01
この小説には、以下の要素が含まれます。
ご注意ください。
○転生
○主人公強キャラ
○男の娘
○「俺たちの明日はこれからも続いていく!」な終わり
1
「あ、もうこんな時間じゃん」
友人が小さく呟いた言葉に、美奈はディスプレイの右下に表示されている時刻を見て、あ、と声を漏らす。集中しすぎていて、過ぎ去る時間に全く気付かなかったらしい。
時計が示すのは、午後八時半。
すっかり遅くなってしまったと、美奈は小さく息をついた。
「まだ全部終わってないのに……」
年代物のノートパソコンを前に、美奈は疲れを乗せた声で言う。
高校の文学部に所属する彼女は、文化祭の準備のために、同じ部の友人と一緒に、遅くまで学校に残っていた。
普段は“まったりお喋り部”と化している文学部だが、文化祭の時だけは違う。短編小説や詩などを持ち寄って、文集を作るのが毎年の恒例となっているからだ。
どれくらい恒例かというと、部室の隅にある棚に、過去の文集が30冊ほど並べられているくらいには恒例だった。
美奈たちは、その文集のため、印刷会社に送る原稿の最終チェックをしていた。
明日は土曜日。締め切りは月曜なので、美奈としては今日中に終わらせるつもりだったのだけど。
「しょうがないって! また明日来よ、ね?」
「……うう、貴重なお休み……」
友人の言葉に、はぁあ、と、今度は深い溜息を吐く。
でも、これ以上遅くなるのもさすがにマズいか、とノートパソコンの電源を落とし、所定の棚の中にしまう。友人も使っていたデスクトップの電源を落とし終えたのか、既に帰る準備を始めていた。
「じゃ、帰ろう?」
「うん」
机の上にあった愛用の電子辞書をカバンに放り込んでから、それをのろのろと背負って文学部の部室の鍵を閉める。まだ明かりのつく職員室で、「お勤めご苦労様でーす」「お、今帰りか。お前ら文学部は文化祭の時だけ頑張るなあ」「いつも頑張ってますよー?」「お喋りをか?」なんて担任とじゃれ合いつつ鍵を返してから、二人は学校を出た。
「ふぁあ~……」
帰り道、友人が見事なまでの大きな欠伸をしたので、美奈はくすりと笑う。
大きな欠伸! と美奈が笑いながら指摘すれば、友人は口を半開きにしながら、うるひゃい、と間抜けな声で反論した。そのやりとりがおかしくて、二人は肩を並べてくすくすと笑い合う。
「でもさ、本当に疲れたよねー!」
「そうだね」
そのやりとりをきっかけに、しばらく二人の間で愚痴大会を始まる。
部員の誰もがやりたがらなかったので、つい軽い気持ちで彼女達は引き受けてしまったが、結構な重労働だった。
部員から集めた原稿データを一つのファイルに纏めたあと、ミスがないか確認をする仕事なのだが、決められたフォーマットに合わせていない人も少なからずいて、その修正に思った以上に時間を取られたのだ。
フォーマットに合っていない原稿を提出した部員の面々は、しっかりと心に刻み付けたので、あとで恨み言の一つや二つ言ってやろう、と二人は思っていた。そして、来年は絶対に引き受けない、とも。
「あ、そだ。明日何時に学校行く?」
友人の言葉に、美奈はんー、と首を傾げる。
「早起きの自信がないから……午後でいい?」
「ん、いいよ!」
「じゃあ、一時に学校で!」
「うん、わかった。また明日!」
いつもの交差点。美奈と友人は、手を振って別れる。
友人は右へ、美奈は左へ。
それは、いつも通りの日常だった。
変わることなく流れ続けるはずの、日常だった。
***
苦しい。
誰か、助けて。
何なの。
やだ。
死にたくない。
そんな考えばかりが、走る美奈の頭に巡っては消えていく。
彼女の後ろからは、彼女を追う足音が響いていた。
「はぁっ……はぁ……!」
どうしてこんなことになっているのか、美奈には全くと言っていいほどわからなかった。
いつもの交差点を左に曲がり、いつもの道順で家に帰るはずだった。
“いつも”が変化したのは、人気のない道に、一人の男がぼうっと突っ立っていたのを見たときからだった。
(この時間に、この辺りに人がいるなんて、珍しいな?)
最初、美奈の感想はそれだけだった。
……男の持つ、月明かりで銀色に輝くそれを見るまでは。
瞬間、ひっと引き攣った悲鳴を上げ、美奈は後ずさった。しかし、それがいけなかったのか、男の注意が美奈の方へと向き、ふらり、と一歩を踏み出してくる。
美奈は、咄嗟に逃げ出した。脳内で警鐘が鳴り響き、恐怖でがちがちと歯がぶつかり合う。心臓がばくばくと高鳴り、手の指が緊張で冷たくなる。
(携帯っ……携帯で助けを呼べばっ……!)
美奈は震える手で、鞄から携帯を取り出す。しかし、それは強張る指に阻まれて、地面に滑り落ちてしまった。
「あっ!?」
美奈は携帯に手を伸ばしかけて、不意に後ろが目に入った。
彼女が見たとき、後ろからは先程の男が走って追ってきていた。しかも、男との距離は、すでに20メートルもない!
「ひっ、いやあああああ!」
美奈は、悲鳴を上げて全速力で駆ける。落とした携帯のことなど、もはや気にしていられない。緊張と疲労で、喉と肺が引き攣れたように痛かったが、死の恐怖に勝るものなどなかった。
走る。走る走る走る。
「誰か! 誰かっ、いませんか!」
美奈は悲鳴じみた声を上げるが、元々人通りの少ない道。誰かが助けに来る様子はない。彼女の願いは、誰にも届かない。
(……ど、どうにかして振り切らなきゃ……!)
彼女は、疲弊しきった頭でそう考える。誰かが助けに来ない以上、どうにかして逃げ切らなくては、と。
そして、入り組んだ細い路地へと足を踏み入れた。
……彼女は疲れから、正常な判断などとっくに出来なくなっていた。もう少し走れば、人通りがある道に出られるということも、彼女の思考からは消えていたのだ。
「……はぁっ、はぁっ……」
切れた息で、ただただ走る。
後ろを見るよりも先に、前へ前へと進む。
死にたくない。
その思考だけが、彼女を突き動かしていた。
しかし、人間の体力には限界というものがある。
がくん。限界を超え、途端に足に力が入らなくなった美奈は、何かに突っかかるようにその場に手を突いて転んだ。
鞄は投げ出され、中から教科書や電子辞書が雪崩れるように飛び出す。
「いっ、たぁ……」
アスファルトに削られた掌と膝からは血が滲む。苦しさで滲んでいた涙が、痛みによってとうとう一粒零れ落ちた。
一度決壊してしまえば、あとは早かった。
「……もう、何なの! 何なのよ! やだ! もうやだぁッ!」
緊張の糸が切れてしまった美奈の目から、次々と涙が零れだす。ぼろぼろと、子供のように美奈は泣きじゃくる。
その時だった。
美奈の座るそこに、足音も無く黒い影が伸びた。
「……っ!」
ざぁ、と血の気が引く。
身体の痛みなど瞬時に忘れ、美奈は振り返った。
そんな彼女の目に、最期に映ったのは。
月明かりに照らされて鈍く光る、銀色だった。
***
美奈が意識を取り戻した時、彼女は上も下もわからない場所にいた。
ただ、何も見えない中で、安穏とした時間を過ごしていた。
ふわふわと優しい暗闇に抱かれ、彼女は夢心地だった。
(ここ……どこだろう……あったかい……)
はっきりとしない意識の中で、美奈は思う。
(わたし、ころされたんだよね……?)
眠りと覚醒を繰り返しながら、ぼんやりと考える。
(ころされたってことは……ここはてんごく? じごく……じゃないよね? だって、こんなきもちいいんだから……)
美奈は口元に笑みを浮かべながら、身動ぎする。
(きもちいいなあ。ずっとここにいたい……)
美奈は、願う。あんな最期を迎えてしまったのだから、せめて今しばらくは安らかで居させて欲しい、と。
だが、彼女の願いはまたしても叶えられることはなかった。
(……ん、う?)
唐突に感じた押し出されるような不快な感覚に、美奈は眉を寄せる。
最初は我慢できる程だったが、段々とその力は強くなり、まるで誰かに「出て行け!」と言われているようで、美奈は嫌々と身体を揺り動かした。
それがきっかけだったのか、彼女は段々と押し出され、何か柔らかいものにぶつかった。そして、そのまま美奈は柔らかい何かに飲み込まれていく。
(……なに? ……ひぐっ……!)
瞬間、彼女の頭に割れるような激痛が走った。それは、今まで美奈が感じたこともないような痛みだった。首を掻き切られ一瞬で全てが終わってしまった“最期”の時以上に、辛く苦しい痛みだった。
(っ、いたい、いたいいたいいたいいたいぃいいいい!)
美奈の頭はぎりぎりと力いっぱいに締め付けられた。頭が歪んで、砕けてしまうのではないかと、彼女はそう思った。
先程まで天国とも言えるような安らかな時間を過ごしていたはずなのに、今は地獄と称していいほどの痛みを味わっている。美奈はその落差に、ただただ苦痛に喘ぐ。
(やだ、いたい、たすけて、いたい、いたい、しにたくない、わたしはまたしぬの、やだ、いたい、いたい)
美奈は、前後不覚に陥り、のたうちまわった。
痛い、苦しい。そんな感情ばかりが彼女の中で暴れまわった。
しかし永遠に続くと思われたその痛みは、唐突に終わりを告げる。
痛みから解放された美奈は、強烈な光の世界に居た。
「あ、ああああああ!」
美奈は、ただただ泣きじゃくる。何も見えない、強すぎる光の中、両手両足をじたばたと動かし、みっともなく声を上げて泣いた。
……実際には、決してみっともなくなどなかったのだが、彼女は状況を何一つ把握していなかったのだから仕方がない。
彼女が夢心地でいたところがどこだったのか、今の激痛は何だったのか、彼女が知るのはこれからなのだ。
美奈は柔らかい布に包まれ、狼狽した。ころころと移り変わる状況に、全くついていくことが出来ない。
『おめでとう、可愛い女の子ですよ』
『ああ、天よ……! 感謝します……!』
『よかった、ミレイユ……!』
美奈は唐突に聞こえた“呪文”に、びくりと震える。
それは確かに会話だったのだが、美奈にとっては呪文のようにしか聞こえなかった。彼女の良く知る日本語とは、発音も、文法も、何もかも違うこの国の言語では、そう思っても仕方がないことだったろう。
(今のは、何?)
美奈は、自身を包む布をぎゅっと握り締めながら、その呪文に耳を傾ける。
『そうだ、名前はどうするんだい?』
『もう、決めてるのよ』
(何? 何なの?)
美奈は、怯えた。
女が二人と、男が一人。その全員が呪文のような言語を口にしているのだ。たとえそれが優しい声色だったとしても、美奈にそれを冷静に判断できる余裕もなかったのだから、恐怖を抱いたとしても仕方がないことだろう。
まさか、先程の痛みは呪われた証なんじゃないか。
もしかしてあの痛みがまだ続くの。
いやだ、いやだ、いやだ。
たすけて。
もう辛いめにあいたくない。
美奈がそんな思考に沈みそうになった時、若い女が言った。
『ミーナ』
その単語だけは、美奈も聞き取れた。
(……いま、美奈っていった?)
わけのわからないまま、包まれた布ごと、誰かに抱き上げられる。
『あなたは、ミーナよ。生まれてきてくれてありがとう、ミーナ』
時たま聞こえてくるその単語に、美奈は少しだけ安堵できた。
何もわからない、その中で。
その“ミーナ”という単語だけが、彼女の心を支えていた。