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赤秋の月、58日。
リナキス魔法都市に到着して二日。試験の日がやってきた。
「行ってらっしゃい、ミーナ、レグルス! 頑張ってね!」
学園へと向かう二人に、シオンは手を振りながら激励の言葉をかける。ミーナは振り返って同じように手を振り、レグルスはちらりと後ろを見るだけで応えた。
ミレイユは何も言わないまま、薄く笑顔を浮かべ、二人の背を見送る。何も言わないことが信頼の証だと言うように、彼女は目に強い光を宿して見つめていた。
やがて二人が雑踏に紛れて見えなくなった頃、ミレイユがいまだ隣で手を振っていたシオンに話しかける。
「ねえシオンちゃん、もし良かったら、リナキスにある美味しいお菓子のお店、一緒に回らない? 特殊な魔法がかかっているから、砂糖控えめなのにとっても甘くて美味しいのよ! 女の子の味方ね!」
「わ、ミレイユさん本当ですか!? ぜひ行きたいです!」
ミレイユの提案に、シオンが即座に頷き、笑顔を浮かべる。
きっとミーナたちなら大丈夫。そんな根拠のない確信を胸に、二人は空いた時間を潰すため、気楽にもお菓子のお店ツアーを始めるのであった。
一方その頃、ミーナとレグルスは。
「……うう」
ミーナは右手でぎゅう、と胸元を押さえる。今までろくに受験というものを受けたことのない彼女は、強い緊張と不安に襲われていた。
テストはどんな問題が出るのだろう。ちゃんと解けるだろうか。特待生以前に、受からなかったらどうしよう。そんなことはないと思うけれど、もしかしたら万が一ということもある。
そんな心配ごとばかりが、胸に満ちて、ぐるぐると巡る。重圧に押しつぶされそうになり、ミーナは無意識に背を丸める。
「……大丈夫だ」
不意に、レグルスがミーナの緊張で汗ばむ手を取る。
ミーナは一瞬びくりと身体を震わせたが、自分より低い体温に、何故だか不思議な安心感を覚えて、ほうっと息を吐いた。
「頑張るぞ」
「……うんっ!」
レグルスの言葉は短かったけれど、ミーナは彼の言葉にほんの少しだけ楽になった気がした。
それを察したのか、レグルスがすっと手を離す。
(頑張ろう。……うん、頑張ろうっ!)
ミーナは胸元に当てていた手を、もう片方の手できゅっと握る。
心の中で自分に喝を入れれば、緊張以上のやる気が湧き上がってくるのを感じた。
二人が学園に近付くにつれ、歩く人の数が段々と減ってきた。
リナキス学園のお膝元にある魔法都市と言いながら、実際のところ、学園は都市の割と外れの方に位置しているからだ。
最初は小規模な街だったものが、規模が大きくなるにつれて、中心部分が段々とずれていったためらしい。
「やっぱり、市場と違って、静かだね」
「そうだな」
「でもきっと、夏季だったら混むんだろうね」
「かもな」
秋季試験は、夏季試験から比べれば、受ける人数が少ない。むしろ、秋季試験はあくまでオマケのような扱いだったりする。その始まりは、試験を忘れてしまった上級貴族の御曹司をねじ込むためだとか、病欠した王族のために行われたものだったとか、諸説あるが真実は定かではない。
ミーナの言う通り、夏季であれば馬車が渋滞を起こしてしまう奇妙な光景が見れたことだろう。
歩けよ。周囲に住む一般市民はこっそりとそう毒づいたりもするが、貴族の交通手段に徒歩という文字はない。つまりは、試験時の風物詩みたいなものだ。
「あ、学園が見えてきたよ!」
ミーナが笑顔で指し示す。前日の内に、わあ! なんていう感動は済ましてしまっていたので、彼女はごく自然な様子だった。
学園の校舎は「H」の形をしており、校舎に囲まれた空間にはそれぞれ、校門側には噴水と規則的に街路樹が立ち並ぶ庭園と、その反対側には魔法薬に用いる薬草などが栽培されている温室があった。
秋ということもあり、庭園の木々は赤や茶に色づき、冷たい風に揺られてはざわざわと音を立てている。
「レグルス、いこっ!」
「ああ」
ミーナはレグルスに声をかけ、ぱたぱたと校門まで駆ける。レグルスは走らないまでも、早歩き気味にミーナを追いかけた。
***
水晶に触れるだけの簡単な魔力検査の後に、案内された場所は二十人ほどが入れるほどの小さな部屋だった。そこがミーナの試験会場だ。残念ながらレグルスとは試験会場が離れてしまったが、ミーナはすっかりと落ち着いていた。不安はあるけれど、それでも押しつぶされるほどのものではない。
試験の説明を聞き流しながら、一番後ろの席に座るミーナは視線だけで部屋の中を見渡す。目算で、亜人が1人、貴族らしき子供が3人ほど、残りは平民かな、なんて、ざっとあたりをつける。年齢はまばらだが、ミーナほど小さい者はいないように見えた。
「……では、試験を始めて下さい」
試験監督の言葉に、ミーナは一度深呼吸してから、問題用紙をめくる。そして、その一文一文を慎重に読み進めていった。
問題の内容は簡単な読み書きに始まり、黒の遺した言葉や、歴史上の偉人の名言を答える問題が続く。ちなみに黒の遺した言葉とは、この世界におけることわざや論語のことだ。前世の日本にあったものと似ているものが多く、ミーナとしては「どの世界でもこういうのは変わらないんだなあ」と単純に思っていた。
しかし黒の天使=日本人説を半ば確信してからは、「ことわざに似ている」んじゃなくて「ことわざそのもの」という結論が彼女の中での通説となっていた。
ミーナは良く知っている分野でよかったと内心ホッとしながら、手を止めずにスラスラと解いていく。
そして、用紙三枚目へ突入。
(あれ? これって……)
そこにあったのは、数学の問題だった。それも、日本で中学校に通っていれば誰もが通る、連立方程式や一次方程式だ。とはいっても当然、xやyなんて使われてはおらず、文章題の形を取っていたけれど。
(こっちは比例に反比例……?)
ミーナからすれば、あまりにも簡単なそれに、拍子抜けしながら軽い調子で計算していく。
しかし教育の整った日本でさえ中学校、つまりは十二を超えてから学ぶものだ。この世界では当然、より高度なものとされているわけだが、彼女はそれに思い当たるはずもなく解き進めていった。
(……あ、この問題で数学は終わりか。えっと……これは確率だね)
結局、数学の問題に関しては、最初から最後まですらすらとペンが止まることがなく終えることが出来た。
そしてミーナは、とうとう最後の用紙へ突入する。そこにあったのは、魔法に関する問題だった。
馬車の中で話していた通りだ。そう思いながら、問題を読み進める。
(呪文文字を知っているだけ書きなさい……か)
つまりミーナからすれば、ただのカタカナの書き取りだ。目を瞑っていてもこれくらいは出来そう、なんて思いながら、ミーナは「ア」から順に書き記していく。流石に書き損じたら馬鹿らしいので、目は開けていたが。
その後は、効果にあった紋章を書く問題などが続く。
(……でき、たっ!)
びっちりと記入された解答用紙を手に、にんまりと笑う。満点に手が届くかもと思えば、こみ上げる笑顔は抑えられなかった。
それから試験終了まで、ミーナは何度か解答用紙を見直して過ごす。それでもミスは見つからなかったため、彼女は提出とともに満足げによし、と頷くのだった。
***
試験が終わったら噴水前ね!
分かれる前、そんな風に二人で約束したミーナは、試験が終わるなりすぐに庭園に向かう。
しかし、そこに辿り着いた時にはレグルスが既にいて、彼女は申し訳なさそうな面持ちで駆け寄った。
「レグルス、待った?」
「いや、こちらも今終わったところだ」
「そっか。良かった!」
ミーナはホッとした笑顔で言う。そしてどちらともなく、帰るために校門の方へと歩き始めた。
(試験に受かれば、来年からここに通うんだよね)
まだじっくり見たことがなかったため、ミーナは歩きながら庭園を見回す。
街路樹の下には意匠の凝らされたベンチが並び、校門付近には等間隔に花壇が並んでいる。そのどれもが綺麗に整っており、手入れが欠かされていないのだろう、とぼんやり思った。
ふと、ミーナが隣を歩くレグルスに話しかける。
「ね、レグルスは試験出来た?」
「さあな」
レグルスの素っ気無い言葉に、ミーナは面白くなさそうにむーっと口を尖らせる。だが結局はいつものことなので、すぐに気を取り直した。
「でも、レグルスだもん。大丈夫だよね」
全くもって何の根拠もないのだが、ミーナはそう確信する。
出会って一年と少し。そう長くはない時間だが、彼女の中に妙な信頼感が芽生え始めていた。
(というか、駄目だと思ったのなら、レグルスなら正直に言うと思うし)
うんうん。自分の考えに、自分で同意する。
レグルスはなにやら一人頷くミーナにちらりと視線を向けたが、すぐに反らした。
「あ! お母さん、シオン!」
「ミーナ!」
校門の辺りに二人の姿を見つけたミーナは、駆け足で近付く。シオンは一、二歩だけこちらに近付いてから、立ち止まってミーナを受け止めようと両腕を伸ばす。
「ミーナ、お疲れ様っ!」
「うん、ありがと、シオン!」
そして二人は、はしっと暑い抱擁を交わした。
ミレイユはそんな二人を微笑ましく見守る。そしてレグルスとしては珍しく、僅かに呆れたような表情を浮かべた。その僅かな変化もすぐ元に戻ってしまったのだが。
「レグルスも、お疲れ様ね!」
シオンはミーナに抱きついたまま、レグルスにもそう声をかける。レグルスはくっつく二人から微妙に視線を外したまま、ああ、とだけ言った。
「さて、時間的にはちょっと遅いけれど、お昼にしましょう? 二人とも、お腹減ったでしょう?」
ミレイユの提案に、ミーナは嬉しそうに頷く。レグルスも流石に疲れていたのか、頷いて同意した。
四人で近くの食事処に向かう。
「……あれ、お母さんもシオンも、お腹減ってないの?」
「あはは……ちょっとね?」
「二人は、気にしないで食べて?」
お菓子をたんまり食べた二人が、昼食を小さいサラダだけで済ましたのを、そんなこと露も知らないミーナはとても不思議がったのだった。