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「じゃあアリアちゃんは、商人の娘なんだ?」
ミーナは棚に手を伸ばしたままの姿勢で、アリアへと視線を向ける。
「んぐぐっ……そうだよー、っうわぁ!?」
アリアは大きな麻袋から衣服をぐいぐいと引っ張り出しながら、ミーナの問いに答える。その途端、力を入れすぎたのか、入り口で突っかかっていた服がばっと勢い良く飛び出し、辺りに散らばった。
アリアは恥ずかしそうに笑いながら、それをささっと拾い集める。
「私、帝都からここまで来たんだー! 特待生にはなれなかったんだけど、お父さん曰く、先行投資だってさ!」
「へえ、アリアちゃんって帝都に住んでるんだ!」
「うんっ!」
ミーナは、そっかあ、なんて相槌を打ちながら、箱形の魔道具から自分の荷物を取り出して、きちんと整理しながらしまっていく。
その掌サイズの魔道具は、学園の入学祝いを兼ねてミレイユが作ったもので、かなりの量の物を収納できる道具だ。シオンやレグルスも、一緒に渡されている。
結構な高級品で、普通に買えば四人家族が一月過ごせるくらいの値段はするものだった。
「でもさでもさっ、同じ部屋がミーナちゃんで良かったよー! もし貴族の子だったら、ずっと気を遣わなきゃならないでしょー?」
「うーん……貴族なんて一度も見たことないけど、確かにそうかも?」
アリアの言葉に、ミーナは手を止める。貴族と一緒に暮らすなんて考えたこともなかったが、上の身分にあたる人たちと四六時中一緒に居るのは、きっと気の休む暇もなく、とても骨が折れることだろう。
ミーナはそんな生活を少しだけ想像し、すぐに頭を振ってそれを打ち消す。
「……うん! 私も、アリアちゃんと同じ部屋で良かった!」
一瞬の間に、少女漫画ばりの陰湿な虐めを頭に浮かべた彼女は、強張った笑みを浮かべて言うのだった。
***
「シオン!」
「ミーナ!」
たった一時間ぶりの再会に、二人ははしっと手を握り合う。それから何が嬉しいのか、二人してきゃっきゃと笑いあった。
アリアはドアの隙間からこっそりとその様子を隠し見ていたが、シオンを見るなり、目をきらりんと輝かせて飛び出してくる。
「なになにー!? その子、ミーナちゃんのお友達ー!? ミーナちゃんも可愛いけど、そっちの子も可愛いーっ!」
アリアは一人盛り上がり、ミーナとシオンの周りをぐるぐると回る。シオンは、ミーナ以外の人が居たことに、その時初めて気付いたのか、恥ずかしそうに苦笑を浮かべた。
「あ、シオン、こっちはアリアちゃん。私の同室の子だよ。アリアちゃん、シオンは一緒の町から来た私の幼馴染!」
「えっと、シオンです。宜しくお願いします、アリアさん」
「あっはは! そんな堅苦しくしないで、アリアでいいよ! こっちもシオンちゃんって呼んでいいかなっ?」
「はい! えっと、じゃあ……アリア、って呼ばせてもらいますね」
二人の自己紹介が終わったところで、ようやくミーナは自分たちが廊下のど真ん中にいたことに気付く。
幸い周囲には誰も居ないが、部屋の中まで声が漏れ聞こえている可能性もある。もうすぐ夕食の時間が近く、周囲に居る人が少ないとしても、ここにずっと立ち止まっているのはマナー違反だろう。
「ねえ、二人とも。そろそろ夕ご飯の時間だから、食堂に行こう? 積もる話はそこでにしようよ」
「あ、もうそんな時間かっ! うんうん、行こっ!」
「そうね、そうしましょうか」
三人はそう言い、連れ立って食堂に向かう。
途中、数人の学生らしき少女と何度か擦れ違ったり、追い越されたりして、ミーナはその度に寮生活への不安と期待で胸をいっぱいに満たした。
(……あれ?)
ふと目に留まった、まだ光の灯されていないランプ。階段や廊下に一定間隔に取り付けられている、何の変哲もないランプだったのだが、ミーナはどこかでそれを見たことがあるような気がして、咄嗟に立ち止まる。
彼女は不思議そうな面持ちで首を傾げながら、じっとそれを見上げた。
「ミーナ、どうしたの?」
「なになにー? 何か面白そうなものでもあった?」
「別に面白くはないんだけど……何か、どこかで見たことがあるような気がして……ごめん、少しだけ、待っててくれる?」
二人に呼ばれたミーナは、生返事でそれだけ答えて、しばらくの間黙々と考える。
自分の記憶をじっくりと探れば、ミーナはハッと気付いた。
「あ、わかった! これ、お母さんが作ってた魔力灯なんだ!」
「ミレイユさんの作った?」
「ほら、シオン、一昨年かな? 護りのペンダントを作ってもらう前に言ってた、大きな注文!」
「え? ……あ、ああ! 冬の話ね!」
ミーナの言葉に、シオンも得心がいったように声を上げる。
それは以前、ミーナがシオンとの遊ぶ回数を減らしたことで、ぶち切れられた頃の話だ。
――……あ、でも、最近大きい注文が入ったとかで忙しいみたい。
シオンに護りのペンダントを勧めた時の「大きい注文」の時に作っていたランプこそが、このデザインと同じものだったことをミーナは思い出したのだった。
「大きな注文って言ってたけど、学園からの注文だったんだー」
ミーナはスッキリしたように、にっこりと笑い、止めていた足を動かす。
「え? え? どゆこと?」
と、全く話についていくことが出来ていないアリアが、頭に疑問符を浮かべ、ミーナの後を追いながら問いかけた。ミーナは、あ、ごめん、と間抜けな声を上げてから、アリアに説明を加える。
「んっとね、私のお母さんって魔道具作ってるの。で、その魔力灯がお母さんの作ったもの……っぽいんだ」
ミーナは一瞬考え、そう言葉を濁す。
考えてみれば、デザインが同じだったからと言って、それが本当にミレイユの作ったものとは限らないのだ。とはいえ、九割方そうだとミーナは思っていたが。
「わわ、ミーナのお母さんって凄いね! じゃあじゃあっ、ミーナのお母さんって、もしかしてこの学園の卒業生だったり?」
「うん、そうだよー! ……あ、あそこが食堂かな?」
沢山の話し声が混ざったざわめきが聞こえてきて、ミーナはその方へと視線を向ける。その視線を追って、他の二人もそちらへと目を向けた。
三人が見る先には両開きの扉があり、夕食の時間が近いからか、左右両方の扉が開け広げられている。
「んじゃ、いこっか」
「いこーいこー!」
三人は食堂の中に足を踏み入れる。
食堂の中は、寮生全員が座れるほどに広い場所だった。質素ながらもしっかりとした造りで、清掃が行き届いているのが目に見えて判る。その席の内、半分ほどが歳若い少年少女たちで埋まっており、各々に雑談しているようだ。
「おおー……」
ミーナはその光景に、思わず感嘆の声を上げた。シオンも、ミーナのようにぽかんとしてそれを見つめる。
半分しか埋まっていないとは言え、それでも300人ほどが一つの部屋にひしめき合っていることになる。小さい町でずっと過ごしてきた二人は勿論、ずっと帝都で暮らしていたアリアにとっても、それはとても壮観な光景だった。
「……うきゃあ!?」
と、そんな光景に見とれていたとき、ミーナの背中に強い衝撃が走る。
どん、と後ろから思い切り突き飛ばされたミーナは、小さな悲鳴を上げながら前に倒れこんだ。
「ミーナ!?」
「わわ、ミーナちゃん大丈夫!?」
二人が慌ててミーナを抱き起こす。
「いつつ……だ、大丈夫……」
「そう、良かったわ……もう、誰だか知らないけど危ないじゃな、いっ……!?」
シオンは、ミーナを突き飛ばした誰かをキッと睨み上げる。そこでようやく、その「誰か」が見知った人間だということに気付き、思い切り顔を顰めた。
「あら、どこの小汚い平民かと思えば、シオンさんじゃない!」
そこに踏ん反り返るように立っていたのは、シオンの従姉妹であるソフィーだった。シオンはこめかみに青筋を立てながらも、それを隠すようににっこりとした笑顔を浮かべる。
ミーナとアリアは、いきなり登場した見知らぬ誰かに、思わずきょとんとしてしまう。
「……ああ、ソフィーさん。先日はどうも」
「いえそんな! シオンさんたら、私のお陰でこの学園に入れたとは言え、そんなに感謝しなくても結構よ?」
いらっ。
ソフィーの発言に、シオンが更に青筋を増やす。
「……それにしても、シオンさんがいるとすぐ判るわねえ。何て言ったって部屋が薄汚く見えるんですもの。ねえシオンさん、どうにかならなくて?」
「な……!」
あまりに酷い暴言に、ミーナがソフィーに文句を言おうと口を開く。しかし、シオンがさっと手でそれを制した。ミーナは、暴言を投げかけられている本人に遮られては何も言うことができず、黙りこくる。
「どうにもならないと思うわ」
「そうよねえ。染み付いた貧乏臭さはどうしようもないもの!」
「というより、単に目と頭と性格が悪いせいじゃないかしら」
ばっさり。
まさにそんな表現が相応しいような言葉だった。
ソフィーは、シオンの放ったそれに目を見開き、肩を揺らして狼狽する。
「……い、いいい、いま、何か聞こえたような気がするわ。おほ、おほほ、私の、きき、気のせいよね?」
「耳も悪いみたいね」
いつものシオンであれば、ソフィーの言葉を受け流し、苛々としながらも当たり障りのない言葉を返していただろう。面倒だからという、ただそれだけの理由で。
しかし、今日のシオンは違った。ミーナを突き飛ばされたことが、余程腹に据えかねたらしい。
柔らかい言葉遣いと、優しげな声で、ソフィーをばっさばっさと薙ぎ倒していく。
「目も耳も頭も性格も悪いだなんて……何のために生きているのかしら?」
「……ふふ、シオンさんごめんなさい、ちょっと私、具合が悪いみたい。か、風邪かしらね……? 幻聴が……」
よろ、と足をふらつかせるソフィー。いつも口撃する側に立っていたため、初めて受けるシオンの反撃に、酷いダメージを受けたようだった。
「そう思うならそうなんじゃない、貴女の中では。……でもそうね、具合が悪いのなら寮の医務室でも行って来たらどうかしら?」
「え、ええ、そうさせてもらうわ……」
シオンの優しい声で紡がれる冷ややかな言葉に、ソフィーは右手で頭を押さえながら、ふらふらとした歩みで踵を返す。
その姿に少しの興味も持たず、シオンはさっきまでの毒が嘘のような笑顔を浮かべ、ミーナたちを振り返った。
「ふふ、お待たせ」
そんな可愛らしい笑顔で、「お待たせ」と言われても。
二人は異心同音でそんなことを思う。
「……ねえ、シオン、あの子は?」
「えっとえっと、今のって貴族……だよねー?」
呆然としたような二人の問いに、シオンはとても面倒そうに溜息を吐く。
「まあ、いい機会よね。ここじゃなんだし、後で部屋に戻ってから説明するわ。とりあえず今は、初めての夕食を楽しみましょう?」
「う、うん……」
ミーナはシオンの様子に呆然としてしまう。しかしふと、以前にもこんなシオンを見たような気がして、いつのことだったかと記憶を掘り起こした。
――……ああもうっ、あのクソ女!
(ああ、そうだ……!)
ミーナは内心で、ぽんっと両手を合わせる。そういえば帝都から帰ってきた後、そんなこと言ってたっけ。
(……もしかして、その時言ってた「クソ女」が今の子なのかなあ)
それはただの予想でしかない。
だけど、きっとそうに違いないと彼女は確信を持つのだった。