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魔力特待生。
その存在は120年ぶりということもあり、どのような対応をすればいいのか、学園内でも揉めた。
魔力特待生とは言え、生徒は生徒であり、特別扱いは良くないと主張するもの。
危険性を考えれば、当然、別に授業を行うべきだと主張するもの。
また、魔力を抑制するための魔道具を付けさせたらどうか、補習という形で授業を増やしたらどうか、などと様々な意見が出た。
結局、「一度、普通と同じように授業を行わせて、問題があれば特別授業を課す。必要であれば魔力を抑制させることもやむをえない」という結論に纏まったのだった。
と、いうわけで。
「特別授業、ですか」
「ええ。先程の授業でもわかったとおり、シオンさんの魔法は危険性が高い。早急に、魔力の操作を覚えてもらう必要があります。それまでは、心苦しいのですが、こちらを付けていてください」
オルトが手渡したのは、魔力封じの指輪だった。その無骨なデザインはシオンの指には酷く似合わない。セルジュの作品とまではいかなくとも、せめて飾り模様の一つや二つくらいは彫られて欲しかった、と贅沢なことを考えてしまうシオン。
「わかりました」
言葉と共に、小さく溜息を吐く。付け外しは自由に出来るようだし、今は我慢していようと、諦めたように肩を落とすのだった。
「夏と冬の曜日の放課後、ここに来てくださいね」
曜日はそれぞれ、春・夏・秋・冬・黒というようになっている。5のつく日の黒の曜日が午前中だけ授業があり、10の倍数の日の黒の曜日が一日中お休みの日だ。
「はい」
眉をハの字にしたまま頷く。オルトも申し訳なさそうな目で、そんなシオンを見つめるのだった。
***
そんな初めての授業から、数日が経った。
「ね、三人とも。ちょっといいかしら?」
魔法史の授業の後。黒板の文字をノートに書き写していたミーナは、シオンのそんな呼びかけに顔を上げる。
「ん、どしたのー?」
ミーナの隣に座っていたアリアも、帰る準備をしていた手を止めて、シオンに問いかける。
「あのね、もしこの後時間があったら、研究室を一緒に回らない?」
「研究室?」
「ええ。実はね」
初めての授業で、メチャクチャな魔法を実演してしまったシオンは、上級生からの勧誘に悩まされていた。初級の初級である『一』の魔法で地面を大きく抉るような威力を持つ魔特は、代えがたい人材……つまり、言い方を悪くすると良い研究材料だと、あの一件で周知してしまったからだ。
「少しの勧誘だけなら良かったんだけど、ここ数日、勧誘が本当に多くて……」
言葉尻は消えるように弱々しかった。シオンはげっそりとした面持ちで溜息を吐く。自分の所属する研究室に来ないかと、時には寮の部屋の中に押し入られてまで繰り返される勧誘に、酷く疲れていた。
研究室に所属するのは、卒業研究真っ最中の六年や、それを控えた五年の生徒ばかり。場合によっては五つ以上歳が離れた先輩を無下に扱うことも出来ず、曖昧に笑って断るくらいしか出来なかったのだ。
「そんなことになってたんだ」
初めて知った事実に、ミーナは悔しげに歯噛みする。仲が良いとは言え、四六時中一緒に行動しているわけでもないので、シオンがそんな事態に見舞われているなんて、全く気付きもしなかった。
ごめんね、とミーナが謝れば、シオンが首を横に振る。
「心配されたくなくて何も言わなかったんだもの。気にしないで」
気を遣われていたのだと悟り、彼女はさらに気分を沈ませる。だが、一番辛い思いをしているのはシオンなのだと思い直し、ぐっと顔を上げた。
「それで、担当の先生に相談したら、仮でいいから今から研究室を決めておきなさいって言われて」
「あっ、だから研究室を回ろう、なんだねっ?」
アリアがぱん、と両手を合わせ、合点が言ったように声を上げる。シオンは頷き、それを肯定した。
「うんうん、なら行こうよー! 面白そうだしー!」
「私ももちろん着いて行くよ、シオン」
「俺も行こう」
「ありがとう、みんな……!」
シオンが嬉しそうに、強張っていた表情を緩める。ミーナはその顔に少しだけ安堵して、こっそりと息を吐いた。
「ね、シオン。まずはどこに行くの?」
「そうね、一番最初は紋章の研究をしているとこかしら……」
「ん、どうして紋章なの?」
なんかつまんなさそう。
表情でありありと語るアリアに、シオンが苦笑する。
「紋章の研究なら、魔力の量はそんなに関係ないでしょう?」
魔力に関係のある研究だと、仮所属だとしても通うことになってしまうかもしれない。そう考えたシオンは、魔力が重要にならない研究室を回ることに決めていた。
それを聞いたアリアが、なるほどー、と納得したように言う。
(紋章の研究ってどんなのだろう? つまりは漢字の研究?)
しかしミーナはそんなことをぐるぐると考えていたので、アリアたちの言葉はぼんやりとした表情で聞き流してしまうのだった。
***
ミーナたちの教室がある低学年棟から、中央廊下を通り抜けると、教師たちが研究室を構える研究室棟がある。その内の一室である、紋章を専門に研究している教師の研究室へとやってきた四人。
「あの、失礼します」
シオンが研究室の扉をノックする。中から皺枯れた返事が聞こえてきたので、彼女を先頭にして四人はおずおずと室内に入った。
研究室の中は、本棚いっぱいの本と、紙の束に埋め尽くされていた。壁には『命運』と書かれた、えんじ色のタペストリーが飾ってある。部屋の中は古びた本の匂いが充満していて、ミーナは何だか懐かしい気分になった。
「こんにちは」
「あ、えっと、こんにちは」
奥の執務机には、白の混じったこげ茶色の毛を持つお爺さんがゆったりとした様子で座っている。シオンが慌てて頭を下げ、他の三人もそれに追従するようにぺこりと頭を下げる。
「シオンさんじゃろ、聞いておるよ。そこに座んなさい。他の皆さんも」
「あ、はい……!」
「じゃあ、失礼します」
ぺこ、と小さく会釈しながら四人で執務机のすぐ向かい側にある黒革のソファーに沈む。それを微笑ましげに見た老人は、節ばった指を組み合わせた。
「偏屈な爺の説明なぞ、若人にとっては退屈な時間じゃろうからのう。手短に済ませようかの」
「いえ、そんな」
「ふぉっふぉ、いいんじゃて」
シオンの言葉にかぶせるように、老人が笑う。耳障りの良い声に、ミーナの胸には心地よい安心感が生まれた。
「さて、わしの研究じゃが、簡単に言うと紋章についての研究じゃ」
言いながら、一枚の紙を四人に差し出す老人。四人はその用紙を覗き込んだ。
紙には『炎』『林』『晶』という紋章が並んでいる。
「紋章の中には、同じ紋章を複数書いたものがあるんじゃ。その紙にあるようにのう。じゃが、どうにも規則性が掴めん。一番左の『炎』は、火の魔法の紋章が縦に二つ並んでおるが、真ん中にある『林』は横に並んでおろう? 一番右の『晶』に至っては、三つじゃ。わしはな、この謎を解き明かして、紋章に規則性を見つけ出すのが夢なのじゃよ」
楽しそうに、自分の研究が心底誇らしいという表情で、老人は言う。
しかし、ミーナは彼の説明に、背中に冷や汗を掻いていた。
(む、無理だと思うなあ。だって私、元日本人だけど、同じ字が三つ並ぶ理由も、二つしかない理由も、全然わからないもん。……あーあー、もう。何かこれ胸がすごい痛むなあ)
外は感心したような表情を取り繕いながら、内心でずきずきと胸を痛めるミーナ。その研究はきっと無駄になると思います、なんて言えるはずもない彼女は、僅かに俯いて小さく唇を噛んだ。
「もともと、『火』の紋章が三つ並んだものは伝わっておらんかったが、この研究によって発見されたりしておるのじゃよ?」
「へっ!?」
ミーナの驚いた声に、全員が彼女を見る。ミーナは気まずげに乾いた笑いを浮かべながら、何でもないです、と誤魔化した。
(あるの!? 火三つとかあるの!? え? それは実際に漢字としてあったの? それとも造語な漢字でも発動するの、どっち!?)
「面白そうですね」
「そうじゃろ、そうじゃろ! 研究室に入らんでも興味を持ってくれただけで、わしも嬉しいのう」
ミーナの内心の混乱をよそに、シオンと老人のやりとりは続く。ミーナは一人、目を白黒させながら、彼の研究の結果に、ただただ驚くばかりだった。
***
(次は英語か。英語って研究のしようがあるのかな? いや、でも漢字は、研究の結果が出てるみたいだしなあ……)
次に向かう研究室は、魔法の呪文についての研究を行っている場所だ。ミーナはそれを聞いて、また、どことなく憂鬱になってしまった。
紋章や呪文の研究なんて、辞書もなく外国語の文章を読むようなものだとミーナは思う。一つの単語の意味すらわからない中、何を書いているのか読み解こうとするようなものだと。
紋章研究では結果を出しているのだし、一概にはそうとも言えないだろう。だけど、それでもミーナは沈む気持ちを隠せなかった。
「ミーナ、顔色が悪いけれど大丈夫?」
「わわ、本当だ! ミーナちゃん、無理しちゃ駄目だよっ?」
二人が立ち止まってミーナに言葉をかける。彼女は二人を心配させてしまったことにハッと気付き、咄嗟に笑顔を浮かべた。
「あ、ごめんね。私は大丈夫だから」
「そう? 無理しないでね」
「具合が悪くなったら私が背負って行くからねー!」
ミーナの笑顔に、二人はあっさりと騙されてくれたようだった。
視線を前に戻した二人を見て、ミーナは聞こえないように小さく息を吐く。
(やだなあ、ホント)
幼少の頃、ずっと忘れたいだとか、消したいだとか思っていた前世の記憶。その、すっかり忘れかけていた感情が、ミーナの胸の内に鬱々と湧き上がってきた。
今はもう殆ど割り切ってはいるけれど、彼らの研究は彼女にとって不意打ちだったのだ。
実際、研究の結果は出ているのだし、無駄ではないとは判っていても。この世界で一人だけ異質な知識を持っていることは、彼女にとって大きな負担だった。
(うん、やめやめ)
何度考えたって、どうして生まれ変わったのかなんてわからない。そして、それはミーナの責任ではない。
だから、深刻に捉える必要なんて無い。
ミーナは自分の中に吹き荒れる黒い感情に、そうやって折り合いをつけるのだった。
***
呪文について研究をしているという教師は、まだ若い女だった。ブロンズの髪をポニーテールにまとめた彼女は、シオンたちの来訪に息を荒くして説明を始める。
「魔法の中には、同じ紋章を使用しているというのに、違う呪文でも発動するものがある。実に不思議だと思わないか!?」
「え、ええ、まあ……」
その勢いにシオンたちは押され、思わずたじろいでしまう。
「『炎』という紋章には、今判っているだけでも四つの呪文がある。≪ファイア≫、≪フレイム≫、≪ブレイズ≫、≪バーン≫だ。これらの違いは一体何なのか、いまだ明らかにはされていないっ」
(えっと、ファイアが火で、フレイムが炎? ブレイズは火柱だっけ? バーンは……なんだろう? 燃える?)
女の説明に、ミーナは必死に訳を思い浮かべる。酷く遠い記憶に、たぶん違うんだろうなあ、なんて諦観が彼女の胸の内に湧き上がった。こんなことなら、もっと英語を勉強すべきだった、なんて。
「また、『水竜』という紋章は≪ウォータードラゴン≫で発動するのだが、『土竜』という紋章は≪アースドラゴン≫では発動しない。『地竜』であれば発動するのだがな。しかし、『土』と『地』はほぼ同じ意味のはずだ。だというのに、一体何故発動しないのか、これも解明してみたいところだっ!」
(だって「もぐら」だもんそれ! ……そっか、土竜みたいに、ちゃんとした意味を持っちゃうと、他の適当な呪文じゃ発動しなくなるんだね。これは覚えておこうっと)
予期せず現れた有意義な新知識に、ミーナは心のノートにしっかりとメモを取った。
「と、まあ。私が研究しているのはこんなところだ。参考になったかな?」
「は、はい! とっても!」
気圧され気味だったシオンは、こくこくと頷く。女性が次に視線を向けたアリアも、焦ったようにぶんぶんと頷いた。
女性は満足そうに笑い、椅子にどかっと座る。
「では、興味があればまた来るといい。歓迎しよう」
「はい、ありがとうございました」
シオンはぺこりと頭を下げる。そして四人は、研究室を後にした。
***
「黒の天使の伝承があるだろう?」
そう切り出したのは、部屋の中だというのにこげ茶色のローブを深くかぶった教師だった。顔も見えないその怪しげな風貌に、ミーナたちは冷や汗をじわりと浮かばせながら、その話を聞く。
「……ありますね?」
「『黒の』とわざわざ付けるいうことは、元々天使は『黒の』存在じゃなかったことだと思わないかい?」
ミーナは思わずおお、と驚く。確かに、言われればそうだった。
ということは黒の天使、すなわち日本人がこの世界に来る前は、神聖だとされていたのは、白だったのかもしれない。
「そもそも、黒の天使というのは500年ほど前に現れたと言われている男だ。男は私たちの先祖に魔法を伝え、そしてこのオズ大陸にオズという国を作った。オズという大陸だからオズという国なのか、オズ国が出来た大陸だからオズ大陸なのかは、諸説あるがな。そして、オズという国は、ユーニという国と、ドスという国に分かれた。ドスはウィーン帝国の前身であり……」
いきなりペラペラと語り始めた教師に、シオンたちはぎょっとして目を見開く。
これは長くなりそうだ。
他の三人と、目でそうやって会話しあったシオンは、慌てて口を開く。
「すみません、先生。この後も回るところがありますので、これで失礼します」
ぱたぱたと逃げるように研究室を後にする四人。
「これから面白くなるところなのだが……」
それを寂しそうに見送る教師。生徒からの人気がダントツワースト1な彼の研究室は、誰一人として研究生がいない研究室であった。
***
と、それからも数箇所の研究室を回ったシオンが、最後に決めたところは。
「一番最初の紋章研究にするわ。どうせ仮だもの。……先生も優しそうだったしね」
紋章学研究なのであった。
受けた説明なんてどこ吹く風、結局は教師の人柄である。
0131複数の方の指摘により、修正。指摘くださった方、ありがとうございました。