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がらがらがら。車輪は、音を立てて回る。
街道に転がる石を踏むたびに、がくんと勢い良く馬車は揺れ、中に乗っている者たちは小さく飛び跳ねる。
「っ……!」
ミーナは腰の辺りに手を当てながら、口を引き結んで痛みに耐える。馬車で移動を始めて一日。ミーナの身体は、既にぼろぼろだった。
赤秋の月、55日。
リナキス学園の試験を受けることにしたミーナとレグルス、保護者としてミレイユ、そして何故かシオンも一緒に、馬車で試験のあるリナキス学園に向かっていた。
シオンは魔力特待生になることが決まっているため、わざわざ行く必要は特にないのだが、二人を応援するためと言ってついてきている。
席は、ミーナの向かいにミレイユ、隣がシオン、そしてシオンの向かいがレグルスだ。
「ミーナ、大丈夫?」
「……た、たぶん……」
シオンの言葉に、げっそりとしたミーナは元気なく答える。
まだ道程の半分しか来ていないというのに、彼女の体力はそろそろ限界であった。
柔らかいクッションがあるわけでもなく、板の上に一枚の魔物の毛皮を敷いているだけの座席。不意に飛び跳ねる車体。身体を満足に動かせないような狭い室内。それら全てが、ミーナを苦しめていた。
馬車に乗るのが初めてな上、前世で車やしっかりと整備されたアスファルトの道路に慣れている彼女では、仕方がないことではある。
しかし、シオンやミレイユはともかく、初めて乗るはずのレグルスまでもが、平然としている。そのいつもと変わらない彼に、ミーナは少しだけ腑に落ちないものを感じながら、先程飛び跳ねた時にしこたま打ち付けた腕を、優しくさすった。
「ところでミーナ、勉強はどう?」
「……どうかなあ。結構勉強したけど、付け焼刃だし。歴史とか魔法のことだったら、大丈夫だと思うんだけど」
幼少の頃からミーナは、言葉の練習も兼ねて寝物語代わりに様々なお話をミレイユに聞かされて育った。
ミレイユの語ったその殆どが、物語風に脚色されたこの帝国や大陸の歴史だということをミーナが知ったのは、家にある本を少しずつ読み始めた頃のことだ。しかしその頃には、それらの物語はすっかり記憶に根付いていて、知らぬ間に歴史が詳しくなっていたミーナである。
「でも、魔法の学校なんだから、試験に魔法のことは出ないんじゃないかしら……?」
「あら、そんなことないわよ?」
シオンの言葉に、会話を聞いていたミレイユが口を挟む。ミーナとシオンは、首を傾げながらミレイユを見た。
「魔法を既に習っているかどうか。その選別のために、試験内容に含まれているのよ。合否にはあまり関係ないけどね。特待生の選別には、少し関係があるみたいだけど」
「そうなんですか……」
シオンが得心したように言う。ミーナも同じように、へー、と声を上げた。
「あの、試験ってどんな内容なんですか?」
「うーん。毎年、内容が違うらしいんだけど、私の時は簡単な読み書きと、この大陸の歴史、それに神話だったかな?」
「難しそう、ですね……」
シオンが困ったように呟く。魔力特待生であるシオンは、試験のための勉強を全くしていない。いざ学園に入ったとき、ちゃんと勉強についていけるかどうか、今から心配なようだった。
それを悟ったのか、ミレイユが優しい声色で言う。
「大丈夫よ、シオンちゃん。貴族の中にも、ろくに試験問題を解けなかったりする人がいるんだから。どうせ入ってから、またやるわ」
「え? 解けないんですか?」
シオンがきょとんと目を丸くする。ミレイユはほんの少し苦笑して、シオンの頭を、宥めるように撫でる。
「推薦と言ってもね、優秀だから推薦されるってわけじゃないのよ」
何かを濁すように、ミレイユは語尾を小さくする。そのはっきりしない物言いに、所詮権力には敵わないよな、なんてミーナはぼんやりと思った。どうせどんな馬鹿でも、理事長の子息であれば苦労しないとか、そういうことなのだろう。彼女はどこの世界でも変わらない、釈然としないものを感じ、小さく口を尖らせる。
「……幼い頃から教育係をつけて、しっかりと勉強している貴族も勿論いるわ。というより、そっちの方が割合としては多いから、あんまり気にしないの」
「……はー、ぃうぐっ!?」
ミーナが返事をしようとした瞬間、運悪く馬車が揺れる。彼女は思い切り舌を噛み、涙目で口元を押さえて蹲るのだった。
***
「わぁ!」
ミーナはキラキラと目を輝かせ、遠目にある円形の都を見やる。全身の痛みに四苦八苦しながらも二日間耐えた彼女は、この時ばかりは痛みも忘れ、その光景に目を奪われる。
「あれが、魔法都市よ」
ミレイユが指差すのは、魔法都市リナキスだ。リナキス学園のお膝元にあり、魔法に関するものであれば、ないものはないと言われる場所。学園で研究された最新の技術に満ち溢れる、魅惑の都市。単に「リナキス」と言う時は、学園よりもこの都市を指すことの方が多い。
「すごーい……!」
「ふふ、こんなもので驚いちゃ駄目よ! 帝都はもっとすごいんだから!」
ミーナの感嘆の溜息に、シオンがどこか自慢げに言う。
ちなみに帝都は、ここから馬車で二時間ほどのところにあり、街道も他よりしっかり整備されているため、行き来は容易だ。その内、行くこともあるだろう。
「ミーナ、学園に行ったら、一緒に街も見回りましょうね!」
「うんっ!」
ミーナはどきどきとした胸を押さえながら、笑顔で大きく頷く。まだ通うと決まったわけでもないのに、ミーナはこの魔法都市をシオンとレグルスの三人で回ることを夢想していた。
馬車はやがて門に到着し、四人は順番に馬車から降りる。
「大丈夫か」
「……ありがとう」
全身がガチガチに強張り、上手く動けないミーナに、レグルスが手を伸ばす。手を借りながら、彼女は緩慢な動作で馬車を降りた。
ミレイユが馬車を“片付ける”傍ら、腕を準備運動のようにくくっと伸ばしながら、ミーナは大きな門を見上げる。
「凄い……」
ミーナは前世も含め、こんな大きな門を見たのは初めてだった。高さ5メートル以上はある鉄門に、一体どうやって開閉しているのかと、そんな疑問が湧いてくる。
(まさか人力……なわけないよね。たぶん魔法? 夜には門を閉じるんだろうし、その時見に来ればわかるかな?)
「ミーナ、どうしたの?」
ぼんやりと見上げていれば、シオンが声をかけてくる。ハッとミーナが気付いた時には、他のみんなは既に歩を前へと進めていた。
「ま、待って!」
身体に響かない程度にぱたぱたと駆け、シオンの横に並ぶ。そして二人仲良く、その大きな門をくぐった。
「……あ!」
「どうしたの?」
大通りを歩く途中、ミーナが不意に声を上げ、シオンがそれを不思議そうに振り返る。ミーナの視線の先には、群集に紛れて、背中に鳥のような茶色の羽を生やした亜人がいた。シオンは合点が行ったというように頷き、ミーナに声を掛ける。
「ミーナは、亜人を見るの初めてなの?」
「うん! わー、わー……すごいっ、あの羽触りたい!」
ミーナとて、この世界に亜人がいることは知っていた。しかし、実際に目にしたのは初めてだ。
ミーナの住む町は小さく、亜人は一人として住んではいなかった。元々ウィーン帝国に住む亜人は少ないため、仕方がないことではあるが。
ちなみに、帝国に隣接したライナックス共和国は亜人が集まって治めている国であり、人口の殆どが亜人だ。また、帝国を挟んで反対側にはメイシー王国があるのだが、こちらでは亜人が排斥される傾向にある。
ミーナは浮きだった声を上げて、茶色の亜人を目で追いかける。彼女からは残念ながら背中しか見えなかったが、初めて見る人に似た人でない種族に、心を弾ませるのだった。
しばらく亜人を目で追っていたのだが、やがて目の届かないところに去ってしまい、ミーナは諦めて違うところに視線を走らせる。
大通りに並ぶ建物を見れば、雑草みたいな植物がやけに高い値段で売られていたり、綺麗な織物が軒先に飾られていたりと、彼女は嬉々としてそれを眺める。
「ミーナ、あんまりきょろきょろしないの」
ミレイユが、そう注意を呼びかける。だが、ざわざわとした人ごみの音や、呼び込みの声に紛れてしまい、ミーナには聞こえなかったようだ。
「……まあ、今日くらいはいいかしらね」
ミレイユは諦めたように肩を竦める。目を輝かせて賑わいを見回す、普段とは違い、子供らしくはしゃぐミーナを見て、小さく微笑んだ。
***
宿に到着したミーナたちは、部屋を三部屋借りる。組み分けは、ミーナ親子、シオン、レグルスだ。これは町にいる時から決めていたので、特にもめることなく、四人は部屋に移動する。
ミーナは部屋に入るなり、着替えと本、それに筆記用具くらいしか入っていない荷物をその辺りに放り出してから、ぐったりとベッドに横たわった。
「うぅー……」
二日間の馬車で、すっかり蓄積した疲れを癒すため、ミーナは柔らかなベッドに身を任せる。試験は二日後なので、それまでには何とか健康体に戻りたいミーナ。
本当はもう少し魔法都市の街並みを見ていたかったのだが、疲れが酷く、泣く泣く諦めた彼女である。
「ミーナ、大丈夫?」
ミーナの少し後に部屋へ入ってきたミレイユが、馬車の置物――というよりも、馬車“だった”置物という方が正しい――を、サイドテーブルに置きながら問いかける。ミーナは緩やかな動作で起き上がってから、ミレイユに少しだけ苦味の含んだ笑顔を向けた。
「今はまだ辛いけど、しばらく休んでいれば大丈夫だと思う……」
そう伝えてから、再びぐでんと仰向けに寝転がるミーナ。ミレイユはほんの少し呆れたように笑い、彼女の眠るベッドに腰掛けた。
「帰りも大変ね、これじゃ」
「んー……」
ミーナは押し黙る。からかうような言葉にむうっとしたものの、反論も出来ず、ただ小さく唸り声を上げた。
「ふふ……少し眠るといいわ。ご飯になったら起こすから、ね?」
「はーい……」
ミーナは目を閉じる。さらさらと髪を指で優しく梳かれる心地よい感触に、嬉しそうな笑顔を浮かべるのだった。