5 料理番付と顔見世番付
花吉の「のっぴきならない用事」の正体を探る水絵。
たどり着いた先は、思いもよらぬ場所でした。
今回は、少し歌舞伎のお話も出てきます。
新吉と千代が帰ったあと、鏡之介と水絵が寺子屋の後始末をしていると、礼次と誠太郎が草双紙を片付け、挨拶に来た。
「遅くまですみませんでした」
「また明日」
礼次はそのまま寺子屋を出て行ったが、誠太郎はふと思いついたように戻ってきて、水絵に耳打ちした。
「だいじょうぶです。叔父上に告げ口したりしませんから、ねえさま」
妙に大人びた口調と目つきだった。その表情に戸惑い、水絵は、
「あ、ありがとう」
と返すことしか出来なかった。
翌日の夕方――。
調べを終えて水絵が真性寺に戻ったときには、子どもたちはすでに帰ったあとだった。寺子屋では、鏡之介がひとり、習字に朱を入れていた。
「手伝います」
少し申し訳ない気持ちになって言ったが、鏡之介は首を横に振った。
「この一枚で最後だ。それより……」
鏡之介は、最後の朱を入れると、筆を置いて振り返った。
「水絵のお手並みを聞かせてもらおうか」
にやりと笑われたが、それなりの成果は得ていたので、水絵は同じようににやりと笑い返した。
「花吉さんが通っていたのは『浅葱屋』です」
「やっぱりな」
「気づいていたんですか?」
今度はちょっとムッとして言い返す。
「いや、確証があったわけじゃあねぇ。俺がそう思ったわけはあとで言うから、水絵が調べたことを教えてくれ」
「話せ」でも「言ってみろ」でもなく「教えてくれ」と言われたので、水絵は少し気を取り直す。そして、今日一日で調べたことを鏡之介に語った。
「浅葱屋」は、言うまでもなく花吉の実家である料理屋だ。花板だった二若旦那――つまり花吉――が、家を出てしまったために、料理番付で格落ちした。
花吉の「二度と帰らない」という決意は固かったが、それでも「浅葱屋」の零落に心を痛めてはいたのだろう。
「花吉さんは、『浅葱屋』に通って、料理を教えているんですよ」
「教えている相手は、兄貴……ってわけはないか」
鏡之介がつぶやく。水絵も頷いた。弟に教わるのは、兄として沽券に関わると思うだろうし、そう思わなかったとしても、教えてなんとかなるものなら、今の零落はなかっただろう。頑なに教えを拒んだか、教えてもものにならなかったのか、どちらかだ。
「花吉さんには、妹さんがひとりいるんですよ。その妹さんのお婿さんになる人が、板前修業中なんだそうです」
筋はいいらしく、すでに板前として働いているという。
「しかもこの人、なかなかの男前だそうで……。なんとかっていう歌舞伎役者に似てるっていうので、女の人の客が増えたってことらしいです」
「そいつの顔は見たのか?」
「いいえ、見てません。話は、下足番のおじいさんや、仲居さんたちに聞いたので」
そう言うと、鏡之介は眉間にしわを寄せて、なにか考え込んでしまう。
「その人が、なにか?」
尋ねると、鏡之介ははっと顔を上げた。
「いや。なんでもねぇ」
眉間のしわは消えていた。
「じゃあ、教えてください。花吉さんが行ってるのが『浅葱屋』だと思ったわけを」
「これだよ」
鏡之介が見せたのは、一枚の料理番付だった。最新のものなので、反古紙から見つけたのではなく、買ってきたものだろう。
「『浅葱屋』が復活している」
さすがに「大関」は取れなかったが、「前頭」のかなり上位に名前が載っていた。
「昔の味に戻りつつあるって但し書きもある。けど、花吉が戻るわけはねぇから、きっと教えに行ってるんだろうと思ったわけだ」
「それなら……」
前もって言ってくれればいいじゃないですか、と言いかけてやめた。知らされていたら、あのわくわく感は味わえなかっただろう。鏡之介は、水絵のためにわざと黙っていたのかもしれない。
「ところで……」
鏡之介がひどく真面目な顔で切り出した。
「妹の婿さんが似てるっていう歌舞伎役者、名前は聞かなかったか?」
「聞きましたけど、わたしは歌舞伎にくわしくないので……」
忘れてしまいました、と言うと、鏡之介は、一枚の瓦版を水絵の前に広げた。いや、それは、瓦版ではなく……。
「ええと……これは?」
「顔見世番付だ」
ああ、これが顔見世番付なんですか……と、手に取って見る。聞いたことはあるが、実物を見たことはない。
「大家から借りたんだ」
水絵の住んでいる長屋の大家は、かなりの歌舞伎好きだと聞いている。
歌舞伎役者は、毎年、芝居小屋と契約を結ぶ。その期間は、十一月から翌年の十月まで。なので、十一月は「今年一年、この役者が出ますよ」と披露する「顔見世興行」が行われる。歌舞伎の世界では一番大切な興行と言われているらしい。
その披露が行われるのが、十月の末。小屋の前に絵看板を掲げると同時に、顔見世番付が売り出される。歌舞伎好きは、いち早くその番付を手に入れようと必死になるという。
「この中に、水絵が聞いた役者の名前はないか?」
「はあ……」
見つけられる自信はなかったが、とりあえず番付に目を通す。「森村座」という芝居小屋の番付だった。真っ先に目に入ったのは、中央に大きく書かれた「菊村松三郎」という名前。これではないと思ったが「菊村」という名字には引っかかりをおぼえた。聞いた名前も、確か「菊村」ではなかったか……?
「だけど、これ、百人くらい名前があるじゃないですか」
大変ですよ、と文句を言う。ある程度大きく書かれた名前ならともかく、かなり小さい名前はひどく読みづらい。
「文字を読むのはお得意だろう?」
からかうような口調だったが、鏡之介の表情は真剣そのものだった。
「そうですけどね」
答えながら、気づく。料理屋の仲居が知っている役者だ。それなりに有名なのだろう。だとしたら、そんなに小さい名前ではないはず。そして、耳に引っかかっている「菊村」――。
それを頼りに捜してみると、意外と簡単にその名前は発見できた。
「……ありました」
水絵は、番付の上段、中央からやや左寄りに書かれた名前を指す。
菊村月之丞
最後に名前だけ登場しましたが、さて――。
彼がどのような人物なのかは、もう少し先で。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




