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「私たちはこの学園で、多くを学び……」
(はあ……)
つまらない新入生の答辞を聞き流しながら、ミーナは内心で小さく溜息を吐く。黒髪黒目ということはきっと王族の一人なのだろうけれど、もはや全く興味が湧いてこない。
学園長の話やら、貴族の話やら、王族の話やらとひたすら長い入学式に、彼女はうんざりとしていた。
ちらりと席の近いアリアの方を盗み見れば、こくりこくりと船を漕いでいるのが見える。
(堂々と寝すぎだよ、アリアちゃん……)
ミーナは思わず苦笑を浮かべる。あれ叱られないのかなあ、なんて心配しながら、今度はレグルスを探す。
(レグルスは、やっぱりちゃんと起きてるね)
レグルスは石になったかのように微動だにしないまま、じっと前を見つめている。あれはあれでちょっと恐いな、なんて少し酷いことを考えながら、最後にシオンを探した。
(シオンは……起きてる、かな?)
少なくとも、船は漕いでいないようだ。もしかしたら、あの格好で静止したまま寝ているのかもしれないが、少し離れた距離にいるミーナにはわからない。
ミーナはずれた姿勢を戻すために椅子に座り直し、まだ終わらない答辞に小さく息を吐いた。
(……それにしても、シオンが貴族の血縁だったなんて)
ミーナは昨晩のやり取りを思い出す。シオンから聞かされたそれは、ミーナにとって本当に予想外だった。貴族なんて全く縁がないと思っていたのに、こんなに近くに居ただなんて気付きもしなかった。
(確かに物腰は柔らかいし、すっごい可愛いし、言葉は丁寧だし、いつもふわふわな可愛い服着てるし、シュレイナさんは美人で上品な感じがするし……あれ、考えてみれば、だいぶ貴族っぽい?)
昨晩は驚きが強すぎてそんな余裕もなかったのだが、改めて考えてみると、シオンはミーナの思う「良い貴族」像に近い。
(……まあ、たとえシオンが貴族だったとしても、私の幼馴染なことには変わりないんだけどね)
ミーナは自分の考えにうんうん、と頷く。たとえ貴族でも、王族でも、六年間も一緒にいれば血筋だとか身分だとかは、些細なことにすぎないのだ。
シオンが今までこのことを言わなかったのは、別にわざわざ教えるようなことでもないというのもあったが、この事実を知られて万が一にもミーナに遠巻きにされたくなかったからだ。
それが全くいらない心配だったとミーナの態度で悟った時、シオンは心から安堵したのだ。
(……それにしても、ソフィー、だっけ? 世の中ああいう子もいるんだなあ……)
ミーナは昨日、食堂で出会った少女のことを思い出す。
自分が突き飛ばされたこと以上に、シオンへと投げた暴言が腹立たしかった。
傲慢で、平民だとか貧乏だとか馬鹿にして、自分が上位だと疑わない。そんなソフィーは、ミーナの「悪い貴族」像にずばりと当てはまっていた。
(シオンは言い返したから気にしてないって言うけど……でも酷いよなあ)
ソフィーという少女は、シオンと同い年の従姉妹だという。なのに、どうしてあんな酷いことを言うんだろう。シオンはとても素敵な子なのに。
ミーナはそれが、不思議で仕方がなかった。
「……これで、入学式を終了いたします。新入生の方々は案内に従い……」
(あれ?)
色々と考えている間に、どうやら入学式は終わったらしい。緊張の糸が切れたのか、周囲からはざわめきが溢れだす。
(ま、とにかく。これから学園生活が始まるんだし。頑張ろうっと!)
教師らしき男性がミーナたちに指示を飛ばす。生徒達はその指示に従って、自らの教室に移動するのだった。
***
「ここが教室かー」
ミーナたちが案内された教室は、大学の講堂のような場所だった。特に席は指定されていなかったので、一番廊下側の後ろから二番目に座る。するとレグルスも、彼女の後ろに座った。
案内してきた男性はこのクラスの担当ではないらしく、すぐに教室から去っていく。
ミーナはくるりと振り返り、レグルスに声をかける。
「レグルス、昨日ぶり」
「ああ」
彼は相槌を打って頷いた。
シオンやアリアとはクラスが離れてしまったため、このクラスの知り合いはレグルスだけだ。授業は大学のように単位制で、自身に必要だと思うものを自分で選ぶ方式のため、クラスの隔たりはそう問題にはならないが、やはり寂しいものは寂しい。
クラスは魔法経験の有無で分けられており、シオンたちがいる方は魔法基礎学などが必須単位になるらしい。ミーナも一緒に受けるつもりなので、結局は殆どの時間一緒にいることになるだろう。
「ねえ、レグルス。昨日の夜と今日の朝は、食堂のどの辺りにいたの?」
原則として食事は、生徒全員が一斉に取ることになっている。そのため、シオンやアリアと食事をしながらレグルスを探したのだが、どうしても見つからなかった。女子寮と男子寮はきっちり分けられているため、一緒にご飯を食べようと約束することも出来ず、落ち着かなく思っていたところだ。
「入り口側の、一番端だ」
「そっかー。私たち真ん中くらいに居たから、やっぱり見えなかったんだね」
食堂は広い。真ん中と端くらいの距離でも、多くの人影に遮られれば特定の誰かを見つけることは難しいだろう。
「今日のお昼は、一緒に食べようね」
「わかった」
ミーナはにっこりと笑いかけた。
(……ん?)
レグルスとの話が一段落した頃、ミーナは不意に周囲の人たちに遠巻きにされているのを感じる。
どうやら漏れ聞こえる言葉を拾うと、平民がこの魔法を使えるクラスにいることに違和感のようなものを覚えているらしい。
(……ま、しょうがないよね)
貴賎を問わず門戸が開かれているとは言うものの、殆どの生徒が上流階級である貴族だ。平民もいないわけではないが圧倒的に数が少ないし、魔法を使える者はそれ以上に稀な存在。
試験だけならば記念も兼ねて、受ける平民がそれなりにいる。しかし、特待生となれる人はごくごく少数。そして特待生になれなければ、たとえ試験に受かったとしても金銭的な問題で辞退してしまう。
(……私たちだけ、かな)
ミーナは他に平民がいないのかと、教室を見回す。この教室にいる人数は、新入生全体から言うと四分の一ほど。途中でソフィーの姿を見つけて眉を寄せたが、見なかったことにした。正直、あまり彼女には関わりたくないミーナである。
(やっぱり私たちだけ、みたい?)
どうやら彼女たち以外に平民らしき人はいないようだった。ちなみに判断基準は服装である。やはりいい生地を使っているので、差はわかりやすい。
(ま、どうせクラス自体は、学園生活にあんまり関係ないし)
授業では、シオンたちと一緒になれるのだ。ミーナはあまり気にしないことにした。
と、そんなことを考えていた時、ばたんと教室の扉が開かれる。
「すまん、待たせたなー」
そんな声と共に、紙の束を抱えた一人の男性が入ってくる。雑談していた生徒達は、蜘蛛の子を散らすように近い席に座った。
ツンツンとした赤い髪の男性は、教壇に紙の束を置いてから、面倒そうに頭を掻き口を開く。
「あー、一応このクラスの担当教師のサヴェイル・ルロックだ。と言っても、三年までは、あんまりクラスは重要でもないけどな。ちなみに担当する教科は戦闘学。基本戦闘学は一年の必修科目だから、お前ら全員が受けることになる。ま、精々頑張れ」
教師にしては粗野な印象を受ける言葉使いだったが、同時に頼りになるような印象も受ける。ミーナは後者の感覚を強く受け取ったのか、彼に好感を抱いた。
「んで、これを配るぞ。足りなかったら隣に貰えー」
サヴェイルは紙の束を、数も数えずに適当な様子で配っていく。ミーナとレグルスの分は前から回ってこなかったので、隣から余ったものを貰った。
「それは今年受ける授業を選択するための用紙だ。とは言っても、一年だから殆どが必修科目だけどな」
手元の紙を見れば、確かに言うとおり、必修科目がほとんどを占めていた。必修じゃないのは、いくつかの魔法関連の教科と大陸史、帝国史くらいだ。魔法についてはシオンのクラスでは必修だし、大陸史と帝国史はそのどちらかを受ける必要があるらしい。
「今日はもう終わりだから、明日までに考えて提出するように。じゃあ以上、解散!」
他に説明することもないのか、サヴェイルは、ぱんぱん、と手を鳴らす。先んじて寮でいくらか説明を受けたとは言え、こんなに早く終わっていいのだろうか。そう思ったミーナだったが、彼はさっさと部屋から出て行ってしまったので、それ以上考えるのをやめた。
生徒達は彼がいなくなるなり、集まって何やら雑談を交わしている。どうやらもう既にいくつか仲の良いグループが出来ているようで、受ける教科について話し合っているようだ。
「ね、レグルス、私たちはとりあえずシオンのところに行かない?」
「そうだな」
二人はそう言って、連れ立って教室を後にした。
***
あれだけ早く終わったのは、サヴェイルが担当のミーナのクラスだけのようだ。通りがかった他のクラスはまだホームルームの真っ最中で、ミーナたちは足音を立てないよう静かに廊下を移動する。
「この様子じゃ、シオンたちも終わってなさそうだね」
「そうだな」
「……どうしよっか? シオンたちの教室の前で待つ?」
「入れ違いになるよりは、そうした方がいいだろう」
「ま、それもそっか」
二人は歩きながら、こそこそと小さな声で相談しあう。シオンたちの教室に着いたが、やはりまだ最中の様なので、壁に背を当てながら待つことにした。
「……早く終わったけど、これじゃあ運がいいのか悪いのかわかんないね」
早く終わったこと自体は嬉しかったのだが、結局は待つことになってしまったと、ミーナは苦笑する。
「ねえ、レグルスは科目どうするの?」
「まだ決めていない」
「そっかあ。私もまだちゃんとは決めてないんだけど、必修じゃない魔法関連も全部取ろうと思ってるんだ」
ミレイユから魔法を教えてもらったとはいえ、まだ知らないことは多いだろうとミーナは思う。なので、魔法関連は全て取る気でいた。シオンと一緒に授業を受けたいから、という気持ちも多くあったが。
「そうか」
レグルスはそれだけ言って沈黙する。ミーナもシオンたちが終わるまで、黙って待つことにするのだった。
***
シオンのクラスから、がやがやとした音が聞こえてきて、ミーナは俯いていた顔を上げる。教師らしき女性が部屋から出てきたのを目で追っていれば、すぐにシオンとアリアも飛び出してくる。
「待たせたー?」
「ごめんなさい、ミーナ」
「ううん、大丈夫」
二人の言葉に首を振る。レグルスも同意するように小さく頷く。
と、それを見たアリアが、首を傾げた。
「あれあれ、そこの男の子は誰ー?」
「あ、こっちはレグルス。私と同じ町から来た友達だよ」
「おおお? え? てことは同じ町から三人も来たの!? しかもシオンちゃんは魔力特待生なんでしょ!? ミーナちゃんたちが住んでる町って、一体どんな町!? どんな秘境!?」
驚きの声に、確かに、なんて改めて思うミーナ。
数少ない平民生徒の中に、三人も同じ町出身者がいるのは極めて珍しい事態だ。というより四百年以上続く学園で、史上初という快挙だったりする。
「でも、別に普通の町だよ? ね、シオン? レグルス?」
「そうだな」
「……といっても、学園の卒業生があの小さな町に二人いる時点で普通と言えないかもしれないけど」
「あ、それは確かに」
卒業生の進路は、大抵が帝国関連だ。行政に携わったり、軍に仕官したりと、職の違いはあるけれど。ミレイユやシュレイナが国に仕えることもなく、あの町で平穏と過ごしているのは、確かに普通ではないのかもしれない。
ミーナはそのことに、今更思い当たるのだった。
その後、四人は、場所を移動してから今年の授業を決める。その結果全員で、魔法関連全部と大陸史を受けることにした。