あなたが従妹を優先するのなら、わたくしはお兄様を優先しますね
「君は本当に意地が悪いね、シャノン。どうして僕を咎めるんだ?」
婚約者のジェレミー・クレマンは目をすがめて、声高にわたくしを非難した。
その腕の中には、豪華なドレスと宝石で王女のように装った彼の従妹がいる。
シャンデリアの眩い光が溢れる王宮の大広間。
今宵は第二王子殿下の誕生日パーティーが催されている。成人となる十八歳を祝うものだから、例年よりもずっと豪華で、他国の王族も多く出席。
とくに隣国からは、昨年即位したばかりの国王陛下が参加しており、外政的にも重要な会といえる。
だというのに、ジェレミーは婚約者ではなく、彼の従妹のアレットをエスコートしている。
本来ならジェレミーは、わたくしを迎えに屋敷に来るはずだった。けれど、彼の代わりに短い手紙が届いただけ。内容は、『エスコートはできなくなった。夜会は個々に参加で』というもの。
あまりのことに、わたくしよりも両親のほうが激怒していた。
そんなふたりをなだめて、家族と一緒に夜会へやってきてみれば。ジェレミーはアレットの腰を抱き、幸せそうに笑いあっていたのだった。
いつもどおりではあったけれど。それでも、さすがに今日ばかりは違うと思いたかった。
「いったい何度言わせるんだ。アレットは体が弱いんだぞ。僕のエスコートなしで夜会なんて参加できないのだから、仕方ないだろう? なぜ君はそうも狭量なんだ。まったく可愛げがない」
ジェレミーは不愉快そうな顔で、わたくしを責め立てる。
そんなジェレミーを、アレットは頬を染め、愛おしげに見つめている。
周囲の貴族たちが白い目を向けているのに、ふたりはそのことに気づいていない。
いつもどおりに、自分たちの世界にひたっている。
わたくしはこぼれ落ちそうになるため息をのみこんだ。
(こんな大切な祝典でさえも、ジェレミーは従妹を優先するのね)
ジェレミーは父親が、アレットは両親がすでにいない。その関係でアレットはクレマン家に引き取られ、ふたりは一緒に暮らしている。
彼女が現れて以降、ジェレミーは常にわたくしよりもアレットを優先するようになった。
アレットは『体が弱いから』、『気の毒だから』、『友達も婚約者もいないから』、『ぼくが守ってあげないといけないから』といって。
(確かにそうかもしれないと思っていたから、今までは我慢していたけれど……)
今回の誕生会は国家行事に準じる祝典で、侯爵であるジェレミーも、公爵令嬢であるわたくしも貴族典範にのっとって参加しなければならない。
だというのにそれに反して婚約者のエスコートを怠り、その理由がほかの女性を優先するためだなんて。
(さすがに非常識すぎるわ。いくらこの婚約がおじいさまの命令だったからとはいえ、もう付き合いきれない)
彼を諫めていたお母様は、すでに息子によってクレマン侯爵家を追い出されてしまっている。
忠義者だった執事も、古くからの侍女長もみんなクビになった。
残念ながら、ジェレミー・クレマンは敬意を払うに値する婚約者ではない。
「わかりましたわ、ジェレミー様。大切なアレット様をぜひお守りしてあげてくださいませ」
鷹揚に頷くジェレミー。
「ですがジェレミー様がアレット様を優先するならば、わたくしはお兄様を優先いたしますね」
わたくしの、たったひとりの大切な大切なお兄様。
本当はずっと、ジェレミーなんかよりもお兄様と一緒にいたかった。
「は? お兄様? 何を言っているんだ。君の兄は四年も前に死んだじゃないか」
ジェレミーはなにがおかしいのか、嘲るように笑った。
「ジェレミー、笑ったら気の毒よ。きっとシャノン様には『イマジナリーお兄様』がいらっしゃるのよ」
どうしてなのか、アレットまで笑う。
「なるほど。シャノンはいつもひとりだから。現実と妄想の区別がつかなくなってしまったのか」
(『イマジナリー』だなんて……。それにわたくしがひとりに見えるのは、ジェレミーがエスコートをしていないからでしょ?)
本当にジェレミーはどこまでも現実を理解していないらしい。
彼らにとってわたくしがひとりに見えるだけで、実際はそんなことはない。いつも家族や友人がそばにいてくれる。
(だけどそんなことはどうでもいいわ)
「ジェレミー様、構いませんわよね?」
尋ねるとジェレミーは「ああ、もちろん」と、にこやかにうなずいた。
「シャノンの好きにしてくれたまえ。死人を生き返させられるのならな」
「では、そのように。――だそうよ、エヴラルお兄様!」
わたくしはジェレミーとアレットの後方から歩み寄るお兄様にむかって、声をかけた。
もちろん、お兄様は死んでなんていない。
「それはよかった。シャノンはそんな愚か者にはもったいないからな」
「「は!?」」
慌てて振り返ったジェレミーたちの脇を通り過ぎて、お兄様がわたくしのもとへとやって来る。
「久しいな、シャノン。いい子にしていたか?」
「ええ、お兄様。お会いできて嬉しいわ」
二年ぶりに会うお兄様は、相変わらず妖精王かのように美しかった。
細身の、だけれどしっかり筋肉がついた均整のとれたお身体は威風堂々としていて。
紫水晶のような瞳が印象的なお顔は麗しく、色気に溢れている。
絹糸のような煌く銀の髪は緩やかなウェーブがかかり、綺麗なお顔をより華やかに見せている。
ブルーグレーを基調とした盛装はふんだんな刺繍で彩られ、胸元のブローチと片耳だけにつけられている揺れるピアスはエメラルドで揃えられている。
「今日も美しいわ、エヴラルお兄様」
「私なんかよりシャノンのほうがよほど美しいよ」
微笑んだお兄様は私の額に口づけた。
「このブローチとピアスはどうかな? 似合っているかい?」
「ええ、素敵よ」
「シャノンの瞳の色にしたんだ」
「まあ。お兄様ったら。相変わらず妹離れができていないのね」
もう二十一歳になるというのに。
「ちょ、ほ、本当に……エヴラル殿なのか?」
震える声がしたので目を向けると、ジェレミーが真っ青な顔で私たちを見ていた。
「ああ。ほとんど会ったことはないとはいえ、私の顔はそう簡単に見間違えるものではないと思うが?」
お兄様は煽るかのような口調で言う。
事情があってお兄様はほとんど、社交をしなかった。我が公爵家の親戚とすら、交流を絶っていたぐらいだ。
そのような状況だったけれど、お兄様は何度かジェレミーに会ったことがある。婚約者とうまくいっていない可愛い妹を心配してのことだった。
(エヴラルお兄様は本当に、根っからのシスコンなのよね。でもわたくしも世界で一番お兄様が大好きだから、ちょうどいいのだわ)
「い、いったいどうして生きて……」
「んん? 誰か私が死んだなんて言ったのかな?」
「誰も言っていないわ、お兄様。四年前、お兄様は『会うことのできない遠い所へお行きになった』とお伝えしただけよ」
それをジェレミーが勝手に死んだと誤解しただけ。
だけどその誤解を解くことはしなかった。ジェレミーに本当のことを教えてあげる義理なんてなかったから。
「でもお兄様が戻ってきてくださって嬉しいわ。これからはすべてにおいてお兄様を優先できるのよ。ジェレミーの了解も得られたもの」
「幸せだな。帰ってきた甲斐がある」
微笑みを深くしたエヴラルお兄様がわたくしの手を取り、指先に唇を軽く押し当てる。
「今までジェレミー・クレマンが君のエスコートや外出を直前で取りやめたのも、誕生日のプレゼントを贈らなかったことも、私はすべて我慢してきた」
お兄様の言葉に周囲がざわりとした。
世間も、名高きディヴリー公爵家の令嬢がそんな扱いを受けていたと、うっすらとは気づいていたと思う。
けれどわたくしを始めとしたディヴリー家の人間が、それを認めるのは初めてだった。
「だけど――」とお兄様は続けた。「あの男が従妹を優先するように、シャノンは私を優先できるようになったのだな。素晴らしいことだ」
お兄様とわたくしは視線を合わせて微笑みあった。
ジェレミーが焦ったように、「いや、待ってくれ」だとか「まさか生きているなんて思わなかった」とか騒いでいる。
「あら、あなたと同じように、わたくしも事情のある身内を優先するだけですわ。なにかおかしなことがありまして?」
微笑みを浮かべ、しとやかに尋ねる。そんな私の腰にお兄様の手が回された。
(久しぶりのお兄様の温もりと香りだわ……!)
二年前よりいっそう背が高く、逞しくなったのがわかりドキドキしてしまう。
そんな私の顔を、お兄様は魅力的な笑みを浮かべてのぞきこんだ。
「シャノン、よそ見をしないでくれ。父上たちはどこにいる? 挨拶がしたい」
「あ、あのっ!」
突然割って入るかのようにアレットが大声をあげた。
何事かと見やると、頬を染めうるんだ目でお兄様をみつめている。いつの間にかジェレミーからも離れ、手は祈るようなポーズ。
「せっかくですから、みんなでお話をしませんか」
「アレット!?」
「だってジェレミーの妻になるひとのお兄様なら、私にとっても親戚になるのでしょう? こんな素敵な方がいたなんて。どうしてもっと早く紹介してくれなかったのですか?」
アレットはお兄様をみつめたまま、うっとりとした顔で言う。
(さっきまであんなにジェレミーを愛おしそうに見ていたのに。これが彼女の本性なのね)
呆れてお兄様を見ると、お兄様は万物を凍てつかせるような目をアレットに向けていた。
「……なるほど従兄妹離れができない、というわけではないようだな。どこまで私の最愛のシャノンを愚弄すれば気が済むのだ?」
地を這うような低い声。
「愚弄だなんて……」
さすがのアレットもお兄様のただならぬ怒気に気づいたようで、青ざめた。
「せっかくだから、シャノンに優先されるシチュエーションを楽しみたかったのだが。こんな人間がシャノンのそばにいるのかと思うと耐えられない」
「まあ、お兄様。せっかくお会いできたのに、もう行ってしまうの?」
エヴラルお兄様は、誕生会出席のために一時的に戻ってきただけと聞いている。
(次に会えるのはいったいいつになるのかしら……)
淑女にあるまじきマナーだとは思いつつも、しょぼんと肩は落ち、目に涙が浮かんでしまう。
「ああ、すまない! 違うよ、シャノン。私がシャノンを悲しませるはずがないじゃないか」
お兄様は額にキスをすると、さらにわたくしを抱き寄せた。
そうしてジェレミーをにらみつける。
「君たちの婚約はシャノンの祖父である先代ディヴリー公爵が、ジェレミー・クレマン侯爵の父親セザールに命を救われたこと、代わりに彼は凶刃に倒れたことが発端だ。先代公爵がクレマン家の跡取りの死に責任を感じて両家の結束を高めようと婚約を決めた。そうだな?」
「あ、……ああ。おかげで私はたった二歳で父を亡くした。つらい人生だったよ」
「けれども――」とお兄様が続ける。「そもそもセザールは家族の反対を押し切って、近衛騎士団に所属していた。職務上、命の危険があるのは承知の上だったはず。殉職による特進、その分を上乗せした退職金といった国からのフォローもあった。先代公爵はクレマン家へ配慮なんて、しなくてもよかったのだ」
そのとおりだった。
それでもジェレミーのお父様がおじい様の命を救ったことは事実だったから、おじい様の意思を継いで、我が家はずっとクレマン家に尽くしてきた。
ジェレミーのおじい様がだまされて奪い取られた財産の穴埋めをしたし、ジェレミーが失敗した事業の立て直しも借金の肩代わりもした。領地経営もろくにできないから、我が家から差配人を貸してもいる。
一方で我が家に任せない家計管理はズタボロで、財政は火の車。そのためジェレミーは数年前から、食料品から贅沢品まで、支払いを勝手に我が家宛てのツケ払いにしている。
これらのことをジェレミーは、当然だと思っていて感謝するどころか、平気で「もっと尽くせ」と要求してくる。
あまりに横柄すぎる。
いくらおじい様の遺志とはいえ、さすがにわたくしも両親も我慢の限界で。
おじい様の名誉を傷つけることになっても、もう婚約を破棄しようかと考えていた。
ただ、ひとつだけ問題がある。
我が国の王侯貴族の婚約と結婚は魔法契約によって成立する。それを解消するためには、基本的には両家と国王陛下とによる契約無効魔法が必要になる。
そしてジェレミーが婚約解消をよしとするとは思えない。
(彼にとってディヴリー家は非常に都合のいい金脈だものね。うちに財産があるかぎり、わたくしとの結婚はやめないわ)
「ディヴリー家がクレマン家のために使った、とてつもない金額――」とお兄様が強い口調で続ける。「十数年に渡る誠実な対応。これらはセザールの対価としては十分すぎるものだ」
「は? そんなわけないだろう! 私の父の命がそれほどに安いというのか? 無礼にもほどがあるぞ!」
「王家主催の夜会に婚約者をひとりで参加させるほうが、余程無礼だが?」
お兄様が反論すると、周囲からクスクスと笑い声があがった。
「それからジェレミー・クレマン、君はディヴリー家の支払い総額をわかっていないようだな。国家予算の何年ぶんになるか答えてみたまえ」
「そ……そこまでではないぞ。大袈裟な」
お兄様はふんっと鼻で笑った。そうして懐から一枚の紙を取り出し、「とにかくだ!」と、ジェレミーにつきつけた。
「お前のような不誠実な男とシャノンとの婚約は、本日をもって解消だ!」
「え?」
ジェレミーとわたくしとの婚約が解消?
「だってお兄様。魔法契約はジェレミーの意思なしでは、破棄できないのでは……」
エヴラルお兄様が私を見てにっこりと笑う。
「そんなことはない。無論、国王の許可も得た。国王は先代ディヴリー公爵のご遺志はもう果たされたと判断した」
お兄様が手にしていた書類を見せてくれた。
「……本当だわ」
確かにそれはジェレミーとわたくしの婚約が魔法契約の規則に則って、正式に解消されたという証明書だった。
「そんなはずがない……! 嘘をつくな!」
ぎりぎりと醜悪な顔で歯ぎしりをするジェレミー。
(あ、そういえば。魔法契約の解消に必要な『両家と国王陛下』という条件は、『基本』だったわ。となると……)
婚約・結婚に関する魔法契約を無効にするには、もうひとつ方法がある。
ほとんど実現不可能なそれは。
契約に関わった両名と国王陛下、この三人の合わせた魔力よりも大きな魔力を持つ者が、強権発動をするというもの。
(実際にそんな魔力を持つひとなんて、いないに等しいのだけど……)
「嘘だと思うならば、婚約指輪を確かめるがいい」
お兄様の声に、左手の薬指にはまったそれを見た。わたくしにとっては枷のような存在で、いつもどおりに指にはまっている。これは 契約魔法により、結婚指輪との交換でしか抜けない。
そこにお兄様の手がスッと伸びてきて、無造作に指輪を抜いた。
「まあ!」
お兄様は「ほら」と言って、指輪をジェレミーに投げつける。
「わっ⁉」
指輪がジェレミーの顔に当たった。
「ふっ、ふざけるな!」
叫んだジェレミーがお兄様に向けて攻撃魔法を放った。
あっ、と思たものの攻撃はすぐに霧散し、ジェレミーの体が後方に吹っ飛んだ。彼の体が床に転がったときには、すでに鎖で厳重に拘束されていた。
「お兄様。また一段と魔法の腕をお上げになったのね」
「当然さ」
にこりとするお兄様。
もともと人並外れた魔法の才があったけれど、会わなかった間に相当レベルアップしたらしい。
(魔法契約を無効にしたとなると、最強魔術師の上を行く実力ではないかしら)
鎖でぐるぐる巻きにされた芋虫のような姿のジェレミーは、顔を真っ赤にして「痛いじゃないか! 無礼だぞ!」と叫んでいる。
そこへ衛兵たちが駆け寄って来て、ジェレミーを担ぎ、アレットを拘束する。
「なぜ僕がこんな目に! 離せ! はやく解放しろ! 僕は侯爵だぞ!」
「やめて! 私がなにをしたって言うのよ!」
ふたりは身をよじって叫んでいるけれど、誰も答えようとはしない。
衛兵たちに、「不敬罪だ。この者たちを牢へ」と、冷ややかに命ずるお兄様。
ジェレミーとアレットは必死に抗議していたけれど、そのまま衛兵たちに連れて行かれた。
「お兄様。騒ぎになってしまいましたわ」
「まったく。愚かな人間がいると困るな。私は穏便に済ませるつもりだったのに」
「なにが『穏便に』だ。遅刻してきた上に、挨拶もしないで彼女の元へ向かったくせに。こうなることを見越していたのだろう?」
そんな言葉とともに、本日の主役である王太子殿下がやってきた。そのとなりには国王陛下。
「なにを言う。愛しい我がシャノンに会いたい純粋な目的以外など、なにもないが?」
にっこりとするお兄様。
そんなお兄様から離れて、わたくしはカーテシーで陛下と殿下をお迎えした。
「ディヴリー公爵令嬢、おめでとう。これでようやくあのロクデナシとの縁が切れたね」
「まさかあの気高きセザールの息子が、ここまで堕落するとは思わなんだ。先代ディヴリー公爵も君たちの婚約を結んだことを、きっと天国で悔いていることだろう。解決してよかったよ」
殿下と陛下のありがたいお言葉に、感謝の気持ちを伝える。
「これで身軽になったことだし、どうだねディヴリー公爵令嬢。我が息子を新たな婚約者に選ぶのは。歳も同じでちょうどいいだろう?」
「こうえ――もごっ!?」
「勝手なことを言わないでくれるかな!?」
お兄様が突然片手でわたくしの口を塞ぎ、もう片手でわたくしを引き寄せた。
「国際問題にしたいのか!?」
とんでもない剣幕で、お兄様が怒る。
(本当に、お兄様ってばシスコンなのだから)
でも、それがお兄様。悪い気はしない――というより、むしろ嬉しい。
(いつだって、わたくしのことを一番に考えてくれるのだもの。もう遠く離れて暮らす身となってしまったのにね)
「ハハハ、冗談だ。――そういえば、まだ来賓の君をみなに紹介していなかったな」
国王陛下はそう言うと、片手をお兄様に向け辺りを見回し声を張り上げた。
「こちらは今宵我が息子を祝うために駆けつけてくれたローゼンハイムの新王、フロレンツ・エヴラル・ローゼンハイム陛下だ」
周囲にどよめきがはしり、すぐに収まる。それから貴族たちは次々に臣下の礼を取り始めた。
「王位争いに巻き込まれ死にかけた私が生き延び、かように即位できたのは、ひとえに、助力してくれた存在がいたからこそである。血がつながらないにもかかわらず、哀れに思ったゆえのその決断。この恩義を私は生涯忘れることはないだろう」
朗々と語るお兄様の視線の先には、いつの間にかそばへやって来ていたお父様とお母様、それから弟がいた。
次にお兄様は国王陛下と王太子殿下を見る。
みんなそれぞれが、頷きあう。
「それから――」とお兄様は、わたくしを見た。「シャノンが私の心の支えになってくれたから、どんなときもがんばれたのだ」
「それはわたくしもよ、お兄様。ジェレミーにどれほど邪険にされても、わたくしを大切にしてくださったお兄様のことを思い出せば、悲しまずにいられたの」
「可愛いシャノン」お兄様がわたくしの額にキスをする。「もう誰にも君を悲しませないからな」
◇
「お兄様。こんなにわたくしばかりに構っていて、大丈夫なの?」
「もちろんさ。シャノン以上に大切なことなんて、この世にはないぞ?」
極度のシスコンのお兄様は、再会以降、ずっとわたくしを優先している。
誕生会では、わたくしとだけダンスを踊って。
わたくしだけをエスコートして、そばを離れず。
ふたりきりで馬車に乗って、ディヴリー公爵家に帰り。
屋敷にいる間は入浴と着替え以外は、ずっと一緒にいる。
眠るときだって同じベッドだった。初日に子供のころのように並んでお話をしていたら、そのまま眠ってしまって。
さすがに成人男女がすることではなかったと、ちょこっとだけ反省したけれど……
(お兄様はすぐに隣国へ帰ってしまうのだもの。このぐらいは許されてもいいわよね?)
恐らくみんなも、久しぶりに再会し、わずかな間しか共にいられないわたくしたちに寛容になってくれているのだと思う。
その証拠に起床時に、ベッドに仲良く並んでいるお兄様とわたくしを見た侍女は、額に手をやり大きなため息をついたけれど、お小言は言わなかった。
お兄様がお仕事へ行くときは、さすがにわたくしから離れると思ったのだけれど、杞憂だった。
わたくしはお兄様の書記の役目をいただいて、仕事中でも一緒。パーティーやレセプションにはパートナーとして出席。
ずっとお兄様と一緒にいられる。
(幸せだけど……。お兄様がいなくなったときの反動が怖いわ)
「浮かない顔をして、どうしたんだい?」
サロンでひとり、お茶を飲んでいたらお兄様がやってきて、額にキスを落とした。
「そろそろ帰国でしょう? お兄様がいなくなったら淋しくて、どうしたらいいかわからないわ」「なるほど。それはいけないな」
にこりとしたお兄様はわたくしのとなりに腰をおろすと、いつものように腰を引き寄せた。
心地よいぬくもりと甘い香りに、心臓が跳ね上がる。
(どうしてかしら。いつまでたっても、慣れないわ。小さい頃はこれが当たり前だったのに)
「私もね、愛しいシャノンとはずっと一緒にいたい」
「お兄様……!」
血がつながらないとはいえ、お兄様とは九年もの間、兄妹として暮らしていた。
そんなお兄様は、世界で一番信頼できて頼もしくて大好きなひとで。
(お兄様にとってのわたくしも、そんな存在なら、とても幸せだわ……。たとえまた、離れ離れになってしまっても)
「あ、いえ待って」お兄様の胸に寄せていた顔を、がばりと上げる。「わたくしはもうジェレミーと結婚しないのだから、お兄様の国へ行ってもいいのよね?」
「そうだね、シャノン」
嬉しそうに微笑むお兄様。
「ではあちらの国でも書記として雇ってくださいな。第三書記でも第百書記でも構いません。お兄様のおそばにいられるお仕事をくださいな」
「うん……」
「お兄様?」
なぜかお兄様は笑顔をはりつけたまま、俯いた。けれどすぐにわたくしを見る。気のせいかお兄様の紫水晶のような瞳があやしく輝いている。
「シャノン。もっと素晴らしい解決方法があるんだ」
「まあ、なにかしら」
お兄様はわたくしの手を取り、指先に口づけた。
「結婚しよう、シャノン。そうすればずっと一緒にいられる」
「けっこん……?」
(お兄様とわたくしが……?)
「それは……お兄様と一緒にはいたいけれど、わたくしのせいでお兄様の結婚の可能性を潰してしまうのはよくないわ」
国王となると、諸国や国内の政治を考えて結婚相手を決めるもののはず。
そうでなくても、お兄様にだって女性の好みというものがあるだろうし……
そう力説していたら、胸がもやもやとしていることに気がついた。
「シャノン。政治については考えている。君との結婚を機会に、この国と同盟を結ぶ予定だ」
(わたくしはただの公爵令嬢だけど、どうして国の話になるのかしら?)
「それからぼくの女性の好みはね――」
お兄様がまっすぐにわたくしの目をのぞきこむ。
「君だよ、シャノン。私はずっと君を愛していたよ。身内に殺されかけて心が荒んでしまった私に、君が手を差し伸べてくれたときから。妹としてではなく、ひとりの女性としてね」
(え……? 妹ではなく?)
「私がシャノンを妹と呼んだことはないのだけどな。君は気づいていなかったよね?」
「え? え?」
(お兄様はわたくしを妹と思っていなかったの?)
「わかってくれているかな? シャノンを恋愛対象として愛しているということだよ?」
嫣然とした微笑みを浮かべたお兄様の顔がゆっくりと近づいてくる。
「お、お兄様……!?」
「これからはエヴラルと呼んでくれると嬉しいな」
こつん、とお兄様の額がわたくしの額に当てられた。
まさしく目と鼻の先に、綺麗なお兄様のお顔があって。
心臓はばくばくと激しく動き、頬は燃えるように熱くて、わたくし、なにがなんだか……
――視界がぐにゃりと歪む。
お兄様が慌てたように「シャノン!?」とわたくしの名前を呼ぶのが聞こえるけれど、わたくしの意識はここでプツリと途切れてしまったのだった。
◇
「クレマン侯爵家は取り潰しが決まったぞ」
「お義父様のお気持ちが無駄になってしまいましたわね」
そう話すお父様とお母様を見る。
「でも悪いのはジェレミーじゃないか。姉上が結婚前に逃げられてよかったよ」
弟が満面の笑みで喜んでくれる。
王太子の誕生会で、隣国の王を攻撃しようとしたジェレミー。
そうとは知らなかったとはいえ、やってしまったことは事実だ。
しかも彼は、なにも知らないような平民でもない。我が国の大貴族のひとり。
ジェレミーのしたことは、開戦の理由になりうることだった。だから。
すべてはなかったことにされた。
ジェレミー・クレマンは誕生会のひと月前に病死。誕生会に彼もその従妹も出席していない。
今は、これが事実となっている。
かつてジェレミー・クレマンだった青年は、身元不明の誇大妄想の持ち主として山奥の療養施設に送られた。そこで治療を受けながら社会復帰用の軽作業をするのだとか。
頼る者を亡くしたアレットは、修道院に入った。帰る場所はなく、引き取りを申し出る者もおらず、体が弱くて働くこともできず、そうするほかなかったらしい。
そして当主を亡くしたクレマン侯爵家を、継ぎたいという人間も現れなかった。
ろくな財産はなく、悪評まみれなのだからいたしかたない。
「旅立つ前にすべて終わって、よかったです」
お兄様がお父様たちに笑顔を向ける。
そう。今まさに、お兄様は帰国のために出発するところ。
――わたくしと一緒に。
「それでは、父上、母上、可愛い弟よ。私たちの結婚式には必ず来てくださいね」
お兄様は見送りの家族に向かって晴れやかにそう言うと、わたくしをさらに抱き寄せた。
「シャノンは絶対に幸せにするから心配しないでください。彼女に仇なすものは、きちんと排除しますから」
「お兄様……!」
ぴたり、と口に指が当てられる。
「また間違った。お兄様じゃないぞ。エヴラルだ」
「……エヴラル」
「うん、いい子だ」
慣れない名前呼びに顔に熱が集まっているというのに、お兄様は素晴らしい笑顔で頬にキスをしてくる。
「お……、エヴラル、お願いだから加減して。ドキドキしすぎて心臓がもちそうにないわ」
「難しい注文だな。君に男として意識してもらいたいんだ」
「姉上、大変だね……」
弟がなにやら呟いたみたいだけれど、よく聞こえなかった。
きっとわたくしは、とっくにお兄様を意識している。
妹としてではなく、好きだと思う。
もしかすれば、ずっと前からそうだったのかもしれない。
けれどそれを伝えると、お兄様はもっと暴走しそうな気がするから、わたくしがお兄様に慣れるまでは黙っているつもり。
そうでないとわたくしの心臓が破裂してしまうもの。
――そんな風に考えていたわたくしは、甘かった。
お兄様とふたりきりの馬車での、長い旅。なにも起こらないはずがなく。
隣国の王城につくころには、わたくしは……
これ以上は淑女として、とても口にはできませんわ。
《おしまい》
お読みいただき、ありがとうございます!
面白かったら、評価やスタンプなどしていただけると嬉しいです!
☆宣伝☆
なろうで更新中
『家族からお荷物扱いされた結果、私を嫌う魔術師との結婚を命じられました』
https://ncode.syosetu.com/n2395mk/




