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桃春の月、49日。
今日は、天体学の授業の日だ。
天体学は、星について学ぶ授業だ。魔法には全く関係ないようだが、そんなことはない。
人が持つ魔力は、春夏秋冬という四つに大別され、星の位置によってその質や量を微妙に変化させるという。
そのため、一応は必修科目に数えられているのだが、生徒達からはあまり人気がない。それは授業の内容もさることながら、それを担当する先生の声からとてつもない量の「催眠音波」が出ているせいでもあった。
つまりは、とても退屈で、とても眠くなる授業なのである。
だけどミーナは、この授業が好きだった。いや、この授業で学ぶ、星が好きだった。
この世界には、月がない。夜空に浮かぶのは星だけだ。
だから、ミーナは前世と同じ輝きを持つ星が好きだった。見慣れた月が無い代わりに星が好きになった、と言ってしまえば、それまでなのだが。
「では、教科書を開いてください」
いつものゆったりとした声で進められる授業。それは睡眠を誘発するような柔らかな声で、周りの学生達の中には、すでに眠る姿勢に入っている人もいたほどだ。堂々と顔を伏せる生徒達と、それを気にした様子もない先生の姿に、ミーナは思わず苦笑いしてしまう。
それから、指示通りに手元の教科書を見る。
教科書には、前世にはない星座が色々と描かれており、それに付随して魔力についての説明と、簡単に纏められた神話も書いてあった。
「この春の星に属する、アディという星座は、北の空に浮かびます。この星がより強く輝く、桃春の月の1日から10日までは、春の魔力を持つ者は、より強力な魔法を使うことが出来るようになるでしょう」
ミーナは穏やかな声で紡がれる話を聞きながら、ぼんやりとレグルスのことを考える。正確には、レグルスの言っていたことについてを考える。
――今月中には覚悟を決める。でないと、俺はきっと、一生言えそうにない。
(……なんて言ってたけど。なるべくなら、早めに教えて欲しいなあ。気になりすぎて、月末試験の勉強が手に付かないし)
随分と軽い理由だった。
八つ当たりするように、ノートにペンでぐりぐりと黒いもやもやを書く。それがノートの隅にどーんと陣取ったあたりで、ミーナは小さく溜息を付いてから、手を止めた。
(……「守る」、か)
レグルスの言うことは良く判らない。
ミーナは自分に守られる価値なんてないと思っているし、守られる理由がないとも思っていた。そしてそれは、客観的に見た場合の、純然たる事実だろう。
(何か、あるのかな……? そう、例えば、孤児だった彼には友達が居なくて、私が初めての友達だったとか?)
酷い想像だったが、そんな理由であれば、恋愛感情なんて無くてもミーナを守ろうとするだろう。
(んー、でも、違うと思うな……)
だけど、それは違う気がした。そもそも、レグルスの思いは、そんなに軽いものじゃないような気がした。
(……やっぱり良くわかんない、か)
いくら考えてもわからないものはわからない。ミーナは諦めて、授業に集中することにする。クラスの半数以上が轟沈していた授業だったが、彼女は中々に楽しめたようだった。
***
授業も終わり、ミーナはううん、と身体を伸ばす。周りの生徒達も、授業の終了を告げるチャイムの音で目を覚ましたのか、起き上がって欠伸を漏らしていた。そして、その内の一人であるアリアも、眠そうに瞼を擦る。
「アリアちゃん、良く寝てたね」
「あ、あははははー」
ミーナの突っ込みに、誤魔化すように笑うアリア。
ミーナはつられて笑いながら、彼女の額につく跡を指摘する。するとアリアは恥ずかしそうに額を押さえてから頬を染めて、また誤魔化すように笑った。
「じゃあ、帰りましょう?」
しばらくじゃれあっていた二人だったが、シオンの言葉に、アリアがハッとした反応を見せる。
「あ、ごめーん! 私、先生に呼ばれてるんだー」
「先生に?」
「あ、別に、こないだの宿題を忘れたのとは関係ないよ?」
それでは、関係があると言っているようなものだ。ミーナは呆れた視線をアリアに向ける。
「ほ、ホントだからね!?」
「……ふーん」
「ミーナちゃん、信じてないよね!?」
「いや、信じてるよー? ……たぶん」
「ミーナちゃーん!?」
彼女は焦ったように弁解するのだが、どんどんとドツボに嵌っていくだけだ。
アリアはやがて、強張らせていた肩をがっくりと落とす。諦めたようだ。
「ま、まあ、ともかくーっ! そういうことだから、ミーナちゃんたちは先に帰ってて?」
「うん、わかった」
ミーナは忍び笑いを浮かべながら手を振り、シオンはええ、と頷く。アリアはそれを見てから、駆け足で教室を去っていった。
「じゃあ、帰る? レグルスも帰ろうよー」
教科書をしまっていたレグルスにミーナが言うと、彼は一瞬考えた間を置いてから、彼女に言葉を返す。
「……いや、悪いが、俺も少し用がある。先に帰っていてくれ」
「あれ、レグルスも? 珍しいね」
「ちょっとな」
レグルスは首を傾げるミーナをちらりと見て、すぐに目を反らす。
「そっか、残念」
「ああ、悪い」
ミーナとレグルスの二人は、そんな言葉を交わして別れた。
「じゃあシオン、二人で帰ろっか?」
「え、ええ……」
ミーナの言葉に、レグルスの去っていく方をじっと見つめていたシオンは、含みのある様子で頷く。ミーナはその反応に少しだけ気になったものの、シオンが歩き出したので、それをすぐに追いかけた。
***
「そういえば、二人だけで一緒に帰るのって初めてだね」
ミーナはそう言って微笑む。
ミーナとシオンの二人だけで、寮に帰るのは初めてだった。いつもはシオンが魔法実技の補習だったりして、シオンがいないことの方が多い。
ミーナは嬉しくなって、浮ついた気分のままシオンの隣を歩く。しかし、どうしてかシオンは、ぼんやりとしているようだった。呆けたように顔を曇らせるシオンに、ミーナは不安げな表情で首を傾げて問いかける。
「シオン、どうしたの?」
「え? あっ、ごめんなさい……」
ミーナの問いに、シオンが驚いたように肩を揺らす。そして、恐る恐るといった様相で、隣を歩く彼女を見た。
「……私、そんなにぼうっとしていたかしら?」
「う、うん、だいぶ……」
シオンの問いに、ミーナはおずおずと首肯する。シオンはそれを見て、そう、と言ってそれきり黙ってしまった。
先程まであった嬉しさは、その不可解な反応で微塵も残らずどこかに吹っ飛んでしまう。ミーナは、どこか居心地悪そうにシオンの隣を歩く。
二人の間に、落ちる沈黙。
ミーナは不安そうにちらちらとシオンの顔を窺っては、視線を戻すということを繰り返していた。
「……ねえ、ミーナ」
やがて、シオンが口火を切った。ミーナはシオンが口を開いたことにホッとして、その言葉に、何、と首を傾げる。
「ミーナは、レグルスが好きなの?」
「えっ?」
唐突に問われた言葉に、ミーナはきょとんと目を瞬かせる。
(は? ん? えっとー……好き?)
シオンの言葉を噛み砕くように把握した時、ミーナは目を丸くして仰天してしまった。
「ええ、好き!? どうして!?」
ミーナの狼狽に、シオンが真剣に彼女を見つめる。まるでそれは、何かを見極めようとしているかのようだった。
シオンはじっと彼女を見ていたが、その慌て方に、そういう感情が無いことを悟ったらしい。シオンは、ホッとしたように長く息を吐いてから、口を開く。
「だって、最近ミーナったら、ずっとレグルスを見てるじゃない。レグルスも、どうしてかミーナを気にしてるみたいだし。あの、戦闘学の日から、二人ともどこか変よ……!」
「そ、そうかな?」
シオンの言葉に、ミーナはびくんと肩を揺らす。
確かに、視線が行っていたのは否定しきれない事実だった。彼の「守る」という言葉が、気になって気になって仕方がなかったから。だけどそれは、好きとかそういう感情とは、到底離れた感情だ。
そしてそれは、彼女を気にしているという、レグルスも同じだろう。
「別に、シオンを心配させるようなことはないよ?」
ミーナは、シオンを安心させるように笑う。
しかしシオンは、どこか縋るような目で笑う彼女を見た。
「ミーナ。私ね、ミーナが大好き。レグルスのところに、行っちゃ嫌だわ」
「……え? あ、わ、私も大好きだよ?」
シオンの唐突過ぎる告白に、ミーナは不思議がりながらも応える。しかしシオンは、首を横に振って立ち止まった。
「違うの」
シオンは、妙に耳に付く、凛とした声で言った。
その雰囲気に呑まれ、ミーナを取り巻く周りの喧騒が、さっと消える。
「私は、ミーナが女の子として、好きなの。ミーナが思う友情としてじゃなく、恋として」
ミーナはシオンの言葉が良く判らず、その場に立ち竦んでしまう。
「友情じゃなくて、恋って、え? どういう、こと?」
酷く混乱した様子のミーナに、シオンは更に言葉を重ねた。
「……好きだよ」
いつものシオンより、幾らか低くなった声。ミーナには、それは、少年のものに聞こえた。
ミーナは益々混乱してしまい、ただただシオンを見つめる。シオンは、どこか寂しそうな笑顔で言った。
「私は……」
シオンがそこで口篭り、そして意を決したように言う。
「……ううん、僕は……本当は、男なんだ」
その信じられない告白に、ミーナは驚愕に、目をまんまると見開いて、口をぱくぱくと仰がせる。
「ごめんね、ミーナ。今まで、隠してて。……騙してて、ごめんね」
それだけ言ったシオンは、スカートを翻して逃げるように駆け出した。ミーナはしかし、それを追いかけることなど思いつかず、ただ呆然と立ち尽くして、シオンの言葉をぐるぐると繰り返していた。
「え? ……ぅえええええ!?」
やがて口から漏れ出たのは、そんな素っ頓狂な悲鳴だけだった。