凪を乱す声
物語を読む前に、あなたへ。
もし未来が絶望に染まっていたら、あなたは何を選びますか。
逃げるか。
諦めるか。
それとも、抗うか。
これは——
すべてを失いながらも歩みを止めなかった
一人の少年が、絶望の未来を
希望の未来へ塗り替えようとした記録
- 1話「凪を乱す声」 -
薄暗い訓練棟の窓際、神谷伊織は静かに背筋を伸ばして座っていた。
足音、時計の秒針の音、呼吸――それ以外は灰色に吸い込まれる。
周囲の生徒たちも、監視官の目も、彼の意識の外に溶けていった。
その日も、窓の外の小道に少女が立っていた。
「……ねえ、君、大丈夫?」
声が風に乗って届く。
伊織はわずかに目を向ける。
返事はせず、窓の外をぼんやり眺めるだけ。
少女は小さく舌を出して、からかうように笑う。
「ふーん、無視するんだ。面白くないなぁ」
次の日もその次の日も、少女はやってきてはちょっかいを出す。
葉っぱを小道に落として転がしてみたり、石を軽くつつく真似をしたり。
「ねぇ、もっと見せてよ、つまんない顔してないでさ」
窓越しに身を乗り出すこともある。
伊織は動かず、手元の本や椅子に目を落とすだけ。
返事もせず、少女の声だけが灰色の世界に響く。
ある日、少女は窓の外から小さく身を乗り出して、伊織の手元の本をちょっと押す。
「ねぇ、覗かせてよ。ねぇ!」
伊織は肩をすくめ、再び視線をそらす。
返事はなし。
しかし繰り返すうちに、少女は少しずつ伊織のそばで遊ぶようになった。
小道を行き来しながら声をかけ、時折手を振る。
毎日同じ時間、同じ場所に現れることで、自然と伊織の視界に入る。
そして、その日——
少女は窓の外から軽く手を振った後、顔を近づけて笑う。
伊織は、思わず口を開いた。
「……名前は?」
少女は微笑み、短く答える。
「一ノ瀬澪よ」
その瞬間、水にドボンと沈むような感覚が胸を満たした。
灰色だった世界が、音と光と風に溶けて、色彩に満たされていく。
風も、木々も、窓の向こうの小道も——
すべてが、初めて鮮やかに見えた。




