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時は、少し遡る。
路地から逃げ出したアリアは、しばらく途方も無く歩いていたが、広場にあるベンチを見つけて力無く腰掛けた。
唇を噛み締めて、今にも泣きそうな表情で、ただじっと地面を見るようにうなだれる。
彼女は全くもっていつもらしくなく、どんよりとした雰囲気を辺りに漂わせていた。
「……何で? 何で? ミーナちゃんも、シオンちゃんも、レグルスくんも、どうして普通で居られるの?」
アリアの口から、ぽつりとそんな言葉が漏れる。
彼女は、わけがわからなかった。
白は異端なもの。白は悪いもの。白は迫害すべきもの。白は見てはいけないもの。白は恐ろしいもの。白は、白は、白は……。
今までのそんな常識と、ミーナたちの平然とした態度が噛み合わず、彼女はとても混乱して、困惑していた。
「……だって、悪魔の使いなんだよ? 恐くないの? 恐くないの……?」
ぽつり、ぽつりと吐露するように零しながら、両手で頭を抱える。
アリアは、ただひたすらに恐かった。
白を持つものに、何かされたことがあるわけではない。何か害をこうむったわけでもない。
だけど、白は彼女にとって恐怖の象徴だった。
この国に住む大抵の人間にとって、白は恐怖と、拒絶の色だった。
「……嫌われちゃった、かなあ」
アリアは泣きそうな声で呟く。三人は白を恐れておらず、自分だけが異質な反応をしてしまった。それが言葉に出来ないほど恐ろしくて、彼女は独り、ふるふると震える唇をきつく噛み締めることしか出来なかった。
「アリア!」
「っ……」
その時、聞きなれた声が聞こえてきて、アリアはハッと顔を上げる。
シオンだった。
走ってきたのか、はあはあと息を切らし、頬を赤く染め、アリアへとゆっくりと歩み寄ってくる。
「アリア、大丈夫?」
「シオンちゃん……?」
心配そうに話しかけてくるシオンに、アリアはびくりと身体を強張らせる。
しかしシオンは何も言わないまま、その隣へと静かに座った。
二人の間に、静寂が落ちる。
「えっと、その、シオンちゃん、ごめん、ね……?」
恐る恐る顔色を窺いながら、アリアは言う。しかしシオンは、きょとんとした面持ちで、彼女の謝罪に首を傾げた。
「どうして謝るの?」
「え?」
アリアは呆然として、シオンの顔を見る。
「具合が悪くなっただけでしょう?」
にこりと他意無く笑いかけてくるシオンに、アリアは肩を揺らす。気まずげに目を漂わせ、トーンを落とした声で小さく問いかけた。
「シオンちゃんは、その、恐くないの?」
「……そうねえ」
シオンは真剣な面持ちで、少しの間考えるように首を捻る。やがて、慎重に言葉を選ぶように、口を開いた。
「特に恐くはないわ。それに私も、昔は避けられる側だったしね」
「シオンちゃんが?」
思わず目を丸くするアリア。
「ええ。私って、一応貴族の子供でしょう? それに、お父さんも居なかったし。だからね、友達が出来なかったの。子供って敏感だから“自分と違うもの”を本能的に嗅ぎ分けちゃうのよね」
シオンはそう苦笑する。それから懐かしそうに目を細め、空を見上げた。
「ほんとに小さい頃のことだから、殆どもう覚えていないけど、寂しかった記憶は残ってる。だから、ミーナと会って、友達になれたとき、とっても嬉しかった」
見ている方の胸まで温まるような、そんな柔らかな笑顔。アリアは思わず見惚れて、ぼうっとしてしまう。
「ミーナといっぱい遊んだわ。どこで知ったんだろうってことばかり教えてくれてね、いっつも一緒に居てくれた。だから本当に大好きなの。ミーナが受け入れているのなら、私だって無条件で受け入れるわ。……あ、でも、レグルスは別ね!」
最後に付け足されたその言葉に、アリアは思わず吹き出した。
「悪い虫は私が倒すのよ!」
「悪い虫って……!」
お腹を抱えてけらけらと笑うアリア。そんな彼女に、シオンは微笑みかけた。
「元気、出たかしら?」
「うん、ありがと! ……ミーナちゃんも、許してくれるかな?」
「別に元から怒ってないと思うわよ。だってミーナだもの」
「ミーナちゃんだもんね!」
二人の間に、良く判らない共通認識が出来上がったらしい。
シオンとアリアは、暫くの間、肩を寄せ合いながらクスクスと笑っていた。
***
所変わって、地下。
しばらくの間、畜生、だとか、死ぬよりも辛い目に、だとか散々悪態を吐いていた黒髪の少年が、ようやく我に返ったらしい。
ミーナは苦笑しながらそれを見ていたのだが、唐突に視線を向けられてぎくりと肩を強張らせた。
「お前ら、学園で見たことがあるぞ。確か、魔特の友人だったか?」
ミーナと、そして彼女の後ろで別の子供を落ち着かせているレグルスを見て、少年が言う。
うんうんとしばらく考えるように唸って、おおそうだ、と口を開いた。
「ミネラルとレゴだったか?」
「全然違います。ミーナとレグルスです」
最初の一文字しか合っていない。
思わず即座に突っ込んだ。
「ミーナに、レグルスだな。二人とも、礼を言う」
「あ、いえ、そんな」
王族に頭を下げられ、慌ててミーナが手でそれを制す。
「ん? そうか」
すると、すぐに頭を上げる少年。余りにも早い変わり身だった。
ミーナは苦笑しながらも、少年に問いかける。
「それで、どうしてこんなところに?」
「んー……」
ミーナの問いかけに、少年が歯切れが悪そうに口篭る。それから、忌々しげな表情で彼女に答えた。
「いつもみたいに、変装して街を歩いてたんだよ。護りの指輪も持ってるから、正直油断しててな。そしたらいきなり後ろから眠らされたわけだ。直接的な危害を与えられるものじゃなきゃ、防御しないからな、この指輪。ったく使えねえ……」
またしてもぶつぶつと悪態を吐き始めた彼を、ミーナは慌てて遮る。
「あの、とりあえずここから出ませんか? いつ人売りが帰ってくるかわかりませんし」
「……そうだな。ここから出た後、とりあえず衛兵呼んで張らせるか。……ぜってー潰す」
呪うような低い声で紡がれた言葉に、ミーナはびくりと肩を揺らす。しかし彼女は聞かなかったことにして、他の子供たちにも指示を与えるために彼から離れた。
***
「えっと、じゃあ後はお願いします」
「おお、任せておけ。こいつらはちゃんと親を探しておくし、人売りは死ぬよりも辛い目に合わせておく」
「……後者は程ほどでお願いします」
地下から外に出たミーナたちは、後のことを黒髪の少年に任せることにして、亜人の子供を母親のところに連れ帰ることにした。
「あは、お姉ちゃあん、お兄ちゃあん!」
ミーナとレグルスの間で手を繋ぎながら、少年が嬉しそうに飛び跳ねる。その度にミーナはぐいぐいと引っ張られ、転びそうになりながらも、何とか足の爪先に力を入れて踏みとどまった。
茶色に染まった白の羽を持つ少年は、満面の笑顔ではしゃぎまわる。誰かと手を繋いで街を歩くなんて、彼にとって初めて経験することだったから。
(……白は悪魔の色、か)
腕を引っ張られながら、今まで考えたことはなかったそれを、ミーナはここに来て初めて考える。
(黒の天使は、きっと日本人で。だから黒髪や黒目が神聖とされて、白が邪悪とされたんだと思う。……元日本人としての責任ってわけじゃないけど、いつか変えたいな)
今の彼女に、何かが出来るわけじゃない。それでも、何かしたいという気持ちがふつふつと湧き上がる。
学園を卒業したら、なんて。まだまだそれは、遠い未来なのだけど。
(うん、目的がもう一つ、増えた)
魔法が勉強したい。
シオンと一緒にいたい。
そして、いつか白を取り巻く環境を変えるための、“何か”を得たい。
ミーナはきゅっと繋いだ方の手を握る。
「お姉ちゃん、どしたのー?」
「んー? 何でもないよ? それより、ほら、もうすぐお母さんの所だよ。早く行こっか」
「え、本当!? いこーいこー!」
駆け出す二人と、必然的にそれに引っ張られるレグルス。
そして三人は仲良く、あの路地裏へ。
「お母さーん!」
「っ! レイド!」
結んでいた手を解いて、母親の元へと駆け出す亜人の子供。そして、それを涙ながらに受け止める亜人の女性。
ミーナはその感動的な光景を、何となく感慨深い思いで見る。
「……良かった、良かったぁ」
ぎゅうと子供の背中に回された手は、微かに震えていた。
しばらくその様子を見ていたミーナだったが、いつまで経っても終わりそうになかったので、悪いと思いながらも声を掛ける。
「あの、ちょっといいですか?」
「あ! す、すみません、お礼もせずに! な、何も無いんですが、出来るだけのお礼をっ……」
「いや、お礼とかは要りません。私が、私のやりたいことを勝手にやったことですから。それで、一つ謝りたいことと、提案があって」
「え?」
きょとんと目を瞬く女性に、ミーナは言う。
「謝りたいことは、勝手にレイドくんの羽を染めてしまったこと」
その言葉でようやく気付いたのか、茶の羽を見て目を丸くする女性。
この世界では、黒髪黒目が王族の証とされるため、髪を染めることが禁止されている。そのため、髪を染めるための染め粉自体、市場に出回っていない。裏の市場にはあるかもしれないが、そんなものを幼い少女であるミーナが手に入れられるわけもない。
だというのに、どうやって羽を染めたのか、女性にはわからなかった。
「お母さん、これで僕も外で遊べるよね!?」
「え、あ、ええ、そうね」
少年の言葉に、戸惑いがちに同意する母親。
「そして、ここからが提案です。……ここでお母さんも一緒に染めちゃいません? 髪を染めたらいけないですけど、羽までは言及されてませんしね」
ミーナの言葉に、亜人の女性がぽかんと口を開く。それから崩れるように表情が変わって行き、涙ながらに何度も頷いた。
***
「根本的な解決には、ならないんだけどね」
シオンとアリアを探しながら、自嘲するような笑みでミーナが言う。
あの後、『茶染≪ヘアカラー・ブラウン≫』なんて苦し紛れの思いつきで、一年はもつようにと綿密に魔法をかけたミーナ。染めるという英語が思いつかなかったための、苦肉の呪文である。
効果が無くなる前に、再び彼女達に会えるのかはわからなかったけれど、今ミーナがやれることは、それくらいだった。
「だが、喜んでいた」
「……うん」
ありがとう、ありがとう、と何度もお礼を言う女性に、ミーナが逆に恐縮してしまうくらいだった。
彼女はそれを思い出し、ぎゅう、と胸に手を当てる。
「ミーナだわ!」
「あ、ホントだー! ミーナちゃん!」
後ろからそんな声が聞こえてきて、ミーナは振り返る。シオンと、元気そうなアリアの姿に、ミーナはホッとしたように笑顔を浮かべた。
アリアは素早くミーナへと駆け寄り、ぐい、と両手を取る。
「えっと、その……ミーナちゃん」
「ね、アリアちゃん、もう遅いから帰ろう? それでさ、また今度、一緒に来ようね」
ミーナのそんな言葉に、アリアはきょとんとして、やがて破顔する。
「う、うんっ! また一緒に来ようね!」
許してもらえたのだと、いや、怒っていないのだと、理解してホッとしたように笑うアリアを横目に、ミーナは考える。
ミーナにとって、白への迫害の気持ちはわからないことだらけだ。でも、他の人が持つそう思う心までは否定できない。
良くないことではある。でも、仕方がないことでもあるのだから。
でもいつか、そんな隔意とかを、全部なくしたい。
(頑張ってみよう)
アリアに引っ張られながら、ミーナは口元に笑みを浮かべた。