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ミーナは震える手で、恐る恐る手紙の封を切り、中身を取り出す。中にあった二つ折りにされた上質な紙を、ゆっくりと開いた。
「……っ!」
汗ばむ指に、皺になるくらい力を込めて、文章を上から視線でなぞる。
ある一箇所に目が辿り着いた瞬間、真剣な表情は瞬時に崩れた。
「お母さん! お母さあんっ!」
破顔し、ばたばたと騒々しく駆けるミーナ。
青冬の月、15日。
季節は冬だが、花、開く。
「……僕もいるんだけどなあ」
一人、花が散ったように哀しげな表情を浮かべる男がいたが、それは瑣末なことだろう。きっと。
***
「ミーナ、レグルス、おめでとう!」
魔物の毛皮で出来た、もこもことした防寒具を纏うシオンの抱きつき攻撃に、ミーナはくすぐったそうに笑いながらもそれを甘受する。ミーナは心から嬉しそうに、口元をだらしなく緩めていた。
レグルスはシオンの祝福とミーナの嬉しそうな笑顔に、ほんの僅かに口端を上げる。しかしそれは誰にも、本人にすら気付かれることはなく、すぐに彼の表情から消えてしまった。
「しかも、二人とも特待生なんて、凄いわ!」
シオンはミーナから身体を離し、まるで自分のことのように喜色の滲んだ声で言う。それが心からのものだと感じられて、ミーナはますます嬉しくなった。
「ふふ、二人とも私とお揃い!」
「シオンは魔力特待生だけどね?」
「特待生は一緒よっ!」
シオンがミーナの手を取り、そしてレグルスの手も取る。そして、ぐいっと二人の手を引いた。
「わっ!」
二人はシオンに手を引かれ、彼女を中心に身を寄せ合う。シオンは心から嬉しそうに、ミーナはちょっとだけ照れくさそうに、レグルスは無表情で。三人はそれぞれ違う表情を浮かべていたが、それでも気持ちは一緒だった。
「二人と一緒にリナキス学園に通えるなんて、嬉しい!」
「私もだよ!」
「否定はしない」
レグルスが単調な声で言ったそんな言葉に、二人はぷっと吹き出す。そのまま心底おかしそうに、声を出して笑った。
「……ああ、もうっ、駄目だおかしいっ……!」
「ホントね……!」
二人はまだ笑いが収まらないのか、時々ひくっひくっと肩を震わせる。一人取り残された形のレグルスは、どこか不貞腐れたように二人から視線を反らすのだった。
二人がようやく落ち着いた頃、不意にシオンが口を開く。
「学園かあ……どんなところなのかしら」
シオンの言葉に、ミーナは試験の時に見た景色を思い出す。そしてぽつり、言った。
「……広い?」
「建物の話じゃないわよ」
「やっぱり?」
呆れるシオンに、ミーナは照れ隠しの笑みを浮かべた。笑顔のまま、ぼんやりと前世を思い出す。
(学校か……)
学校で思い出せるのは、友人とのくだらないお喋りとか。頭を動かさずにノートを取るだけの授業とか。放課後に帰り道にあるファーストフード店で駄弁ったりだとか。
もうそれらは彼女にとって遠い過去だけど、褪せることなく、むしろ現実以上にくっきりとした色彩を持って彼女の脳裏に焼きついていた。
(懐かしいなあ……)
それはもう、割り切ったことだ。でも、思い出は消えない。消すことが出来ない。消すことが出来るのであれば、彼女はとっくにそうしていた筈だから。
遠い目をするミーナに、レグルスはじっと視線を向ける。彼女はその視線にふっと気付くと、誤魔化すような笑みを浮かべた。
「……そーこー! 二人でいい雰囲気作らない!」
「ええ!? 何が!?」
シオンが二人の視界を塞ぐように、間に入る。ミーナは突然すぎる言葉に、目を丸くした。
いい雰囲気って何のこと? ミーナからはそんな声が聞こえてきそうだ。
シオンは憮然とした表情を浮かべていたが、そんな反応に気を良くしたのか、勢いをすぐさま鎮火させる。
「ん、勘違いだったみたい。ごめんね、二人とも?」
「……? 良く判らないけど、大丈夫だよ」
ミーナは首を傾げ、言う。レグルスも彼女に続いて、こっくり頷いた。
「……そういえばリナキス学園って全寮制だよね。寮暮らしって、どんな感じなのかな?」
「どうなのかしらね?」
学校生活についてはともかく、寮については前世でも自宅通いの経験しかなかったミーナには見当もつかず、小さく唸りながら首を捻る。
「個室か相室かでも、違うだろうな。相室だとしたら相手も大事だ」
するとレグルスが、不意に口を挟んだ。ミーナはその言葉で、レグルスが孤児院に住んでいることを思い出す。忘れていたというよりは、気にしたことがなかったというほうが正しいが。
寮と孤児院。大きく環境は異なるだろうが、子供だけの共同生活の場と考えれば、少しは似ているかもしれない。
そう思い当たった二人は、レグルスに問いかける。
「レグルスは、相室なの? それとも個室なのかしら?」
「二人部屋だ」
「ね、どんな感じ?」
「そうだな……」
レグルスが言葉を捜すように考え込む。二人がわくわくとしながら待っていると、彼はやがて端的に言った。
「五月蝿い、な。騒がしいといった方が正しいか」
孤児院は、一人の女性によって切り盛りされている。子供達はその女性をシス(母性を示す神の名前。母親の意として使われる)と呼んで親しんでいた。
しかし、女性一人ではやんちゃざかりの子供達の世話を完璧にこなすことは無理に等しい。そのため、揉め事などは年長組の子供達が中心となって解決することが多い。
レグルスと同室の子は、年長組の中でも中心的な位置にいるようで、必然的に彼らの過ごす部屋も騒がしくなってしまうそうだ。
「へえ……」
「そうなの……」
初めて聞いた孤児院の内情に、二人が感心したような声を上げる。
「静かに過ごしたいんだがな……」
「じゃあ寮では一人部屋になるといいね」
レグルスはミーナの言葉に、小さく頷いた。
「ね、シオン。寮で、一緒の部屋になれたらいいね」
「……どうかしらね。私、個室になる気がするわ」
シオンが何故か、酷く自虐的な笑みを浮かべる。ミーナは不思議に思いながら問いを重ねた。
「何で?」
「……魔力特待生、だもの」
魔力が規格外に強い者を強制的に学園に入学させる。それはつまり、隔離政策だ。魔力が高い人間は、最高の人材であると共に、最高の危険物なのだから。それに、寝ているときなど気が緩んでいる時は、特に魔力の制御が甘くなると言う。そんな危険物を、誰かと一緒に常時生活させるだろうか。答えは、否だろう。
ミーナはシオンの歪んだ表情に耐えられなくなって、がばりと抱きつく。
「私、シオンの部屋、遊びに行くからっ……! もう、入り浸るからっ!」
「ふふ、ありがとう、ミーナ……!」
シオンは心から嬉しそうに笑う。
それを見るレグルスは一人、ぽつんと取り残されていた。
男子寮と女子寮は、当然のごとく、しっかりと分かれている。なのでこの構図は、きっと学園でも続くのだろう。レグルス本人は、あまり気にしていないようだったけれど。
***
そして日々は流れるように過ぎ去り、春がやってきた。
桃春の月、1日。
入学式を前日に控え、入寮する日だ。
「ここが寮かあ……!」
「大きいわね……」
ミーナたちは、目の前の建物を見上げる。学園にも劣らず立派なその建物は、学園から歩いて五分の場所にある、三階建てが四棟からなる寮だった。
この寮には、650人ほどが住んでいる。内訳は大体、六年間の初等課程の学生が600人、二年間の高等過程の学生が50人といったところだ。
リナキス学園は全寮制の学校だ。一部の例外なく、たとえ王族だったとしてもこの寮で過ごすことになっている。
『会話は百の噂に勝り、寝食は百の会話に勝る』
黒の遺した言葉の一つに、そんなものがある。つまりは「人となりを知るためには、百の噂よりも一の会話が必要で、百の会話よりも一度寝食を共にするのが良い」ということだ。ミーナは、百聞は一見にしかず、が変化したものだろう、と勝手に思っている。
古い歴史を持つリナキス学園は、その言葉を取り入れたが故に、全寮制となっている。その代わり、寮には防犯のための魔道具が完備してあり、王宮と同等程度にはセキュリティが厳格な場所だ。
「こんにちはー……?」
ミーナたちは、恐る恐るといった様相で建物の中に入る。すると、一人の女性が彼女たちを出迎えた。女性はこげ茶色の長い髪を後ろで一つに纏めた、背の高い女性だった。
「あらあら、いらっしゃい。ようこそ、黒翼寮へ」
黒翼寮はこの寮の正式な名称だ。大抵は学園寮だとか、単に寮と呼ばれることが多いが。リナキス学園の校章が黒の天使を象ったものなので、この名前が付けられたらしい。
「ええと、今年から新しくここに入ることになるミーナです。宜しくお願いします」
「私はシオンです。宜しくお願いします」
「レグルス。……宜しく、お願いする」
「あらあら、ご丁寧にどうも。私は、この寮の寮母、兼、女子棟の管理人をやっています。男子棟の管理人は、今ちょうど席を外しているけれど、もうすぐ戻ってくると思うわ」
ミーナたちと寮母だという女性はお互いに会釈を交わす。ミーナたちは、入寮のための書類を彼女に手渡した。
「……あら? そういえば三人とも平民なのね? 一緒に来たってことは、もしかして三人とも同じ町出身だったりする?」
「あ、はい、そうです」
平民には姓がなく、貴族には姓がある。そして貴族は名乗る時、自分の姓も含めて言うのが普通なので、それで貴族かどうか判断できるのだ。
ミーナが頷けば、女性は嬉しそうに手を組み合わせる。
「やっぱりそうなの! 私たちの間で、貴方たちは有名なのよ! なら、魔特の子はどちらかしら?」
「魔特? ……あ、魔力特待生か」
「私、ですけど」
おずおずとシオンが名乗り出る。
すると女性は、歓喜の声を上げてシオンを見つめた。
「あらあら、シオンさんがそうなの! 120年ぶりの魔特って聞いて、どんな子なのか想像してたの! それがこんな可愛らしい子だなんて素敵だわ!」
120年ぶり。その言葉に、ミーナは驚いたように目を丸くする。珍しいのは知っていたが、そこまで稀有なものだとは知らなかったのだ。
シオンは知っていたのだろう、ほんの少しの嫌悪感を滲ませて苦笑する。
「確かに稀少かもしれませんけど、結局は無駄に魔力があるだけですし……あまり騒がれても困ります」
「あら……ごめんなさいね。一人で盛り上がってしまったみたい」
シオンの言葉に、女性はそう謝って引き下がる。魔力特待生について、あまり良く思っていないことが窺えたためだ。
「あら? そういえば、中々戻ってこないわ、あの人。ああ、あの人って男子棟の管理人なんだけど。……レグルス君には悪いけど、二人を先に案内してもいいかしら。そうなると、レグルス君にはここで一人で待ってもらうことになるけれど」
「構わない」
「そう、ありがと。じゃあ、二人とも案内するわ。着いてきて」
二人は歩き出した女性の後を追う。残されたレグルスは一人、玄関先で暇を潰すのだった。
***
ミーナが案内されたのは、女子寮右棟の三階、その一番手前にある部屋だった。
「ミーナさんはこの部屋ね。二人部屋だから、同室の子とは仲良くね。同室の子はもう来ているわ」
「シオンと、ってわけじゃないんですね」
ミーナは意気消沈したように肩を落とす。シオンは苦笑して、彼女を慰めた。
「仕方がないわよ、ミーナ。あの、私の部屋はどこになるんでしょうか?」
「シオンさんは、この階の一番奥よ。ちなみに、一人部屋ね」
「そうですか。あの、部屋を行き来するのはいいんですよね?」
「あら、それは勿論! ただし自由時間に限るけれど」
その言葉に、ミーナとシオンが視線を交わす。
遊びに行くよ。
遊びに来てね?
一瞬の交錯で、お互いにそう伝え合う。
「あらあら」
その様子を、女性は口元に弧を描き、微笑ましげに見守っていた。
「そろそろシオンさんの部屋に案内したいんだけど、いいかしら」
「あ、はい。お願いします」
「じゃ、また後でね」
「ええ」
ミーナとシオンは、手を振って別れる。二人が並んで長い廊下を歩くのを見ていたが、やがて視線を目の前の扉に向ける。
この先に、少なくとも一年間は一緒に過ごすルームメートがいる。そう思えばどうしても緊張してしまうミーナは、ごくりと、生唾を飲み込んだ。
「……よしっ」
そして、気合を込め扉に挑む。
がちゃり。決死の思いで、ドアノブを捻った。
「えっと、こんにちは……?」
「あ、同室さんかなっ? こんにちはー!」
そこに居たのは、桃色の髪をした少女だった。肩上くらいの長さでツインテールに纏められており、目は深い赤色。歳はミーナより2、3ほど上に見える。
「えっと、ミーナです。これから宜しくね?」
「私はアリア! ミーナちゃん、か! うんうん、仲良くしようねー!」
アリアはミーナの手を取り、ぎゅう、と握る。ミーナはその強い力に痛みを感じたけれど、流石に振り払うことも出来ず、少しの間涙目で耐えるのだった。