。試しにやってみたそれは、出来て当然とばかりに簡単に出来てしまった。
「お母さん、これでいいの?」
「……ミーナ、あなた……」
ミレイユが、呆然とミーナを見つめる。その視線に、ミーナはぽかんと首を傾げた。
……ここまで来れば、どう考えてもミーナの才能はこの世界において異常だった。「ちょっと早いかな」とミーナには言ったものの、ミレイユは数年はかかるだろうと思っていた。影紋章魔法と呼ばれるそれは、高等技術の1つに数えられるものだからだ。
魔法は紋章と呪文で発動する。つまりは、魔法を使うにはどうにかして紋章を記すすべを持ち歩かなくてはならないということ。
そのため、杖を持ち地面に書き記すものもいれば、紙や魔道具などに記しておき、それを持ち歩くものもいる。
しかし前者は地面のコンディションによって左右されてしまうし、後者はあらかじめ記しておいたものしか使えないという欠点がある。
大抵は両方を組み合わせることによって弱点を補うのだが、三つ目の方法として先程挙げた、影紋章魔法があった。自分の魔力を使って空中に紋章を描くことで、その場のコンディションなどに左右されず、どこででも柔軟に魔法を使うことが出来る方法だ。
しかしそれだけにその技術を習得するのは難しく、魔力操作に長けた熟練の魔法使いにしか使えないと言われているものなのだ。
それを、まだ七歳でしかないミーナが、いとも簡単に行ってしまった。前世の記憶があり、しかもミーナ自身魔力を扱うセンスがあったために引き起こされた事象なのだが、前世のことなど知らない者から見れば、もはや才能の一言では片付かない事態だ。
ミレイユはミーナと目を合わせるように、膝をつく。
「……ミーナ、約束して。もっと大人になるまで、これは使っては駄目よ」
「……どう、して?」
「これは、本当ならとっても難しいものなの。だから、ミーナがこの歳で使えるなんて知られたら、恐い大人の人に連れて行かれちゃうわ……」
ミーナはその言葉に、背中に冷や汗が流れるのを感じていた。
漢字という知識だけでも彼女は危険分子と呼ばれるに充分であるというのに、それ以上の厄介を背負い込む羽目になるなんて、彼女は思ってもみなかったのだ。前世というハンデは予想以上に大きく、異質なものなのだと、ミーナは改めて自身に刻み付ける。
「うん……!」
「いい子ね、ミーナ」
こく、と深く頷いたミーナに、ミレイユはホッと安心したように笑う。
「じゃあ、地面に紋章を書いてやってみましょうか」
「は、はいっ!」
二人は気を取り直して、魔法の練習を再開する。
(何だか、前途多難だなあ……)
しかしミーナの心中では、やり切れない気持ちでいっぱいなのであった。