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赤秋の月、13日。
シオンが数日前から帝都に出かけているため、ミーナとレグルスは二人で遊んでいた。今日はレグルスが住む孤児院近くの川べりで、綺麗な石探しをしているようだ。
「あ、これ……綺麗かも?」
ミーナが拾った石を太陽にかざす。表面の一部分が紫色で、光にかざすと緑や橙にも見える。だが、その得体の知れない色の変化に、何となく水に浮かぶ重油を思い出したミーナは、その石をぺいっと投げ捨てた。
「……レグルスは何か見つかった?」
「いや」
レグルスも収穫はないようで、首を横に振る。
「そっかあ」
ミーナはそれだけ言って、近くにあった大きな石の上に腰掛ける。レグルスもミーナから少し離れたところに腰を落とした。
ミーナはぱたぱたと足を動かしながら、空を見上げる。ふと見つけた雲が、魚の形をしていて、ミーナは夕食は魚がいいなあ、なんてぼんやりと考えた。
ミーナの住む町は、周囲を湖と森に囲まれているため、魚も肉も野菜も、比較的手に入りやすい場所だ。この場合の肉とは、勿論、魔物の肉のことである。
しかし、海や山が周囲にないため、塩などが手に入り辛いという弊害もある。これに関しては、たまにくる行商に頼りきりであったが、同規模の他の町に比べれば食材が豊富な場所だった。
「それにしても、綺麗な石、ないねー」
かれこれ一時間ほど探しているものの、一つも綺麗と言える石は見つかっていない。ミーナが前世で「あんこ石」と呼んでいた、外側が白く、内側が黒い石を見つけた時はそれなりに喜んだが、綺麗かと言われれば少し違うだろう。
「……すまない」
レグルスの案内で訪れた場所だったので、彼は心底申し訳ないという表情でミーナに謝る。
「レグルスが謝ることじゃないよ」
ミーナはそう首を横に振って、気に病むレグルスに笑いかけた。
「それに、レグルスと一緒に遊びに来てるってだけで楽しいし。シオンもいれば、もっと良かったんだけどね」
「帝都に行ってるんだったな」
「うん!」
ミーナは、ひょいっと石から降り、何を思ったのかその辺りにある石を探り始める。そして平べったい石を見つけ、拾い上げた。
「お母さんの用事みたいだ、よっと!」
水平に振り投げたそれは、川を三度跳ね、やがてぽちゃんと沈む。レグルスは無表情にそれを見ていたが、興味を引かれたのか同じように平べったい石を探し始めた。
ミーナは、今頃シオンは何やってるのかな、と思いを馳せる。しばらく考え込んでいたが、レグルスもミーナを真似て石を飛ばし始めたので、彼女も競争するようにそれを再開した。
***
(……はぁ)
シオンは内心で、重い溜息を吐く。
シオンは今、この国の帝都にある、エクスペリオス伯爵家の屋敷を訪れていた。
(早く帰りたい……)
部屋に並ぶ豪華な調度品。見慣れぬそれに、シオンは落ち着かない様子でそわそわと身を揺り動かす。
何故、平民でしかないシオンが、そんなところにいるのか。
理由は簡単で、シオンもまた、エクスペリオスに連なる血を持っているためだ。
シオンの母であるシュレイナ・エクスペリオスは、この家の三女として生まれた。両親や四人の姉兄に囲まれ、愛されて育った彼女だったが、紆余曲折の果て、ただの平民である一人の男と駆け落ちした、という過去があった。
当然、当主であったシュレイナの父は激怒し、彼女を勘当してしまった。しかし、シュレイナはそんなことを気にした様子もなく、持ち前のおっとりとした気性で、夫と共にあの町で慎ましく過ごしていた。
だが、シオンが生まれ数年後、夫である男は亡くなった。
亡くなった当時、兄姉はシュレイナに、帰って来い、と何度も言った。
しかし、彼女はそれを受け入れなかった。夫との思い出が残る家に残ることを、彼女は固持したのである。
幸い、兄妹姉妹間の仲は良好だったため、彼らにこっそりと少しの援助を受けながら、シュレイナとシオンは今もひっそりとあの町で過ごしている。
そんな生い立ちが、シオンがミーナに隠していることの一つだ。
ちなみにミレイユは、その境遇について全て知っている。というより、シュレイナの駆け落ちを思い切り後押ししたのが、その当時シュレイナの同級生だったミレイユだったりするのだが、それはまた別の話。
というわけで、そんな境遇のシオン一家は、当主の外出に合わせ、兄姉に顔を見せに来ているのであった。
とはいえ、実はそれを当主も黙認している。むしろ、表には出さないものの、末っ子であるシュレイナの無事な様子を知ることが出来て、嬉しいとさえ思っていた。勘当した手前、そんなことは言えないようだったが。
「……はぁ」
しかし、シオンにとってはそんな事情は知ったことではない。むしろ母親だけで来ればいいのに、とさえ思ってしまう。
今すぐ帰って、ミーナと一緒に遊びたい。ここにいるよりは、あのにっくきレグルスと遊んでいた方が100倍マシだ。そんな考えばかりが、胸に満ちる。
そんなことを悶々と考えていれば、シオンのいる部屋のドアが乱暴に開かれた。
「あら!? どうも部屋が暗いと思えば、シオンさん、いらっしゃったのね?」
(ああ、来た……)
シオンは内心でげんなりとする。
現れたのは、五人いる従姉妹の内の一人、ソフィーだった。ソフィーは肩下まであるさらさらとしたストレートの金髪を揺らしながら、シオンの前に歩み寄る。
「ふふ、やっぱり平民がいると、部屋の雰囲気も暗くなるものね?」
「あら、ソフィーさんの言うとおりかもしれないわ。ごめんなさい?」
ソフィーの刺々しい言葉に、シオンもまた目の笑っていない笑顔で返す。少女たちの毒々しいやりとりに、もしこの場に他の誰かが居たとしたら、恐らく胃の辺りを手で押さえ、顔を青ざめさせていただろう。
シオンは、この同い年の従姉妹が大嫌いだった。他にも女ばかり、四人の従姉妹がいるが、根性がこれだけひん曲がっているのはソフィーくらいなものであった。
ソフィーの親である下の伯父は、シオンから見ても人格者であるのに、どうしてそんな人からこんな馬鹿が育つのか、全くもってわからない。
しかも馬鹿のくせに、シュレイナや、他の伯父や伯母の前では礼儀を弁えた姿勢でいるからタチが悪い。
「ソフィーさんに、暗いところは似合わないわ。早くこの部屋から退室なさった方がいいんじゃないかしら?」
シオンは、苛々とした感情を奥底に閉じ込めながら、ソフィーに退室を勧める。するとソフィーは眉を潜め、嘲るように言った。
「あら、退室なさった方が宜しいはシオンさんの方じゃなくって? ああ、違った、この屋敷から、の間違いでしたわね? 本当、さっさと出て行ってくれないかしら。平民が近くに居ると、私まで貧乏になってしまう気がするわ!」
シオンは相手にばれないよう、ぎり、と奥歯を噛む。苛々が溜まる一方だったが、ここで声を荒げれば負けだ。シオンはそう自分に言い聞かせ、頬を引き攣らせないように、にっこりと微笑んだ。
「まだ母が伯父上たちとお話しているようですから、私の一存では決められないわ」
「……まあ、それもそうね」
ソフィーは憎々しげにそれだけ言って、シオンの向かいにあるソファーに腰掛けた。
「ところでシオンさん。私、来年の春からリナキス魔法学園に通いますのよ」
リナキス魔法学園は、この国で唯一の魔法学園だ。魔法学園と言っても、魔法だけを学ぶわけではなく、政治学なども含め、様々なことを六年間かけて学ぶことになっている。
一応、貴賎を問わず、門戸を開いているということにはなっているが、入学金や授業料などの都合により、殆どが貴族で占められている。しかし、平民が全くいないというわけでなく、ミーナの母であるミレイユと、シオンの母であるシュレイナはここで知り合い、共に学んだ仲であった。
「……それは素晴らしいわね」
シオンの気のない返事に、ソフィーがむっとした表情を浮かべる。しかしすぐに気を取り直したのか、また嘲るような調子で口を開いた。
「シオンさんは貧乏ですから、特待生にでもならない限り、足を踏み入れることすら出来ないと思うけれど。……ああ、そうだわ! 今月末の秋季試験、シオンさんも受けてみたらどうかしら? 特待生になれるかもしれなくてよ?」
学園の試験は、通常秋に行われる。夏にも推薦試験があり、貴族の殆どは推薦を受けて学園に入る。ソフィーもまた、夏の推薦試験を受け、学園に入ることになったようだ。
「いいえ、私は遠慮しておくわ」
「っ……!」
ソフィーの言葉に、シオンは本心からそう告げる。その余裕を持って放たれた言葉に、ソフィーは顔を悔しさで真っ赤にした。そして、何を思ったのか、外にいる執事を呼ぶ。
「あれを持ってきて頂戴」
「は、かしこまりました」
執事が静かに退出するのを横目に、シオンは内心で溜息を吐く。今度は何を始める気なのだろう。嫌な予感しかないシオンは、眉間に皺を寄せた。
「シオンさん、これ何かわかるかしら?」
そして執事が持ってきたのは、拳大ほどの水晶だった。それの正体などわかるはずもなかったので、シオンは素直にいいえ、と答える。
「ふふ、まあ、平民は学がないから当たり前よね。これはね、人が持つ魔力を教えてくれるものなの」
魔力は曖昧なものであるが故に、普通であれば自分自身でさえ、その量を知ることは出来ない。魔力の操作に長けたものであれば、自分の中にある魔力がどれくらいか感覚的に理解できるが、しかし他人の内包する魔力まではわからない。
それを大雑把に計ってくれるのが、ソフィーが手にしている水晶だった。
「これは、魔力が多い順から、赤、橙、黄、緑、青、紫、と色が変化するわ。……見てなさい?」
ソフィーが、その水晶に手を当てる。すると水晶の中に、赤いもやが浮かぶ。
「ふふ、凄いでしょう? 赤は、貴族でも滅多に居ないのよ?」
赤は、平均の三倍ほどの魔力を示している。魔力量は遺伝せず、大体の人間が平均程度(黄~緑)で落ち着くため、確かに赤は珍しいと言えた。ちなみに、ミーナが触れれば橙寄りの赤を示し、ミレイユが触れれば真っ赤になるだろう。
「ええ、本当にソフィーさんは凄いわ!」
心底どうでもいい、と思いながら、フリだけはしておく。するとソフィーはにんまりと笑って、水晶を差し出してきた。
「シオンさんも試してみたらどうかしら?」
自分の優位を確信して、ソフィーが言う。シオンはやれやれ、と思いながら、それに手を触れた。
その途端、水晶は割れた。いや、割れたという表現では甘いだろう。形も残さず、粉砕したというほうが正しい。
「……!?」
シオンは、あまりの出来事に、目を丸くして硬直する。手を触れただけなのに、一体何が起こったのか、全く理解できなかった。
「っ……!」
しかしソフィーには、この現象に心当たりがあった。
規格外の魔力を持つものがこの水晶に触れると、その魔力に耐え切れずに、水晶は木っ端微塵になってしまうことがあるという。
そして、その規格外の魔力を持った人間には、“ある義務”が課せられる。
それは、特待生扱いでの魔法学園への強制入学。
「……っ」
ソフィーは、わなわなと震える。
そして苛立たしげに、ぎりり、と拳を握り締めた。
「なに……?」
しかしシオンはまだ、自分の身に降りかかった出来事を、全く理解できないでいた。